第10皿 初めて味わうそれは――を呼び覚ます

 

 ミツルは全力で走った。

 目的地は街はずれにある廃墟。10年前は結婚式場として日々賑わっていたという。今では立ち入りを禁止され、誰も寄りつきもしないが、山中にある人目を引く建物を知らない者はいない。


 一心不乱に走り続けること20分。結婚式場跡地に到着した。息つく間もなく『私有地につき立ち入り禁止』という看板を無視して敷地内に侵入する。

 周囲に警戒しながら恐る恐る、しかし、なるべく足早に、建物の入口らしき場所へと向かう。と、


「ようやく来たか。さっさとこっちに来い」


 ミツルと同じ制服を着込んだ学生が三人、まるで見張りのように正面入口前に立っていた。

 その男たちは命令に従ったミツルを乱暴に捕らえると、彼の手首を背後できつく縛り上げる。


「いくぞ。大地だいちさんが待ってる」

「納務寧々は無事なんだろうな!!」


 今まで出したことのなかった声量が出た。

 三人は突然の絶叫に驚くこともなく、冷静にミツルを見て笑う。


「さあ、どうだろ? お前自身の目で確かめてみなよっ」


 背中を蹴り飛ばされたミツルはよろめきながらも、なんとかバランスを保つ。腕は使えないながらも二本の足で踏ん張った。

 ミツルは湧き上がる得も言われぬ感情を歯噛みするしかない。歯向かえばどうなるかわかったものではないからだ。

 

 正面は施錠されており、ここから入ることはできないらしい。

 三人に誘導されるがまま建物の壁に沿って歩いていくと、裏口らしき場所から中に入るよう強制された。

 すると、薄暗い開けた空間が広がっていた。大広間だ。


「ぜんばいっ」


 静かな空間に響き渡る声。

 今ではミツルの目覚まし時計。今ではクラス公認となった始業終業のチャイム。その声の持ち主は、いつもは無駄に明るく、ぎゃーぎゃーうるさく、バカに騒がしい。


「だずげでぐだざい」


 声の主は間違いようもなく彼女のもの。しかし、今まで一度も聞いたことがなかった。

 嗚咽混じりの悲痛の叫び。魂がきれぎれになって今にも途絶えかけている。

 寧々はほこりにまみれた白タイルの床にゴミ同然に放られていた。手首だけでなく足首も縄で縛られ、完全に自由を奪われている。人質として扱われているのだから無理もないが、それはもはや人として扱われていなかった。

 目が薄暗さに慣れてくることでようやくわかってきたこともある。

 寧々の顔には無数の傷がある。露出した足には出血が見受けられる。さらにはブレザーは脱がされ、白シャツもはだけ、淡いピンクの下着があらわになっていた。


 かすり傷は多いが深手はない。寧々をいたぶって遊んでいたのか。


「てめぇがなかなかこねぇからよ。待ちくたびれてこいつで遊んじまったぜ」


 寧々を取り囲む男の一人が、にやつきながら自慢するかのように言えば、他十数人は高笑いを始めた。もちろんミツルの後ろにいる三人も例外なく笑う。


「大地さんマジぱねぇ。男にも女にも容赦ねぇもん。俺たちにはできませんよ!」

「だろ? これが真の不良ってもんさ!」


 ガハハ笑いをする大地と呼ばれた不良は、寧々の腹を加減なく蹴り飛ばした。

 床を糸の切れた傀儡くぐつ同然に転がる寧々には声を出すことはもちろん、悶え苦しむ余力すら残っていない。閉まりそうになる目を開け、遠のく意識を保っているのがやっとだ。

 そして、その光が消えそうになる瞳の先にいるのは――ミツルだ。


「…………」


 声にはならない。しかし確かに寧々の口は何かを言いたげに小さく動いていた。聞こえてくる幻の声音は助けを求めていた。

 が、それすら許さない大地はうつ伏せになっている寧々の背中を踏みつける。


「よう矢吹。どうしててめぇがここに呼ばれたのかわかってるよな?」 

「……納務寧々を解放しろ」


 今まで寧々を見続けていたミツルは、大地を

 身長は190センチ近くあるのか、取り巻きよりも頭ひとつ抜け出ている。ツーブロックに金髪。両耳にはリング状の銀色ピアス。そこには寧々の憧れる正真正銘の不良がいた。

 

「あぁ? ダメに決まってんだろうが。こいつはてめぇを呼び出すエサだ。それによぉ、こいつは俺に逆らいやがったからな」

「逆らった? それだけでこんなことを……」

「ぬかせ。俺に逆らうことが重罪なんだよ。この女、俺の下につくこと拒みやがったからなぁ!」

「……意味がわからない」

「わかんねぇのかよ。こりゃめでてぇ頭してんなぁ、おい!」


 何が面白いのか、またしても大地の取り巻きが高笑った。

 わけがわからない。寧々に容赦なく暴力を振るったことも、そして、寧々があの不良に逆らったことも。

 口先だけでもいうことを聞いておけば痛い目にあわずにすんだはずだ。逆らえばただではすまされないことくらいわかったはずだ。どうせ息巻いて「矢吹先輩がいるんでおことわりー」などと言ったのだろう。いや、言ったに違いない。


