第14皿 贅沢な悩み


「うあわあぁあ」


 頭をぐちゃぐちゃに撫でてしまった。


 あれだけ保科ほしな先生に邪険にされれば、いくらメンタルの強い猛者もさだとしても戦慄することは必至だ。となれば、寧々からいつもの元気を奪うことくらい他愛もないこと。かわいそうに。

 普段なら小気味よく進む会話もぎくしゃくしていた。寧々が『すみません』と苦笑いを見せたとき、頬が変にひきつっているような違和感が顔に残っていた。


 そして、見るに堪えなくなってとった行動が、これだ。

 少しでも元気になってくれればと、よかれととった行動。

 思わず小動物の頭を撫でたくなるような愛くるしさを覚えたような気もする。

 しかし、いくら小動物らしいといえど、相手は一応女の子。勢いとはいえ自分のしてしまったことに気恥ずかしさがつきまとう。


「つきましたね」

「ん」


 ミツルが自分のとった行動に悶々としていると、いつの間にか生徒会室に到着していた。寧々の言葉に返事をしようとしたが、喉が「ん」と鳴っただけで、声はうわずるどころかうまく出なかった。

 職員室での保科先生を見習い、一度咳払い。


「……はぁ、入りたくないなぁ」


 とミツルがぼやくのも無理はない。

 生徒会室に入ることもそうなのだが、生徒会の一員になることこそ、ミツルにとって由々しき事態なのだ。


 最近は寧々というイレギュラーな存在のおかげで、何気なく人と話をする機会が増えたが、本来、人とはかかわりを持ちたくない。今となっては贅沢な悩みになってしまった。だが、この特異質がバレないよう学校生活を送り、さらには見えない対人防壁を錬成していたことをどうか思い出してほしい。


 自分の意思とは関係なく生じる『妄想料理クッキング』。


 もしこの特異質がバレてしまえば、周囲にからかわれ、いじめに発展する。これは確約されているようなもの。

 生徒会に入れば確実に人と接する機会が増える。となると、この特異質が露呈してしまう危険性も増えるということだ。

 どうしてわざわざ自分の身を危険にさらすようなまねをしなければならないのか。


 さらに言えば、むやみやたらな暴食だけは避けたい。

 脳という記憶の冷蔵庫に食材や料理を保存しきれなくなり、頭がパンクしてしまうかもしれない。これもまた贅沢な悩み。要はオカズが増えるということなのだから。



「なるようになりますよ。不良の私たちが生徒会をのっとってしまいましょう」



 寧々本人はたいして意味もなくミツルの小言に答えてくれたのだろう。

 しかし、今のミツルにはとても心強い、背中を押してくれる返事だった。まさか元気づけるはずだった相手に励まされることになろうとは。


「そうだな。俺たちが支配してやろう」

「はい!」


 勇気を出してミツルはドアを軽くノックし、


「失礼します。二年二組の矢吹ミツルと――」

「一年三組の納務寧々です」

「入っていいわよ」


 ドアノブを回して生徒会室へといざ出陣。

 開けてみれば、教室の三分の一程度の空間が広がっており、お世辞にも広いとは言えない空間が姿を現した。

 中央には白い長机が二つ向かい合わせでくっつけられ、奥には窓から入ってくる日光をさえぎるかのようにホワイトボードが設置されている。


 椅子から立ち上がる二人の女子生徒。

 彼女たちはミツルと寧々の顔をかわりばんこにじっくり見て出迎えてくれた。


「寧々ちゃん、久しぶり! ……ってこの前話したか!」

「保科先生から話は聞いているわ。あなたたちが不良のくせに生徒会に入りたいということをね。……とりあえず座ってちょうだい、床にでも。それからじっくり話をしましょう」

「百々ちゃん先輩、それはダメだよ。二人ともイスに座ってね! ……あー、あと、二人がなんちゃって不良だったってことも聞いてるから安心してね!」


 まさかのチェリーパイとモモ肉のステーキ。

 再び想像し創造された料理をミツルは持て余してしまった。

 

