第26皿 寧々にあったもの


 保科先生にこってり怒られた後に生徒会室に帰ると、百々と美香の姿はなく、そのかわりに机の上に一枚の置手紙があった。そこには『先に帰る』とひと言。この殴り書きは百々の筆跡で間違いないだろう。


 生徒会室でふたりきり。

 悪いことは何もしていないはずなのに、不思議と背徳感が忍び寄る。

 今までありそうでなかったシチュエーション。ここに訪れる時は決まってすでに百々と美香がいたし、帰るときは全員一緒ということが多かった。多少の例外はあったとしても寧々とふたりでこの空間を独占したことはなかった。

 椅子にも座らずに立ったまま。

 ちょっとした違和感。

 それを寧々も感じ取ったのか、先程からもじもじそわそわしている。

 何か話をしなければ――気まずい。

 

「そ、そういえば、どうして職員室に入ってこなかったんだ?」

「え、まぁ、二人の方がいいかなぁと思って」

「ほー。それって俺だけ保科先生に怒られろってこと? 自分だけ安全圏に避難してたのか。あーあ。散々言われた挙句、最後はおもいっきり殴られたの痛かったなぁ」


 怒られたことを意にも介していないミツルは、寧々へのからかい材料として職員室での出来事を嫌味ったらしさ満点で語った。

 これでいつものように突っかかってきてくれれば、得も言われぬ気まずさは解消される――はずなのだが、寧々は依然として顔を伏せたままだ。その視線の先で手を組み、親指で指まわしをしては相変わらずもじもじしている。


「……トイレか?」


 寧々がうつむきながら首を横に振る。

 明らかに様子のおかしい寧々にミツルは頭を抱えて天井をあおいだ。一体自分は何をしたというのか。もしかして眠たいのに無理矢理起こしたことを根に持っているとでもいうのか。だから噛みついてきたのか。寝ぼけていたわけではなく、あれはわざとだったのか。

 ――と、その時、寧々がミツルの胸にぽふっと頭突きをかました。しかし、それは頭突きというにはたいそう可愛らしく、まったく痛くなかった。まるでそれはミツルに寄り添ってきたかのよう。


「せんぱい……」


 こうして寧々が頭をぶつけてきても、視界いっぱいに彼女を入れたとしても、何も得るものはない。

 寧々と出会ってもうそろそろ一カ月になる。

 初めて出会ったあの日、目の前に突如現れた何もない寧々にはひどく驚かされたことを思い出す。昼からの授業が手つかずだったのを覚えている。特異質が機能しない喜びと悔しさが入り混じり悩まされた。

 ミツルは寧々の頭を何かを探すかのように撫でる。


「先輩、頭撫でないでください……」


 やはり何も見つからない。いつもプンプン怒ってばかりだから、髪の毛に隠れてタケノコの角でも生えていないかと思ったが。あるわけないか。

 そういえば、この前寧々が口の中に手を突っ込んできたときは甘かった。


「いきなり……手……握らないで」


 やはり何も見つからない。よくよく思い出してみれば、あの時はクラスメイトからもらったチョコレートのせいで甘かっただけだった。

 それでは百々のステーキが得られた太ももはどうだろうか。それとも美香のチェリーパイが得られた胸はどうだろうか。


「せん……ぱい……ひゃんっ……そこは………だめぇ」


 わかっていたこととはいえ、何もない。様々な秘密を暴いてきた今ならばもしかしてと思ったがやはり何も見つからなかった。

 美香が腐女子であること。

 百々がツンデレであること。さらには美香に好意を抱いているということ。

 立山が盗撮犯であったということ。

 絶対に誰にも知られたくないような秘密でさえも、特異質である『妄想料理クッキング』から生まれた料理を食すことで見破ることができた。もはやこの特異質の前では誰もが秘密を隠すことができない。

 しかし、食材ひとつ手に入らない寧々からは何も見えてこない。

 どうしても寧々のことを何も知ることができない。

 先程からいろんな場所に手を伸ばしていたミツルは、またしても寧々の肌に優しく触れる。手をゆっくりと滑らせる。

 頬、耳、頬、唇、首、髪。

 わかることはといえば、瞳をうるわせ、頬を赤らめ、息づかいを荒くする寧々がたまらなく可愛いということだけ。――かわいい?


