第4皿 皿の上に残るものは――


 いつもはあれほど憎らしいと思っていた『人を食べる』という特異質。

 これにこうも違う意味で頭を悩まされる羽目になるとは思いもしなかった。


 人なら誰でも食べてきたのに、人なら誰でも料理してきたのに――。


 どうして彼女に対しては何も妄想が膨らまないのか。

 特異質が機能しないことは喜ばしいこと。だが、信じられないことにそれがひどく悔しい。いざ特異質が働かずに妄想による苦しみが存在しないとなると、激しい虚無感が心を蝕んでいく。

 ふざけている。馬鹿げている。

 理性では不要でいらないと思っていても、本能では特異質を欲しているとでもいうのか。自分の潜在意識がこの特異質は自身にとって必要不可欠だと叫んでいる。

 なんということだ。

 この憎らしい特異質に、愛おしさにも似た感情を抱いていたことを、今日、思い知らされてしまった。

 ミツルは頭を掻きむしる。

 すべての元凶となった納務寧々の姿が頭から離れてくれない。


 ――どうして納務寧々のうむねねからは食料調達ができなかったんだ?


 窓から入ってくるひざしがミツルを優しく照らす。

 どうせ照らしてくれるのなら、この謎を解くためのヒントは一体何なのか照らしてくれ、と思わずにはいられない。

 生暖かいそよ風はまるでミツルの肌をでるよう。

 答えが出ないことを挑発されているようで、心地よいはずのそよ風すらミツルの気持ちを逆撫でしてしまう。


 ただ今授業の真っ最中。

 頭からの出血が治まり、ミツルは午後一発目の授業に出席することにした――のだが、どうしても昼休みに出会った女子生徒のことが気になって授業に集中できない。


 人を見れば必ず働くインスピレーション。

 いつもなら美味おいしくいただけるように、自然と食材を見つけ出しては料理を始めるはず。

 だが今回に限っては、寧々を舐めるように見ても、何が食材となり、何を調理すればいいのか。それがまったくわからなかった。どうしてなのかと何度となく繰り返し自問自答するもやはり何もわからない。

 ミツルは授業そっちのけで途方に暮れる。

 はたしてその謎に答えは本当にあるのだろうか。


「……あいつは……あいつは何者なんだ」


 と、授業中だということも構わずにつぶやいてしまう。

 もちろんそれを保科ほしな先生が見逃すわけがなく、


「私の授業中によそ見戯言たわごととは、舐めたことをしてくれるな」


 寧々で埋め尽くされているミツルに、保科先生の言葉が届き響く余地はない。


 ドゴンッ――。


 保科先生はたぎる気持ちをチョークにぶつけた。

 黒板に叩きつけられたチョークは無惨にも砕け散り、保科先生の足下や最前列の生徒の机上に散らばった。

 チョークが散り散りに。

 そのかわりに、授業への集中力が切れて少しばかり散り散りになっていた生徒たちの視線、その一切を保科先生がかっさらった。


「中庭に気になる奴でもいるのか?」

「……………………」

「聞いてんのか矢吹ミツルッ!!」

「あぁ、俺か。目をつけている奴はいるけど……ちっ」


 ミツルは意図せずして物騒なことを口走っていた。

 教室がミツルの発言に嫌にざわつく。

 なぜ急にそうなったのかわかっていないミツルは、頭に疑問符を浮かべてしまうが、結局のところはどうでもいい。すぐにまた寧々のことについて考える。やはり、心ここにあらず、ということでいいらしい。