 逆らった理由はわからないが、その時の様子はわかる。わかってしまう。


 寧々本人はまったく意識していなかっただろうが、無駄に挑発するような言葉を投げた。それに容赦なく手を出す男も男だが。


「いいかぁ、矢吹。てめぇが均衡を壊したのがいけねぇんだよ」

「均衡……?」

「知らねぇとは言わせねぇからな。矢吹と納務で不良同盟結んだって噂になってんだよ! 危険分子は摘み取らなくちゃいけねぇ」

「……ここにもバカがいたよ」


 喫茶店で交わしたのは、寧々と友達になるためのやりとりだ。


「俺のことをまさかバカ呼ばわりとはな。さすがは不気味番長。その通り名はだてじゃねぇってわけだ。……でもどうだ? かわいいお仲間さんが人質にとられてちゃあ、てめぇも手も足も出るまいよ」


 何も言い返せなかった。


「……やば、もう無理かもし……おろろろろろろろろぉぉぉぉぉ……ぺっ。はぁ、スッキリしたぁ」


 そのかわりに口から大量の吐瀉物としゃぶつをぶちまけてしまった。


「ぎゃはははは!! こいつ、ビビッてゲロ吐いてやがるぜ!!」


 大地につられて取り巻きも、ワッと嘲笑を存分にミツルへとぶちまける。

 大広間いっぱいに笑い声が響き渡っているが、ミツルのささやきはここにいた全員の耳に届いた。


「……あの金髪野郎、べらぼうにクサい。毎日ちゃんと風呂入ってんのか? なにこれ腋臭わきが? この距離にいても鼻につくドブ臭がガンガン漂ってくる……おえぇっ」


 一瞬にして静寂が場を支配した。

 ニオイの発生源は先程から偉そうにいけしゃあしゃあと喋っている大地。

 大地の取り巻きは凍ってしまって動けない。けっして触れてはいけない逆鱗にミツルが触れてしまったせいだ。


 ニオイについて大地の前で語るのは禁止。これは大地の取り仕切る不良グループ内で決められた鉄の掟。


 もちろんミツルの知ったことではない。しかし、少しでも大地を刺激しないでおこうと我慢していたのに、向こうから刺激してくるもんだからもう耐えられなくなってしまった。


 


 ニオう。ニオってくる。一度嗅いだことのあるこの芳醇なフレーバー。しかし、目の前の大地本人から漂ってくるわけではない。近くにいる不良どもにはわかるかもしれないが、まだ10メートルほど距離があるせいで現実にはニオってこない。


 脳内で作られし名状しがたい混沌という食材。

 このニオイを知っている。けっして忘れるわけがない。 

 便器の中に顔を突っ込んでいるかのような汚臭。一週間前に校門前でゲロを吐く原因となった食材が放っているものとまったく同じニオイだ。

 もはやそれをニオイと定義していいのかすら怪しい。

 これをもし現実に錬成することができたなら、一国は滅ばすことのできる化学兵器ができあがることだろう。


 大地がわざとらしく大きく伸びをして、バレないように脇のニオイを嗅いだ。

 ――が、バレてしまう。

 嗅いだ自分のニオイで顔を歪めてしまっては元も子もない。


「だ、大地さんはクサくない!」

「そ、そうだ! 大地さんはクサくない!」

「だ、だいちんさんは、く、くさくない」


 最後のひとりにいたっては、涙目になっている。

 これはニオイが原因ではない。怒りに任せて暴れ始める大地に恐れを抱いてのことだ。


「おい、てめぇら」


 取り巻きは全員背筋をビシッと伸ばして姿勢を正した。


「今すぐ矢吹をぶっ殺すぞ……いいな……いいなッ!!」


 恐怖心に煽られて「はいッ」と全員で叫んだ矢先、ミツルめがけて突進してきた。

 ミツルはとっさに後ずさるも、背後にいた三人に捕まり、身動きがとれなくなる。 

 しめたと言わんばかりに襲いかかってくる不良どもは、容赦なくミツルに殴る蹴るの一方的暴行を浴びせる。ミツルが自立して立つこともままならなくなれば、その場に捨て置き、今度は踏んだり蹴ったりのどんちゃん騒ぎだ。


 祭りも始まればあっという間に終わってしまうもので、30秒もしないうちに終焉を迎えた。

 大地たちは動けなくなったミツルを取り囲んで見下ろした。ミツルの手首にしていたはずの縄は解けているが、もう差し障りないだろう。


 口内からは大量の血が溢れ出し、収まりきらなくなったそれは床へと垂れ流れては白塗りの床を赤く染める。ぽたり、ぽたりと。

 朦朧とする意識。

 視界が傾いているのは倒れているからか。視界から伸びる自堕落な腕には見覚えがある。この腕は一体誰の腕なのだろうか。

 ――そっか。俺の腕か。

 気づいた瞬間、体から意識が剥離され、急速に自意識が遠のいていく。


 ――が、そのような状況下にあってもミツルの頭の中では何かが始まっている。


 以前のミツルは、を見ただけだった。

 だからのんきに『トマトジュース』と流暢りゅうちょうなことを言っていられた。


 これは妄想空想ではなく、現実だ。現実味しか存在しない。

 たった今、口の中に広がっているものを、現実で味わっている。

 今までに食べたことがない。

 いや、これは食べ物ではない。


 これは血だ――。

 

