第1皿 妄想が昇華するその先は――


 とうとう料理が完成した。


 一品目はモモ肉のステーキ。


 今日は低温調理だったこともあり、ほとんどがレア。

 今日は低温――というより、ここ最近は毎日が低温で弱火である。四月のぽかぽか陽気ではなかなか火力が足りない。ミディアムないしはウェルダンにするためには夏場の海やプールサイド等において、肌という肉の露出と太陽光紫外線による火力が必須となってくる。今しばらくは不可能だ。

 実際ウェルダンもいいが、やはりに関しては、ナマ、が極上であるのも事実であり究極。むしろウェルカム。


「愛撫するかのような優しいひざし。それを反射するほどのピチピチ素肌。余分な脂肪という脂分はなく、適度に引き締まり整っている。……ふっ、これほどの至高の逸品にはそうお目にかかれない……じゅるり」


 ミツルは感嘆の声を漏らし、はしたなくよだれをすする。


「それに、一品目もさすがだが、二品目も極上だ。さすがは学園のアイドル。素晴らしきパイができあがったな……おっと」


 またしても感嘆の声を漏らし、とうとう涎をこぼしてしまった。

 机の上に落ちた涎を持ち合わせのポケットティッシュでぬぐう。


 二品目にはチェリーパイ。


 これはさくらんぼを昇華し料理することで、食後のデザートとして完成させた。

 両肩から垂れるおさげ髪がまるで二本のヘタ、つまり、果梗かこうのようだ。この先に実るのは禁断の果実は――豊満なおっぱいだ。

 さしずめサイズ的には大きいため、本来ならばリンゴやカボチャから、アップルパイ、パンプキンパイなどを作るのが妥当なのだろう。

 だがしかし、それは素人しろうと的発想。女子高校生という甘酸っぱい青春を加味すれば、当然、さくらんぼからのチェリーパイとなるのは必至である。

 それに、この実のサイズはちょうど胸のいただきと同じくらいだろう。そしてきっと、その頂の色はさくら色に違いない。

 こうしてなかなかお目にかかることのできない最高のスイーツができあがった。


 ここは教室。時間は昼休み。


 ミツルは独り。近くには生徒一人いない。かたよった発言をしたところで誰の耳にも届くことはない。

 生徒一人くらいいてもおかしくないはずなのだが、窓際一番後ろにあるミツルの席にわざわざ誰も寄りつかない。どうして寄りつかないのかと言われると、もちろん他にも理由はあるのだが。


「それでは、いただきます」


 手を合わせて、心を込めた『いただきます』。

 閉じていた目をゆっくり開け、机の上に視線を落とす。

 そこにあるのは一つの弁当箱。中には白銀の世界が一面に広がっている。窓から入ってくるひざしが米の一粒一粒に命を芽吹かせ輝かせている。


 米一色。


 ここでは『米一食』と表現した方がいいのかもしれない。そこには美味しそうな白米しか入っていないのだから。海苔も梅干もふりかけも、色彩を感じられるものは何一つ存在しない。

 ミツルは米をこよなく愛している。

 美味しいオカズには最高の米が必要不可欠だ。オカズがうまければ米が進む。米が進めばさらにオカズを欲する。ミツルだけに限らず生まれながらにして米を愛するというのが日本人だ。アイ・ラブ・コメ。ウィー・ラブ・コメ


 ミツルは彼馴染みの箸を手に取る。黒光りするうるしの箸だ。

 そして、で調理したオカズ――つまりモモ肉のステーキを食し始めた。


「ほう。やはり俺の睨んだ通り、今日のは一段とうまいな。艶といい、この滑らかな舌触りにこの甘さ。噛みしめれば噛みしめるほど旨みが広がっていく……んまっ」


 これは無論、白米のことを語らっているのではない。そもそもまだ何も口に運んでいないのだから。

 モグモグと、何も入っていない口を一心不乱に動かすミツル。

 さて、この男はいったい何を味わい、何について語っているのか。

 それは、口ではなく脳内で食しているモモ肉――女子生徒の太ももについて熱弁しているのだ。実際には現実に存在していない脳内で作り上げたオカズを、あたかも本当に口に含んでいるかのように振る舞っている。


「至福のひと時だぁー……はぁー」


 脳内でできあがったモモ肉料理を黙々と食べ続けた。

 あっという間に平らげてしまい、何かを待ちわびていたかのように手をこすりあわせている。

 何かとは何か。それは言うまでもなくデザートのチェリーパイである。

 ミツルはチェリーパイもありがたく頂こうとする――が、食すのをやめた。もちろんそれにも理由があり、それは、


「もっと食べたい……だけど我慢だ。三日前に決めたばかりじゃないか、ダイエットするって。先週からの米の食い過ぎがたたった自分への戒めだ。……ちくしょう。どうしてもオカズがうまいと米が進んでしまうんだよなぁ。そして太る」


