第42話 予想外の展開

「みぎゃっ! にゅわっ! ふにゃぁ~!」

(身体が軽い! 思いっきり走るのも久し振りで、風が気持ち良い! 最高!)

 刈り込まれた低木の間を走り抜け、シェリルは噴水をぐるりと回りながら、興奮のあまり奇妙な鳴き声を上げたが、周囲の人間は忙しさで特に注意を払う者は皆無だった。そしてお気に入りの花壇にシェリルが足を踏み入れると、微かな心地よい香りを感じると同時に、色鮮やかな色彩の中でひらひらと舞う自分と同じ色彩を見つける。


「にゃうっ!」

(あ! 蝶さん、待って~!)

 興奮し通しのシェリルは、黒地の羽に僅かに蒼い模様が入っている蝶に目が釘付けになり、何も考えずにその後を追った。その蝶はシェリルと付かず離れずの距離を保ちつつ移動し、やがてシェリルが飛び上がっても届かない高さまで舞い上がって飛び去ったが、ここでシェリルは漸く落ち着いて周囲の様子を見やった。


(残念、振り切られちゃった。あれ、ここどこ?)

 しかし戸惑ったのは僅かな間で、彼女はすぐに目印となる物を発見した。そして木の影で方角を確認しつつ、大体の現在位置を割り出す。


(あそこの尖塔が、今、東南の方向に見えているから、後宮の北側を回って西側に出て、本宮の北側辺りに来ちゃったのね。ここまで来た事は無いけど、帰り方は分かるし。ここで少しのんびりしていこう)

 そして目の前に広がっている、良く手入れされた芝生の上に寝転がる。


(うわぁ、フカフカの芝生に、ポカポカのお日様。最高に幸せ)

 そんな事を考えながらシェリルは手足を伸ばし、芝生の上を横にゴロゴロ転がった。そしてうつ伏せになって動きを止め、気持ち良さからうつらうつらし始める。そこでシェリルは本格的に眠りかけたが、男が言い争う声が聞こえて眠気が覚めた。


「……だから離せと言っているだろうが!」

「いいや、離さん! 今日こそ直にディオンに会わせて貰うぞ! 魔導鏡越しの映像など、信じられるか!!」

「ハリード男爵、止め下さい!」

(え? ディオンって……、まさか、あのディオンじゃなくて、本物の事を言っているの!? それにあれは確か……、ライトナー伯爵?)

 寝ぼけていたシェリルだったが、聞き覚えのある名前が耳に入った瞬間、慌てて目を開けて立ち上がった。そして茂みの下に潜り込んでこっそり建物の方を窺うと、庭園に面した回廊で二人の男が言い争っているのが目に入る。どうやら自称ラウール王子と、自分の部屋にも押しかけてきた事があるライトナー伯爵が歩いていた所に、ハリード男爵が掴みかかって訴えているらしく、伯爵が険しい顔つきで相手を叱り付けた。


「滅多な事を口にするな! ここは執務棟ではないが、れっきとした王宮の中だ。いつ、誰が通りかかるか分からないのだぞ!」

「そうだな。貴様やラミレス公爵は困るだろうな」

「この貧乏男爵が……」

 そこでラウールが盛大に舌打ちして、何やら呪文を唱え始めた。


(しまった……。あれはジェリドさんも前に使っていた、音声を遮断する魔術だわ。どんな話をしているか分からないじゃない!)

 それから少しの間、三人は押し問答らしき物を繰り広げていたが、どうやらハリード男爵の説得は無駄だったらしく、ラウールとライトナー伯爵がうんざりした表情になった。そしてラウールが術式を解除したらしく、唐突に声が聞こえてくる。


「全く、度し難い馬鹿者のせいで、式典に出られなくなったぞ。その代わり、ちゃんと息子が生きている所を見せてやるから、今夜の夜会では私達の指示に従えよ?」

「……分かった」

 そのやり取りを聞いて、シェリルは(ハリード男爵は、本物の息子さんを人質に取られて、協力する様に脅迫されていたのね!)と確信した。そこでディオンと別れて歩き出した二人の後を、シェリルは慎重に距離を保ちつつ尾行し始めた。


「ところで、どこまで行く気だ? 日が落ちる前に戻れない所なら、屋敷に連絡を入れておかないと妻が心配する」

「行き先は言えん。だが王都の中に居るから、大して時間を要さずに戻って来られる」

「王都の中だと!? そんな近くに居たのか? 公爵の別邸とかか?」

「いや、他の協力者の屋敷だ。言っておくが、馬車に乗ったら目隠しをして貰うぞ。それ位は妥協しろ。それから今更言うまでも無いが、お前が変な真似をしたら、すぐに部下に指示を出すからな」

「……ああ」

 凄んで念を押してきた伯爵に、男爵は不本意そうに頷き、それを見たシェリルは密かに安堵した。


(あの様子だと本物のディオンが解放されたら、ハリード男爵は本当の事を証言してくれるわよね?)

 そんな事を期待しながら後を付けていると、王宮の通用門の一つらしい場所に辿り着いた。そして誰の物か分からない馬車が、広く開けた場所に三台待機しており、その中の一台に伯爵が真っ直ぐ歩み寄る。


「出かける間際で良かったぞ。急いで馬車を準備する手間が省けた。早く乗れ」

「ああ」

「おい、行き先変更だ」

 男爵が乗った事を確認した伯爵は、御者席に待機していた男に近付き、何事かを囁いた。何を言っているのか聞き取れなかったが、ここでシェリルは重大な事に気が付く。


(どうしよう……、後宮から離れているから当然と言えば当然だけど、私の事情を知っている侍女さんや騎士さん達と、今までに全然すれ違わなかった)

 キョロキョロと周囲を見回すも、自分を助けてくれる人間など皆無である事を確認して、シェリルは激しく狼狽した。


(ここに人は居るけど、急に猫が喋り出したら大騒ぎになるし、第一伯爵達に気付かれるわ。でも後宮まで戻っていたら、その間に馬車は出ちゃうし、でも術式がないと人の姿に戻れない。どうしよう……)

 そうこうしているうちに伯爵はすぐ馬車に乗り込み、それが走り出してしまった。


(ええい! こうなったら!)

 そこで勢い良く走り出したシェリルは、まだ助走段階だった馬車がぐるりと広場を回って方向転換している間に、勢い良く駆け寄って馬車の後部に飛び付いた。しかしそのわずかに盛り上がっている装飾部分は、とても石畳の振動を吸収する事はできず、シェリルは振り落とされないように爪を立てて渾身の力でしがみつく。


(リリス、ソフィアさん、本当にごめんなさい! 一緒にカレンさんに謝るし、もう暫くの間猫にならなくても我慢するから、今日だけ王宮を抜けさせて貰います!! なるべく早く、戻って来る様にするから!!)

 シェリルの心の叫びが誰にも届く事が無いまま、彼女を後ろに張り付けた馬車は、堂々と王宮の門をくぐり抜けて出て行った。

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