 血中に存在する鉄分からくる独特の塩加減。舌で感じているかのように錯覚してしまう鉄臭さは、鼻奥で捉えることでいっそう強くなり、深みを増していく。そして、頭に、本能に、直接訴えかけてくる――目覚めの時だと。


 ミツルは床に拳をつけ、足を突き立て、無意識に起き上がった。

 腰は伸びすぎてややのけ反っており、首だけを折り曲げて顔を伏せている。時折すすり出るしゃっくりは笑いにも似て不気味さを助長している。


「お前ら全員尽くしてやる」

尽くすだと? そんなボロボロのヤツになにができるってんだ。やれるもんならやってみやがれ!」


 と、大地が言い終わると同時。取り巻きの一人が後方に吹き飛ばされて意識を失った。ミツルによるたった一撃の蹴りによって。

 また一人。そしてまた一人。

 次から次へとなぎ倒されていく。歯向かおうとした取り巻きも、むなしく無惨に返り討ちにあう始末。この場に残り立っているのは、


「て、てめぇ、なにしやがった」


 不良を取りまとめていた大地と、


生料理ライブクッキングだ」


 十数人を料理したミツルの二人だけとなった。


 ミツルを突き動かしているもの。それは食欲でも性欲でも睡眠欲でもない。

 腹が減れば誰しも食事をする。

 子孫繁栄を願えば誰しも性行為を交える。

 疲れがたまれば誰しも睡眠をとる。

 これらすべての欲求はもとを正せば同じ本質が根本に存在している。その本質というのは、生存本能だ。

 今のミツルは本能に身を任せて無自覚に動いている。

 脳内ではなく現実で血という命の根源を味わってしまったことにより、生命をおびやかされたという危機的状況におちいり、生存本能が暴走した。

 食欲と性欲――この二つのバランスが崩れて入り混じってしまったせいで、人間本来の生存本能すら歪めた形で表面化してしまった。


「俺はそこらでノビてるヤツらとは、ひと味違うぜ。かかってこいよ」

「それじゃあ……いただきます」


 ミツルは顔を上げて大地をひと睨みすると、そのまま躊躇することなく懐に飛び込んだ。

 互いの拳が互いの顔面に入り込もうとした瞬間、


「おえぇっ」


 ミツルのゲロが大地を襲う。

 大地は殴ることも忘れて顔についたゲロをぬぐっていると、ゲロの上から拳のトッピングがもれなくついてきた。そして大地も他の不良と同様に気絶した。


「ノビちまったけど、これで全員分……炒麺の完成……だ」


 と、言葉とできあがった中華料理を残して、ミツルも意識を失う。ふらついた足が無意識に寧々の方へと運ばれ、倒れ込んだ先は彼女のとなり。


「せんぱい……」


 途切れそうになる意識の中、寧々はミツルの雄姿を一部始終見ていた。


「やれやれ派手にやらかしてくれたわね、この不良ども。社会のクズ。世界のゴミ」

「ちょっと百々ももちゃん先輩、口が悪いよ」

美香みかがどうしてもって言うから来たのよ。文句のひとつくらい許しなさい」

「もう、素直じゃないんだから」


 と、裏口から現れた二つの影。

 響いてきたローファー音は、二人の女子が床をそれで叩くたびに寧々の鼓膜を震わせた。

 そして、倒れている寧々の前で二人は足をとめる。


 一人は大きな胸と両肩から垂れるおさげ髪を揺らしては、この場の雰囲気に似合わないぽわぽわした可愛いオーラを周囲に振りまいている。アイドル顔負けの清純派美少女。

 一人は胸の前で腕を組んでおり、惜しげもなくさらす美脚と同じように傲慢で高圧的な態度を貫き通す。イケない大人の世界を教えてくれそうな高身長スレンダーモデル系小悪魔。


 でかい胸を自分の膝につっかえさせながらも、美香は寧々と話しやすいようにしゃがみこんだ。


「寧々ちゃんひさしぶり! たすけにきたよ!」

「やぶき……せんぱいが……」

「わかってるよ! って、うわあ!? 百々ちゃんなにするの!?」


 百々は美香の頭に自分の着ていたブレザーを雑に放り投げた。


「うるさい。さっさとずらかるわよ。……あと、百々ちゃんじゃないでしょ。ちゃんと先輩と呼びなさい」

「はーい。百々ちゃん先輩」


 すねる美香にひとつ舌打ちをした百々は大地に一瞥をくれた後にミツルの手首をつかむと、引きずって出口へと歩いていった。


 美香はというと、置いてけぼりになるのを恐れ、頭にあるブレザーを寧々に掛けて肩を貸す。寧々の足取りはおぼつかないながらも、支えのおかげもあり歩くことはできた。ゆっくりと出口へ。


 待っていてくれた百々と合流し、一行は近場にある町の病院をめざす。

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