第5話 激昂するエリーシア
「冗談じゃないわ!! 父さんがシェリルを拾った時、雨でずぶ濡れでまともに声も出せないくらいに衰弱していたのよ!? 猫だって生まれたばかりで放置されたら、まともに生きられないくらい分からないわけ? 猫の姿だったら見殺しにしても良心が痛まないとは、随分とご立派な人間様ねっ!!」
「…………」
彼女の怒りの波動をまともに受ける羽目になったレオン達は、流石にその内容に反論できずに黙り込んだ。その前で彼女が一方的にまくし立てる。
「身体を冷やさないように私が服の中で四六時中抱いて一週間過ごして、それからやっと声が出て、なんとかヨロヨロ歩ける様になったのが一ヶ月後よ! よくもまあ、あのまま死ななかったものだと、今思い出してもぞっとするわ!! それに、あの《黒猫保護令》で、シェリルは今まで散々迷惑を被っていたのよ!」
「え? それは何故だ?」
そこで当惑したレオンが口を挟むと、エリーシアは盛大に舌打ちしてから、鬼神の如き表情で解説した。
「黒猫を捕まえて王宮に持っていけばお金が貰えるから、黒猫姿のシェリルを街に連れて行くと、毎回小遣い稼ぎの連中に追いかけ回されて何回も捕まりそうになったのよ!」
「しかし《黒猫保護令》を知っていたなら、お前がさっさと姉上を王宮に連れて来てくれたら、事は簡単に済んだだろうが!」
彼女の態度に流石に腹を立て、レオンは八つ当たり気味にそう指摘した。しかしエリーシアは、万年雪もかくやといった冷え切った視線でそれに応じる。
「それでは王太子殿下にお尋ねしますが、王宮に集められた猫達は術式に反応しない、つまりシェリルではないと判明した後、どうなりましたか?」
「それは……」
途端にレオンは口ごもり、この間黙って下のやり取りに耳を澄ませていたシェリルはピクッと体を震わせた。
「どう考えても年に何十匹も黒猫を集めて、そのまま王宮内で全て飼育している筈はありませんよね? 全部殺処分していると考えるのが妥当よ。そんな所に、シェリルを渡そうと思う筈がないでしょう? まさかシェリルを探しているなんて、夢にも思ってなかったもの」
エリーシアの主張に全く反論できなかった一同だったが、レオンが必死に訴えた。
「そうは言っても、包み隠さず事実を公表する事は不可能だったんだ!」
「言い訳は結構。因みにこれまでに殺処分した猫達のお墓位、王宮内に当然作ってあるわよね?」
「…………」
「全く話にならないわね」
再び黙り込んだレオンを天井板の隙間から見下ろしたシェリルは瞳に涙を浮かべ、エリーシアは深々と溜め息を吐いた。
そんな緊迫した状況の中、先程から会話に加わらず密かに小屋の中を魔術で探索していたジェリドは、漸く天井裏の存在を察知した。
「エル・ガジェスタ・テン・リー!」
「え?」
「きゃあぁぁっ!!」
ジェリドが突然呪文を発すると、いきなり天井が円形にくり抜かれて落下し、そこにいたシェリルごと落下してきた。それをすかさず駆け寄って受け止めたジェリドが、板の上で硬直しているシェリルに微笑みかける。
「はじめまして、姫君。私は」
「いっ、やぁぁ――――ぁっ!!」
驚愕したシェリルが悲鳴を上げる中、エリーシアが即座に右手を翻らせた。
「何するの!? リュー・レント・ミュルス・ド・グェリィン!!」
「それは悪か、うあっ!!」
「ちょっと待っ、ぐわぁっ!!」
「危ない、殿下!! ぐはっ!!」
彼女が流れるように呪文を詠唱しつつ彼等に向かって手を振り下ろすと同時に、男三人は突如発生した空気の渦に巻き込まれ、勢い良く開いた出入り口から空高く放り出された。その渦巻きと共に、森の向こうに彼らが綺麗な弧を描いて飛んで行くのが、素早く確保された義姉の腕の中からシェリルには見えたが、エリーシアは険しい顔付きのまま後片付けを始める。
「エリー」
「構う事はないわ。世の中には物凄く馬鹿な人間がいるというだけの話よ。不愉快な人間がそうそう来ないように、今日中に防御結界をもっと強固にしておくわ」
「……ええ」
それにシェリルは素直に頷きながらも、(勢い良く飛んで行ったけど、大丈夫かしら?)と、少しだけレオン達の身を心配した。
さすがに国内でも有数の魔術師二人を従えていたレオンは、空中に放り出されてもかすり傷も負わずに無事着地した。しかし激昂しているエリーシアと直談判ができるとは思えなかった為、ひとまず王宮に撤収する。
そして国王不在の間、王宮での最高責任者である王妃に報告するべく後宮を訪れた三人は、そこでひたすら居心地の悪い思いをする羽目になった。
「レオン殿、お話は良く分かりました。その姫君の姉代わりのエリーシア殿は、度重なる王宮側の不手際と無神経さに大層ご立腹され、実力であなた方を排除したのですね?」
「そういう事になります」
「それにしても、ジェリド殿。最後に、強引に姫君を引きずり出した方法については、感心できません。その結果、姫君を余計に怯えさせたのですから、短慮と言われても反論できませんよ?」
「誠に、申し訳ありません」
包み隠さず一連の騒動を報告したレオンは王妃に謝罪し、ジェリドとクラウスも揃って頭を下げた。報告を受けたミレーヌは、小さく溜め息を吐いて話を続ける。
「彼女を探すための《黒猫保護令》については耳にしておりましたが、その猫達が悉く処分されていたとは、夢にも思っておりませんでした。てっきり魔術で印を付けて飼い主に返すか、野良猫は直轄地などで飼育しているとばかり……。これまで国政に関する事には極力係わらないようにしていましたが、それを知っていれば一言陛下にご意見申し上げました。とにかく、姫君の可能性がある人物の存在が分かった以上、このまま放置するわけにはいきません。彼女が王女だと判明した場合に備えて、宰相や女官長達と相談して、姫君が後宮で滞在する部屋の準備や必要な人員の手配をしておきましょう」
「ですが王妃様。エリーシア殿の怒りが、そうそう簡単に静まるとは思えません。彼女が姉上をこちらによこして下さるかどうか……」
控え目にレオンが懸念を口にすると、ミレーヌも真顔で頷く。
「そうでしょうね。ですが話を聞く限り、彼女はなかなか優秀な魔術師のようです。クラウス殿のご意見は?」
「それは保証いたします。アーデンも生前『俺の養い子は、俺より優秀だ』と、事あるごとに申しておりました」
「あのアーデン殿がそこまで言っていたのならなんとかできると思いますので、私が彼女を説得してみましょう」
「宜しくお願いします」
本音を言えば(どうして魔術師だと何とかできるんだ?)と疑問に思ったレオンだったが、何やら自信ありげな王妃を目の前にして、余計な口出しはせずにおとなしく引き下がった。
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