 学園でもいい意味で有名な二人が生徒会室にいる。

 もちろんミツルにも見覚えがある。そして食べたこともある。

 ミツルとは住む世界が違い、一生かかわることはないはずだった。極上この上ない料理の旨味に感動しながらも、自分との境遇の差という蘞辛えがらい苦みも味わわされた。


 忘れもしない。あれは十日ほど前の昼食だった。


「どうしてここにいるんだよ、お前ら」

「どうしたも何も、私が美星学園高等学校の生徒会長だからよ。あと、目上の者には敬語を使いなさい」

「三年生か……ですか」


 睨みつけてくる視線を感じ、敬語で言い直す。


「そうよ。私は白井しらい百々もも

「あ、はい。よろしくお願いします」


 そう言うと、百々は握手を求めてミツルに手を差し伸べた。

 応じないわけにはいかない。あるかもわからない手汗をしっかりとズボンでぬぐい、ミツルは恐る恐る百々の手を握った。

 ――と、ここで新たな食材が手に入る。

 それは食材というよりはすでに完成された産物。

 ひとつは、おそらくドレッシング。とろみはほとんどない液状。

 ひとつは、ゼリーのような寒天のようなゲル状の固形物。

 味が気になるので、とりあえずドレッシングから味見してみることに。


「……あがっ」


 見る見るうちに、ミツルの目に涙がたまっていく。


「どうしたの? 強く握り締められて感じているのかしら? 汚らわしい」

「違いますッ!!」


 サッとミツルは手を引っ込めた。

 確かに百々が言うように、なぜかわからないが思いっきり手を握り潰された。が、女子の握力程度で悶絶するほど軟弱ではない。もちろん女子の手の感触に感じていたわけでもない。

 鼻の奥にツーンときたのだ。

 舌よりも鼻奥に強烈な痛みをもたらすも、ひとたび味わえばその旨味の虜になってしまう。日本人の大勢がその薬味を愛し、もちろんミツルも大好物。


 このドレッシングのもとになった食材の正体――それはわさびだ。

 

 わさびに醤油ベースで作り上げられたこれは、わさび醤油ドレッシング。

 とりあえず美味しかったので、もう一度ぺろりと味見。

 二度目となると不意打ちに近い一度目とは違い耐性がついたのか、鼻奥に刺すような刺激はあるものの、純粋な旨味の深さを知ることができた。もはやその刺激すら気持ちよく感じてしまう。


「納務さんもよろしくね」

「は、はい! よろ、よろしくお願いします!」


 二人は握手を交わす。

 寧々は少し緊張しているようだ。


「あら可愛い子。どういじめてあげようかしら」

「ひぃ!?」

「こらこら百々ちゃん先輩。寧々ちゃん怖がってるから」


 寧々の方は耐性がついていないらしく、保科先生のように怖いものはやはり怖いらしい。

 百々は小悪魔のような意地悪をする反面、女子としてお世辞にも小さいとは言えない高身長。頭上から見下されると、その迫力は小悪魔を軽く凌駕し、魔王にも匹敵するのではなかろうか。


「せんぱーい」


 寧々がミツルに泣きついてきた。そのまま寧々はミツルの背後に隠れ、ひょこっと顔だけ出して百々を睨みつける。しかしながら、目を潤ませ、顔を赤くし、唇を尖らせている寧々に脅威は存在しない。


「寧々ちゃんこっちおいでー。チョコレートあげるよ」

「私は美香ちゃんのペットじゃない!」

「……寧々ってこの子と知り合いなのか?」

「美香ちゃんとは幼稚園からの腐れ縁です」

「やだなー。おさななじみでしょ?」

「うっさいデブ」

「デブじゃないよ。これはおっぱいっていうの。おいしいよ? チョコレートよりこっちの方がよかったかな?」


 美香はミツルがいようがおかまいなく、胸を両腕で抱えて突き出してきた。

 ミツルは唾を飲んで、前方から襲いかかってきそうなパイから目を逸らす。その胸の味はすでに知っている――いや知らなかった。あの時はダイエット中で冷凍保存して食べなかった。

 冷凍保存のチェリーパイが一個。

 今ここに新しく料理したチェリーパイが一個。

 計二個。

 このふたつの御パイは家に帰ってからゆっくり味わうことにしよう。医者にもちゃんと食べるように言われたのだから。

 

「というか、ミツルくんも寧々ちゃんも、いつまでもそこにつっ立ってないで、とりあえず中に入ろっ」


 初対面でもいきなりファーストネームで呼ぶ――リア充の特徴だ。

 さらにボディタッチに躊躇しないことも、もれなくそれにあてはまる。

 中に入ることを催促してきた美香は、ミツルと寧々の背中を押して生徒会室の中に入れた――のはいいのだが。

 

「お、おいッ……!?」

「え、なに?」


 つい先程、保科先生にも同じことをされた。が、今回はわけが違う。

 手の他に、明らかにそれとは違う、ぽにょんとした感触が背中にある。

 ミツルに返事をするために顔を覗かせてきたせいで、美香の体が前のめりになり、その感触はより一層強いものになる。

 いまだ味わったことのない柔らかくて甘い感触。むにっと押しつけられる豊満な胸の感触が嫌でも伝わってくる。背中が蕩けてしまいそうな錯覚に陥り、心臓は喜んで無邪気にはしゃぐ。

