第8皿 朝のひと時


 ドンドンドンドンッ――。


 玄関のドアをノック、いや、全力で殴りつけているような轟音が、気持ちよく眠っていたミツルの鼓膜をも殴ってきた。

 もう誰の仕業なのかわかっている。ここ毎日この様だ。

 手を伸ばし、ベッド上にあるアナログ置時計を雑につかみ取る。ノールックでも見つけられるのは習慣としてみについている証拠。

 最近、目覚ましとして機能していない時計から時刻を読み取る。


「まだ六時半……また六時半というべきか」


 ぼやける視界でも時刻ははっきりとわかった。

 ミツルは時計を元あった位置に戻し、再び布団にくるまった。あと一時間とは言わないまでも、四十五分は寝られる。

 こうして微睡まどろみの中をさまようことに。


 ドンドンドンドンッ――バキッ――。


 ミツルは反射的に立ち上がっていた。

 このままでは、かよわきドアが破壊されてしまう。

 慌てて玄関まで走っていく。しかし、意識は冴えても、両目と体はいまだに微睡んでいるため、円卓テーブルの足に蹴飛ばされ、派手に転倒してしまう。結果、床に顔面からダイブ。

 幸い、今回は額からの出血はないようだ。


 ミツルは高校に上がってから、十畳ワンルームのアパートにて一人暮らしをしている。

 自立心を今のうちからはぐくんで、将来、立派な大人になりたい、と両親にいうと、快く納得して承諾してくれた。


 中学三年間は地獄だった。


 朝の挨拶を交わすたびに、朝食が始まってしまう。

 寝起きすぐの食事はつらい――という問題ではない。生みの親である父母を食べ、尊敬する兄と不出来な妹を食べ、それが毎朝毎朝続くのである。


 兄のシンボル、朝はとれたて。下手すると搾りたて。兄のそれは特徴として極めて突出していた。その――のせいで、他の物を採らずして収穫は終わってしまう。

 妹は幼い頃こそは身の少ない皮ばかりの貧相な手羽先だった。が、発育の早かった妹は、小6にもなると、これはこれは化けて高級若鶏となった。


 こんな状態になってもグレずにすんだのは、父母からの愛情のおかげだ。

 自分が朝から不愛想にしていても、ダイニングにあるテーブルの上にはきまって本物の朝食が置いてあった。

 父は怒ることなく、そして母はご飯をよそう。

 あたたかい家庭というものが冷めきりそうな心をあたためてくれた。


 だから、家から出ていこうと決心するのはつらかった。それ以上に両親がつらい想いをしていることもわかっている。

 母の悲しそうな顔を今でもはっきりと覚えている。

 ちゃんと月に数度は帰っているのは自分への戒めだ。それこそ、家族に自分が不良であると思われないようにするために。


「毎朝毎朝うるさいんだよ!」

「おはようございます! 先輩ッ! おでこ、まっかですけど、大丈夫ですか?」

「……気にしないでくれ」


 解錠して乱暴にドアを開けると、もう見慣れてしまった顔がそこにあった。かれこれ一週間はこれだ。休日は除いて毎日のようにやってくる女。


 時間はきまって六時半。

 左手にはコンビニ袋をぶら下げて、顔には屈託のない笑みをたずさえて、今日も律儀にやってきた。

 この顔を見ていると、悔しいことに怒りも消え去って、少しだけ面映おもはゆくなってしまう。


「じゃあ、おじゃましまーす」

「もう遠慮の『え』の字もないのな」


 靴を丁寧にそろえて脱ぐと、さらには手でもう一度きれいにそろえて図々しく中へと上がり込んできた。これが不良の行いだとは思いがたい。性根しょうねの部分が腐っていない寧々は不良になりきれない。

 ただひとつだけ不良としての素質はある。図々しさだけは天性のものなのか、天下一品だ。


 寧々はミツルを置いて、奥の部屋へずんずんと進んでいく。


「せんぱーい。電子レンジ借りますねー」


 そして決まって毎朝ミツル宅の電子レンジを使う。大好きな焼きそばパンを温めるために。

 額をさするミツルはため息をつくことすら忘れ、自分も部屋へと戻るために重たく痛い足を動かす。


 すべては一週間前にこの家を知られてしまったことから始まった。


 ちょうど一週間前といえば、初めて寧々と出会った日のこと。

 喫茶店からの帰り道が同じ方向で、家をつきとめられ、一人暮らしだということがバレ、こうもかいがいしく図々しく朝やってくるようになってしまった。


 ――不良が規則正しく決まった時間にやってくる。笑わせてくれるな。


 一週間前は、少しずつ自分が不良であるという誤解を解いていけばいいと思っていたが、それがそもそもの誤り過ちだった。

 ドンドンドンドン、それはドアをノックする音を聞くたびに、どんどんどんどん、と、誤解は深みに入り込み、今では何を言おうが聞く耳を持たない。

 

