2-5

アドラの剣が止まった。


「……キング? ヘルシャフト、さま?」


 綺麗にセットされた黒髪がはらりと乱れ、アドラの端整な顔にかかる。その表情に明らかな焦燥感が浮かんでいた。


 俺は足を踏みならすようにして、アドラに一歩近付いた。力を込めた一歩が、地響きと共に床を陥没させ、アドラの体がびくっと跳ねる。床に広がる亀裂が、蜘蛛の巣のようにアドラの足下まで広がっていた。


「愚か者どもが! 俺は貴様らを試したのだ……勝利にうつつを抜かし、油断をしておらぬのか、それを見定めようとしたまでよ」


 歩く度に、ずしんという音が響く。アドラに近付く度に、その整った顔に冷や汗が増えてゆく。明らかな動揺がその表情に浮かび上がっていた。


「そ、それでは……先程の腑抜けた小物の気配は……」


「……ぐ、その指摘、それは褒めてやろう。だが!」


 俺の怒りの波動を受け、アドラは直立不動の姿勢を取る。顔から汗が流れ落ち、視線が宙をさ迷う。


「ぬるい! 貴様らの戦いぶりは、ぬるすぎるわあぁああああああ!」


 床に落ちる俺の影がアドラを包み込む。アドラは怯えた瞳で俺を見上げた。その体は、目に見えて分かるほどに震えている。


「だから俺が前線に出ねばならぬことになった! この戦い、貴様らの力の無さを恥じよ! この馬鹿者どもがぁあああああああああ!」


 柱が軋み、ホール全体が揺れた。俺の叫びが新たな衝撃波を生み、魔物たちを再び押し倒した。アドラもクールな外見に似合わない尻餅をつく。


 ホールが静まりかえった。みしみしと音を立てる天井以外に音はない。


 震え上がる怪物たちを前に、俺は腰を横にひねり、勢いよく両腕を広げる。一見苦しそうにも見えるポーズを取りながら、無駄に凜々しく叫んだ。


「我がしもべアドラよ! この世を統べる種族は何か?」


「ほ、誇り高き、我らが魔族でございます」


「世界の覇者たる魔族の王は何者ぞ!」


 はっと気が付いたように、アドラは姿勢を正し、ひざまずいた。


「魔界の王にして、全生物の頂点に君臨する絶対王者、ヘルシャフト様でございます!」


「我が名を口にする栄誉を与える! 讃えよ!」


 アドラは俺に向かって両手を掲げ、瞳に涙を浮かべた。


「全魔族がその身命を捧げ奉る! 憧憬と崇拝の支配者! 魔界の王ヘルシャフト様!」


「崇めよ!」


「偉大なるヘルシャフト様! ヘル! ヘル! ヘル!」


 アドラに続き、グラシャが、サタナキアが、そしてホールにいる全ての魔物が腕を振り上げた。遅れて、おずおずとフォルネウスが手を上げる。そして徐々に合わさってゆく声が、やがて城を吹き飛ばさんばかりの勢いで轟いた。


「ヘル! ヘル! ヘル! ヘル! ヘル! ヘル! ヘル! ヘル! ヘル!」


 俺は満足げにホールに集った数千の魔物を見渡す。


 内心、俺は安堵の溜息を吐いていた。その俺の前に、アドラが這うようにしてやって来る。そして、四つん這いの姿勢のまま俺を見上げた。


「申しわけございません! 我らがキング、偉大なる支配者ヘルシャフト様!」


 俺は再びアドラに意識を集中する。するとアドラのステイタスが目の中に映った。


 LOYALTYが上限100のうちの70まで回復しているのを確認すると、俺はほっと胸をなで下ろした。


「……よい。今回はゆる――」


「我が主を疑い、剣を向けた罪。万死に値します。この命を以て、お詫び致します」


 アドラは俺を殺そうとした剣を、今度は自らの首筋に当てた。


「え? ち、ちょっと……ま」


 まさか、この人マジで死ぬ気? いやまさかね、ハハハ……。


「我らがキング! ヘルシャフト様に栄光あれ!」


 剣が本当にアドラの首に食い込み、血が噴き出した。


 うわああああああああああああああああああああああああああああああ!?


 俺は慌てて、アドラの腕をつかむ。


「待てぇぇええええええい!!」


「な、何をなさいます! これ以上生き恥をさらしたくなど……」


「貴様ぁあ! まだ分かっておらぬのかぁ! この馬鹿者が!」


「……え?」


 呆然とした顔で俺を見上げる。ほんのわずかな時間で、その顔はすっかり憔悴しきっていた。ああっ、もう。心臓に悪い奴だな!


「貴様の命は俺のものだ! 俺の許しもなく、貴様の勝手で捨てることなど、許さぬ! 断じて許さぬ! 貴様が死んで良いのは、俺が死ねと言ったときのみよ!」


「キング……」


 アドラの瞳から、堰を切ったように涙があふれた。肩を震わせ、床に止めどなく涙の粒が落ちる。その瞬間アドラのステイタスが急激に変化した。


 すげえ! アドラの《LOYALTY》が上限いっぱい、100まで回復した!

 感動に打ち震える幹部の姿に、有象無象の魔物たちも感じ入るところがあるようだ。全員神妙な様子で、壇上を見守っている。


 あまり期待の目で見られても、これ以上はネタがない。迂闊なことを口走ればまたボロが出る。そう思うと、急に足が震えてきた。こ、ここらが潮時だ。引き上げよう。


「し……精進するが良い! 俺は部屋に戻る。あとはお前たちで楽しむがいい」


 そう言い残すと、俺は炎のようにゆらめくマントをひるがえし、颯爽とホールを出た。


 

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