第6皿 初めての告白


 人目につかない路地裏を二人は歩く。

 ミツルは高校一年の一学期に通学路ルートを確立させていた。

 乱獲、暴飲暴食、無差別食事テロを防ぐために。多少家に帰るまでの距離は伸びたが仕方のないことだ。


 自動車一台がギリギリ通れそうな幅の道を右へ左へと歩く。ブロック塀や垣根が両側にそびえ、視界にはこれといって特徴のあるものが飛び込んでこない。まさしくミツルの好みそうなロケーションだ。


 それから二分ほど右にも左にも曲がらずに、まっすぐ道なりに歩くと、Y字の三叉路に突き当たった。

 次に進は右か左か。

 どちらに行くのかと思えば、曲がることなく直進。ミツルは突き当たりにある寂びれた一軒家の目の前で足を止めた。


「ここ、入るぞ」

「う、うん?」


 外観は洋館風。時代の流れとともに風化した壁にはツタが這い、漂ってくる不気味な雰囲気は訪れる人を拒んでいるかのようだ。

 寧々はやや気おくれしているものの、ミツルはまったく動じない。

 慣れた手つきで扉を押して中へ入り、寧々は不安気ながらもそれに続く。


 女性店員がカウンターに一人いる。店員は二人に一瞥いちべつをくれるも何も言わず、グラスきを再開した。

 ミツルも彼女を見ることなく店奥へと進んでいく。

 二人は窓際の四人席に向かい合うようにして座った。綺麗にみがかれた窓からは手入れのされていない垣根しか一望できない。


「はい、メニュー」

「あ、ありがとう」

「おススメは『店長の気まぐれ具だくさんナポリタン』」

「……じゃあそれにしようかな」


 ミツルは「すみませーん」と振り向きもせずに女店員を呼んだはいいが、彼女はまったくその場を動こうとしない。ただひたすら何かに憑りつかれているのかと思わせるほどグラスを真剣に拭き続けている。

 いっこうに店員が来ない。

 さすがに困った寧々は、身を乗り出し女性店員を覗く。しかしこちらに気づく気配もなければ、目が合う気配もない。と、そこに、


「ごめんねぇ。お待たせ」

「ひゃうっ」


 寧々は思わず悲鳴を上げた。死角から突如話しかけられれば仕方がない。

 声が裏返ってしまったことが恥ずかしかったのか、顔を伏せ、膝の上では握り拳を作り、全身をプルプルと小震いさせている。


「おやおや、驚かせちゃったみたいだね」


 冷水の入ったグラス二つを木製トレーにのせて、老人がやってきた。

 ミツルは寧々と違って驚くことなく涼しい顔をしている。


「注文はいつものでいいのかい?」


 そう言いながら、老人はグラスをテーブルの上に置く。


「いつもの二人分」

「ほうほう二人分とな。もスミに置けないねぇ」

「そんなんじゃないよ」

「ほうほう」


 オーダーを伝票に書くことなく、老人は奥の厨房へと引っ込んでいった。何を隠そうこの老人こそがこの店の店長だ。

 言葉を交わす店長にさえもミツルは一度たりとも見向きもせず、ささいな会話はささっと終わった。


「いきなりビックリしたぁ。ま、かわいらしいおばあちゃんだったから許す」

「……ん?」


 ミツルは首をかしげるも、すぐに「まあいいか」と自己解決した。


 どちらかが喋り出すこともなく時間だけが過ぎていく。

 落ち着いた空気が流れる店内のせいなのか、二人は時間の経過に錯覚を覚える。

 一秒一秒がゆったりと。掛け時計の鳴らす秒針の音すら、本来あるべきより長いような気がする。


 グラスの中にあった水だけがさっさとなくなり、沈黙の気まずさばかりが二人を取り巻く。

 ミツルはともかく寧々にとってはいい迷惑だ。

 まだ誰かも知らない変態野郎に怪我をさせてしまい何か言われるのかと思いきや、まさかのお礼がしたいと言われ、わけもわからずここに連れてこられた。

 それから無言のこの状況。

 何が何だかさっぱりわからず、可愛い顔にもしわが寄る。


「……もう」

「ごめんねぇ。カウンターにいる娘といい矢吹君といい、重度の人見知りだから許してあげて。私だって矢吹君と話ができるようになるまで、けっこうな時間かかっちゃったからねぇ」


