第21皿 ミツルと美香、寧々と百々
いつもなら寧々と一緒に訪れる場所に向かって、ひとり、足を運ぶ。
寧々がいないだけで廊下がしんと静まり返る。定位置である右隣にぎゃーぎゃーやかましい後輩がいないだけで、たかだか廊下ひとつの雰囲気すら変わってしまう。廊下に感情があるのなら、もしかすると寂しく思っているのかもしれない。
生徒会室に到着。ノックをせずにドアを開ける。
すでにミツル以外の面々はそろっており、ガールズトークの真っ最中。それはミツルが部屋の中に入ってきても中断されることはなく、まるで存在を無視されているかのようだ。
いつも通り出入口に一番近い席に座る。
そこがミツルの生徒会室での定位置だ。右隣には寧々、机をはさんで正面に美香。百々は美香の横に空いている席があるにもかかわらず、基本的には壁に寄りかかって立っていることが多い。今だってそうだ。
「ミツルくんさ、どこに行ってたの?」
「校舎裏。大地に呼び出されててさ。寧々から聞いてなかったのか」
「あ、すみません。伝えるの忘れてました」
「ふふ、伝えるの忘れるほどミツルくんの話してたもんねー」
「当たり前でしょ! 先輩がどれほどカッコイイ不良なのか、美香ちゃんと百々先輩は全然わかってないんだもん!」
百々が寧々のことを焼き焦がさんばかりに目を据えている。
それに気づいた寧々は蛇に睨まれた蛙のようにたっぷりと数秒間動けなくなった。
「……わかってるよー。たぶん、寧々ちゃんが知らないことも」
「……え?」
美香にちょっとした悪戯心が芽生えたのか、にたにたと挑発してからかうように寧々に笑みを向ける。
「私とミツルくんだけの秘密。……ね? ミツルくん?」
「そ、そうだな」
秘密というのはミツルの特異質であることは明白だ。
美香が絶対にその秘密を語ることはないとわかっていても、『秘密』というワードが出るだけで焦燥感がミツルの体を
そう考えるとだんだん怖くなってきた。
寧々をはじめとして、ようやく最近少しずつではあるものの友好関係を築けてきたというのに、美香のたったひと言でその友好関係が壊れてしまう。築くことは大変だとしても壊れるときは一瞬だ。誰もがよく知っている。
先程から美香に見つめられていることは気配でわかる。ミツルに何か言えと目で訴えているのだ。しかし、墓穴を掘るのはごめんだ。ここは何もない寧々という逃げ場にいったん非難だ。
ミツルは寧々に顔を向け、視界を寧々で満たした。
「先輩、私に隠し事ですか?」
「ま、まぁ、いろいろあってさ」
「へぇー、そうですか」
「あははー」
が、寧々は静かに怒りの炎を燃やしているようで目がまったく笑っていない。
隠し事をしていたことは百歩譲って許せたとしても、他の人には言って自分には言ってくれなかったことがどうも腑に落ちていないようだ。
こうしてミツルにすがるものは何もなくなった。
「寧々ちゃん、教えてあげよっか? 実はね、ミツルくんって――」
「それ以上しゃべったら、鷲塚、お前の秘密もどうなるか知らねぇぞ!?」
焦燥に耐えられなくなったミツルは声を荒げてしまう。どうしても我慢できなくなって、鷲塚に牙を突き立ててしまった。
これが間違いだった――。
声のトーンをひとつ落として「ミツルくん、そんなこと言うんだ」と冷たく吐き捨て、美香のからかう対象が寧々からミツルにへとシフトする。
「……ひどいよ、ミツルくん。私のおっぱい、いつも使ってるくせにー」
「おいやめろ!? それは語弊を生む!!」
と言いつつも、ミツルは冷静さを失って美香を見てしまったため、たった今も美香の豊満な胸――そこから得られたさくらんぼを使った素晴らしい御パイを作り上げてしまった。
ミツルと美香が睨み合う。
片や余裕があるのに対し、片や冷や汗が出るほど切羽詰まっている。
「語弊じゃないでしょ……。いつもおいしい、おいしいって――」
「一回もいったことないからなッ!!」
「え、おいしくないの?」
「……お、おいしくない!!」
「今、少しだけ反応遅れちゃったね。それに、私のおっぱい食べてることは否定しないんだー。もう、すなおじゃないんだからー」
防戦一方でミツルは攻めに転じることができない。
そもそも攻めとは何なのかわからない。
美香にとって攻めは男が男に――することで、守りは男が男に――すること。こうして男は男として男の役割をまっとうする。――あれ?
