0-4

 たまたま、扉を開けてすぐの場所にいた朝霧あさぎりと目が合った。硬直する俺と違って、朝霧はすぐに微笑みと挨拶を送ってきた。


「お、おう……」


 本物の朝霧は、やっぱり本物だった。俺が作った適当なコラとは違う。本当に存在が光り輝いているようだ。しかも、俺なんかにもちゃんと挨拶をしてくれる。スクールカーストの頂点、天上界にお住まいの朝霧さんがである。


 朝霧はいいところのお嬢様だ。しかし気さくで、気取ったところは全くないし、言われなければ金持ちのお嬢様だなんて分からない。しかし、そのビジュアルや立ち居振る舞いに、どこか格の違いを感じさせる。私立の女子校にでも行くのが普通だろうが、なぜか公立の共学校へ通っている。


 はっ、いかん。適当な返事を返しちゃってるぞ! 挨拶だ挨拶。もしかしたら、朝霧と会話が出来ちゃうかも知れないんだぞ!


「え、えっと。あ、あの……」


「あ、あきらくん。おはよー」


 俺の後ろを見つめて挨拶を投げかける朝霧。


「よう、凛々子りりこ


 振り向くと、軽く見上げる位置にイケメンな顔があった。


 格の違いを感じさせる男。一之宮いちのみやあきらの登場だ。


 良くは知らないが、コイツの家も金持ちらしい。濃い茶色の髪に芸能人のようなイケメンフェイス。背は高く百八十センチ近い。バスケ部なので、身長が低いと嘆いているのをよく聞くが、ふざけんな俺はお前より十センチ近く低いんだぞ。


 スポーツ馬鹿というわけではなく、ゲームも得意だ。F1レースのエレクトロニックスポーツで世界大会に出ているらしい。


 その一之宮が少し困ったように微笑む。


「あ……わり」


 そうか。俺が出入り口で立ち止まっていたから、教室に入れなかったんですね。クラスのヒエラルキー最下層の俺が、キングの進む道を妨害して誠にすみませんでした。


 逃げるようにその場を去ると、背後では朝霧と一之宮の楽しそうな話し声が聞こえてきた。その声を振り切るように、自分の席へと向かう。


 その途中で、隣の席に座る女子に目が止まる。


 その少女は机の上に本を広げ、視線をページに落としている。長い黒髪が美しい、作り物のように整然と整った顔。朝霧が太陽なら、こいつは月。


 雫石しずくいし乃音のん


 二年A組で俺以外にもう一人、友達を作らず他人を寄せ付けない人間。だが同じことをしていても、俺はさびしいぼっちなのに、雫石は神秘的で孤高の存在と言われているのが納得いかない。


 そんな俺の視線を感じて、雫石が顔を上げる。


 途端に雫石の眉間にしわが刻まれ、怒ったような表情で睨み付けられた。


 俺は内心冷や汗をかいたが、気付かないフリをして雫石の前を通過。自分の席に辿り着いた。


 雫石はいつも、綺麗な顔にしわを寄せるようにして、険しい表情を浮かべている。


 そんなに深い問題をいつも考えているのだろうか。この世界の真理とか、隠された世界システムとか、続きの出ないライトノベルについてとか。


 そのとき、騒がしい男が教室へ躍り込んできた。


「おいおい、みんなーっ! なぁーにノンビリしちゃってるワケ!? そんな場合じゃないっしょー?」


「何だよ、扇谷おうぎや。どうかしたのか?」


 キング一之宮が、騒ぎ立てる扇谷おうぎや拓也たくやを落ち着かせるように言った。


「んなもん、社会科見学に決まってるっしょ。忘れちゃったの、あきらくん?」


 一之宮いちのみやは、やれやれと言いたげに苦笑いを浮かべる。


「忘れちゃいないよ。視聴覚室だろ? もう教室移動か?」


「そそ! 先生が呼んで来いってさ」


 だったら先にそれを言え。きっとクラスの全員がそう思ったに違いない。


 親しいグループに分かれ、ぞろぞろと教室を出て行く。一ヶ月以上前から告知されていた、まったく新しい次世代VR教育システムのテスト運用が、今日から始まるのだ。最初は社会科見学として、世界中の世界遺産を一時間で巡ることになっている。


 次世代VRシステムといえば、俺がバイトで作成しているゲーム『エグゾディア・エクソダス』も次世代のVRシステムを採用するらしい。俺みたいな下っ端のデータ作成には、普通の機材しか渡されないが、製品版はもの凄いものになるらしい。哀川あいかわさん曰く、何でも現実とまったく区別が付かないとか。


 そんなことを考えながら、俺は朝霧あさぎりと一之宮が並んで歩く後ろ姿を見ながらついて行く。


「ねえ、洸くんはどこの国に行くつもりなの?」


「ん? ローマのコロッセオとか見たいと思ってるんだけど。凛々子りりこは?」


「あたしはフランスのモン・サン=ミシェルがいいなと思ってたんだけど、どうしようかな……」


「じゃあ一緒に回るか?」


 朝霧は嬉しそうな顔でうなずいた。その笑顔が胸に痛い。視線をそらすと、無駄に高いテンションの扇谷が目に入った。


「いっやーちょー盛り上がるわー。これって海外旅行じゃね?」


「うん。楽しみだね。でもこのVRシステム初めてだから、何だかドキドキするよ」


 扇谷に有栖川ありすがわという男子生徒が答える。こいつ妙に女顔なんだよな。街じゃ女の子に間違えられてナンパされたことがあるらしいし。


「一回目のテストだから、初めてだよな」


 その有栖川の横にいるのは普通過ぎる男、山田やまだ吉宗よしむね。通称『平凡将軍』。喋る内容もそうだが、身長も体重も普通。成績も常に平均点。平凡のプロである。


 そんな平凡な男もクラスメートと楽しげに話しながら歩いている。一人ぼっちで黙って歩くのは俺だけだ。あの雫石しずくいしですら、他の生徒と一緒に歩いている。尤も、一方的に話しかけられるのを、うるさそうにあしらっているだけだが。


 しかし俺は、誰からも話しかけられない。だがその事実に対して、寂しいとは思わないし、引け目もない。むしろ心地良くすらある。


 別にネガティブな意味で言っているのではない。俺は他人とコミュニケーションを取るのが嫌いなのだ。全力で避けていると言っても良い。


 コミュニケーションというものは、非常にコストが高く付く。金銭的にも、精神的、肉体的にもだ。誰かとコミュニケーションを取るというのは、自分の為ではなく、相手の為に時間を割くということでもある。時間は貴重だ。例えば、時間は金に置き換えることが出来る。その時間でバイトをすることも出来るだろうし、将来への投資として勉強するなり、知識を増やしてもいい。その機会を失うということは、非常に大きなコストの損失だ。


 それだけのコストを払って手に入るものといえば、自分は寂しい人間ではないし、つまらない人間じゃないんだ、という自己満足のみ。


 だからみんなのように、ログインした後の出現場所を申し合わせたりはしなかった。それどころか開始場所はランダムにするつもりだ。俺自身の行き先も分からない。行った場所で、ここはどこかを当てようという密かな楽しみがあるのだ。


 かようにぼっちでも楽しむ方法というのはあるものなのだ。


 そして俺は、視聴覚室の扉をくぐった。




 それはこれから始まる、俺のもう一つの人生、新たな世界への扉だった。


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