第17皿 ドレッシングがもたらしたこと


 生徒会室からテイクアウトしたゲル状の個体を噛みながら喫茶店へと向かう。

 百々ももと握手した時にドレッシングと一緒に得られた謎の物体。

 ここで重要なのは、噛んでいるだけで食してはいないということ。正確には食せないということ。噛んでも噛み切れず、味も臭いもしない。口の中でスライムがうねうねしているだけ。

 中にはさぞ素晴らしい旨味が凝縮されているに違いないのだが、ここは諦めよう。

 ミツルはろくに味わうこともできずに、無理矢理丸飲みした。


「まだ到着しないのかしら」

「あれです。ちょっと外観が残念ですけど、味は保証できますよ」

「とかいいながら、先輩、この前ひとくちも食べてなかったじゃないですか」

「そうだったっけ?」


 ミツルはとぼけてみせるもはっきりと覚えている。

 あの日――ミツルと寧々が初めて出会った日。結局ミツルはひとくちも食べずに寧々が二人前をぺろりと完食した。

 本当はとぼけずに答えたいところだが、寧々を見つけるために否応なく行った『食料調達』で得体の知れないものを拾い食いし、そのせいで気持ち悪くなって食べれませんでした――と言えるわけがない。


「そうです! だから今日はちゃんと食べてくださいね! また倒れてもらったら困りますから」

「お前は俺の母さんか」

「……ふんっ」

「いでっ!? なにしやがる!!」


 寧々がミツルのふくらはぎを思いきり蹴った。

 なぜかぷりぷり怒り始めた寧々はそのまま単身、喫茶店へと乗り込んだ。


「四人です! 奥のテーブル席に座ります!」


 甲高いベルの音が扉を開けるとともに鳴り響いた。その余韻は、ベルの音が消えた今も頭の中を打ちつけてくる。

 垣根が邪魔して店内での寧々の様子はわからない。だが、ミツルの頭の中では寧々の様子がはっきりと再生されている。小さい体をこれでもかというほどに揺らして歩き、髪の毛をぽわぽわなびかせて怒っている。


 ミツルは蹴られたふくらはぎを手でさする。

 寧々とつるむようになってから初めて受けた暴力行為。怒られることはあっても暴力だけは絶対振るわなかったのに。


「あらあら寧々ちゃん……ふふふ」

「さ、私たちも中に入るわよ」

「ちょ、ちょっと待って」

「敬語は? ……返事しなさい」

「はい、ごめんなさい」


 ただでさえ足が痛むのに、これ以上無下に扱わないでほしい。


 中に入ると珍しく店長がすぐに出迎えてくれた。表情が緩んでニコニコとしており、何やら言いたげなそぶりを見せている。 

 それを読み取ったのは百々と美香で、ミツルは相変わらずお得意の俯いたまま。


「矢吹君、ハーレムじゃない。まったく隅にも置けないねぇ」

「何を言っているのかしら。ふふ、可愛らしいおばあさんだこと」

「ほんとだ可愛い……ん? おばあちゃんってさ、ほんとにおばあちゃん?」


 美香が店長に疑惑の目を向けた。

 この店長は見た目はどこからどう見ても女性。そのようにしか判断できない。以前に寧々も『かわいらしいおばあちゃん』と言っているように。年寄りらしく声はしわがれているものの、どことなく女性らしさがある。

 しかし、それらはまとっているだけで皮を剥いでしまえば、


「それなんだけど、店長ってばあちゃんじゃなくて、じいちゃんだぞ」

「……えぇ!?」

「やっぱりねー」


 もちろんミツルは知っていた。

 かつて店長から得られた『食材』は、いたんで黒ずんだバナナだった。

 正確にはその黒ずみはシュガースポットといわれ、これができると糖度が増して甘くなっている証拠となる。

 一見すれば傷んで見えてもおかしくはない。

 つまり、これは化けの皮――。

 店長の場合、バナナの皮に大量にあった茶黒い斑点が傷んでいるように見せていただけだった。その化けの皮を実際に剥いてみると、そこにはそそり立っては美しい一本のバナナの実があった。ひとくち食べてみればミツルの食べ慣れた、よく知る男の味がぎっしりと詰まっていた。