切羽詰まった状況も相まって、ミツルの思考は正常な判断を下せないくらい美香に侵されていた。毎晩電話越しに洗脳を施されていた効果が如実に出ている。
「さくらんぼの味がするって。ちゅぱちゅぱしてたでしょ」
「もうやめてください。ごめんなさい。そんなことをした身に覚えはありませんが、もう謝罪するほかどうすればいいかわかりません。鷲塚さん、ごめんなさい」
「……ちょっといじめすぎちゃったかな」
美香が苦笑いを浮かべ、ようやく会話はひと段落ついた。
頭を深々と下げているミツルは顔を伏せたまま着席する。恥ずかしさのあまり顔を上げたくない。あと、ひと言だけ言わせてもらえるなら、さくらんぼの味は確かにしたけど、ちゅぱちゅぱはしていない。はしたない。
「さて、遅れてきて、さらにはそれを反省することもなくペラペラ喋っておいて、まさか何の情報もなかったじゃ済まされないわよ」
「今猛烈反省中なんですけど。頭思いっきり下げてるんですけど」
ここでようやく百々が口を開いた。生徒会長らしく話を正しい方向へと持っていこうとする。できればもう少し早く生徒会長としての役割を果たしてほしかった。あと、情報を得られた体で話を進めてほしくなかった。
ゴミを見るような――ミツルというゴミそのものにありったけの
「それで、成果は?」
「そのことなんですけど、もうちょっと時間くれませんか」
「何か手がかりは見つかったようね。……言ってみなさい」
「それはちょっと……」
「何を言いあぐねているのかしら。あれほど美香のことを辱めておきながら」
「まあまあ、百々ちゃん先輩、ミツルくんの言うこともたまには聞いてあげようよ」
ミツルに申し訳なく思った美香が後ろを振り向いて百々にひと言。
百々は、ホワイトボードが遮って見えるはずもない外の景色を眺めるかのように、顔をそちらに背けた。
「……今日はもうお開きにしましょうか。明日は必ず教えなさい」
「わかりました」
中途半端にデレてきた百々に少し違和感を覚えるも、そこは無視して好意をありがたく受け止っておくことにした。
各々帰りの支度を始める。
生徒会室に来たばかりで何もすることがないミツルは、どうにかして美香に仕返しができないかと模索していた。
そしてミツルは美香にとある提案をする。
「鷲塚。このあとって時間あるか? 今日一緒に帰らない?」
寧々も百々もミツルの唐突な発言に驚きのあまり体が動かなくなった。
寧々は机の中心に視線を落としたまま。百々はまたしてもホワイトボード越しに外の景色を眺めるように。
美香はといえばあっけらかんとしている。
再起動をはたした寧々は「先輩、私も――」と言葉を投げるが、
「寧々ごめん! 今日はちょっと鷲塚にやってもらいたいことがあるんだ」
「……私、まだミツルくんと一緒に帰るっていってないんだけどー」
ミツルは急いで鞄の中から携帯電話を取り出し、すかさずメールを送る。
送信ボタンを押して2、3秒後、ピロリロリンと携帯が鳴った。
美香がメールをチェックすると、そこには『手がかりが手に入ったけど、手伝ってくれないか』と文面に書いてあった。差出人はもちろんミツルである。
「……まぁ、暇だから。今日だけねー」
「助かる」
仕返しまではできないまでも、今日手に入ったブツの感想と日頃の鬱憤はすべてぶつけてやるつもりだ。いつも一方的に自分の趣味嗜好を押しつけてくる美香に文句を言われる筋合いはないはず。
ミツルは「ふんっ」と不敵な笑みを浮かべる。
「あなたたち、最近仲良すぎやしないかしら」
「やきもちですか?」
「ち、違うわよっ」
生徒会長白井百々、顔を赤らめる。
自分も仲間に入れてほしいのか。だが申し訳ない。この特異質ばかりは内緒にしなければならない。今日は大人しく寧々と一緒に下校してほしい。
ミツルと美香が生徒会室を出ていった。
