第2皿 昼食だけでは飽き足らず


「さっさと来い。呼び出してからどれだけ待たせるんだ……えぇ?」

「いやいや、まだ一分くらいしか――」

「四の五の言うな。来いったら来い!」


 男顔負けの強い言葉を連発して出迎えてくれたのは、ミツルの担任である保科愛子ほしなあいこだ。手招きも踏まえ、自分の元まで来るように命令している。

 トボトボ歩いて保科先生の前に――辿り着く前に、


「こんなんだから結婚どころか彼氏もできないんだよ」


 と、保科先生に聞こえない程度で、八つ当たりがてら吐き捨てる。


「おい矢吹。言いたいことがあるなら私の目を見て、私の側ではっきり言え。じゃないと手が届かないだろ」

「殴ろうったってもう無駄だ。二度と食らってたまるかよ」


 初めて呼び出された時に、ミツルは腹にグーパンを一発お見舞いされている。今と同じようなことを目の前で言ってしまったせいで。

 警戒レベルを最大限にまで引き上げ、ミツルは保科先生の手が届く距離まで近づいた。


「矢吹、どうして呼ばれたかわかるか……わかるよな!」

「ええ、まぁ。またいつもと同じ理由ですよね」

「あぁん?」


 ミツルの反省しない態度に保科先生の堪忍袋の緒が切れた。

 本来なら聞こえないはずの切れた痛々しい生音が職員室上に響き渡り、視線のいっさいをかっさらう。


 回転イスをくるっと回し、保科先生は顔だけでなく、体ごとミツルに向けた。黒ストッキングを纏った足を組み、


「ちっ……もちろんそうなんだが。わかっているならどうしてやめないんだッ!!」


 こうも面と向かって言われると、美人なせいもあるのか、異様なまでの迫力に圧倒されてしまう。目力めぢからも必要以上に強く、これが言い寄ろうとしてくる男を寄せつけないのだろう。

 気の強さもここまで高められれば、美しさを覆いつくしてしまう。

 保科先生は彼氏のできない理由がここにあることに気づいていない。


 ――なんて不憫なんだ。


 正直なところこれ以上近づきたくもなければ言い返したくもない。また殴られる危険性がある。しかし、ここで怖気づいて黙っていてはいつまでたっても保科先生の誤解を解けないままだ。

 覚悟を決めたミツルは保科先生に一歩詰め寄った。


「俺だってやめられるものならやめたいですよ? でも、自分の意志ではやめられないんです。勝手に調理にとりかかってしまうんです」

「……まったく。この押し問答を何回繰り返せば気がすむんだ! いい加減疲れるんだよ。それに今までは黙っていたが、腹が立っているんだ、こっちは!」

「見ればわかりますよ、それくらい。……あと実は、俺にも黙っていたことが」

「なんだ言ってみろ」

「今までは黙っていましたが、こうやって保科先生と話している今も、黙々と料理が始まっているんですよ……」

「……はい? ……はいぃぃぃっっ⁉」


 反撃するならここしかない。

 学生生活をこの『妄想料理クッキング』のせいで棒に振っているのだ。

 この憎たらしい特異質は何を隠そうミツル自身のもの。ならば利用できるところで利用させてもらってもばちは当たらないだろ。

 こほん、と一つ咳払いをしたミツルは料理の説明を始めようとする。人差し指を顔の前に立て、大きく息を吸った。


 そして、いざ顕現する至極の逸品――。


「三十路という歳まで男ができなかったおけげで、いっさいのけがれなく熟成された女肉にょにくに、怒ることによって少しずつ火照ほてりが生じ、熱がじわりじわりと内部まで伝わっていく。そして、喋るたびに口の中から溢れんばかりに出てくる唾液は、まさに女肉汁そのもの。まさに旨みの爆弾。ここから生み出される一品ひとしなは、最高級と言っても過言ではない熟成ローストビーフごはッ」


 痛みを訴える腹を抱えながら、ミツルは床にうずくまった。

 あれだけ警戒していたはずなのに、まったく見えず、見事な正拳突きがクリーンヒット。


「足りないなら、おかわりもくれてやろうか」

「い、いえ……もうお腹いっぱいです。ご馳走様でした……」

「まったく。あろうことか、この私がビーフ? 牛だと? それに熟成だと? ふざけるのも大概にしろ。私はまだ二十九歳だ……ってまさか二十九で肉? それで牛のようにデブとでも言いたいのか? そもそもスタイルはいい方だし……ってスタイルは抜群だっ」

「……ツッコミどころ満載ですね。被害妄想も思いのほか激しいし。先生の方がよっぽど俺より重症かも」


 人は誰しも悩みを抱えているということを痛感した瞬間だった。


 保科先生に見下ろされるようにギロリと睨みつけられる。

 保科先生の唯一誇れるスタイルを馬鹿にし、触れてはいけない年齢にも手をつけてしまった。どうやらミツルは火入れの仕方を間違えてしまったらしい。

 もう少し弱火であまり怒らせないようにすべきだった、と今さら後悔してももう遅い。後の祭りもクライマックス――キャンプファイヤーだ。


「あのな矢吹。その性癖を今すぐ……今すぐにどうにかしてくれ! 視線が怖いだの、存在がおぞましいだの、絶対誰かってるだの。毎日毎日生徒から苦情が殺到しているんだ。とくに女子のな!」