「美香、よくわかったわね」

「ま、まあねー。ほらっ、はやく席にすわろっ」


 と会話をしながら、百々と美香は寧々のいるテーブルに歩いていく。


「バレちゃったねぇ。今まで矢吹君にしかバレなかったのになぁ」

「言う程この店に人入ってないだろ」

「あらあら毒舌。じゃああとでお水持っていくね」


 店長にひと言「うん」と言って、ミツルも三人が座る席へと向かう。

 四人テーブルで、寧々の隣が空いていたのでそこに腰を下ろす。できれば寧々が正面にいてくれた方がよかった。寧々さえ見ていれば目のやり場に困らずにすんだというのに。


 水とピッチャーを持ってきてくれた店長に『店長の気まぐれ具だくさんナポリタン』を四人分注文。相変わらず何もメモを取らなかった店長は奥の厨房へと帰っていった。

 それとあわせるかのように百々はブレザーの内ポケットに手を入れた。そして何かを取り出してテーブルの上に雑に放り投げる。

 そこには五枚の写真。

 制服、体操服から察するに、ここに映っているのは美星学園の生徒。制服を脱ぎかけている女子。体操服に着替え終わりそうな女子。白シャツ一枚だけ纏ってギリギリパンツが見えていない女子。もはや下着姿の女子。


「――ってなんてもん見せんだよ!?」

「あら。男だけの写真もあるわよ」

「ぐふっ」

「あーそうなんだー……ってそれもどうかと思うけどな!?」


 四枚の写真にはそれぞれ違った女子があられもない姿で収められていた。

 残る一枚にはむさ苦しい男子どもがパンイチで写っている。

 そしてどちらも更衣室内であるということ。


「これってもしかして――」

「そうよ納務さん。美星学園内に盗撮犯がいることが一ヵ月前に発覚したわ」

「学園内か。……って発覚したの結構前だな」

「発覚したのはね……あと敬語」

「その言い方でしたら発覚したのは一ヵ月前ですけど、盗撮自体はもっと前から行われていたような含みがありますね、白井百々生徒会長殿」

「ええ、その通りよ。不良のくせに察しがいいのね。もちろん不良にしてはの話で人としては平々凡々と言ったところだけれど」

下手したてに出ればこの有様かよ」

「何か言ったかしら?」

「いえなにも?」


 ミツルは机の下で膝にのせている手を強く握った。

 隣にいる寧々もミツルと同じ姿勢で同じことをやっている。もちろんミツルの視界に寧々は入っていないので、このことを知る由もない。


「この写真をよく見てみなさい」

「いやいやいやいや!? そんなガン見できないでしょ!?」

「……この写真に写ってるのは去年の三年生。さらにいえば、この先輩が着ている制服……夏服なのよ」

「じゃあもう犯人いなかもしれないね、百々ちゃん先輩」

「いいえ。絶対に犯人は今在学しているわ」

「どうして言い切れるんだ……ですか」

「……理由は言えないけど、絶対いるの。それだけは信じてほしい」


 会話がいったんここで閉しる。百々以外の三人が押し黙ってしまった。

 普段から強い言葉を並べているものの、今回の「信じてほしい」という言葉には何か感覚的に違う想いが秘められているような気がした。それはミツルだけではなく美香も同じく感じ取っていた。

 寧々はただ重たくなった空気を読み取っただけ。

 そしてその空気に気づいた百々は、とくに慌てるそぶりを見せることなく再び口を開いた。


「さて、ここからが本題よ。……と言いたいところだけれど、とりあえず乾杯でもしましょうか。水しかないのが残念だわ」


 ミツルと寧々は何もわかっておらず、二人そろって目をぱちぱちしている。

 それが面白かったのか、美香は「ぷひゅ」ともらしてからわざとらしく大笑いし、


「今日は二人の歓迎会でしょ? だから乾杯なの」


 呼吸も整えずに説明しては、水の入ったグラスを目の前に掲げた。

 ミツルと寧々は理解しているのかしてないのか定かではないが、美香にならってグラスを掲げる。

 最後に百々がグラスを手に持ち、そして、唇をぺろりと舐めると、


「それでは、二人のかんげ……こほん。……新生生徒会発足を祝して、乾杯っ」

「「「かんぱーい」」」


 あえて言い直す必要があったのかと疑問に思うミツルではあったが、元の空気に戻ってくれたこともあり、とくに気にかけないことにした。

 そんなことよりも、机の上にある写真のことが気になって仕方がない。

 写真は生身の人間とは違っていつもの特異質が働かない。つまりそこには食欲が存在せず、あるのは性欲が元となった純粋なまでの男としての欲求心。チラ見するたびに悪いことをしているような気がして背徳感をあおられる。

 

