2-6
そして扉を閉めた瞬間、がくりと膝から力が抜ける。俺は倒れるように、その場に崩折れた。一時の興奮が過ぎると、急激に恐怖が襲いかかってくる。
「よかった……命が無事で。本当に、よかった」
大きな体を小さく丸めるようにして、うずくまる。がたがたと震える体を抱きしめるようにして押さえるが、震えは一向に止まらない。込み上げてくる感情は、涙となってあふれた。涙は兜の目の穴から、ちゃんとこぼれ落ちてゆく。表情はまったく見えないが、こういった表現は出来るようだ。
「怖かった……こわかったよう……えっ、えぐっ」
いつも通りに演じたつもりだった。しかし、それで奴らが納得するかどうかなんて分からない。実際にはどういうプログラムになっているのか俺は知らないし、事によると俺の送ったデータが使われていないという可能性もあった。だが、俺の仮データはちゃんと使われていたようだ。それは、あの魔物たちの反応から明らかだ。
――はっ、いかん。
こんな姿を見られでもしたら、せっかくの一世一代の大芝居が台無しだ。
涙を拭いて立ち上がると、誰かに見られなかったか、きょろきょろと周囲を見回す。どうやら誰もいないようだ。ほっと溜息を吐くと、とりあえず歩き始めた。目の前に延びる廊下は幅が広く、天井が高い。そして延々と続いている。
そうだな……まずはこの鎧を脱ぎたいな。この鎧の下がどうなっているのかを確認したい。最悪脱げないかもしれないしな。
まずは落ち着ける場所……となると自分の部屋、魔王ヘルシャフトの自室だな。魔王なら自分の部屋の一つや二つあるだろう。だがそこで大きな問題がある。
――自分の部屋の場所が分からん。
そもそも、この城の作りがまったく把握できていない。確か資料として、マップが送られてきてた。でも、関係ないと思って、見もしなかったっけなあー。畜生! もう少し仕事に対して真摯な態度を持てよ、昔の俺。
それというのも、ヘルズドメインの担当者、
このゲーム、とにかくキャラクターが多く、作業量が膨大だ。全キャラクターのシナリオをライターに依頼した日には、脚本料も、スケジュールも非現実的なものになる。CGのモーションも、ちゃんとしたアクターを使ってモーションキャプチャースタジオでやった日には、コストがまったく合わないらしい。
昔のゲームなら、モデルやモーションを使い回しても気にならなかったし、ポリゴン数や解像度も低いのが当たり前だった。そもそも2Dのドット絵の時代ならセリフだけでも良かった。しかし最新鋭、超高解像度のVRマシンは、そんな甘えは許してくれない。テクノロジーが進化し、ゲームハードの性能が上がるにつれ、ソフトウェアの開発費と手間は肥大する一方だ。
そこでまず削られるのは人件費だ。安いアルバイトを使い、最低限の設備でデータを増やす方法が採られているというわけだ。だから俺みたいな高校生に、ラスボスである魔王ヘルシャフトなんて重要なキャラクターが回ってくる。
今思い出したが、ヘルシャフトの特性を決めるキャラクター作成シートに、適当な数値を振って送ってやったことがあったな……リテイクがあまりにも多くて腹が立ったので、ついカッとなってやった。後悔はしていない。哀川さんが文句を言ってこなかったところを見ると、ゴミデータだと思われて見もしないで削除したんだろう。
もし内容を確認されていたら、きっと俺は後悔していただろう。哀川さんの怒りの火に油を注ぐ結果になっていた。いやあ、正常な精神状態ではなかったとは言え、危ないことしたよなあ。やっぱ、人間は追い詰められると何をしでかすか分からないね! ソースは俺。
閑話休題。そういうわけで、ここはこの俺ヘルシャフトの居城であるのだが、間取りがさっぱり分からない。
そうだ。メニュー画面から、マップ表示が出来るはずだ。
俺は人差し指と親指を立ててL形にし、把手をひねるイメージで手首を回した。するとウインドウが目の前に開く。
システム項目の中に、ログアウトのボタンがあることに気が付いた。
「ログアウトすりゃ良かったじゃん……今さらだけど」
そんなことにも気付かないほど慌てていた、ということだ。さらに言えば、それほどにこのゲームは臨場感というか現実感があり、ゲームの中であると言うことを忘れさせる。俺は指先でログアウトのボタンを押した。
「ん? なんだこれ? ログアウトボタンがアクティブになってないぞ」
希望が一瞬にして砕かれる。大体、人生なんてそんなもんだよな。期待が大きいとその後の失望も大きくなる。だから、なるべく期待は抱かない方がいい。だからログアウト出来ないくらいで、慌てたり――、
「待てよ!? ログアウト出来ないってヤバくないか!? 俺はどうやって元に戻ったらいいんだよ! ちょ、緊急措置とかなかったっけ!? 運営にメール送るとかそういうの!」
大慌てでメニュー画面の中を探す。しかし、それらしい項目は見つからなかった。
がっくりと肩を落とすと、今度は自分のステイタスを確認してみた。
名前はヘルシャフト。種族は魔王。レベル表示はなし。レベル表示がないのはラスボスだからか?
次は魔法。ヘルシャフトは物理攻撃も強い魔導士、いわゆる魔導剣士だ。確か相当な攻撃魔法を使えたはず。しかし使用可能な魔法を確認して、俺は愕然とした。
な、なに? 魔法ってこれだけ?
あるのは二つのみ。一つは『エクスタス』とかいう魔法だ。名前が嫌な予感しかしねえ。そしてもう一つは『ヘル&ヘヴン』……いずれにしろ、嫌な予感しかしねえ。
他には魔法ではないが『テレポート』というシステムコマンドがある。多分マップ上を瞬間的に移動出来るのだろう。
にしても、どうなっているんだ? 魔王のくせに魔法が全然使えないのかよ。体力や攻撃力などのステイタスも見たが、比較対象がないのでこの数値がどれだけ強いのかがさっぱり分からなかった。
肝心のマップだが、城の見取り図は表示されるものの、自分の部屋の場所までは教えてくれなかった。テレポートも一度行った場所にしか飛べないのか、選択肢が何もない。
あまりウロウロしていたら、また怪しまれる。いっそのこと、誰かに道を訊いた方がいいだろうか?
いや、ダメだ。何で自分の部屋の場所を知らないのかと訊かれたら答えようがない。記憶喪失のフリとかダメだろうか? ダメですね、はい。
となると、とりあえずは視察している振りでもして、歩き回るしかない。幸い、部下たちは戦勝パーティの真っ最中で、魔物の姿はほとんど見かけない。
無駄に広い城内が閑散としている。今なら、廊下の真ん中でも鎧を脱げるんじゃなかろうか? そう思った矢先、遠くから良い香りと共に物音が聞こえてきた。リズミカルに何かを叩く音と、鉄板で何かを焼いている音だ。
ここは……台所か?
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