第16皿 不気味番長、生徒の前で喧嘩を売る


 生徒会室を出る時はバラバラだった新生生徒会役員たちであったが、正面玄関で全員顔をそろえる。

 生徒会室から最初に出ていった百々ももは下駄箱に寄りかかり、気難しい顔をして腕を組んで待っていた。その佇まいは一級品。目立って仕方がない。すでに数人の男女生徒が百々のことをチラ見している。


「遅い。早くしなさい」


 と百々が言葉を投げた相手はまさかの不気味番長――矢吹ミツル。その生徒たちは驚きのあまり目を丸くしてしまう。


「仰せのままに――生徒会長殿」


 百々に従う不気味なミツルを見て鳥肌が立った生徒たちはその場から逃げ出した。


 一方、相変わらず上から目線の百々に、ミツルは嫌味ったらしくからかったつもりだったが、当の本人にはまったく通用しなかったようで、しれっとしている。

 少しは動じるかとも思った自分が馬鹿だった。これでは自ら喜んで上下関係を受け入れているかのようではないか。悔しい。そして腹立たしい。


 だがしばしの間、このことは棚上げだ。


 百々をからかってはみたものの、今はそんな余裕はない。

 今から突入するのは魔の区間。ミツルの特異質にとって相性最悪。

 いつもなら登下校時間を少しずらしたり、寧々とササッと素通りしたりと、事はなんとか大事に至らずにすんでいた。しかし今回は、学園の有名人と一緒に下校。時間帯も下校のピーク。となれば、たかってくる生徒も多いはず。


 登下校における最大の難所――玄関から校門外ちょっとまでの約100メートル。


 教室ではうつむいていればいいだけ。授業中は板書を取らなくても先生の話を聞いていれば大丈夫。テストのときは教科書丸暗記で平均点は取れるから。飯時は寧々がいるから問題ない。

 しかし、ここは違う。

 生徒という人の数が桁違いに多く、少しでも歩く方向を間違えれば人にぶつかってしまう。そして顔をあげればそこには『食べ物』。食料乱獲を気にせずに歩けばどうにかなる問題なのかもしれないが、大地だいちの時のような万が一があるかもしれない。


 もし、生徒集まる中心でゲロを吐いてしまったら――。


「これはかなりやばいな」


 ミツルは俯いたまま顔を青ざめさせる。

 いじめに発展してしまうどころか、この学校から永久追放されてしまう。


 女子と一緒に下校。しかも三人も。さらには学園の美女有名人ときた。

 男なら誰もが羨む面々がそろっている。が、ミツルにとって彼女たちは死神も同然である。

 何やら外はすでに騒がしく、普段より喧騒は絶好調のように感じられ、校門前が嫌にざわついている。彼女たちの存在をかぎつけたからなのか。はたまた、他に何か理由があるのか――。


「先輩、どうしたんですか? 早くいきますよ」


 うつむいていたミツルの顔を下から覗いてきたのは、寧々だった。

 寧々の顔を見ようが『妄想料理クッキング』は起きない。ずっとこの顔だけを見ていられれば、温厚で平和な学園生活、いや、人生を送れるのかもしれない。

 と、現実逃避をしても意味はない。

 とりあえず、眼前の問題を解決しよう。


「寧々、お前の顔だけガン見して下校していいか?」

「……ふぇ?」

「頼む……お願いだから」

「……ふぇ?」

「……ごめん。よく考えたら俺――」


 ――なんてこと口走ってんだコノヤロー!?


 青かった顔も急沸により真っ赤に。

 寧々にこれ以上顔を見られるわけにもいかないので、ミツルは乱暴に靴を履き替えてから俯いたまま玄関を飛び出した。

 ずんずんと闊歩する。それは傍から見ると怒っているかのようにも見えた。


「ぶ、不気味番長だ!? 道をあけろ!!」

「だからあの不良が校門前で待ち伏せしてたのかよ!?」

「こりゃこれから一戦おっぱじまりそうだ……」

「……おしまいだ。この学校もおしまいだぁぁぁ!!」


 恥ずかしさで脳がやられたせいで、ミツルには生徒たちの声が届いていない。

 ミツルの存在に気づいた生徒たちは瞬く間に校門へと続く道をあけた。そこには多くの生徒によって作られた花道のようなものができあがっている。

 そうとも知らずにミツルは俯きながら、肩を揺らして歩き続ける。

 