 ということである。

 確認しておくが、ミツルの言うところのオカズ――それは妄想で作り上げた食材や料理のことだ。

 しかしこれは単なる妄想ではない。

 ミツルのそれは、妄想という下劣底辺なもので片付けていいものではないのだ。

 すべては崇高な思考が達した嗜好の妄想という名の調理。神すらも実現できなかった領域をたやすく犯す。

 思考に拍車をかけ、インスピレーションを刺激し、味、匂い、食感――様々なものを脳内で生成しては、あたかも本当に食しているかのように昇華し、消化する。

 満たされるのは心というべきか、腹というべきか。

 そもそも食事とは腹を満たすとともに、心も満たされることが大切なのである。そうして初めて『満腹』ということを実感することができるのだ。

 ならばミツルの行いも立派な食事であると言えよう。


 こうして彼の諸々が満たされるのである。


 ミツルは相変わらず口をモグモグ動かす。何も入っていないのに。

 白米には当然のようにまだいっさい手をつけていない。

 先の発言通り、ミツルは最近太ってしまい、ただ今絶賛ダイエット中。太ったことを気にして炭水化物はこれっぽっちも取らず、ここ数日はオカズだけを食べているという。

 しかし本能は嘘をつけない。

 口の中に押し寄せる荒波――ここでは涎。

 頭の中に押し寄せる荒波――ここでは食欲。

 理性が苦戦をいられる。

 よどみなくあふれ出すそれぞれは、ともに本能の表れであり、それに歯向かうは、食欲と涎を抑えつけようとするミツルの理性だ。

 葛藤が葛藤を呼ぶ壮絶な本能と理性との戦いが脳内でり広げられている。


 結果、グチュグチュになったミツルの口はとうとう決壊し、口の端からは一筋のヨダレがツーっと糸を引いた。


「……はっ! いかんいかん」


 落ちる涎の感覚に救われ、我を取り戻した。

 また今度だ、と思いを断ち切るようにしぶしぶ弁当箱を閉じ、それを無造作に鞄に片付ける。


 欲求に辛勝ながらも打ち勝ったミツルは、窓から再び中庭を覗く。

 二階から見えるのは、弁当を食べている女子生徒が二人。そこには今回の昼食でミツルの餌食えじきになった気の毒な二人がいた。

 一人は、アイドル並みに可愛らしい顔を持ち、その顔並みに目立つ豊満な胸が特徴的な清純派美少女。

 一人は、綺麗な生足を惜しげもなく見せつけ、イケない大人の魅力が特徴的な高身長スレンダーモデル系小悪魔。

 この二人は美星学園高等学校の有名人で、中庭中央にある大樹の作る木陰で優雅に昼食を食べているわけだが、その姿はミツルに住む世界がまるで違うことを如実に謳っている。


「俺だって普通の高校生活がしたい。普通でいいんだ。それに、俺にだって友達ほしい。俺だって……俺だって」


 否応なく突きつけられる現実は悲しく、嫌でも自分との境遇の差を思い知らされる。

 ミツルには友達と呼べる存在がいない。

 高校二年も春すぎ。

 高校入学から一年という月日は無慈悲に経過しただけで、これといって喜ばしく思い出深いことは何もなかった。中学校生活の三年間となんら変わりない。あったのはつらい思い出だけ。


 すべてはこの浅ましい妄想のせい――。


 性質というべきか、性癖というべきか。

 難癖なんくせというべきか、性癖というべきか。

 見た人物を男も女も関係なく食材として見てしまう能力。

 その食材を調理して脳内で食事をしてしまうという能力。

 脳内で食事をしないと気が狂ってしまい、生きていけないという能力。

 能力だの、崇高な思考だの、料理だの、と言ってはいるが、事実、それは大層なものではない。しょせん妄想といえば妄想なのだから。

 

「どうしてこうなっちゃったんだよ……」


 言葉を悪くして言ってしまえば、ただ人一倍想像力がたくましく、ただ人一倍本能に忠実なだけ。

 そして異常なまでの妄想力が影響し、異常な特異質がミツルに定着したのだ。


 この能力、この特異質が異常なことくらい、もちろんミツルは自覚している。

 これが顕現したのは中学校一年の夏休み。友達と市営プールに行った時だった。

 すべてを語るまでもない。

 当時のミツルは、そこにいた女の子たちを食べたくなったという。それは性欲盛んな思春期の男子が抱くようなエロティックな表現ではない。ただの食欲。そう、何を隠そうただの食欲なのだ。

