第22皿 二回目の暴走――30分前より


 暴走30分前――。


 ミツルと美香はお互いに秘密を暴露しあった日以来、初めての二人きり。

 毎日電話をすることはあっても、直接会って二人で話をしたことはその日以来一度もない。美香は自分の趣味の話ができるからともっと話をしたいみたいだが、視界に人を入れてしまうと『妄想料理クッキング』が始まってしまうミツルのために、電話という手段を取っている。

 電話をしている最中、時折、息づかいが乱れて荒くなったり、喘ぐまでとは言わないまでも変な声が聞こえてきたりと、向こう側で何が行われているのか気になる時はある。まるでテレフォンセッ――やめておこう。


 暴走20分前――。


 せっかくミツル宅にお邪魔するのだからと、美香がコンビニへとお菓子と飲み物を買いに行った。ミツルにとっては買い物することさえひと苦労。人がごった返しているのだから。頭の中に『食材』を取り入れても万引きにはなりません。

 美香に電話で聞いた話だと、最近では月額決まったお金を払えば、食材を自宅へ配達してくれるというサービスがあるという。今度、実家に帰ったときに母に相談してみようと思う。


 暴走10分前――。


 ミツル宅に到着。美香が「この前も思ったけど、ミツルくんの家ってぜんぜん男臭くないよねー」と言いながら家へと上がる。

 学校では体裁を取り繕っていることもあり、美香がニオイフェチであることを知っているのはミツルしかいない。電話越しで毎回ハスハスしている。

 ハスはハスでも、綺麗なはすの花とは大違い。蓮の花言葉は『清らかな心』や『神聖』といったもの。ということで、ハスハスの使い方を間違っていると主張させてもらおう。美香の心は腐っている。


「じゃあ菓子パでもしますか、みじゅるくん!」

「スイッチ入るの早くないですか……」


 美香がお菓子の袋をびりっと開けた。はたして今から食べようとしているのはお菓子なのか、それとも妄想なのか。

 コップを持ってきたミツルは床に座っている美香の隣に座った。

 美香はブレザーを脱いですっかりリラックスモードである。つまり、腐女子全開ということだ。


「いいじゃん。みじゅるくんしか話しできる相手いないんだからさー。みじゅるくんもそうなんだし、わかるでしょ?」

「ま、まあな」

「お互い誰にも相談できずに、きゅうくつな思いしなくちゃいけないなんて、この世の中ってホント腐ってるよねー」


 あえてツッコミ入れないでおこう。

 美香には保科ほしな先生が特異質のことを知っているとは伝えていない。言うタイミングを逃してしまった。――いや、そもそもタイミングはなかったし、言ったところでどうこうなることでもない。


「あ、やばい、ヨダレ出てきた」

「それだけさっきからじゅるじゅる言わせてればな」

「へ? なんのこと?」


 もはや答えることすら嫌になった。

 このままではいつもの電話の通り、美香のペースで話をもっていかれてしまう。

 本題に入れないことを危惧したミツルは強引にでも自分のペースを手繰り寄せようとする。


「ところで、今日鷲塚を呼んだ――」

「みじゅるくんのベッドにだぁぁぁいぶ!!」

「なにやってんの!?」

「え、におい嗅いでるんだけど」


 声のトーン、顔、態度、すべてが真剣そのものである美香。


「このベッドの上でみじゅるくんと岩脇先輩が毎晩――」

「いい加減にしろ!! お前の頭の中でとんでもないヤツに俺を食わせるな!! というか俺をエサにするな!!」

「私の最近のブームなの。この前まではみじゅるくんの一方的な受けだったけど、今ではヘタレ攻めがメインなんだよ、ぐふふ。岩脇君の襲い受けとも言い難い。……私も混ざりたい。どうして私は男に生まれなかったのかッ」


