生徒会探偵編

第12皿 保科先生の意外な言葉


 意識を取り戻したミツルはその日のうちに退院することができた。その際に、担当医にしっかりとバランスよく食事をするようこっぴどく叱られたことは言うまでもない。

 これからもうダイエットはしない。

 さらに、妄想だけで腹を満たさずに、現実でもちゃんと食事をとる。妄想と現実で折り合いをつけ、バランスよく食事することをミツルは誓った。


 そして次の日。寧々と一緒に学校へ登校し、寧々といつも通りの一日を送った。


 時間は瞬く間に経過して放課後。

 案の定、保科先生に放送で呼び出しされたミツルと寧々は職員室前にビクビクしながらやってきた。

 一昨日の喧嘩についてとがめられる覚悟はしているものの、相手が保科ほしな先生だとその決死の覚悟すら、たやすく崩れそうになる。いつも通り『妄想料理クッキング』について怒られるのなら何の心配もいらないのだが。


「よし、いくぞ」

「昨日は怒られなかったけど、今日は大丈夫かなぁ……あわわぁぁぁ」

「だ、大丈夫だって。俺に任せてくれ」

「先輩はむしろ加害者のような気が……」

「だ、黙ってろ」


 扉を開けようとするミツルの手がプルプル震えている。いざ入ろうとしても、最後の一歩がなかなか踏み出せない。

 職員室前でしどろもどろ。すると、扉が何者かの手によって勝手に開いた。


「いつまでも職員室前で突っ立ってないでさっさと入ってこい。あっちから入ってきた生徒が怖がっていたぞ」


 まさかの保科先生だった。意表を突かれた急な登場に、二人はそろって機能停止フリーズしてしまう。


 あっちというのは、職員室へのもう一つの入り口のこと。生徒からの『職員室に殴り込みでもかけるかのような覚悟で扉を睨みつけていた』という証言を聞き、保科先生はすぐにミツルと寧々が来たことを悟ったらしい。


 保科先生が二人のうしろに回り込み、背中を押して職員室へと入らせる。そしてそのまま保科先生の定位置まで押し運んだ。

 保科先生は椅子に深く腰かけ、お決まりのように脚を組む。


「お前たちを呼んだのには理由がある」

「……はい」


 寧々の声から魂が抜け落ち、返事はかすれていた。今にも泣きだしそうなつらをしている。不良なら不良らしく、そのない胸を張れ。


 ミツルは大丈夫だと、任せろと言ったのだから。


 確かにミツルは覚悟を決め、扉を睨みつけていた。

 あながち、殴り込みをかけるという表現も間違ってはいない。どういう処分を言い渡されるか怖かったが、何を言われても何が何でも対抗してやろうとミツルは決心していたのだ。寧々は何もしていないのだから。

 

 そして、何なら保科先生が口火を切るその前に、先手を打つつもりでもあった。


「ちょっと待てください、保科先生。俺は確かに暴力を振るった。でも……でも、こいつは、寧々は被害者なんだ。なにも悪いことはしてないんだ。俺は別にいい。だからせめて寧々だけでも――」

「矢吹、はやとちりをするな。お前は何か勘違いをしている」


 覚悟を胸に息巻いていたミツルだったが、言い返す言葉を失ってしまった。

 はやとちり? 勘違い? 何を勘違いしろというのか。暴力沙汰における処分の他に、何か呼び出しされた理由があるとでもいうのか。


「私はな、矢吹、お前には感謝している」

「……感謝?」

「隣を見てみろ。この生徒、一年三組、納務寧々はこの学校トップクラスの問題児だった」

「今も問題児には変わりないと思いますけど」

「いいや変わったさ。お前とつるむようになってから、学校での納務寧々の生活態度は一変した。遅刻早退はなくなり、早弁もしなくなった。ましてや、この前は日直の仕事をしに始業よりもかなり早く登校していた」


