第40話 膠着状態

「姫、そんなに気にしなくても宜しいですよ? 私との婚約を公表した暁には、表立って姫を庶民育ちなどと悪しざまに口にする者はいなくなりますし、我が家が責任を持ってそんな奴らは駆逐しますので」

 そんな大幅に話がずれた上に物騒な事を追われたシェリルは、瞬時に顔色を変えた。


「あ、あの、ジェリドさん!?」

「……あなたが、シェリルの婚約者?」

「正確には陛下に申し込みをした段階ですが、そう遠くない時期に認めていただけると確信しております」

 そこで泰然自若なジェリドと、話に付いていけずに呆けているシェリルを交互に見たラウールは、怖い位真剣な顔で問いを発した。


「シェリル。この男の言った事は本当か?」

「えっと、その……、確かに、求婚らしい事は言われたけど」

「『らしい』ではなくて、求婚しました」

「それで君は了解したわけか?」

 鋭くジェリドが突っ込みを入れ、ラウールが半ばそれを無視しながら問いを重ねる。その質問を受けたシェリルは真顔で考え込んでから、ジェリドに視線を向けて確認を入れた。


「……返事、しましたか?」

「お忘れですか?」

(あれ? 何かいきなりで驚いて、とっさに理解できないうちにミリアに運び出されたと思っていたけど……。私、その場で何か言ったかしら?)

 質問したものの自信満々の笑顔で言い返されたシェリルは、段々自信がなくなってきた。すると二人の心の中を読んだのか、ラウールが怒りを含んだ低い声でシェリルに言い聞かせてくる。


「流されるな、シェリル。大方、こいつが勝手にほざいているだけだ。全くたちが悪い。シェリルが世慣れていない事をいい事に、あっさり丸め込もうとするなんて」

「遊び半分で魔術をかけてみようと試す輩よりは、遥かにましだと思いますが? 少なくとも私は正々堂々、彼女と相対しているわけですし」

「え? ディオン?」

「……人聞きが悪いですね」

 ジェリドが平然として言ってのけたことでラウールが盛大に舌打ちし、その眉間にはっきりと皺を寄せて無言での睨み合いに突入した。


(何? 何か左足首がちょっと温かい? という事は今何か、この人が魔術を発動させているの!?)

 今やはっきりと異常を感じ始めたシェリルだったが、取り敢えず首輪の術式が作動しているらしい事に加え、魔術に対する対応策など思い浮かばない為、平静を装いつつ無言で相手を観察した。


(でも、幾ら簡単な魔術でも、呪文は全く詠唱してないし、術式も出現していないわよね? まさかエリーが言っていたように凄腕の魔術師で、極端に魔術の発動条件を省略できる人なわけ?)

 そこまで考えて無意識に顔を青ざめさせたシェリルだったが、男二人はすぐに何事もなかったかのように、取り繕った笑顔を浮かべながら言葉を交わした。


「羨ましいな。あなたには武芸と魔術の腕をお持ちの上に、面の皮も相当厚いらしい」

「面の皮の厚さ云々で言うなら、どなたかには負けると思いますよ?」

(こ、怖いっ! 何、この二人のわざとらしい笑顔!)

 もはや下手に口を挟む事すらできず、戦々恐々としていたシェリルだったが、予想外の方向からこの対決に終止符が打たれた。


「ラウール様、次のお約束の時間が迫っております」

「分かった」

 今まで少し離れて待機していたラウール付きの騎士が歩み寄り、彼の耳元で囁いた。それを受けて、ラウールが静かに椅子から立ち上がる。


「それではそろそろ失礼するよ。今日は美味しいお茶をありがとう」

「いえ、大してお構いできなくてごめんなさい」

 シェリルも慌てて立ち上がって右手を差し出すと、ラウールはそれを握り返しながら、彼女にだけ聞こえる声量で素早く囁いてきた。


「事が落ち着いたら、全力であいつとの事は阻止してやる。君に変な苦労はさせたくないからな。それじゃあ、また」

「……ええ」

 問い返す間もなくラウールはジェリドを無視して笑顔で立ち去り、シェリルは唖然としながらその後ろ姿を見送った。その斜め後方で、ジェリドが盛大に舌打ちしてから毒吐く。


「たちが悪いのはどっちだ。得体の知れない偽者風情が」

(二人が、互いに相容れないタイプだって事だけは分かったわ……)

 ジェリドの呟きを背中で受けたシェリルは、遠い目をしながら現実逃避気味にそんな事を考えた。


 ※※※


 王宮にはエリーシアから定期的に何回かの調査報告が入っていたが、即位式典が迫って来ても目ぼしい調査結果は得られていなかった。

「それで、そちらの状況はどうですか?」

 王の執務室に主だった面々を集めての報告時に、ミレーヌが魔導鏡越しに問いかけると、エリーシアが難しい顔で応じる。


「はかばかしくはありません。陛下の即位二十周年記念式典までには、なんとかするつもりですが……」

「式典に出席する為の入国者が増えて、人の出入りも激しくなって知らない人間が出歩いてもあまり不審がられなくなっているので、そこら辺を突いてみます。それに王都での別働隊は、短剣を扱った細工師と、ラミレス公爵とハリード男爵双方の屋敷に出入りしている人物を特定済みです。仔細はそちらから、別個に王宮に報告がされますので」

 エリーシアに加えて彼女の相方として派遣されているアクセスが補足しながら短い報告が終わり、ミレーヌは小さく頷いた。


「分かりました。引き続きお願いします。二人とも、身辺には十分注意して下さい」

「それでは失礼します」

「はい。お二人とも引き続き、身辺には気をつけて下さい」

 そして魔導鏡を操作して通信回線を切ったクラウスが、ミレーヌに向き直った。


「王妃様。ラミレス公爵の一派は、やはり記念式典の日に動くと思われますか?」

「これまで再三『ラウール殿を第一王子と認定しろ』と暗に要求してきていますしね。宰相達がその都度、のらりくらりとかわしていますが」

 落ち着き払って答えたミレーヌだったが、それを聞いた彼の顔は益々険しい物になった。


「国内貴族及び近隣諸国の大使が王宮で一堂に会するその日は、自分達の主張をアピールする絶好の機会ですから」

「さすがに日中執り行われる即位記念式典をぶち壊す暴挙に出たら、却って立場を悪くするとは分かっているでしょうから、狙うとしたら夜会でしょう」

 その予想に、クラウスは深く頷く。


「陛下と宰相殿も同意見です。その直前を含めて、一悶着起きるのを前提にした対処法を考えておきます」

 そして一礼してクラウスが退出すると、ミレーヌは若干疲れたように椅子の背もたれに背中を預けた。そして人払いをして一人きりになった広い部屋で、何気なく窓の外に視線を向ける。


「さあ……、愚者達は、どう動くのでしょうね? なるべく双方にとって、最高の舞台を整えたいのだけれど……」

 そう呟いたミレーヌは、そのまま暫く様々な可能性について黙考し始めた。

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