 身悶みもだえながらミツルの枕に顔をうずめて「ぎゃー」と絶叫。

 そして呼吸を整えようと深呼吸するが、ミツルのにおいにあてられてさらに呼吸を荒くする。


 絶叫したくなるのはミツルの方である。

 いつも食べる側の人間だったミツル。いざ食べられる側になると身の毛がよだち、おぞましくなってきた。

 今までも用がない限りすることはなかったが、これからも『暴食』や『乱獲』をしないように注意しようと心に誓う。食べられる側にも敬意を払おう。


 もう一度本題に入れるようにミツルは話を切り出してみる。


「今日、鷲塚に手伝ってもらうことあるっていっただろ?」

「うん」

「実はこの前、大地に頼んで――」

「やっぱりみじゅるくんって岩脇先輩のこと好きだよね!!」

「このタイミングで大地の名前を出さなくちゃいけないことが腹立つ。アイツの名前を伏せずに出してしまった自分も情けない」


 輝いているが腐っているその瞳に敵う者はこの世に誰もいない。

 ミツルはなかば諦めて大きなため息をついた。


「みじゅるくん、ごめんごめん」

「……くっ、気にすんなよ」

「それで、何を手伝えばいいの?」

「それなんだけど、一緒に謎解きをしてほしいんだ」

「謎解き?」


 美香と百々から収穫したものは、確かに二人の隠された部分を引き出したものだった。しかし、それらを得られたからと言って、すぐに二人の秘密に気づけたわけではない。

 あくまでそれらは違和感のきっかけにすぎない。

 そして、いろいろと推察した結果がたまたま『ツンデレ』と『腐女子』という形作った料理へとつながったというわけだ。隠された料理はきっかけであり、証拠でしかない。


「俺が今日手に入れたものが何を意味しているのか、一緒に考えてほしいんだ」

「なるほどなるほど、で、なに採れたの?」

「キノコと鶏むね肉と白濁した液体」

「……ふひひ。筋骨隆々で鳩胸なマチョメンたちが一心に乱れる妄想がどんどん膨らんでいくぅ。最初は抵抗していたみじゅるくんも諦めて無気力受けに徹してるじゃんかよぉ……じゅるり」


 ミツルは戦慄した。

 同級生である男の前で、しかもその男のベッドに寝転がって腐った妄想を繰り広げてふけられては全身鳥肌が立つホラーでしかない。ドン引きしては得も言われぬ恐怖に身悶えしてしまうこと必至。

 これが一般的な反応である。

 が、ミツルは違った。

 もちろんそのことについても身震いした。自分が妄想の被害にあっているのだから当然だ。しかし、他にもミツルが戦慄した理由がある。

 

 ――食料を頂戴した三人の中に筋骨隆々で鳩胸の大男が確かにいた。


 その男が自己紹介をしてくれた時、水泳部だと言っていたことをはっきりと覚えている。逆三角形の上半身はいかにも鍛えていたのでその言葉に嘘偽りはない。

 