「ちょ、ミツルくん!? ストップ、ストップ!?」


 背後から美香が声を投げようとミツルは止まらない。もう一度確認するが、ミツルには声が届いていないのだ。どうすれば声が届くようになるのか。それは、ミツルが自力で通常運転に戻るか、あるいは――、


「よう。いきなり頭突きとは、いいご挨拶だな、矢吹てめぇ」


 ――何かしらのアクシデントによって強制的に我に返らせるか、である。

 行く手をさえぎった一人の生徒。

 ミツルは顔を見なくてもわかった。この声を知っている。このニオイを知っている。この味を知っている。だが、この『食べ物』の名前だけは知らない。


「どうしてお前がこんなとこにいるんだよ、大地ッ!?」


 ミツルが顔を上げれば、頭ひとつ分くらいの身長差。俯いていたせいでやや猫背。

 故意的にではなく、自然と不良独特の下から覗き込むような睨みを利かせて、ミツルは大地に柄にもなく吠えた。


 校門をくぐりかけたところで一人、大地は威風漂わせ立っていた。

 いつもと違って外が騒がしかったのは、下校しようにも校門を通れない生徒たちが玄関付近でたむろしていたからだった。


「そりゃあ、てめぇを待ってたからに決まってんだろうが」

「俺を……?」

「ひと言てめぇに言っておきてぇことがあってよ」

「なんだ……よ…………おえっ……あ」

「……てめぇ」

「ご、ごめ……ぷふっ」


 耐性というものは怖いものである。三度目ともなると気持ち悪さに吐き出してしまう吐瀉量もかなり減った。ほぼないと言っても過言ではない。

 ――が、その吐き物は少量にもかかわらず、大地の履き物の上に着地した。黒いローファーに白い斑点が綺麗にできあがっている。悪いとは思っているものの、ジャストミートしたことにミツルは思わず笑ってしまった。


「や、やばいぞ。岩脇君が物申す前に、矢吹君が喧嘩を売った……!?」

「まさか……不良が靴にツバを吐くなんて光景を拝む日が来るとは。ドラマとかマンガの世界の話だと思ってた」

「しかも矢吹君、笑ってないか。気味が悪い」

「おわりだ。僕らの学園生活が……」

「私、今から片想いしてる立山君に告白してくる。このままじゃ、華やかな青春が終わってしまうもの」


 散々な言われようである。


「見せもんじゃねぇんだぞ!! てめぇらどっかに行きやがれッ!!」


 生徒たち全員は各々悲鳴を上げてどこかへ逃げていった。

 ミツルは再びゲロのついた大地の靴へと視線を落とす。


「本当にごめん。わざと吐いたわけじゃないんだ。許してくれ。……いや、許してください」

「こっちこそ悪かった」

「……だよな、そう簡単には許してくれないよな……って、えぇ!?」

「なにごとですか、先輩! ああっ、この業突く張りのクソ野郎! またケンカしようってんですかい! それなら私が相手になってやる!!」

「ちょうどよかった。納務、てめぇにもしっかり言わなきゃと思ってよ」

「うぅ……。……や、やれるもんならかかっこい!!」


 威勢は十分だが腰が引けてしまっている寧々。勢いよくミツルと大地の間に割って入ったはいいが、いざとなると怖くなってミツルの背中に隠れてしまった。

 本日二度目のミツル盾である。

 そして、そこからひょいっと顔を出して虚勢を張った。虚勢だとわかるのは、掴まれているブレザーの裾から震えが伝わってくるから。


「あー、えっとな」


 大地は、首を掻いたり空をあおいでみたりと、どこか落ち着きがない。

 しまいにはひとつ深呼吸。

 息を吐ききって少し落ち着いたのか、「よしっ」と小さくつぶやいて、何かを決意したようだ。


「退院したって聞いたからよ。ここで待ってりゃてめぇに会えっかと思ってよ」

「会え……俺に……?」

「そうだよ。てめぇに会いたかったんだ」


 意味のわからない展開。まるでこれから告白でも始まりそうな――。

 じゅるり――と、どこからか涎をすする音が聞こえてきたような気がした。

 そこは断じて『じゅるり』ではない。男矢吹ミツル――生まれて初めて告白される相手が女子ではなく男子とはたまったものではない。しかも得体の知れない食べ物を無理矢理くわえさせてくるし、乱暴だし――、