「せんぱい」

「ご、ごめん!?」

「こんなこと、保科先生にもしてるんですか……?」

「は!? どうしてここで保科先生が出てくる!?」

「だって、保科先生のこと、食べてるって、この前」

「……あっ」


 生徒会に入れと言われたときに保科先生の出したボロのことを寧々は言っている。


「私のことも、食べるんですか」

「寧々のことは食べられない」

「……そう……ですか。やっぱり先輩って保科先生のこと好きなんですね」

「勘違いするな! 食べるってそんな意味じゃないからな!?」

「じゃあ他にどんな意味があるんですか!」

「それは……ほら、不良として敵をぶっ倒――」

「ちゃかさないでください! 正直なこと言ってください!」

「……それは」


 寧々の迫る勢いに気圧されるミツル。

 特異質のことを明かすべきなのか、そうすべきではないのか。

 美香には話してあるが、それは腐女子であることを人質にしているから。さらに言えば、度の超えた妄想についての理解があるからこそ特異質のことを明かせた。

 しかし寧々には――。

 この体質のことについて暴露するタイミングは何度かあった。だが言えるわけがない。寧々に嫌われてしまうのが怖い。寧々に嫌われることを考えただけで気分が悪くなってくる。


 ミツルは判断しあぐねている。

 そんな姿をずっと顔を上げて見ていた寧々は、


「もういいです! じゃあ、私のことも食べてください!」


 ミツルのネクタイをグッと掴み、グイッと強引に引き寄せた。身長差がみるみるうちになくなり、お互いの顔が急接近し――。


「ぷはぁ」


 寧々がミツルの唇から自分の唇をはがした。

 二人はどれだけ見つめあったことだろう。二人はどれだけ吐息を交じらせたことだろう。二人はどれだけ気持ちを通わせることができたのだろう。

 何が起きたのかわかっていないミツルは目を丸くしたままほうけて微動だにしないが、寧々は自分のとった行動に今さらになって恥ずかしくなってきたらしく、顔を両手で覆った。

 軽い言い争いになってしまい、どうにでもなってしまえと躍起になり、暴力的にミツルの唇を奪ってしまった。してしまったとはいえ、寧々自身にもいまだ信じられない。ミツルにどう顔向けすればいいのか。

 いろいろ悩む寧々。

 顔を真っ赤にするも、そこに後悔の色はない。とりあえず、この状況をどうにかしなければいけない、と、とった行動は


「そそそそそそそれではきゅきゅ急用思い出したんで帰りますね!?」


 この場からの逃走――。

 気が動転してしまっている寧々は現実から目を背そむけるかのごとく逃げ出そうとする。が、恥ずかしさが足を空回らせ、寧々は足先を椅子にぶつけた。痛みに悶えながら出口に向かうもつまずいてしまい、今度は額を扉に思いきりぶつける。十分に扉を睨みつけ、ドアノブを八つ当たりするかのように力いっぱい握り締めた。


「さようならっ!!」


 寧々は振り返ってミツルに一瞥をくれたあと、慌てて生徒会室から出ていった。

 廊下から「おぎゃー」とか「うぎゃー」とか狂人の叫び声が聞こえてくる。


「……そっか」


 ミツルは寧々の気持ちを知ると同時に、自分の気持ちも知ってしまった。ドキドキしすぎて食道までもが脈打っている。

 いつから寧々のことが好きだったのだろう。

 ミツルは考えることに集中するため、いったん席に座った。残念ながらこの男に寧々を追いかけるという頭はなかった。


「今思えば、けっこう前から好きだったよな」 


 記憶の中で時をさかのぼる。

 遡って遡って辿り着いたのは、初めて出会った廊下でぶつかったシーン。

 ミツルが初めて寧々に触れたのはその瞬間だった。目の前の何もない寧々に釘漬けになり、昼からの授業に集中できなかったのを覚えている。寧々のことが気になり、もう一度会えないかと切に願った。会えなかったら絶対に後悔が皿の上に残るとさえ思った。

