第23皿 百々の本音


「先輩っ、生徒会室にいきましょう!」


 寧々チャイムが本来のチャイムをかき消し、教室内に大きく響き渡る。

 クラスメイトどころかクラス担任からも温かく受け入れられている寧々は、今日も本来のチャイムが鳴ると同時にミツルを迎えにきた。いつも通りチョコレートやあめをもらっては、大袈裟に感じられるくらい頭をぺこぺこ下げて「ありがとうございます」と謝辞を言う。不良の面影はいっさいない。

 こうして寄り道をしてミツルのもとに寧々がやってきた。


「へんふぁい、ひょこ、たべまひゅか?」

「口の中に何個入ってんだよ」


 一個ずつ食べればいいものを、頬をぱんぱんに膨らませて口の中をチョコレートで満たしている。あめはどうやらまだ食べてないらしいが。

 チョコレートの包装をまたしてもはがしている。これ以上頬張る必要はあるのだろうか。味わって食べればいいものを。


「ひゃい、あーん」

「あーん……あーん!?」


 口を開いて待機しかけたミツル。自分のとった行動と寧々のアプローチに驚き、思わず大声を上げてしまう。

 動揺で椅子から落ちそうになるも、背にある壁に手をついて間一髪なんとか踏みとどまる。窓際の席だったことが幸いしたようだ。この座席に初めて感謝した瞬間だった――が、それもつかの間、ミツルは壁を恨んだ。

 迫ってくるチョコレート。

 壁が邪魔をしてこれ以上後ろに下がることができない。こうなってしまっては口を思いっきり閉めるしかない。

 そしてミツルはふと思う。『あーん』をこうも強く拒む必要があったのか。


「ふんっ」

「んんっ!?」


 閉ざされていた口に力ずくでねじ込まれた。

 初めて味わった寧々の指は甘く、もう少し舐めていたかった。


「――ってなに考えてんだッ!?」

「ご、ごめんなさい! そんなに怒られるとは思いませんでした……調子乗っちゃいましたぁっ!!」

「あ、いや、別に怒ってないからっ」


 ミツルは戸惑いを紛らわすために勢いよく席を立った。

 ミツルの勢いが伝わった椅子が音を立てて倒れ、教室に響いた騒音が静寂を生み出す引き金となる。

 誰もがミツルを凝視する。当のミツルは視界に人を入れないようにするために相変わらず顔を背けたままだ。それが数人の生徒の気に障ったのだろう。


「矢吹君、寧々ちゃん相手でも容赦ねぇな」

「ひどい。女の子にあんな怒鳴り散らすなんて」

「……ものにもあたってるよ。こえぇ」


 その生徒たちがミツルに聞こえないようにひそひそ話をしている。ミツルの言動に勘違いするのも無理はない。

 いたたまれなくなったミツルは鞄を持って教室を出ていく。

 もちろん寧々はそのあとを追うわけで、その愛くるしさがミツルのクラスメイトの株をさらに上げるのであった。


「せんぱーい、待ってくださいよー」

「さっさと生徒会室に行くぞ」


 ミツルはそう言いながら、最初は行くこともはばかられた空間である生徒会室が、今では逃げ場所になっていることに気づいた。いや、逃げ場所と表現したもののそれにも違和感がある。


「ふんふふんふふーん」

「上機嫌だな」

「だって楽しいですもん」

「……ああ、そっか」


 ――ちょっと気に入っているのか、あの場所が。

 そう考えると足取りが軽くなったような気がした。

 いつもの生徒会室までの道のりがあっという間で、すでにドアノブに手をかけている自分がいる。

 ドアを開ければ、そこにはステーキとチェリーパイ――ではなく、百々と美香がいた。放課後が始まって間もないというのに、相も変わらずお早いご到着だ。 

 ミツルは今日も胃もたれしそうなおやつを頬張りながら席に着く。毎日極上ステーキを食べられること自体は贅沢なことだが、さすがにもう飽きてきた。そう考えることこそ贅沢の極みか。


「キミ、美香に聞いたんだけど、何か手がかりが見つかったらしいわね」

「一応ですけどね」

「さっそくだけど、詳細を聞かせてくれないかしら」

「……詳細はちょっと」

「言いはばかる理由があるのかしら」


 ないわけがない。むしろ憚られることの方が多い。

 特異質の『妄想料理クッキング』のおかげで手がかりを見つけ、脳内とはいえ飲酒し、挙句酔い潰れて美香の胸を揉んだ。しかもさらには少しだけだが舐めたというではないか。

 言えるわけがない。

 しかし美香の胸の感触は、その肌の味はどのようなものだったのだろうか。トランス状態だったせいで何も覚えていない。

 わからない味を追い求めるかのように舌がひりついてきた。


「早く言いなさい、早く」

「えーっと、証拠はあるんですけど、今ここで見せることはどうしてもできません。あやしい人物は見つけました。それと、あやしいのは事実なんですけど、もしかすると盗撮犯じゃないかもしれません」