 三大欲求が一つの食欲。

 三大欲求が一つの性欲。

 その二つのバランスが崩れて入り混じった結果が、今のミツルを形作ったと言えよう。もはや女も男も関係なく見境なく、生身の人なら誰からでも食料を調達してしまう。その人を特徴づける部位が食べ物へと派生するのである。

 ここで重要なのは、ミツルが脳内で食べるものは人肉ではなく、紛れもなく誰もが日頃食べているような野菜、果物、動物肉、その他諸々といったものであるということ。脳内で作られる料理は誰もが一度口にしたものばかり。

 つまり、人そのものが食材となるのではなく、人を食べ物として例えたものがミツルの脳内に食材となって生成されるのである。そして、それを料理してしなを完成させるのだ。


 これがミツルの特異質である『妄想料理クッキング』なのだ。


 こうしてミツルは誰にもこの特異質がバレないように、ビクビクしながら学校生活を送っている。もしもバレてしまえば、今よりも悲惨で凄惨な日常が待ち構えていることはミツルにも容易に想像できた。


 ――いじめられるのだけは絶対にイヤだ。


 常にミツルは周囲に近寄るなオーラを放ち、対人防壁を錬成している。

 周囲もこれを察知して、不用意にミツルと接触をはかろうとしない。それではできる友達もことさらできない。無論、先程も述べたように他にも人が寄りつかない理由はあるのだが。


「なんだろう、この虚無感。世界そのものに嫌われてる。俺、食べ物の好き嫌いはいっさいしてないのに」


 男も女も食らう雑食。しないというよりは、できないというべきだろう。


 やはり彼と彼女らの住む世界は違う。

 いまどき女子高校生に対し、イマドキ男子高校生。

 ともに『今時』であることは変わらない。

 違うのは、片やキャピキャピして表舞台に立っているリア充系女子であるのに、片や陰キャで裏舞台に気持ちが引きこもりがち残念系男子であるということ。


 ピンポンパンポ―――ン


 まさに今ドキッとする。

 ここで呼び出しの連絡が入った。


『一年三組、納務寧々のうむねねさん。今すぐ職員室に来てください。繰り返します。一年三組納務寧々さん。今すぐ――』


 チャイムとともにミツルは席を立ったが、


「なんだ、俺じゃないのか……」


 と、ホッとする。

 何回も何回も呼び出しを食らっているミツルは、今回も自分が呼ばれたのかと反射的に立ってしまったのだ。

 ひと安心してミツルが着席しようと腰をわずかに下ろした――その時、


『二年二組、矢吹ミツル。今すぐ職員室に来るように……さっさと来い! 以上!』

「…………だよなだよな。そうそうコレコレ。俺のときはお知らせチャイム無しで呼び出すもんな」


 何やら納得した様子。

 はあ、と一つため息を残し、重い足取りで教室を出た。

 一歩一歩トボトボと歩き、職員室に近づくにつれて気が重くなる。それは呼び出しをしてきた先生に、何を言われるのかわかっているからだ。


「んだよ。どうしようもないって言ってんのに、性懲りもなく……。暇なのか。あの先生は暇なのか?」


 気持ちが歩みを早くした。前傾姿勢で俯きながら廊下を闊歩かっぽする。

 俯いているのは、視界に人を入れるのを防ぐため。視界に人が入ってしまうと勝手に『妄想料理クッキング』が始まってしまう。

 なにやらいくつもの強い視線を感じる。うつむいていてもミツルにはわかった。時折すれ違う生徒たちが自分にさげすむような視線を浴びせてくる。

 さすがに容赦なくグサグサ刺してくる視線に我慢できなくなり、一度顔を上げた。


 すると、生徒たちはすぐさま顔をそむけるか、瞬く間に視線をらした。まるで腫れ物に触らないようにするために。

 ミツルは舌打ちを一回。

 自分から誰も寄せつけないようにしているとはいえ悲しくなった。その湧き上がる感情に連れられて、悔しさ、そして苛立いらだちが溢れ出してくる。


 どうして自分が――。


 様々な感情のあおりがミツルの足取りをさらに速くした。どうやらミツルは感情が行動となって表に現れるタイプらしい。


「失礼しますっ」


 逃げ込むように職員室に入り、鬱憤を晴らすかのように少し強めに扉を閉めた。

 舌打ちをしたことで、近くにいた生徒が肩を震わせていたことをミツルは知る由もない。


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