取り残された百々と寧々は、これといってとくに話をすることもなく、沈黙ばかりが続いている。どちらかが帰るということもなく、かれこれ何もしないまま二十分もたっていた。
そもそもこの二人の会話が今まで成り立っていたのは、ミツルと美香の存在が大きい。二人の間に一人、仲介役が入ることによって、二人はそれとなく会話をしていたのだ。
二人はサシで話をしたことがない。
だから二人っきりになってしまうと、このあり様である。
が、それもこれまで。
百々は荷物を持って帰るのかと思いきや、寧々の正面にある自分の席に座った。
「納務さんも大変ね」
「なにがですか……?」
「あの不良のことが好きなんでしょ?」
「好きですよ!」
「……何か勘違いしているようね。私は恋心を抱いているのかということを聞いたのだけれど」
「恋心……? 百々先輩もおもしろいこと言えるんですね。先輩のことは尊敬してますし、憧れでもあります、不良として。でも、そんな、好きってことは――」
「あら、意外ね。てっきりそういう意味で好きなのだとばかり思っていたわ」
「私が、先輩のことが……好き……?」
「ええ。納務さんのあの不良を見つめる瞳が好きだと語っていたわ」
「確かに、一緒にいて楽しいなぁとか、もっと一緒にいたいなぁとか思ったりはしますけど……」
「もしかして、納務さんは人に恋愛感情を抱いたことがないのかしら」
「あ、はい」
「じゃあ覚えておきなさい。納務さんはあの不良に対して恋慕の情を抱いているわ」
「れ、れんぼう……?」
「愛していると言ったのよ」
寧々は口を
これ以上百々の言葉に反論できない自分がいる。それに反論しようとも思わない。むしろ百々に言われたことをすんなりと受け止めている自分がいる。
「お弁当を作ってあげていることも、毎朝あの不良を起こしに自宅に押しかけていることも、生徒会の仕事が終われば一緒に下校していることも。頭を撫でられれば嬉しくなったり、つい先程美香にあの不良が盗られたと感じて嫉妬したり。これだけ証拠がそろっていて気づいていないのは、納務さんとあの不良くらいよ。……まったく、恋は盲目とはよく言ったものね」
どうして百々がいろいろ知っているのかと不思議に思う余裕は、今の寧々にはまるでなかった。
ミツルと初めて出会ったときは、ただの変態だと思った。
その人が自分の憧れていた不良である不気味番長――矢吹ミツルだと知って、彼を見る目が変わった。
大地にさらわれたときに助けてくれたミツルの雄姿は今でも心に残っている。
保科先生に嫉妬したこともあったりなかったり。
尊敬の念がいつの間にか恋慕の情に移り変わったのはいつ頃だったのだろうか。
そもそもミツルと出会ってからまだ半月ほどしかたっていない。季節はまだ移り変わっていないというのに自分の気持ちはすっかり移って色づいてしまっている。まるで季節外れの紅葉のよう。
「私、先輩のこと好きだったんだ」
「応援しているから頑張りなさい」
「百々先輩って意外と優しかったんですね」
「意外とは余計よ。……それに、私は優しくなんてないわ。……優しくなんて、ね」
「確かに。いつも意地悪ですもんね」
百々から告げられた自分でも気づいていなかった隠された真実。
この気持ちを知ったからといって、明日からミツルに接する態度は特別変わることはないだろう。理由は単純。ミツルといる時はいつでもドキドキしてテンパっていたような気がするから。
寧々が恥ずかしそうに笑うと、百々は口元だけをほころばせて笑った。
一方その頃、ミツル宅では――。
「ちょっとミツルくんっ、だめっ……んんっ、いやぁ」
寧々がミツルに想いを馳せている頃、ミツルは美香を――。
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