第15皿 新生生徒会発足にあたって
「あー飲み物がほしい……」
ようやく全員が席に座り生徒会の話し合いもいざこれからという時、ぼやいて水を刺したのはミツルだった。
けっして喉が渇いているわけではない。
むしろ許されるのならトイレにでも行ってうがいをさせてほしい。
吐くほどではないが、わさび醬油ドレッシングと卵豆腐によるダブルパンチが効いている。とくに卵豆腐がひどく、えげつない。口の中に残るねっとり感と喉奥にまで絡んでくる痰。さらには胃が消化をほとんど受けつけず、消化しかけの卵豆腐が汚臭を漂わせて這い上がっては鼻を突く。
妄想をここまでリアルに再現してしまうミツルにとって、これから訪れるであろう生徒会活動は地獄にしか思えない。生徒会活動初日、しかも互いに自己紹介を交わしただけにもかかわらず、すでに悩まされる羽目になったのだから。
一本の缶コーヒーがミツルの目の前から飛んできた。
「たまたまあったのよ。飲みたかったら飲んでもいいわ」
机をはさんで向こう側に座っている
これはこれはありがたい。が、残念なことに、
「俺、コーヒー苦手なんですよね」
「……返しなさい。君にはもう絶対何もあげないから」
「別にいらないとは言ってな――」
「返しなさい」
身を乗り出してきた百々は缶コーヒーをミツルからむしり取るように奪取した。
プルタブを引き、一気に缶コーヒーを
「百々ちゃん先輩、すねてないで今日の本題に入りましょうよ」
「べ、別に拗ねてなんかないわよっ」
百々が拗ねていることはこの場にいる誰もがわかった。
「と・に・か・く! 美香の言う通り、今日の本題に……って納務さん」
「すみません……。もう放課後だし、おなかすいちゃって」
「とある事案の対策案が出るまで今日は家に帰さないつもりだから覚悟しなさい」
「じゃあ――」
「ちなみに、私が納得できる案でないと対策案として認めないか……ら」
寧々の口は黙るが腹は鳴る。口が語らずとも腹が雄弁に語る。一度鳴って駄目ならば、もう一度鳴いては主張する。
寧々の顔に一筋の汗がスーッとつたり、顎の先端から机の上へと落ちた。
「すみませんっ!! ごめんなさいっ!!」
「寧々ちゃん相変わらず食いしん坊だねー。その割にはすらっとしてるけど」
と言う美香の視線の先には寧々の張りようのない胸が。
その視線に誘導され、寧々は両腕で胸を隠す。残念なことに胸を押さえつけた両腕には胸の感触がない。胸がないことくらい自覚しているものの、改めてその事実を知らしめられる。
寧々は自分の胸を見た後に、美香の胸に目を向けた。
あるのは豊満な胸と不条理な現実。
溢れる悲しさも瞬く間に
「うっさい! ばか! デブ! ……デブ!」
「あ、そうだ! ねぇねぇ百々ちゃん先輩、せっかくだから今日は二人の歓迎会にしようよ!」
猛反発してくる寧々を軽くいなしては無視し、美香は歓迎会なるものを提案した。
無視された寧々はというと、ひと言「でぶうぅ」と相手にされない悲しみをその言葉に込めたのだった。
「私はこの不良たちのことなんて歓迎していないわ」
「いいじゃん。対策案はごはん食べながらでも話せそうだしさー」
「だから私は別に歓迎してないって」
「じゃあ、新生徒会発足式は?」
「馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ、生徒会ようやく人数そろったね記念パーティとかは? やらない?」
「くだらない」
百々は美香の意見を次々に一刀両断した。
生徒会室の空気が悪い。淀む空気をどうにかしたいところだが、換気扇を回したところで空気汚染の原因を取り除かないことには意味がない。
生徒会長たるものは会話が滞った状況においても率先して話を回していかなくてはならないのに、何だこのあり様は。
もしかして、これが原因で生徒会の人数が不足していたのでは――。
バンッ――。
百々が両手で机を叩いて立ち上がった。スクールバッグを肩にかけてドアのある方へと歩み出す。