 ミツルは思わずクスッと笑ってしまった。常々思っていた。それではまるで――。


「そうだ。お前も思っている通り、これではただの模範生だ。少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、少なくとも不良ではないと言えよう。まぁ、勉強の方はからっきし駄目だがな」

「違いますっ! 私は先輩と不良同盟を結んだれっきとした不良です!!」

「ちょっと話が面倒くさくなりそうだから、納務は黙っててもらえるか?」

「なっ……!? 不良をバカにするなぁあ!!」

「あぁん?」

「あ……はい。ごめんなさぃ」


 言葉は尻すぼみになっていった。

 寧々はブレザーのすそを体の前で力いっぱい握る。睨みつける保科先生の様子を少しうかがおうとすると、一瞬、目があってしまい、反射的に顔を思いきり下に向けた。視界に保科先生を入れないようにするために。


 おびえから体が強張こわばる膠着。そして逃避。

 寧々の一連の言動は恐怖からきている。

 これでは保科先生の方がよっぽどたちの悪い不良だ。もしかして、かつてはレディースの総長でもやっていたりして。


「さて――」


 保科先生は会話を仕切り直すためか、短いスカートから伸びる脚を組み直した。

 、思春期である男子高校生が目の前にいるというのに無防備すぎる。ほんのりと絶妙に肌を透けさせている黒ストッキングは艶めかしさを漂わせ、イケない世界へ迷い込むことを、甘く、ねっとりと誘惑してくる。ミツルではなく、他の男子生徒だったら凝視していたに違いない。


「ここからが本題だ。本来なら暴力沙汰を起こせばただじゃすまないが、今回は納務の件もあるから、ひとつ条件を呑んでもらえれば何もなかったことにしてやる」

「……寧々の更生で帳消しにしてくれるわけではないのか」

「それではお前らにとって都合がよすぎるだろ」

「は、はあ」

「ということでだ、矢吹。そして納務。お前たちには生徒会に入ってもらう」


 二人はぽっかーんと口を開けてほうけづらをさらした。


 そんな二人に構うことなく、保科先生は話を続ける。


「これが私の出す唯一の条件だ。そんな大変なことでもない」

「はぁあ!? ぜったいに嫌ですよ! ……生徒会? はんっ、どうしてそんなとこに入らなくちゃいけないんですか。意味がわからない」

「喜べ矢吹。お前には納務を更生させた実績と――」

「そんなの生徒会に入れられる理由にはならな――」

「暴力沙汰を起こしたという輝かしい実績があるではないか」


 保科先生がニヤリと不敵に笑う。綺麗な顔立ちから生み出される邪悪な微笑みはいっそう這い寄る恐怖を助長する。


 そもそもミツルにはどこにも逃げ場はない。

 いくら息巻こうが、暴力沙汰を人質にとられてしまっては大人しく保科先生の言いなりにならなければならない。

 責任はその身をもって償えと。

 ひとつ忘れてもらっては困るのだが、ミツルとて今回の件については被害者だ。しかし、そう訴えることは微塵みじんも許してくれないのだろう。


 こばむことを観念したミツルは、率直な疑問を保科先生にぶつけようとすると、


「でも、保科先生。どうして私たちなんかを生徒会に……?」

「黙ってろと言ったよな?」

「……うぅ」


 寧々もミツルと同じ疑問を抱いたらしく、思わず口走ってしまった。そしてあえなく返り討ちに。

 うるうるした両目から、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。

 恐る恐る自嘲気味にきいてきたにもかかわらず、保科先生は容赦なく虫けらでも踏みつぶすかのように寧々を無下に扱った。何か寧々に恨みでも抱いているのかと疑わずにはいられない。