 ――と、またしても新たなる食材が手に入る。

 それは、またしても食材というよりはすでに完成された産物。

 これは見ただけでわかった――卵豆腐だ。

 確かにほんわか柔らかそうではあるが、どうして豆乳プリンや完熟メロン、焼きマシュマロといったものではなかったのか。これも実際に食べてみないことにはわからない。とりあえずひとくち。


「……おがっ」

「え、なになに!? どうしたのミツルくん!?」

「……だ、大丈夫だから。とりあえずそこに座るから。もう押さなくていい」

「あ、うん?」


 キョトンととぼけた可愛らしい顔を見せる美香からは想像もつかないほどのゲロまずさ。この前喧嘩した不良である大地だいちほどのインパクトはないが、これもこれで一級品だ。

 ゲテモノ料理としてここに認定しよう。許されるのならばお残しをしたい――これはこの料理への最上級の褒め言葉だ。


 なぜかいつもと違って収穫量が多い。しかもすでにしなが完成している。さらにいえば、この二人から得られるとは到底思えないような代物ばかりだ。

 事態をうまく収集できていないミツルは適当に空いている席に腰を下ろし、


「いったいどうなってるんだ」

「どうかしたのかしら? 気持ちの悪い顔をして……お似合いだけれども」

「ほんとだ。……あ、べつに、ミツルくんには気持ち悪い顔がお似合いってわけじゃないからね!? ただ、百々ちゃん先輩の言うように、顔色が悪いから……」


 百々はミツルへ喧嘩でも売るかのように高圧的だ。

 美香はミツルを気遣いながら百々の言葉を翻訳した。


 ここではっとした表情を見せる寧々。それは『顔色が悪い』という言葉が引っかかったから。

 ミツルの隣に寧々が座る。

 それから慌ててミツルの顔を両手ではさみ込んだ。無理矢理グイッとミツルの顔を左に90度回転させて、自分の顔の正面へと持ってきた。

 そして寧々はミツルを覗き込んで、


「さては先輩、ちゃんとごはん食べてないんでしょ!」

「食べてるよ! 今日の昼だって一緒にいたから知ってるだろ。寧々と違っていつでもどこでも食べてるってわけじゃないんだよ、俺は」


 と、言い終わってから自分もついでもどこでも食事をしていることに気がついた。

 自分のことだけを棚上げにして寧々をとやかく言ったことで、嫌な自分勝手さが身に染みてくる。

 寧々がミツルの両頬を軽くつねる。

 半開きになった口から「いてててて」とミツルは痛みを主張するもなかなか離してくれない。これはばちでもあたったか。


 寧々がようやく手を離し、つねられていた両頬をミツルは両手でさする。


「ほんとに仲いいよね、寧々ちゃんとミツルくんって。寧々ちゃんなんて毎日私たちのクラスにくるし。……もしかして付き合ってたりするのかな?」

「「付き合ってない!!」」


 美香の突飛な発言にミツルと寧々は声を重ねて反論。それからまたしても二人は顔を突き合わせ、今度は睨み合いを始める。

 顔と顔の距離はわずか10センチ。

 たっぷりと数秒――。

 視界いっぱいにある寧々の顔。

 くりっとした二つの瞳が自分だけを見つめては離さない。ちょこんと居座るやや低い鼻には、そういった女の子しか醸し出せない可愛らしさがある。栗色の髪からほのかに漂ってくるのは柑橘系シャンプーの匂いだ。


 百々や美香といった一般的な人を見ると、すぐさま特異質である『妄想料理クッキング』が始まってしまう。すべての人を食材へとすぐさま昇華してしまう。そのせいで、――つまり、というものをまじまじと体感することは今までになかった。先程の胸の感触は例外として。


 何もない寧々は、何もないがゆえに、ミツルにとって最も女の子らしく思えた。モデル系小悪魔である百々よりも。学園のアイドルである美香よりも。


 想いは照れや恥ずかしさを呼び、ミツルは寧々から顔を逸らす。

 意識をいったん寧々からはずすと、急に先程の美香の言葉に変な違和感を覚えた。


「あの……んー……」

「美香でいいよ。……もしかしてさ、私のこと知らないとか言わないよね、同じクラスなのに」


 そう。美香の『寧々ちゃんなんて毎日私たちのクラスにくるし』という言葉。ここにミツルは引っかかったのだ。


 まさかの初対面ではなかった。


「……えっと」

「うっそー!? ほんとに知らなかったなんて……ひどい」

「ちゃ、ちゃんと学校に来てる……?」

「来てるよ!? ……なんだかしょんぼりだよ」

「……ご、ごめん」

「じゃあ改めて。私の名前は鷲塚わしづか美香みか。ちなみに副生徒会長。よろしくね」


 飽きれ口調で美香は自己紹介をした。


 一学期も後半にして、ようやく新生生徒会が正式に発足した。

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