――ま、まさかな。
空気が悪くなってから何やらガサゴソしていると思いきや、自分の荷物を整理していたのか。生徒会長が率先して職務放棄するのか。
生徒会活動初日。
活動という活動を何もしないまま生徒会長である白井百々がキレてお開きになるという事案が発生しようとしている。
百々がドアノブに手をかける。
「――いの?」
「もも、百々先輩、何か言いましたか……?」
寧々は責任を感じているのか、何かをドアに向かってささやいた百々に恐る恐る聞き返した。膝の上にある握り拳がぷるぷる震えている。
「……歓迎会、やるの? やらないの?」
「え、いいんですか? ……ってまぁ、私はわかってましたけどねー、こうなること」
百々の提案に答えたのは美香だった。
寧々はというと予想外の言葉に面食らい、目をぱちぱちして口をすぼめている。
「美香は黙ってなさい。で、やるのかやらないのか。イエスかノーでさっさと答えろと言っているの」
「さっき俺たちのこと歓迎してないって――」
「やらないとは言っていないわ」
「対策案出るまで帰らせないって――」
「イエス、ノー、どっちなの」
睨みつけてくる眼光が鋭い。視線によって刺された傷口から恐怖が塗り込まれていく。本能的にというのはおかしな話かもしれないが、本能的に上下関係が、主従関係がどうあるべきかをミツルは理解した。
上に立つのは百々で、下に這いつくばるのはミツル。
「……い、イエス」
「……ふんっ。これだから不良はしかたないわね。今日のところは美香に免じて大目に見てあげるわ。感謝しなさい」
「ありがとう、鷲塚さん」
「わ、私に感謝しなさいよ」
――めんどくせぇ。
おそらくそう思ったのはミツルだけではないのだろう。
今までもこれからも一緒に生徒会にいる美香は、今ではもう慣れているのかもしれないが、初めて百々と出会ったときはそう思ったに違いない。
寧々は緊張という糸の切れたマリオネットになっている。机に力なく突っ伏してうな垂れている。
とりあえず、歓迎会をする流れにはなった。
帰りの準備をしようと、ミツルは机の横にあるフックを探した。が、あることに気がついた。ここは自分の教室ではない。
「あのー、白井先輩」
「なにかしら。私に不満でもあるのかしら」
「……いや、カバン教室に置きっぱです」
寧々は帰りの支度をして職員室に来ていたから今ここにちゃんと荷物がある。
真面目というか、几帳面というか。これで生徒会の一員となった今、完全に不良ではなくなったということでいいだろう。本人には口が裂けても言えないが。
「さっさと取ってこないと私たち三人で帰るから」
と言いつつ、元いた自分の席に腰を下ろす百々。
待っている気満々の百々に見送られながら、ミツルは生徒会室を飛び出して自分の教室へと向かった。
生徒会室に残るは三人の女子。
「百々ちゃんも人が悪いねー」
「何を言っているのか私にはさっぱりわからないわ。……あと、ちゃんと先輩と呼びなさい」
「はいはーい」
「あ、あのさ……!」
ここで寧々がゲットイン。顔を上げては、頑張って二人の会話に自分もまざろうとする。
「どうして美香ちゃんは百々先輩に敬語使わないの?」
「んー……まぁ、私たち付き合い長いからねー。じゃあさ、もし、私が寧々ちゃんの先輩だったとしたら、寧々ちゃんは私に敬語ってつか――」
「ぜったい使わない」
「……いくらおなかへってるからって食い気味につっかかってこなくてもいいじゃんか。せっかちなんだから」
「なにぃぃぃ!? もうっ、美香ちゃんって昔っから性格ひねくれてるよね。幼稚園のときなんかさ――」
「うるさい」
「あ、はい、ごめんなさい」
「今度喋ったら針で口を縫って塞いで永遠に喋れなくしてあげる」
「…………」
寧々は黙るしかなかった。喋れば口を塞がれて黙らされる。
喋ろうが喋らまいが、結局、辿り着く先は沈黙。
