第18皿 覚醒したミツルは――であることを見破る


 四人は『店長の気まぐれ具だくさんナポリタン』を食べながら先程の写真の件について話し合った。

 今回の生徒会の仕事は誰もが察しの通り『盗撮犯を見つけ出す』こと。

 手がかりとしては写真が五枚あることと、犯人が学園内にいるということ以外にまだ何もない。

 詳細とも言えない詳細を百々が軽い口調で淡々と述べてくれた。これは難しい案件である。悩まされている百々を見て改めて思い知らされた。


 喫茶店を出た後、今日はもう解散することに。

 話し合いの続きは明日の放課後、生徒会室で行われることになった。


「私はこっちだから失礼するわ」

「ばいばーい、百々ちゃんせんぱーい」


 Y字の三叉路を左側へと進んでいく百々を、ミツルと寧々は軽く会釈をして見送った。

 百々が見えなくなったのを見計らって、寧々は体をミツルへと向ける。

 

「先輩、私たちも帰りましょう」

「そうだな。今日は一段と疲れた。いろいろありすぎて」

「ですよね。……でもこれからが勝負ですよ! なんとしてでも不良の私たちが生徒会をのっとってやるんですから!」

「……それはもう諦めろ。寧々、お前はもう不良じゃない」


 そもそも寧々が勝手に不良を自称しているだけであって、まったくもって不良ではないのだが。だから『もう』という表現は少しおかしい。いや、かなりおかしい。


「私は泣く子も黙る不良ですぅ!! 先輩のばーか」


 と言いながら、寧々は舌をちろっと出してあっかんベー。まったく侮辱されている気にはならない。 


 電子音が流れてきた。典型的なトゥルル音。

 寧々は慌てて鞄の中を必死にあさり、携帯電話を見つけては手に取る。メールではなく電話がかかってきていることに気がつくと、急いで応答ボタンを押して電話に出た。携帯を耳にあて、ひと言「もしもし」と言おうとする。

 が、電話越しからの怒鳴り声に敵わず、すぐさま耳から遠ざけた。うるさいガミガミとした女性の声が鳴り響き、ミツルと美香にも聞こえてきた。


『あんた、今日は早く帰ってきなさいって言ったでしょうが! この不良ムスメがどこほっつき歩いとるんよ!』

「わかった! わかったから! 今からすぐ帰るから! きるよ!」

『ちょっと待ちなさ――』


 わずか10秒にして会話は打ち切られた。


「先輩、私もこれで失礼します……。ママ……お母さんがうるさいので……」

「確かにうるさかったな。でもよかったじゃん」

「なにがですか……?」

「お母さんには不良だと思われてるぞ」

「そ、そそ、そんなのぜんぜん嬉しくないですッ! ……もう先輩なんて知りません、さようならッ!」


 もう一度舌をべーと出した寧々は全速力で走って帰っていった。

 取り残されたミツルと美香はその場にぼーっとしばし立ち尽くす。


「ミツルくん、帰ろっか」

「あ、ああ」


 こうして二人は歩き出した――このあと待ち受ける悲劇を知らずに。


「……ミツルくんってさ、寧々ちゃんと話すときは生き生きしてるよね」


 美香の突飛な発言に、思わず何もないところでつまずきそうになる。

 体勢を立て直し、シャキッとするために両頬をパチンと叩いて喝を入れる。動揺が顔に表れていたらとんでもない。――何がとんでもないんだ?


「そ、そうか?」

「だって私とか百々ちゃん先輩と話するときってだいたいきょどってるし」

「きょ、きょど!?」

「視線が落ち着いてないというか、そわそわしてるというか……そっか。不良やってたせいで女の子耐性ないんだぁー」

「ち、ちがうって!?」

「あーずぼしだー」


 確かに美香の言う通り、ミツルが他人と話する時は視線が定まっていない。たいてい俯いてはいるが、顔を上げている時は視界に人が入らないようにするために、安息地を求めてせわしなく目を動かしている。

 顔は話し相手の方を向いてはいるが、目線はどこか遠くにあることも頻繁にある。

 これをミツルは無自覚でやっていたのだから、美香に指摘されて取り乱してしまうのも致し方ない。


「ごめんごめん。そう怒らないでよ」

「別に怒ってない」

「顔むすぅーってしてるよ?」


 鬱陶しくわずらわしいので、美香を無視することに決めた。


 ミツルは気になっていることに頭を回す――百々のツンデレッシングについて。

 中学校一年生の夏にわずらったこの特異質。人から調達することができるのは『食材』だけで、必ず『調理』という過程を経て『料理』という品を完成させていた。今まで例外はどこにも存在しなかった。

 ――が、今回は違った。

 たかがドレッシングとはいえ、すでに完成された品が得られた。


「おーい、ミツルくんやーい」


 今回と今までとで違ったことは何か。

 ミツルは当時の状況を思い出し、ひとつの仮定を立てる。

 ――握手なのか?

