第24皿 一輪の花


 煮凝にこごり――。

 それは、ゼラチン質の多い牛肉、鶏肉、魚肉などを煮つめることで出てくる煮汁を冷やし、ゼリー状に固めたものである。各々の材料から抽出された旨味という旨味がその中に凝縮している。それが煮凝りなのだ。


 では、ミツルの手に入れた煮凝りには何が凝縮していたのか。

 それは、溢れんばかりに出てくるも押し殺された感情だ。

 それは、百々自身が今までずっと隠し続けてきた感情だ。

 それは、誰にも知られるわけにはいかない秘密の感情だ。

 だから今までいくら咀嚼そしゃくしようとも味わうことができなかったのだ。ツンデレであることや腐女子であること、さらには盗撮犯をあぶり出すこともできたミツルの特異質。それをもってしても暴くことはできなかった。

 しかし、たまたま、偶然が重なったせいで、煮凝りが溶け出し、百々の秘密が明かされる。


「鷲塚を侮辱したってどういうことですか」

「……美香も盗撮されていたの」


 喫茶店でテーブルの上に出された写真の中に、美香の姿はなかったはずだ。

 百々はブレザーの内ポケットから五枚の写真を取り出し、びりびりに破いて宙に放り投げた。塵に成り下がった写真のくずが、風に乗せられてまばらに空の彼方へと消えていく。

 ミツルが飛んでいく紙くずを見ている間に、百々が内ポケットからもう一枚の写真を取り出した。


「これは六枚目の写真。ここに美香が写っているわ。こんなあられもない姿の美香がさらし者になっているのよ。許されることではないわ」


 取り繕うこともなく百々は怒りをあらわにする。

 憤怒の炎を燃やし、先程「殺す」と言ったことを今にも実行しかねない様相だ。今ここから盗撮犯である立山を百々が追いかけようとしたなら、ミツルは止めに入っても止めることはできないだろう。


「そして、こんな写真を撮ったクズも絶対に許さない。殺したとしても私の気は済まないでしょうね」

「……鷲塚は……そんなことをしても喜ばないと思いますよ」


 煮凝りを形作るゼラチンは熱を加えることで溶出し始める。

 もちろんミツルの頭の中にある煮凝りもそうなのだが、それを溶かすには、とある熱が必要だった。正しく言うのなら、その熱でしかこの煮凝りを溶かすことができない。

 その熱の正体は百々の怒り――ではない。

 その怒りを生じるにあたる原因が根底にあり、それが煮凝りを溶かしたのだ。


「察しのいい子は嫌いよ」

「……白井先輩」

「何かしら」

「白井先輩が鷲塚の名前を出したり、殺すとか言ったりしなかったら、たぶん俺はなにもわからないままでしたよ――」


 嘘をついて話を濁した。

 たまたまだった――。

 連日のたび重なる張り込みのせいで『食料乱獲』の日々が続いた。食べても食べても食べ尽くせずに、脳内の食料庫がはちきれんばかりにパンパンになっている。

 そのせいで昨日得た食材と料理は食料庫すぐ手前に置いてあった。

 となれば言うまでもなく、今日得られたものも自ずと手前に置かれることになる。

 すぐ側に並べられたそれぞれの料理。もはやそれらはすぐ側というより、わずかな隙間もなくくっつきあっている。


 煮凝りと接しているのは――卵豆腐。


 煮凝りが溶け始めているのはちょうど卵豆腐と接しているところ。

 生暖かい卵豆腐に温められて溶けては絡まっていく。まるで固く閉ざした心がほどけていくように。美香だけに心を開くように。

 煮凝りを溶かしているのは美香という存在そのもの。

 百々は言っていた――美香を侮辱したクズを殺したかったと。

 その過剰なまでの殺意はいったいどこからきているのか。考えるとひとつの答えに辿り着くことはミツルにとって不自然なことではなかった。


 百々の今まで隠し続けていたことを知ってしまったのは、たまたまだった。

 百々は美香に特別な感情を抱いている。百々が美香と一緒にいるときに感じる温かさが煮凝りを溶かしたのだ。

 怒りよりもはるかに強く、そして熱い感情――それは、恋愛感情。愛だ。


「――白井先輩が鷲塚のことが好きだって」

「気持ち悪いでしょ」

「いえ、ぜんぜん。これっぽっちも思いません」

「嘘よ。私だって自分で自分のことが気持ち悪いと思うもの」

「俺から言わせてもらえればかわいいもんですよ」


 世の中には妄想の中で食事をしたり、男どうしの――で悶えたり、探せばよっぽど気持ち悪い人はたくさんいる。

 人を好きになることのどこが気持ち悪いのだろうか。

 

「どうしてでしょうね。キミが言うと説得力があるわ」

「白井先輩こそ察しがよさそうですね。これ以上はなにも言いませんけど」


 百々の強張っていた顔が少しほころんだ。

 これ以上百々の心に踏み入るのは無粋というものだろう。 

 本来ならば立ち入ることすら許されない禁断の花園だったのだから。

 その端の方で儚くも美しく揺れる白百合しらゆりの花。しかしその花に寄り添い隣りあう可憐な花はなく、たった一輪、凛と咲き誇っている。


 屋上に冷たい風が吹き抜けた。

 気持ちよさそうに髪をなびかせる白井百々は踵を返し、出口へと向かう。その背中にはもう色濃い復讐の鬼としての姿はなく、威厳のある生徒会長としての面影を残すだけだった。




 後日、立山と話する機会があった――というか設けられた。

 百々が立山と二人で顔を突き合わせれば喧嘩になることは目に見えている。話し合いではなく、一方的な暴力が飛び交うことは明白。というわけで駆り出されたのがミツルだった。

 立山いわく、撮った写真を友達にあげたり売ったりはしていないらしい。一年半におよぶ常習犯。しかし、盗撮はここ数日でぱたりとやめたという。

 ではどうして最近やめるに至ったのか。もちろんきっかけがあった。

 彼女ができたらしい。

 本当につい最近のこと。後輩から告白されて付き合うことになり、盗撮の世界から手を引いた。これからは真っ当に生きようと誇らしげに語るその姿に反省の色はどこにも見受けられなかった。

 その自己中心的な物言いに腹が立ったミツルは思わず立山をぶん殴る。百々や美香の晴らせない屈辱的な想いを込めて。

 そして、すべての盗撮データの消去と百々の暴力行為の秘匿とを引き換えに、学校と警察に立山を盗撮犯として突き出すことを取りやめる――これだけ言い残してミツルはその場を立ち去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る