「言っていることが支離滅裂を越えて破綻しているわよ。証拠があると言っているのに、どうして盗撮犯じゃないと言うのかしら。キミ、嘘をつくには下手すぎるわよ。手がかりが見つかってないのならはっきりそう言いなさい」

「手がかりが見つかったことは事実だ。嘘じゃない」

「ではどうしてキミはその事実を濁したような言い方をするの?」

「まぁ、そんなにせかさないでくださ――」



「早く言え」



 誰もが耳を疑った。その低い声の持ち主が誰だか一瞬わからなかった。

 場が凍る。

 冷血と言い表しても温かいと認識してしまうほどに冷たく、人を人として扱わない残酷さを添えて、その冷酷な声はミツルの鼓膜を貫いた。鼓膜どころか、胸には刺されたかのような痛みが急激に広がっていく。

 普段と明らかに様子の違う百々が、いつも温かい生徒会室の雰囲気を一瞬にして崩壊させた。

 こうなってしまってはミツルは口を開かざるを得なかった。内ポケットから四つ折りのメモ用紙を取り出して言葉を選んで並べ始める。


「あやしいのはこの男です。一応、昨日の夜、この紙にその男のプロフィールは書いてきたんですけど、三年一組の立山し――」


 ミツルが言い切る前に、百々がメモ用紙を奪い取り、中に書かれていることを一読した。書かれている内容は、男の名前と学年、クラス、所属部活、容姿。

 たったその程度しか書かれていないメモから何を読み取ったのかは知らないが、百々が「あいつか」とだけ吐き捨てると生徒会室から出ていってしまった。

 いったい何が起きたのかと考える間もなく、


「ミツルくん、百々ちゃん先輩を追って!」


 美香が緊迫した声音でミツルに訴えた。


「は? なんでだよ」

「いいからはやく! 寧々ちゃんは職員室に行って保科先生呼んできて。私は百々ちゃん先輩がここに戻ってきたことを考えてここで待ってるから!」


 人を探すことが何よりも苦手なミツルにとって、美香からの要求はかなりめちゃくちゃなものだったが、躊躇している時間はなさそうだ。右往左往するくらいなら迷わず直進すべき。


 生徒会室から飛び出したはいいが、すでに廊下には百々の姿はない。

 そのかわり、二人の男子生徒が視界に飛び込んできた。これからひとりで何の手がかりもなしで百々を探すとなれば相当な手間だ。頼るしかない。


「すみません、生徒会長見かけませんでしたか?」

「あぁ、それならそこの階段上がってったよ……って不気味番長!?」

「ありがとう、助かった」

「……不気味番長にお礼いわれた。不気味だ」


 ミツルはその生徒の嫌味を聞くこともなく階段を駆け上っていく。

 その先にあるのは三年生の教室。まさにそこに向かったに違いない。

 ミツルの睨んだ通りそこには百々がいたらしい。が、ちょうどすれ違いになったようで、すでに百々はどこかに行ってしまったとのこと。その時、一人の男を強引に引っ張り連れ出して、百々はかなりキレていたという情報も得た。先輩方三人、食料共々提供どうもありがとうございました。

 しかしここまでか。一番知りたかった百々の行き先がわからない。


「ちくしょう。手詰まりだ。白井先輩どこ行った……」

「あっちに行ったぜ。たぶんあれなら屋上だな」

「本当か!? ありがとな、大地」

「お、よく顔も見ないで俺だってわかったな」

「当たり前だろ。今、お前にかまってやってる時間はないから、また今度っ」


 背後から話しかけてきた大地に目をくれることなくミツルは走り出す。

 放置された大地。少し寂しそうな表情を見せるも、鼻を「ふんっ」と鳴らし、気を紛らわすために窓から外を眺めた。物思いにふけっているみたいで余計に寂しくなったのはここだけの話。


 屋上へ続く階段を上っていると、ミツルはあることが気がかりになった。

 ――屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ?