「結構ひどいですね」

「他人事じゃないだろうが」

「他人事って思ってないとそれこそ狂って誰かやっちゃうかも」


 腹をさすりながらミツルは立ち上がる。

 昼食が胃から逆流するかもしれないと心配したが、現実では何も食べていないことを思い出した。ひと安心。


「と・り・あ・え・ず、女子は見るな。見ればまたいつものが発症するんだろ」

「そうですよ。たった今のように発症しますよ、病気みたいに。でも病気うんぬん以前に、これって俺にとっては大事な食事でもあるんです。……仕方ないんですよ」

「私が諦める前にお前が諦めるのはやめてくれ。……くそ、さらに腹が立ってきた」


 ミツルはただ料理をして、ただ食事をしているだけ。

 目利きから始まり、目という舌を用いて味見をする。

 舐めるような視線で文字通り女子生徒を舐めなわし、妄想をもって調理し、脳内で咀嚼そしゃく。ミツルは十人十色の食を堪能しているのだけなのだ。

 女子の魅力的な部分を逸品のスペシャリテとしてたいらげる。

 これが矢吹ミツルの食事スタイルだ。

 男子の場合は口の中に無理矢理突っ込まれるという塩梅あんばいだ。その塩梅は最悪で、許容しているわけではない。強要されているだけだ。


「まぁまぁ。とにかく素晴らしい一皿でした。保科先生、ごちそうさまでした」


 ということで、今回も例外なく美味しくいただいた。


 困り顔を隠せずにいる保科先生は、やるせない感情をどこにぶつければいいのかわからず、うめきながら頭をかきむしる他なかった。せっかく綺麗に流れていたのに、長い黒髪がボサボサだ。

 彼女の息は知らず知らずのうちに上がっており、


「矢吹、今しばらく黙ろうか。もう何も言わんでいい」


 とうとう保科先生も諦めた。


「どうしてですか。せっかくなので、俺の作った料理をおすそわけしようと――」

「あのな、まさかとは思うが、一応言っておく。私は腹が減ってきたと言ったのではない……腹が立ってきたと言ったんだ。その体質を治すつもりもない奴が――」

「治したいですよ! 俺が苦労してること知ってるでしょ!」

「……わかった。もういい……もういいから、もうこれ以上何も言わないから、一つだけ約束してくれ」

「なんでしょう」


 言われることがわかっているミツルは不敵に笑う。


 それが気に食わなかったのだろう。

 保科先生の眼力がんりきがいっそう強くなった。この女教師は、この鋭く刺すような視線で何人か殺しているに違いない。まさに刺殺ならぬ視殺だ。

 おかげでミツルの笑みが、若干、引きったものになる。


「『ごちそうさまでした』は人前で絶対言うなっ!!」

「どうしてですか? せっかく美味おいしくいただいたのに、それならお礼を――」

「しなくていい。むしろするな。わかったか……わかったな!」

「じょ、冗談ですって。わかってますって」


 身を乗り出してえらくつっかかってきた保科先生を前に、ミツルはたじろいで後ずさりをしてしまう。

 これ以上怒らせれば自分の身に危険がおよんであぶない。

 いや、ここに居続けることが危険そのものに他ならない。 


「そ、それじゃあ保科先生、これ以上呼び出さないでくださいよ」

「ちょ、ちょっと待てっ! もう少し話し……ってもうっ」


 ミツルは職員室からそそくさと出ていった。入ってきたとき同様、またもや逃げ出すような形で。

 ミツルのいなくなった職員室は、嵐が過ぎ去ったかのように静けさを取り戻した。


 保科先生はデスクに頬杖をつくと、向かいにいる女子生徒と一瞬だけ目があった。


「一年三組、納務寧々のうむねね。彼女も問題児としては有名だな」


 と、独り言をこぼす。

 ミツルを呼び出す前。他の先生から呼び出された一人の女子生徒のことを思い出すと、思わずため息も口から漏れ出てしまった。


 素行不良――。


 入学してから数々の問題を起こし、彼女の名は瞬く間に学校中に広まった。

 遅刻に始まり、学校指定の上履きをちっとも履かずにおしゃれサンダルを持参、宿題の未提出は当たり前、早弁は堂々と、そして早退は数知れず。


 そう。ただの素行不良。


 本人いわく、可愛いという褒め言葉が馬鹿にされているとしか思えないらしく、高校に入学してからは馬鹿にされないように奮闘しているとのこと。

 だがその実、それらの行動が裏目に出てしまっている。

 耳にはピアスではなく銀色のイヤリング。髪の毛は栗色で目立つが実は地毛。下から覗き込むようにしてガンつけているつもりではあるが、身長が小さく、さらには童顔のため、ただの上目づかいになってしまう。おまけにくりっとしたおめめが可愛らしいときた。


 愛嬌のある不良になりきれない不良。


 寧々本人としては不本意なレッテルが学校中に広まり、馬鹿にされ、そして愛されている。


「……ったく、この学校にはバカしかおらんのか」


 保科先生の嘆きはむなしく、誰の耳にも届かずに消えていった。


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