 生徒全員が一点を見つめる中、ミツルだけが中庭を見たまま顔をいっこうに動かそうとしない。

 さて保科先生にとって、もっとも顔を向けてほしかったのは誰だったのだろうか。

 これについては答えを出すまでもない。こういった場合、もっとも気づいてほしい人物が何にも気づいていないというのがお約束。

 ここは再度怒りをぶちまけたいところだが、保科先生は怒りを収めた。

 ――百歩譲って返事はしてくれたのだから今回は大目に見ることにしよう。

 これが問題児である矢吹ミツルに対して、保科先生の出した答えだった。


「何も悪いことは言わない。矢吹、もうやめておけ」

「じゃあ俺も何も悪いことは言いません。さっさと授業を再開してください」

「ぜんっ……ぜん、人の話聞いてなかったくせに何を言うか貴様はッ!!」

「無駄口たたいてると――」


 ここで試合終了の鐘が鳴る。学校中に五時間目終了のチャイムが響いた。


「ほら、言わんこっちゃない」

「……くっ。もう知らん! 勝手にしろ!」


 結局言い争いになり、あげく敗北した保科先生は、プンスカしながら教室を出ていった。今日はもうミツルと話をしたくないようだ。

 相対して、ミツルも保科先生と話す気分ではない。ただただ悶々と苦悩をむさぼっている。考えても考えても出てくる気配のない答え。


 どうしてなのか――。


 いつもは男女問わず数秒で素晴らしさを理解し、どう調理すればうまみを最大限引き出せるのか、それが手に取るようにわかる。手に取らずとも、目利きの時点ですべてを悟る。

 今まで一切の例外はなく、その実力は本物。その妄想力は天下一品。

 それがゆえに、幾多の困難に直面し、さらされ続けた不当な日々。

 それがゆえに、今日、突如として身に降り注いだ異変がもたらす意味。


 どうしてなのか――。


 しかし、そう考え込み、悩み続けるのは間違えだ。今は考える必要はない。


「…………これはチャンスなんだ」


 これは特異質になってから、ミツルに訪れた初めてのチャンスなのだ。


「もしかすると、こんな俺にも友達ができる……? しかも、この忌々いまいましいクセを改善するヒントも見つけられるかも」


 クックック――と、不敵に不気味に気味悪く笑い始めた。


 授業が終わったばかりで、まだミツルのクラスメイトは誰も教室を出ていない。それに、移動教室というわけでもないので、たった十分という短い休み時間、用がなければとくに誰も教室から出ていくことはない。


「いいこと尽くしじゃないか!」


 が、ほぼ全員、何から逃げるように教室から出て行った。


 周りが見えていないミツルはそのことに気づいていない。

 お気楽ノー天気なミツル。今は周りのことより自分のこと。そして、何と言っても納務寧々。他の生徒はどうでもよく、見向きもしない。普段から必要最低限、あまり見ないようにしているが、今回はことさらにそうだ。


 ようやくできるかもしれない友達。


 先の発言からもわかるように、ミツルには友達がいない。

 それはけっしてミツルの特異質が知られているからではない。この『妄想料理クッキング』について知っているのは保科先生だけであり、料理の詳細を聞いたことがあるのは職員室で聞き耳を立てていた納務寧々しかいない。


 では何が原因で友達ができないのか。


 知られてはいないとしても、少なくとも『妄想料理クッキング』が原因の根底にあることには違いない。


「やっぱりえっぐいな。先生にケンカ売るわ、いきなり笑い始めるわ……」

「だよなー。てかよ、目ぇつけられた人かわいそうだな」


 これは教室から出て行った生徒たちの会話である。


「あぁ。今度は誰が餌食えじきになるんだろ。それにしても毎回毎回よく捕まえてくるぜ」

「おいやめとけ。矢吹君の標的になったら食い散らかされるぞ」

「ひぃっ! 怖くて近づけねぇ。学園最狂の不良――矢吹ミツル。名前六文字『やつる』から三文字取って不気味ぶきみ番長なんて呼ばれてるもんな。マジで狂ってやがるよ、あの人」

「だからこれ以上矢吹君のこと悪く言うのやめとけって。たぶん今の聞こえてたぞ、けっこう声でかかったし」

「……マジで?」


 これがミツルにもたらされた不幸な二次災害だ。

 ミツルの特異質が招いた悲しい現実。

 餌食になるのはその通りなのだが。食い散らかすは言い過ぎで、不気味番長こと矢吹ミツルは行儀よくいただきます。狂ってはいるが、けっして不良ではない。ただ不気味ではある。その通りだ。


 このようにして学園全体に噂が広がり、現状のようなレッテルを張られている。

 不気味番長――矢吹ミツル。

 結果、友達がいない、できない、作れない。という悲しい三拍子三原則が謳われる羽目になったのだ。


「マジでマジで。次の不気味番長への生贄はお前だな」

「ないわー」


 ――不気味だと……? 俺は味にうるさい方だ……いや、うるさいと断言できる!


 ミツルは心の中でボソボソ小言をつぶやく。

 地獄耳なのか、自意識過剰なのか。廊下でのやりとりは、やはりミツルの耳に届いていたようだ。聞きたくなくとも、自然と耳に入ってきてしまう自分の名前と不名誉なあだ名らしきもの。


 不気味――。


 ミツルにとって不気味なのは、寧々の方だ。寧々の方がよっぽど不気味だ。正確には無気味ぶきみ。漢文を読むときに使う返り点打って読めば『味気無あじけなし』である。まさに寧々を表するにはもってこいの表現だ。


 はぁ、とミツルはため息をつく。

 体質改善のためのきざしが見えてきたというのに、現状の立ち位置は揺るぎのないものになっている。


「前途多難だなー。ま、何にしろ……」


 悩みというものは尽きないもの。それを何年もの間、幾多に経験してきた。

 だが、尽きなくとも抗うことはできる。

 何度となく敗北という苦味を噛みしめようとも、抗うことをやめてしまえば、そこで終わりだ。

 日々臥薪嘗胆の毎日。何に復讐するわけでもないが、苦悩に耐えしのいでようやく何かが手に入りそうなこの好機を逃すわけにはいかない。


「これは会いに行くしかない!!」


 学校での立ち位置は、この際、二の次、三の次で構わない。

 できるかもしれない初めての友達と、美食家として初めての未知との遭遇。

 これを逃してしまっては皿の上には後悔しか残らない。


 寧々に様々な可能性を見出したミツルは、来たる時に向けて心の準備を始めた。


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