 だが今さら駆ける足を止めるわけにはいかない。屋上へ出られる扉が開かなかったらその時に次の一手を考えればいい。

 開けた踊り場に出た。

 扉の施錠については確認するまでもなかった。扉がほんの少し開いており、その隙間から迷い込んできた日の光が踊り場に一本の光柱を映している。

 扉を開けると強い風が吹き抜けた。 

 その強風に当てられて顔を伏せると、外に壊れた南京錠が転がっていることに気がついた。嫌な予感しかしない。


「す、すみませんでした。だ、だからもう助けてください」

「正直に吐いてくれたことは感謝するわ。でもね、どうしても許せないのよ、あなたのことが」


 すぐ側から悲鳴と怒声が聞こえてきた。

 屋上には転落防止柵が施されている。もしそれがなければ、今助けを求めている男は転落していたことだろう。

 百々が男――立山秀蔵たてやましゅうぞうの胸ぐらを掴んで鉄柵に押しつけている。


「どうして盗撮なんてことをしたの」

「つい出来心ではっ――」

「……ごめんなさいね。つい出来心で殴ってしまったわ」


 百々が立山の腹を――。

 立っていられなくなった立山がその場にうずくまった。咳き込んでは呼吸を乱している。


「や、やめてくれ……ごはっ」

「敬語」

「やめて……ください」


 腹を蹴られた立山は、なんとか敬語で言葉を言い直した。


「盗撮した犯人があなただということは黙っておいてあげる――そのかわり、私の暴力を認める。さっきそういう約束したわよね」

「で、でも、さすがに……これは……」

「ひどいなんて言わせないわよっ」


 もう嗚咽すら聞こえてこなかった。

 暴力的なまでに綺麗な脚から繰り出される暴力。狂気をまとった百々をこのまま放っておけば、人を殺しかねない勢いがある。

 百々が立山の髪を掴んでは引っ張り、無理矢理立たせた。


「あなたは――を侮辱した」


 ミツルには何を侮辱したのか聞こえなかった。

 もう少し近づけばはっきりと声が聞こえる――そう思った時、自分が屋上へと続く踊り場でつっ立ったままだということに気づかされた。体が近づくことを無意識に拒んでいたのかもしれない。

 ――やめさせないと。

 ようやくミツルは一歩を踏み出し外に出た。


「ごめん……なさい……」

「謝る相手を間違えているわよ。謝るのなら――」

「もうやめとけ」

「……キミか。いつからここにいたのかしら」


 百々が立山を殴りかけたところを、間一髪、ミツルは彼女の腕を掴んでそれを阻止した。ミツルの踏み出した一歩目がもう少しでも遅ければ、立山の顔に拳が叩き込まれていたことだろう。

 百々がミツルの手を払い、掴んでいた立山の髪も離した。

 自由を得た立山はこの場から逃げ出そうと最後の力をふりしぼり、地面を強く蹴った。が、足をからめてミツルに激突してしまう。それでもなお諦めずに態勢を立て直し、やっとのことで屋上から逃げ去った。


「いてててて」

「どうして止めたの」

「そりゃ止めるに決まってるだろ。いくらなんでもやりすぎだ」

「あなたには関係ないわ」

「いやいや関係あるだろ。俺だって一応生徒会の一員だし、それに先生から頼まれた案件だったんだからさ」


 ミツルは自分で生徒会の一員という自分らしくないことを言って恥ずかしくなり、顔を瞬く間に赤らめる。

 ――だが、すぐさま顔色を変えることになる。百々のたったひと言で。


「……そうね。犯人が見つかったのだから、キミにはちゃんとしたことを言っておきましょうか。これは先生に頼まれた案件ではないの。そもそも学園側はこの盗撮の件を把握していないわ」

「……は?」

「これは私がなんとしてでも、つきとめたかったことなの」

「どうして」 


 いろいろ展開が急すぎてミツルの思考回路が焼き切れそうになる。

 かろうじて口にできた「どうして」の四文字。百々からの返事はすぐには来なかった。

 百々が鉄柵に寄りかかり腕を組む。いつも通りの所作なのに雰囲気がいつもとまったく異なるのは気のせいではない。

 屋上に吹き抜ける風が長い黒髪をなびかせる。その艶めかしさが怖気をより一層際立たせ、不気味さを演出している。


「生徒会長としての役割をまっとうしたかったのよ」


 いや違う。それは考えずとも判断できた。

 確かに盗撮犯を見つけ出そうとしたことはそれに値するかもしれないが、本当に生徒会長としての役割をまっとうしたいのであれば、暴力を振るうわけがない。


 じっと見つめてくるミツルを騙せないと察したのか、きゅっと口を結んだあと、


「美香を侮辱したクズを殺したかったのよ。心の底からそう思ったわ……いいえ、今も殺したいと思っているわ」


 百々が本音を語り始めた。


 この時、百々の腕を掴んだ際に『妄想料理クッキング』によって生成された料理――ゲル状の固形物が溶け出した。

 以前は噛みちぎろうとしたり、舌で舐めたり。何をしてもけっして変化の生じなかった固形物が、今、溶け始めたのだ。

 すると、今まで咀嚼することができかったはずの固形物を容易に味わうことができた。口の中に凝縮された旨味が絡みついてくる。

 そして思った――。

 初めて食べてはいけないものを食べたような気がした。

 おいしくない、まずい、食べ物ではないと思うことは今まで多々あった。しかし、食べてはいけないと思ったことは一度もなかった。


 その固形物の正体は――鶏肉の煮凝にこごりだった。

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