 ミツル自身が頭の中で生み出した『食材』。

 その『食材』から、美香は元の人物像を見事に当ててしまったのだ。

 これが、ミツルが真に戦慄した理由。そこには驚愕もあったが、恐怖もあった。自分の思考を覗かれているような、背に這い寄ってくる恐怖が。

 怖いものは怖い。

 だが、美香は犯人を見つけ出すためには持ってこいの適役だったようだ。美香を連れてきたこと自体は正解。多少腐っていることは大目に見ることにしよう。


「正直、キノコと鶏むね肉についてはどうでもいいんだ。問題なのは、白濁した液体について」

「それってもしかして、男どうしが愛しあったときにはぐくまれる、――」

「それ以上言うなよ。一応女の子なんだから」

「……はいはい。じゃあ、とりあえずそれを飲んで……じゅるり……感想を聞かせてね。待ってるから……じゅる」

「待ちきれてないよね」

「ごめん。みじゅるくんの枕、ヨダレでべとべとになっちゃった、てへっ」

「……今から飲むからちょっと待ってろ」


 白濁した液体というだけで飲むことに抵抗があるのに、美香が余計にを意識させるせいで、ことさらに飲みにくくなってしまう。

 しかし飲まないことには何も始まらない。

 ミツルは覚悟を決めてその白濁した液体をごくり、ごくりと飲みほした。


 喉から胃にかけて一気に熱くなる。

 強い刺激にその液体が通った場所が焼けただれていくのがわかる。


「これは、さけ――」


 ミツルの意識がとんだ。

 床にばたりと倒れ込む――とすぐさま何かに目覚めたかのように、ミツルは無意識ながらも立ち上がった。

 腰は伸びすぎてややのけ反っており、首だけを折り曲げて顔を伏せている。時折すすり出るしゃっくりは笑いにも似て不気味さを助長している。


 これは、ミツルが大地と喧嘩をしたときとまったく同じ状況だ。


 ミツルは眼下に美香を見つけた。

 舌なめずりをしては今日の獲物をどのように調理するのかを瞬時に判断し、腕をまくっては意気込みをあらわにしている。


生料理ライブクッキングだ……ひっく」


 と言いながら、ミツルはうつ伏せになっている美香に馬乗りし、彼女の肩をガッと力強く掴んだ。そして、何が起きているのかわかっていない美香を無理矢理あお向けにさせる。


「さくらんぼの皮を剥かないと」

「ちょ、ちょっと、ミツルくん!?」

「料理はひと手間かけることによって格段に美味くなる……ひっく」

「いやいや、さくらんぼの皮ってむかないから……って、いやっ」


 抵抗する美香に容赦することなく、無慈悲にも白シャツを強引にはだけさせた。ちぎれたボタンがベッドで跳ねたあと、音を立てて床を転がっていく。

 あらわになったピンク色の下着ブラジャー。そこに包まれているのは豊満な胸。

 その下着もぎ取るのかと思いきや、それ以上皮を剥ぐことはなく、ミツルは両手で胸を揉みほぐし始めた。まるでそこにある生地をこねくりまわして薄く伸ばすかのように。


「ちょっとミツルくんっ、だめっ……んんっ、いやぁ」

「パイ生地がいい塩梅あんばいの柔らかさになってきたな。……よし、少し味見してみるか」


 ミツルはぬめる舌を出して美香の胸を舐めようとする。顔が徐々に右胸に近づいていき、柔らかな肌に舌をほんの少し滑らせた――その瞬間、


「やめてっ!!」


 美香が力の限りを発揮し、ミツルをベッドから床へと叩き落した。

 ミツルはぴくりとも動かない。

 もしかして打ち所が悪くて殺してしまったのではないかと思った美香は、ベッドから降りてミツルの体を揺すった。すると、口をむにゃむにゃさせ始めたので生きていることは確認できた。ひと安心。