「はぁーんまぁー」


 寧々がベッドに腰を下ろし、ホカホカの焼きそばパンをおいしそうに食べている。

 ほっぺをぱんぱんに膨らませているその姿は、顔よりも頬袋を大きく膨らませたリスのようだ。

 焼きそばパン半分で小さな口の中はぎゅーぎゅー詰め。

 飲み込めないのか、ぱちぱちとせわしなくまばたきする両目には少しずつ涙がたまってきている。


「……うっ……ううっ……はぁ」


 やっとのことで焼きそばパンを食べ終えた寧々は、残りの半分を睨みつけ、戦うかのように口の中に放り投げた。

 だが、今度はすんなり食べられたようで、苦しむ様子はみられない。

 本人はどこか腑に落ちてない。まるで食を楽しむことなく終えたような虚無感や喪失感を抱いているのだろう。

 その気持ちは食通のミツルにもよくわかる。


「先輩……早く準備してください。さっさと登校しますよ」

「俺にイライラぶつけるのやめてくれない? ……ってか、今からだとだいぶ早く学校ついちゃうけど、それでいいの?」

「今日は日直なので!」


 それでいいのか、といろいろわからなくなってきたミツル。


 いったん寧々を部屋から放り出し、身支度をささっとすませる。

 制服に着替えながら、どうしてこんな早くに自分も登校しなければならないのかと反感をあらわに。洗面歯磨きをしながら、不良のあり方についての疑問が脳内に浮かび上がる。

 このこびりついた疑問だけは、目クソ歯クソはとれても、どうやってもぬぐい去れなかった。


 悶々としたまま寧々と一緒に通学路を歩いていたが、意外や意外、そう悪いことばかりではなかった。


 学校へ到着。かかった時間は20分程度。いつもの半分くらいの時間で着いた。

 というのも、目に入りそうになる人が少なかったおかげで、遠回りする必要がなかったからだ。

 寧々はいつもと違う道順にはてなマークを頭上にふたつほど作っていたが、それはミツルの知ったことではない。先程いろいろ悩まされた仕返しだ。


 校舎内に入ると、階段を上った先でばったり、ある方と出会ってしまった。


「二人とも今日はずいぶんとはやいな」

「げ、保科先生」

「なんだ貴様ッ、朝から人の顔を見るなり失礼な!」

「始まったんですよ、いつものが。……まぁ今日は今日でおいしくいただきますよ」

「さ、さすが先輩……先生をもやっちまおうとするとは。……見習わないと」

納務のうむ寧々……貴様も大概にしろッ!!」


 さあ、料理を始めよう。


 三人いることで会話がぐちゃぐちゃになり、目の前の牛女肉ぎゅうにくもぐちゃぐちゃに揉みしばかれ、細かくすり潰され、ミンチの出来上がり。

 そこに三日前に玉葱頭のおばあちゃんから頂戴したタマネギをみじん切りにして投入する。いくらタマネギが長持ちするとはいえ、そろそろ賞味期限があぶなかったからちょうどよかった。

 そして、それらをバランスよく成形し、持ちあわせで衣を作っては軽くまとわせる。

 保科先生から生じた憤怒の炎に寧々が油を注いだおかげで、火力は急激に上昇。こげないように細心の注意を払いながらも、一気に焼き上げる。


 完成せしは、誰もが大好きハンバーグ。


 オリジナルで衣をまぶしたおかげで表面はパリッとした触感。そうでありながら優しさに包み込まれるような口当たり。が、それも一瞬。噛みしめれば滲み出してくる旨味の暴力がミツルを襲う。ちょっと朝からは重たい一撃だ。腹にグーパンを食らったかのような衝撃。


 このハンバーグは、かのような一品ひとしなだった。


 保科先生には本当に感謝している。自分の特異質を理解しており、さらにはこうしていつも上質な食材を進んで提供してくれて、心も体も満たしてくれる。


「保科先生……ごちそうさまでした」


 感謝を伝えずにはいられない。


「この前、それは言うなって言ったよな」


 ミツルはこの後、朝礼が始まるまで、こってりと保科先生に叱られたのであった。

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