 肩をビクッとさせたものの、寧々は先程よりは驚かずにすんだ。

 声をかけてきた店長は、両手に注文したナポリタンを持って現れた。

 店長の言う『娘』とは、カウンター奥でいまだグラスを磨き続けている女性店員のことだ。人見知り克服のために頑張っているという。


「は、はあ。そうなんですか」

「じゃあ、冷めないうちに食べてね」


 またしても店長は奥の厨房へと帰っていった。


 寧々はあの女性店員こそ厨房で働かせるべきだと思うも、口に出すことはない。

 そんなことにかまっているわけにはいけない。どうにかしてこの現状を打破しなければならない。


 ナポリタンが運ばれてきて、こればどうにかなるのではないか、と思っていた寧々の目論見は甘かった。

 ミツルは沈黙を貫いたまま、微動だにしない。

 意味の分からない緊張がさらなる緊張を呼び、喋るどころか動くことさえ不可能になっていた。喉の渇きに気づいても、グラスはからっぽ。そして、水を頼むことすら躊躇ためらっている状態だ。


 ミツルはナポリタンを見つめている。

 寧々はそんなミツルを見つめている。


 お互いそれぞれを見つめること三十秒。

 ナポリタンから漂ってくるケチャップとほんのりオリーブオイルの匂いを十分に堪能した。

 ナポリタン特有の赤みがかった橙色は、ケチャップとオリーブオイルを混ぜ合わせることで生まれるという。寧々はそんなうんちくを思い出していると、無性に目の前のナポリタンが食べたくなってきた。

 とりあえずフォークを手に取る。

 フォークでスパゲッティを絡めとり、マッシュルームを先に刺して口へと運ぼうとする。


「べ、別に人見知りってわけじゃないからな」

「あ、やっと喋った」


 しかし間が悪い。今まさにナポリタンを食べようとしている時に、どうしてわざわざ話しかけてくる。


「俺にだって心の準備ってもんがいるんだよ」

「なに? 告白でもすんの?」

「……まあ、それに近いかもな」

「え、マジ?」


 寧々はあらぬ期待という不安を抱いた。

 まさかとは思いつつも、この雰囲気、このシチュエーション、この緊張感。もはや期待というよりは確信に近いものなのかもしれない。


 ミツルはナポリタンを見つめている。

 寧々はそんなミツルを見つめている。


「俺の分もやるよ」

「はあ!? 頼んだのアンタでしょ!?」

「そうなんだけどさ、ちょっと食べる気が失せた。でもあれだ、このナポリタン、うまそうだろ? 二人前ぐらいペロっといけるって」

「わけわかんないんだけど」


 ミツルは相変わらずナポリタンを見つめている。

 注文通りスパゲッティの上にモリモリと盛られている具材。

 そして本日店長の気まぐれとして選ばれたのは、マッシュルームをはじめとするキノコ類、ソーセージであり、ミツルの食欲を著しくいだ。


 具だくさん。それにキノコスペシャル。


 それはすでにミツルの得たところ。

 下校時に調達したキノコ多数、そして、あのおぞましい臭いを嫌でも思い出してしまう。あのドブクサい強烈な――がもととなったものを。それのせいで『おろろ』してしまったのだから。

 ミツルにとって、目の前にあるキノコと頭の中で妄想したキノコは同じものだ。似て非なるものではないのだ。頭にしろ口にしろ、味わうことには変わりない。

 キノコが嫌い――。

 誰しも言ったことのある言葉だろう。

 ミツルはそう言える人たちが羨ましく思う。もはや好き嫌いという概念では測り知れない存在がミツルにとってのキノコなのだ。誰が好き好んで男の象徴から妄想されたキノコを口に頬張りたいか。