 何が起きたのか美香にはさっぱりわからなかった。


 わからなかったとしても仕方がない。

 美香の知っているミツルと先程のミツルは同一人物であっても特質が違う。先程のミツルは歪んだ本能に支配されていたのだから。それは大地と喧嘩したときと同じように。


 30分後――。

 ミツルは何事もなかったかのように目を覚ました。


「……頭いってぇ」

「やっと起きたか、このヘンタイ。さっきはよくも襲ってくれたね」


 美香がベッドの上からミツルを冷ややかに罵倒した。

 何も身に覚えのないミツルは美香に背を向けたまま反論する。


「襲った? 飲んだ酒に酔い潰されて、今まで寝てただろ、俺」

「……はぁあ!? なにいってんの、信じらんない」

「だから、酒を飲んだの、酒を」

「どこに酒があるっていうの……そっか、わかった」


 どうやらミツルが最後まで説明せずとも理解したらしい。


「俺、記憶ないんだけど、もしかしてさ、鷲塚になんかした……?」

「……おっぱい揉まれた」

「……ふぁい?」

「……ほんとに。悪酔いもいい加減にしてね」


 ミツルの飲んだものは日本酒――にごり酒だ。

 舌先で味わった瞬間に口内を犯されているような感覚に陥り、すぐさま飲み込んだはいいが、胃から鼻に抜けていく独特のアルコール臭が残り続けた。

 そして、一瞬にしてアルコールが脳を犯す。

 理性が消し飛び、そのかわりに現れたのは歪んでしまったミツルの本能。

 今日の『生料理ライブクッキング』の餌食になった美香は、ミツルの脳内ではなく、この現実世界でチェリーパイの材料となったのだ。


 ミツルは30分前に起きたことを美香から聞いた。


「ごめん……本当にごめん。謝ってすまされるようなことじゃないのはわかってるけど、どうすればいいかわからない」

「ほんとにねー。今すぐ警察につきだしてあげよっか。強姦に未成年飲酒だからね」

「……それだけはどうか勘弁してくだ……そっか」

「どうかしたの?」

「犯罪だ……犯罪なんだよ!」


 酒を飲むこと自体は悪いことではない。罪に問われることもない。

 しかし、それは成人――二十歳以上ならばの話だ。もし未成年が飲酒をすれば犯罪となる。

 この犯罪というワードが盗撮というひとつの犯罪を示唆しているのではないのか。

 いかがわしい目的での盗撮することは犯罪となる。女子更衣室を盗撮し、しかも女子生徒の着替えをピンポイントで狙っているとなれば、間違いなく犯罪だ。

 

 酒池肉林の酒がここにあった。

 酒――それは欲そのものと言っても差し支えないだろう。

 欲は本能に直結する。

 今回はミツルの性欲という面が強く押し出されていた。大地との喧嘩のときとは違い、今回は暴力的ではなく、性的な本能の発散が大きく暴走した。

 どうしてそうなったのか。

 ミツルの行動の意味するところは何なのか。

 それは、酒の出どころ――つまり酒造者であるあの男が、欲求不満な日々に耐えられなくなり、欲求が爆発したことを示している。盗撮とういう犯罪行為に手を染めるに至ったことにほかならない。


 以上の推察を美香に伝えると、「なんか、こじつけみたいだねー」と一蹴された。

 それも致し方ない。これはあくまで推察なのだから。

 百々のときも、美香のときも、こうやって二人の秘密を知ったのだから。

 確かに美香の言う通り、すべては自分の都合のいいように辻褄をあわせただけなのかもしれない。

 ――ここまでなのか。

 やはり酒をくれた張本人がいないと、確実性のある証拠や決定打となるものを得ることができない。いくらやましいことを隠しているという事実があるとはいえ、これ以上の踏み込むことはできない。


「まあ、明日、百々ちゃん先輩には報告しておけばいいと思うよ」

「こんないい加減な情報でもいいのか」

「なにもいわないと怒られるよ? それでもいいの?」

「はは、確かに」

「……と、ところで、ミツルくん」

「どうした?」

「私、ミツルくんに、服、やぶかれちゃったんだけど、なにか着るもの貸してくれないかなー……なんて」

「……あ、ご、ごめん」


 今までずっと美香に背を向けて話をしていたミツルは、慌てて自分の制服の白シャツを貸した。

 美香が「ちょっとおっきいけど、きゅうくつなところもあるなー」などと言いながら着替え終わると、床に座っていたミツルの隣に座り直す。


「まさか今日生徒会室でいってたことが現実になるなんてね……おいしかった?」

「ごめんなさい」

「もしかして、生徒会室にいるときにからかわれて、ちょっと怒ってたとか?」

「ぐっ……」

「もしかして、ちょっと仕返ししてやろうって思ってたとか?」

「うぐっ……」

「今日あったこと、ぜーんぶ、百々ちゃん先輩に明日報告しておこーっと」


 ミツルは言うより先に体が反応していた――土下座だ。


「それだけは……それだけはどうかご勘弁を」

「ふーん。私のおっぱいは安くないよ? とりあえず、貸しひとつね」

「わかりました。……でも」

「でもなに?」

「わざとではないんです。確かに仕返ししてやろうとは思っていましたけど、そ、その、胸を鷲掴みするようなことは考えてなかったんです」

「罪を犯した人は誰だってそう言うの。さあ、自首してラクになりましょう」

「……はい」


 確かに触ったという事実には変わりないのだろう。

 しかし身に覚えがないのだ。

 あらぬ罪を着せられた人、冤罪をこうむった人の気持ちが少しだけわかったような気がしたミツルであった。




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