百々のいいようにしてやられた寧々。植えつけられた第一印象――恐怖を拭うことはなかなかできない。生徒会室に入る前に、生徒会をのっとってやろう、と言った寧々はもはやどこへ行ってしまったのやら。
時計の針がカチカチと響いている。
その一定のリズムを寧々の心臓は追いかけ、さらにはテンポを上げては追い越し、一度時計の針がカチッと鳴る間に心臓が二度胸を打ってくる。
寧々はちらちらと百々の機嫌をうかがいつつ、美香をぎっと睨んでアイコンタクトで助けを求める。
が、美香のお返事アイコンタクトで伝わってきたのは『ムリ』の二文字。
「納務さん」
喋ることを許されない寧々は、首から上がもげてしまいそうな勢いで頭を上下に振った。――もう変なマネは致しません。
何をすることも許されなくなった寧々は、目をつむり、呼吸だけに専念する。
まぶたの裏に映るのはミツル。早く来てと願わずにはいられない。
「ただいまー」
願いが神様に通じたのか、願ってすぐにミツルが現れた。
「遅いわよ。どれだけ待たせるつもりなのかしら」
「たいして時間たってないだろ。せいぜい三分が関の山だ」
「私を待たせているということが問題なのよ。それと、私には敬語を使いなさい」
「へいへい。わっかりましたよー」
生徒会に入りたての新人。そして不良というレッテル。
これらのせいで百々の二人に接する態度は冷たくなっているのかもしれない。
「さて、行こうかしら」
二本の美しい脚で仁王立ちし、長い黒髪を手で払いながら百々は言い放った。
どことなく高貴さを醸し出し、付け加えるなら挑発的で我が儘で傲慢である。ミツルと寧々のようにレッテルを張りつけるのならば、百々は、親に甘やかされて育った典型的なお嬢様だと言えよう。
本当のところはどうなのか、神のみぞ知る。
「で、百々ちゃん先輩、どこに行くの」
「……キミ、どこかいい場所はない?」
「いい雰囲気の店は知ってますよ。人も少ないし。結構シックな感じの店かな」
「ではそこにしましょうか。案内頼んだわね」
と言うと、百々は入口に立つミツルを押しのける――ことはせず、するりと隣のあいた空間を縫うようにして生徒会室を出ていった。
ミツルが百々の凛として歩く後ろ姿を見ていると、
「あのクソ女ぁ……」
噛みしめるように寧々はつぶやいた。
「寧々ちゃん、百々ちゃん先輩はなにも悪気があって寧々ちゃんにひどいことを言ってるわけじゃないの。だから許してあげて。あの先輩、図体だけ大きくなっちゃって、心はまだまだお子様だから」
「…………でも……」
「寧々ちゃんはもう大人でしょ?」
「……し、仕方ないなぁ」
「さすが寧々ちゃん! ものわかりがいい!!」
ここはちょろいのひと言に尽きる。
「美香ちゃんこそ。あんなのといつも一緒にいただなんてすごいよ」
「ふふ、ありがと。じゃあいこっか!」
入口でたたずむミツルの横を、今度は、寧々と美香がすり抜けていった。
美香の横顔は童顔でありながらも、そこにはいつもあるはずの幼さが消えており、不思議と大人びて見えた。
寧々はずんずんと歩いていくが、美香はミツルからの視線を感じ取り、いったん歩みを止める。
「お前……」
「昔からあんな感じだったの。寧々ちゃんって」
「バカだよな」
「素直でいい子なだけだよ。可愛くて自分に正直で……うらやましい」
「本人に言ってやれよ」
「調子に乗るからダメに決まってるじゃん。さっきの聞いてたでしょ?」
「……確かにその通りだな」
見た目とは裏腹にどこか達観している美香が遠い存在に思えた。
「せんぱーい、美香ちゃーん! はやくいこー!」
二人がついてきていないと気づいた寧々は離れたところから叫んできた。
ミツルは歩き出す。
美香は生徒会室を消灯してドアをしめ、ミツルの斜め後ろを歩いてついていく。
美香のまなざしはミツルへと注がれる。その見つめる両瞳は、ミツルのことを舐めるように、味見をしているかのようだった。
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