 差が出るとしたらこれくらいしか思いつかない。いつもは見るだけで視覚からしか情報を得られなかったが、今回は握手をすることによって。触れることによって普段の舐めるような目利きだけではわからなかった、新たな一面を発見できたということなのか。


「もー無視しないでよー」


 思考の邪魔になり、やはり鬱陶しい。

 ミツルの視界に入り込もうと、右へ左へ美香がちょこまかと軽快なステップを見せる。そのたびに顔や目を上下左右に背けないといけない。まるで美香のやっていることは寧々にそっくりだ。さすがは幼馴染み。

 ――と、その時、美香が自分の足につまずいた。

 ミツルがとっさに美香の腕を掴んだおかげで、彼女は転倒せずにすんだ。美香は地面に落ちた鞄を肩にかけ直す。


「あ、ありがとう」

「どういたしまし……て?」


 ――卵豆腐だ。

 

 ミツルの中に新たに生成されたひとつの料理。

 それは生徒会室でも一度手に入れたことのある卵豆腐。

 ミツルの立てた仮定は急速に確信へと近づいていく――いや、確信に変わった。

 生徒会室で卵豆腐を手に入れたとき、美香はミツルの背中に手をあて、無自覚ながらも胸をも押しつけていた。



 確かにミツルは触れていた――。



 そこにあるのは新境地。

 特異質を神か悪魔かに授かってから間もなく五年目。

 今まではまったく人とかかわってこなかったのだから、ミツルが気づけなかったのも無理はない。むしろ気づけという方が酷である。

 百々の時は握手。

 美香の時は胸の感触。

 喧嘩をした時は飲んだ血がダイレクトに味覚へ。

 大地に近寄った時は漂ってくる酸っぱい腋臭わきがが嗅覚を刺激。

 保科先生の時は腹へのグーパン。

 これらによって得られたものは、すべて、視覚の他に異なる感覚機能を刺激されたことによって生じている。

 触覚、味覚、嗅覚、聴覚。さらにいえば交わした会話さえも。

 これらが視覚からなる妄想にさらなる拍車をかけ、時には凄まじい情報量が調理過程を吹き飛ばし、ミツルの『目の前』に『料理』となって顕現する。だからこそ、できあがった料理からは――それぞれの特徴が顕著に表れる。

 百々のわさび醬油ドレッシング――通称ツンデレッシング。

 美香のゲロまずい卵豆腐。

 血からは本能が。

 大地によって生み出されたミツルが食材と勘違いした名状しがたい混沌。

 保科先生の優しさがつまったハンバーグ。

 

 ここまで細かいことをミツルはわかってはいないが、その新境地に足を一歩踏み入れたことには違いない。


「あのさ、鷲塚」

「なに?」 


 ミツルの頭が急速に冴えていく。

 わさび醬油ドレッシングは百々が『ツンデレ』であることを示していた。

 では、美香から得られたゲロまずかった卵豆腐はいったい何を示しているのか。

 手元には本日二つ目の卵豆腐がある。

 ――腹をくくっていくしかないのか。

 生徒会室で食べたときは、とくに味わうことなく飲み込んでしまった。だからまずいということ以外、味の詳細をほとんど覚えていない。

 ミツルは覚悟を決めて口に運んだ。

 やはりゲロまずい。まず酸っぱさが襲ってくる。それからチーズっぽさの中にミントのようなスースーした感じもあるような。やや粘り気があり、舌の上でとろけてはクリーミー感を醸し出す。


 結局、食べたところでわからなかった。百々のように簡単にはいかないようだ。

 だが、ここまできたらその秘密を知りたい。女の子の秘密を知ろうとすることは無粋ぶすい極まりないかもしれないが、どうか許してほしい。




「鷲塚、お前、隠してることないか? 例えば誰にもいえないような」




 歩き出そうとしていた美香の足が急に不自然に止まった。足が止まるとそこから凍りついていくかのように全身も動かなくなり、呼吸まで一瞬止まる。

 明らかに何かを隠しているのは明白だ。

 しかしその先がどうしてもわからない。


「やっぱり妄想にも限界があるか」

「もももももも妄想なんてしてないよ!?」


 ミツルはぽろっと愚痴をこぼしただけだった。

 が、異様なまでに美香が『妄想』という言葉に食らいついてきた。

 何か嫌な予感がしてきた。


「あのさ、わしづ――」

「み、みじゅるくんっ!? 今日はもう帰るね、じゃあまた明日!!」

「……鷲塚、お前ってもしかして――腐女子?」


 最低なひと言だとミツルは自覚している。

 しかし気づけばその言葉は口からこぼれ落ちていた。

 ダッシュで走り出していた美香だったが、その足運びは徐々に遅くなり、やがてその場に立ち尽くすようにして止まった。


「……違うよ」

「ごめん。わかっちゃったんだ。……ごめん」

 

 耐えきれずに抑えきれずに人の名前をじゅるじゅる言わせているのは――。

 校門前で大地と顔を突き合わせていたときに『じゅるり』と聞こえたのは――。

 喫茶店の店長をおばあちゃんではなく、おじいちゃんだと見抜いたのは――。


 ――腐女子だったから。あの卵豆腐は腐っていたんだ。


「だから違うって」

「……写真。あれって女子の写真見てたんじゃなくて、むっさいパンイチの男たちを見てたんじゃないのか……? それを見て『ぐふ』ってたんじゃ……?」

「……………………」


 美香からの返事はなかった。

 そのかわり、美香はミツルに背を向けたまま問いかける。


「ねぇ、覚えてる? 今日の放課後に寧々に羨ましいっていったの」

「……ん? そうだっけ」

「生徒会室から出たときだよ」

「……ああ、そんなことも言ってたような気がする。うん」

「素直になれるのが……うらやましいって」

「お、おう。確かに言ってたな」

「……私、実は、腐女子なの」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る