「って止まれ止まれ止まれッ!! ……おえぇっ」


 と、余計なことまで妄想してしまったミツルは、目に涙を浮かべながら嗚咽。


「なに言ってんだ、てめぇ」

「あ、ああ。気にしないでくれ。……それよりも話の続きだ」


 ここは冷静なミツル。

 すぐに切り替えて先程大地に言われた言葉を思い出した――悪かった、と。手の甲で口をぬぐって大地に問いかける。


「どうしていきなり謝ってきた。あれだけ自分中心に豪語していたお前のことだ。なにか企んでることでもあるんじゃないのか?」

「……やっぱりそう言われちまうよな。まぁ、あれだ。けじめってヤツだ」

「は?」

「ケンカふっかけたくせに負けちまったし、その相手に情けまでかけられたからな」

「情け……?」

「てめぇが俺を退学にさせないよう懇願してくれたらしいじゃねぇか」


 ミツルにはまったく身に覚えはないが、大地の話はまだ続く。

 

「てめぇのおかげで俺は退学処分をまぬがれた。そのことをよ、かあちゃんに笑い半分で言ったら大泣きさせちまってよ。いつもテキトーな母ちゃんだったんだけど、今回ばかりは真剣だったんだ。で、俺は、これからはまっとうに生きていこうって決めたってわけ」

「ほうほう」

「そのためには、まず、てめぇらに謝ることから始めなくちゃいけねぇ」

「ふむふむ」

「……本当にすまなかった」

「お、おう」


 いい話だった。頭を下げられた。が、腑に落ちないところがある。

 誰のおかげだと大地は言った。いったい「てめぇ」というのは誰を指した言葉だ。


「それに、感謝してるぜ。ありがとよ」


 ――明らかに俺のことだよな。

 大地の退学処分取り消しを懇願した覚えもなければ、大地が退学処分を受けていたことすらミツルは知らない。

 となれば、裏で誰かが糸を引いているわけで、それはミツルと寧々に退学をちらつかせ、在学条件として生徒会に入ることを提示してきた人物に他ならない。


「……ったく、ふざけんなよ」

「おう!」


 ミツルの言葉を肯定的に受け取った大地はにっこりと笑った。

 が、そもそもミツルは大地に対して言ったのではない。


 暴力沙汰をもみ消し、かつ、人数不足だった生徒会にミツルと寧々を加入させた。

 本当は退学処分を受けていたのは大地だけで、ミツルと寧々はそうではなかったのかもしれない。彼女が嘘をついたのは、生徒会に人員補充をして、理事長からのお小言をこれ以上聞きたくなかったからなのかもしれない。


 ――まったく食えない先生だ。


 もはやミツルも笑うしかなかった。

 それを見て安心したのか、大地はミツルに背を向ける。


「じゃあな。世話になったぜ、矢吹ぃ」


 とだけ残し、右手を掲げて沈みかけている夕日に向かって大地は歩いて帰っていった。


「また私を待たせるとはいい度胸ね」

「あ、白井先輩……」


 怖くて振り向くことができない。寧々がいて守られているはずなのに、百々からの視線のせいで背中がじりじりと焼けるように痛い。


「まぁ、今回は仕方ないわね。むしろ不良撃退とはよくやったわ」

「えっ……?」

「ほめてあげてもいいって言ってるのよ! ……今回だけだから。今後は私を待たせないように注意なさい」


 褒められているようだが怒られてもいるようで、素直に喜べない。

 足音が近づいてきたかと思うと、すぐさま離れていく。それは百々と美香がミツルの横を通り過ぎて先を歩いていったから。

 遅れまいとミツルも一歩を踏み出し、寧々もそれに続く。


「三年三組の岩脇君」

「それって誰?」

「キミとたった今まで話していたじゃない」

「……大地って名前じゃないのか?」

「それは岩脇君が周りにそう言わせているだけよ。どうも『ガイヤ』という……なんだったかしら」

「ドキュンネーム!!」

「それよ、美香。そのドキュンネームとやらが嫌だったみたいだわ」


 岩脇いわわき大地ガイヤ。これがあいつの本名だったのか。


 じゅるり――。

 前の方から変な音が聞こえてきた。


「あ、あー、おなかすいたねー。みじゅるくん、早く案内してよ」

「人の名前までじゅるじゅる言わすな」

「ご、ごめーん」


 寧々のことを食いしん坊呼ばわりした美香も、その胸にふさわしいだけの栄養を摂取しなければならない。いや、摂取してきたからこそ、そこに夢と脂肪がつまっているのか。


「あ、ここ右です」

「早く言いなさいよ」

「す、すみません」


 四人は喫茶店をめざしてミツルの通学路を歩いていく。




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