「俺……キノコ食べられないんだ」

「……あっそ」


 何も知らない寧々はあきれて他に言葉も出ない。

 言いようのない苛立いらだちが寧々の中に生まれた。ぶつける先が目の前のナポリタンしか見当たらず、改めてスパゲッティを絡めとり、口へと運んだ。意外とおいしいことがさらに腹立つ。


「おいしそうだな、そのナポリタン」

「う、うん」


 じゃあ食べろよ――と答えることすら腹立たしいし面倒くさいし馬鹿馬鹿しい。食べ終わったらさっさとおいとましようと心に決めた。

 寧々はミツルの存在を無視して二口目を口へ持っていこうとする。


「でも、納務寧々。お前からはこのナポリタンのような旨味うまみという魅力をまったく感じない。こんな人間に出会ったのは初めてだ。初めてお前を見たとき、俺は戦慄を覚えた。まさかお前のような人間がこの世に存在するとは思わなかったんだ」

「ケンカ売ってんの?」

「え? 何をどう聞いたらそうなるの?」


 二人は意思疎通を図れず盛大にすれ違う。いや、むしろ正面衝突の大事故だ。

 そもそも、明らかに、ミツルの言い方が悪い。さらに無自覚で言っているのだから、ことさらたちが悪い。


 ブチンッ――。

 ミツルにとって聞き覚えのある音。それは保科先生を怒らせた時に鳴り響いたものと同じだった。

 寧々はグラスに入っている水を、ミツルにぶちまけようとした――が、水を飲みほしたことを忘れていた。水はほとんど舞うことはなく、溶けかけていた氷のつぶてがミツルの顔に勢いよくぶつかった。


「ど、どうして怒ってんの!?」

「あんたが私のこと散々罵倒したからでしょうが!」

「……あ、そうか。フィルターかけてたから伝わらなかったんだ」

「フィルター? バカなの? もしかして中二病のたぐい?」

「違う違う。中二病ではないけど、病気ではある」

「ふーん。で、それと今のがどう関係してるっていうの」


 こうなってしまっては事情を説明しないわけにはいかない。

 だが不安も頭をよぎる。もし『妄想料理クッキング』のことを言ってドン引きされた挙句、他の人たちに言いふらされたら。友達ができなくなるどころか、学校にも行けなくなってしまう。

 かと言って何も言わなければ寧々に何も伝わらない。


 迷いの鍋――渦に閉じ込められているミツル。

 そんな彼を尻目に、寧々はさらにナポリタンに手をつけた。おいしいものを目の前にすると、誰もが手を止められなくなる。


「…………んま。もう言えないなら別にいいよ。このナポリタンに免じて今回だけ特別に許してあげる」

「……お、俺と友達になってくれないかっ! 俺のナポリタンもあげるからっ!」


 急に優しくなった寧々にたじたじになってしまったミツルは、意味の分からない文句を添えて本心を告げた。


「もしかして、告白って今のやつ……?」


 内心寧々はほっとする。


「それもある」

「それもってことはまだあるんだ」

「ああ。俺の秘密だ。これは保科先生にしか知られていない」

「ふーん」


 あまり興味も持たず、寧々はミツルの言うことを軽く流しながら、二口目を口へと持っていく。

 ミツルは見つめ続けていたナポリタンから目を離し、寧々の瞳をスッと見据えた。


「実は、人を食べちゃう癖があるんだ」


 寧々がほっとしたのもつかの間だった。

 手からこぼれたフォークが皿にぶつかり、カンッと金属音を響かせて机の上に転がった。巻きついていたスパゲッティもほどけて四方八方に乱れた。


「…………不気味番長――矢吹ミツル」


 寧々は思い出した。店長が目の前にいる男を『矢吹君』と呼んでいたことを。

 美星学園に矢吹といえば、ひとり、有名人がいる。


 それは、美星学園屈指の不良が一人、矢吹ミツル。

 たった今、目の前にいる男のことだ。

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