 それは『妄想料理クッキング』が起きなかったからではない。

 純粋に一人の女の子に会いたかったからだ。

 特異質が邪魔をして自分の中に生まれた感情が見えなくなっていたんだ。


 ひと目惚れだったんだ。


 初めてであってからは寧々とずっと一緒にいる。うるさだとか鬱陶しいだとか、いろいろ思ったことはあったが、一度もどこかに行ってほしいとは思わなかった。気づけば寧々のことを目で追い、どんな行動をしているのか、どんな性格なのかと気にかけていたような気がする。

 毎朝焼きそばパンを頬張り、ちょこちょこ小動物みたいで、律儀だとか、意外としっかり者かと思えばやっぱり馬鹿で。

 ずっと寧々のことを見ていたことに気がついた。

 それはもうミツルにとってはなくてはならないもの。

 食べ物で例えるのなら――白米だ。

 何をするにも常に一緒だった寧々は、オカズを食べる上で必要不可欠な米に他ならない。


「ひとめぼれ、かぁ。これからどうやって話すればいいんだ……」


 初めて恋心を抱いたミツルは机に自堕落に身を放り投げて突っ伏した。

 恋心もそうだが、初めてのキスを済ませてしまった。しかも寧々のことを好きだと自覚しないまま。


「というか『じゃあ私のことも食べてください』ってなんだよ。『じゃあ』とか『も』とか意味がわからん」


 それにいきなりネクタイ引っ張って、挙句強引にキスをする。これではまるで肉食系女子ではないか。やはり寧々は食べられる側ではなく食べる側の人間だったということだ。

 だが、どうしてひと目惚れしたのだろう。

 モデルのような百々や胸の大きい美香にならひと目惚れしてしまうのも頷ける。それにくらべて寧々はどうだ。身長が小さくて幼児体型なら、それにあわせて胸も小さい。というか、まったくない。まな板だ。


「……まな板か」


 ミツル自身が料理をする上で包丁とするならば、寧々はそれを支えるまな板。まさに相棒。自分の手刀と寧々のまな板があれば、料理できないものはこの世のどこにも存在しない的な。

 ミツルは自分が寧々に好意を寄せていると気づいてから、自分にとって都合のいいような妄想ばかりが膨らんでいく。


「あいつ、まだ玄関にいるかな……?」


 初めて寧々に出会ったとき、今と似たような状況に陥ったことを思い出す。

 あのときは額から血が出ていたこともあって追いかけなかった。馬鹿だった。どうしてなりふりかまわず、すぐにでも追いかけなかった。追いかけなかったことを後悔したではないか。

 ――同じ間違いはしない。

 考えるだけ考えたミツルはようやく寧々を追いかけるという選択肢を思いつくに至った。

 軽快に生徒会室から飛び出す。

 まだまだ寧々についてわらかないことは多い。

 それはこれからじっくりコトコト時間をかけて見つけていけばいい。たとえ今後も特異質が効かなかったとしても。


「……って俺、最近、特異質に頼りすぎてるな」


 ミツルはようやく自覚した。

 憎くて憎くて仕方なかったはずの特異質である『妄想料理クッキング』に以前ほど憤りを覚えなくなっている。

 これも寧々と出会えたおかげなのか。

 ひょっとすると、つまらない青春のすべてを特異質のせいにしていたのかもしれない。いや、やはりそれはない。特異質が青春を蝕んでいることは明確だ。


 ミツルは階段を駆け下り、玄関まで全速力で走った。

 すると寧々が肩を落として校門に向かって歩いている姿が目に入ってきた。

 靴を履き替えることなく、玄関を飛び出す。


「寧々ッ!」


 外に出たミツルが大声で叫ぶ。

 振り向いてくれた寧々からは料理を完成させることはできない――今はまだ。

 今できないのならこれから完成させればいい。本能に基づいた特異質によるものではなく、自分と寧々の二人で至極の逸品を完成させてやる。

 だからこそ、これからも一緒にいてほしい。切に願う。


「寧々、一緒に帰ろう!」

「……はい!」


 さあ、料理を始めよう。

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矢吹ミツルの "スペシャリテ"!! 助六 @suke_roku

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