「なにチラチラ見てるの?」


 寧々のひと言に、ミツルはビクッと体を強張こわばらせる。


「寧々ちゃん、違うの、これは、そのー……あ、恥ずかしくて」

「恥ずかしい?」

「うんうん。自分の写真じゃなくてもさ、こういう下着姿とかの写真ってなんだか恥ずかしくない? とくに今は男の子もいるし……」


 どうやら寧々はミツルにではなく、美香に話しかけたらしい。

 ミツルの男としての体裁はなんとか保たれた――と思われたが、目の前に座っている百々はごまかせなかった。外道でも見るように視線を浴びせてくる。

 ミツルはなんとか事をごまかせないかと言い訳を考え、

 

「そ、そうだよな、恥ずかしいよな!? さっき鷲塚『ぐふ』って言ってたし。いくら自分の下着姿じゃなくても恥ずかしいよな!? はやくしまった方がいいかも」

「そ、その方がいいよ、百々ちゃん先輩!!」

「……仕方ないわね」


 不満そうに百々はひと言だけもらして、写真を手際よくブレザーの内ポケットにしまった。

 ミツルは頭の中に沸いた妄想を洗い流すべく、手に持っているグラスをあおり、水を一気に飲みほす。

 すると、先程まではなかったはずのピッチャーが視界の中央に入ってきた。


「グラス出しなさいよ」

「は、はぁ……どうも」


 百々の指示通りにグラスを差し出すと、そこに水を注いでくれた。

 次に自分のグラスにも水を注ごうとするのだが、まだかなり残っていて全然減っていない。そうであるにもかかわらず、無理矢理ちょろちょろっと注ぎ、水はグラスから溢れんばかりに表面を波打っている。


「あくまでも私のついでに水を注いであげたのよ」


 この決め言葉である。

 たった今、ミツルの中ですべてがつながった。

 いったん盗撮犯のことは置いておこう。ここで焦点を向けるのは――百々だ。


 何だかんだ言って歓迎会を催してくれたり、気遣って缶コーヒーをくれたり、不機嫌そうにしながらも玄関で待っていてくれたり、不良撃退を嫌々褒めてみたり。結局のところ怒りながらも、その中には全て優しさが隠れている。

 本心とは異なり、思ってもみないことを口走る。素直にほめることができず、棘を含んだ口調で怒ってしまう。


 これが俗にいうところの『ツンデレ』というものなのか。


 しかしこれだけでは百々がツンデレであると言い切るのは難しい。

 ――が、ミツルには証拠がある。


 百々から手に入れたわさび醤油のドレッシング。それのベースとなるわさび。

 

 百々のツンデレとこのドレッシングの特徴は見事に一致している。

 ひとたび味わえばその旨味の虜になり、棘のある言葉は鼻にくる刺激そのもの。さらにその刺激すら気持ちよく美味しく感じてしまっては、何度味わっても飽きることなく、さらなる刺激を求めてしまう。誰もがそれを愛してしまうのだ。

 そう。愛してしまう――。

 最後の決定打は、ミツル自身がわさび好きであるということ。

 たった今、自分がツンデレ好きだということに気づかされてしまった。

 百々の不器用さに気づいたせいで、一時は魔王だとも思わされた怖さが消え、今では小悪魔的な可愛らしさしか残っていない。


「白井生徒会長……これから百々会長って呼んでもいいですか」

「なっ!? い、いきなり何を言い出すのよ!?」

「いいんですか、ダメなんですか」

「駄目に決まっているでしょ」

「そう……ですか……」

「も、もし、どうしてもって言うのであれば、許してあげなくもないけれども」

「あ、じゃあ、別にいいです」

「なっ!? ……せっかくだから呼びなさいよ」


 最後、誰にも聞こえないようつぶやいたつもりだったのかもしれないが、ミツルには確かに聞こえた。からかい方を覚えればこれは面白い。百々が怒っているわけではないということを理解した今、怖いものは何もない。


 わさびをもとにして作られた鼻を気持ちよく刺激するドレッシング。

 ツーンとする痛みが醤油のほのかな甘みを惹き立てる。


 このドレッシングの正体――それは、ツンデレッシングだ。


 女性という『一級食材』をさらにおいしく頂けるよう注がれた特別な液体調味料。

 この液体が彼女の体をすべるように滑らかに伝い、徐々に肌へと馴染んでいく。そして、女性を一段上のステージへと押し上げる。

 

 ――恐れ入った。これが俗にいうツンデレなのか。

 

「あ、ナポリタンきた!!」


 寧々が隣で歓喜を上げた。


 最近、疎ましいと思っていたはずの特異質を受け入れつつある。

 最近、思いのほかいろんな人と話ができるようになっている。

 最近、こうやって人と接することが楽しくなってきている。


 この変化は寧々と出会ってから現れた。

 今こうして百々を余すことなく味わえたのも、もしかすると寧々のおかげなのかもしれない。

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