第56話 姫、時々黒猫

「ジェリドは、私のどこがそんなに良いの? 未だに猫気分が抜け切らない、貴族のお姫様としての知識も教養も無い、中途半端な王女なのに」

 シェリルにしてみれば当然の疑問だったのだが、ジェリドは笑いを堪える表情になった。


「まともな人間なら、好き好んで自分と婚約なんかしないと? だが生憎、私はまともな人間では無いからね」

 その微笑みながらの断言に、シェリルは思わずその場に突っ伏したくなった。

(いきなりコメントに困る事を言わないで……)

「と言うのは、冗談にしても」

(今の、冗談だったんだ)

 益々相手の人間性が分からなくなってきたシェリルだったが、そんな彼女に向かってジェリドが急に真顔で訴えかけてきた。


「シェリル、私は昔から、世の中が退屈でつまらなくて、仕方がなかった」

「つまらない? まだじっくり見た事は無いけど、王都には面白い場所や面白い事が一杯だって、リリスが言っていたけど」

「そうではなく……。人生そのものがつまらないとしか思えない、と言うのが適当だろうか。押しも押されもせぬ公爵家に整った容姿に生まれついたし、学問も必要な事は比較的あっさり修得できたし、周りから妬まれて襲撃されても、余裕で撃退できるだけの技量も得られたし。それで小さい頃から、あまり何かに悩む事が無かった」

「はぁ……」

「だから君の事を知った時、かなりの衝撃だった」

「猫人間が、そんなに衝撃だったの?」

 微妙にショックを受けつつシェリルが応じると、それを察したジェリドが、軽く手を振りながら苦笑気味に宥める。


「確かにそれも少しは有ったが、顔を合わせる度に、君がいつも楽しそうに笑って過ごしているのが、とても印象的だったよ。どうして笑って過ごせるのかと、今まで何に対しても大して悩んだ事の無かった私が、結構真剣に悩んだよ。自分が猫では無く、ちゃんと人間だと認識しているのに、ろくに本来の人の姿になれない状況なんて、普通の人間ならそれだけで凄いストレスだ。通常なら世を儚んで自暴自棄になったり、周囲を恨んで性格が歪んだりするものだろう」

「そんなもの?」

 今一つ理解できなかったシェリルが曖昧に問い返したが、ジェリドは力強く断言した。


「そうだ。だが君は、猫のままでも自分の人生を悲観する事無く、ありのままを受け入れて、明るくまっすぐに成長しただろう? これは多分に君を育てたアーデン殿とエリーシア殿の、性格や考え方による影響が大きいとは思うが、それにもまして君の精神が頑強である事の証だと思う」

「……どうもありがとう」

 そこでシェリルは曖昧に頷いて礼を述べたが、彼の話は更に続いた。


「だからそんな君は、私が尊敬する数少ない人間の一人なんだ。君の笑顔は、全て人任せにして怠惰な人生を送っている、苦労知らずな貴族の令嬢の媚びを含んだそれより、数倍の価値がある。他の誰が何と言おうと、私はそう思っている。だからその笑顔を守る為に、私の人生を捧げても良いと思った。君と出会うまでは、大して生きがいの無い人生で、いっその事謀反でもしてみたら波乱万丈の人生が過ごせるかもとか、物騒な事を時折考えていた位だったから、それよりはマシかと家族にも認めて貰った」

「ええと……」

(何か今、サラッと凄い事を言われた気がする)

 シェリルが戸惑いながら頭の中を整理しようとした所で、ジェリドが満面の笑みで告げた。


「そういうわけだから、君の心身を一生守るから、死ぬまで私に付き合って欲しい。どうやら私は他人に言わせると、並みの人間には手に余る、複雑怪奇な人間らしいが」

(要するに私、他の人が尻込みする危険人物を、押し付けられた?)

 愛想良く言葉を繰り出したジェリドに、シェリルは唖然としてから小さく噴き出した。そして楽しそうに言葉を返す。


「でもエリーが『猫になりたがるうちは、結婚なんて無理ね』と言っていたけど?」

「私は猫相手でも一向に構わないが……。そうだ。この際退屈しのぎに、私が猫になる術式を彼女に構築して貰って、時々二人一緒に猫になってのんびりしようか?」

 それを聞いたシェリルは、慌てて力一杯否定した。


「ちょっと待って! そんなの駄目!」

「傷付くな……、どうしてそんなに嫌がるんだ?」

「だって、そんな事をしたら、世間に猛獣を放す様な気がするもの!! ジェリドだったら猫を通り越して、大型獣になりそうだし!!」

 その訴えを聞いたジェリドは、盛大に笑い出してしまった。


「酷いな。未来の夫を猛獣扱いだなんて」

 それから何とか笑いを抑えた彼は、シェリルに向けて両手を伸ばした。


「ところで、そろそろ歴史の勉強の時間じゃないのかな?」

「確かにそうだけど。どうしてジェリドが私の予定を知っているの?」

「何となく?」

 含み笑いで「送って行くから」と告げたジェリドに、シェリルは苦笑いしかできず、素直に彼の腕の中に収まった。そして立ち上がった彼に慎重に運ばれながら、シェリルはもう一度尋ねてみる。


「本当にもう少し、時々猫になっていても良い?」

「勿論。猫のままでも、これまで君が見ていなかった世界を、沢山見せてあげる事はできるからね」

 そう事もなげに告げたジェリドの腕の中から、シェリルが無言で空を見上げると、頭上には澄み渡った青空が広がっていた。これからの自分の無限の可能性を体現した様なそれに、彼女は自然に顔を緩めて見入ったのだった。

                                     (完)



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猫、時々姫君 篠原 皐月 @satsuki-s

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