「保科先生、ちょっと言い方ひどいですよ」

「……あ、あぁ。そうだな。どうもいきがってるガキを見るとイラッとしてしまってなぁ。わるかった、納務。許してくれ」


 恨みごとは何もなく、ただのうっぷん晴らし。

 寧々からの返事はなく、聞こえてきたのは鼻をすする音だけだった。きっと今のやりとりで寧々は完全に更生したに違いない。


「で、なんで俺たちなんですか。他にも候補くらいいるでしょうよ」

「いないから困っているんだ。昨年度の三年生が卒業してから役員がちょうど二人不足していてな。その補充だ。理事長がさっさと人数を揃えろとうるさいんだこれが。生徒会顧問なんならそれくらいちゃんとしろだとさ。あー困ったもんだ」

「……うざ」

「だろ? あのハゲ頭はぴゃーぴゃー喋っているだけで、ろくに何もしやしない」


 うざいのは保科先生だと言ってやりたかった。

 終盤は単なる愚痴になっていたことに保科先生も気づいたのか、居心地を悪くしてひとつ咳払いを入れた。


「と、ところで矢吹」

「なんですか。まだ何かあるんですか。もうそれならさっさと言ってください」

「き、今日は私を食べないのか……?」

「……はい?」

「いや、まだ、ごちそうさまとは聞いていないし」


 とんでもないことをぶち込んできやがった。空気の変え方が下手すぎる。


 ミツルにとっては、黒ストッキングというエロさをまとった脚よりも、この発言の方がドキッとくる。余計なことを言われて寧々にこの特異質がバレてしまったら悔やんでも悔やみきれない。

 もとを正せば以前から『ごちそうさま』と言っているミツルの自業自得なのだが。


 というか、どうしてここでポッと顔を赤らめる。いつもは怒鳴り散らして顔を赤くしているというのに、今日は様子がおかしい。


 心臓が高鳴って爆発しそうになるも、ミツルは平静を装って、


「保科先生」

「なんだ……?」

「保健室行った方がいいんじゃないですか」


 ぶつん――。

 ああ、何度聞いたことだろう。これは保科先生の堪忍袋の緒が切れたことを告げる音だ。言葉を間違えた。


「矢吹、貴様の方こそ保健室送りにしてほしいみたいだな」


 保科先生は拳を作る。


 痛いのはもう二度とごめんだ。もしも、いつもは言うなと釘を刺されている『ごちそうさま』――その感謝の言葉を伝えることで機嫌を直してくれるのなら、ここは今日の収穫の成果を言うしかないのか。


 しかし、ここには寧々がいる。


 幸い寧々はおバカさんだから、何も勘づかずにすむかもしれない。今までもそうだった。が、もしものことを考えると、言わないに越したことはない。知られて今の関係を壊したくはない。

 

「あ、保科先生!」


 そんなミツルに女神が微笑み、妙案を授けてくれた。


「なんだ。言い残したことがあるなら聞いてやろう」

「……え、えーっと、先生からはもういろんなものを採り尽したみたいで、何も残ってませんでした。それだけに、言い残したいことはもちろん、食べ残しももうありません! ……なんちゃって」


 ミツルはパチリとウインクをしてみせた。意外とうまく決まっている。

 これにて『ごちそうさま』と言わなかった理由を伝えながらも、寧々に『妄想料理』について隠しておくことができたはずだ。――本当に?


「それは年老いた私には何の魅力も残っていないと言いたいのか? なぁ、矢吹」

「相変わらず被害妄想激しいのな!?」 

「被害妄想だと? ふんっ……あぁ、そういえば私にも残っているものはあるぞ」

「へ、へぇー。なんでしょうか」


 声が泳いでいる。


「どうせ私は三十路近くになっても結婚できない取り残された女なのさ」

「うまく言ったつもりですか」

「……すまん。忘れてくれ」


 空気が重くなったような気がした。

 しかし、不幸中の幸いというのか、保科先生の怒りの炎は鎮火した。

 ――ああ、女神様。ありがとう。

 そう思いながら、ミツルは保科先生のおみ脚から入手した、甘く、ねっとりとした黒蜜を舐めるのであった。



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