第19章:総反攻

[1] 総攻撃

 その日の気温は摂氏マイナス15度。積雪は1メートルにまで達していた。

 12月5日、カリーニン正面軍は第29軍(マスレンニコフ中将)と第31軍(ユーシュケヴィチ少将)がカリーニン市とその周辺に展開する第9軍の第6軍団(フェルスター大将)と第27軍団(ヴェーガー大将)に攻撃をしかけた。このときカリーニン正面軍司令官コーネフ大将は2個軍の攻撃開始時刻をずらす手法を取った。第31軍は午前3時、第29軍は午前11時にそれぞれ攻勢に転じた。

 中央軍集団司令官ボック元帥はこの攻撃を従来と同じ「局地的反撃」に過ぎないと判断した。ボックは第3装甲軍司令官ラインハルト大将に対し、第3装甲軍に所属する歩兵師団のほとんどを第9軍の救援にカリーニンへ差し向けるよう命じた。

 中央軍集団の北翼で生じたこの出来事について、ボックはこの日の日記に次のような記述を書き記した。

「第9軍東翼のカリーニン南東でソ連軍がヴォルガ河を越えて前進し、我が第162歩兵師団の戦区で約10キロ前進した。詳細はまだ不明」

 12月6日午前6時、西部正面軍が中央軍集団の北翼で反攻に転じた。

 第30軍(レリュウシェンコ少将)が第3装甲軍の北翼で60キロ近い前線を守る2個自動車化歩兵師団(第14・第36)の陣地に襲いかかった。この反撃も奇襲効果を高めるために支援砲撃や空爆は行われず、あたかも「局地的反撃」であるかのように、わずかな兵力のみで開始させた。

 第1打撃軍(クズネツォーフ中将)、第20軍(ヴラソフ中将)、第16軍(ロコソフスキー少将)もモスクワ北西の突出部に対して東と南から攻撃を仕掛けた。ヴォルガ=モスクワ運河上のドミトロフから大量の戦車部隊を前線に投入された。

 これと連動して、トゥーラ東方のミハイロフ付近で第10軍(ゴリコフ中将)が第47装甲軍団の第10自動車化歩兵師団(レーパー中将)に対する攻撃を開始した。第10軍には戦車部隊が配属されていなかったが、圧倒的な兵力差を確保していた。ミハイロフから南方に延びる約60キロの前線をドイツ軍がわずか1個師団のみで守りきることは不可能だった。

 中央軍集団の南翼に位置する第2軍の正面では、南西部正面軍(ティモシェンコ元帥)の第3軍(クレイゼル少将)、第13軍(ゴロドニャンスキー少将)および臨時編成の機動集団(コステンコ中将)がエレッツの南北に展開する第34軍団(メッツ大将)と第35軍団(ケンプフェー大将)の陣地を突破してオリョールに迫った。

 初日から目ざましい進撃を遂げた第13軍とコステンコ機動集団は第34軍団の2個歩兵師団(第45・第134)をエレッツの西方で包囲した。この包囲により、戦死者と捕虜を合わせて約1万6000人という大損害を与えることに成功した。

 冬季用装備の不足に悩むドイツ軍とは対照的に、最終的には「冬季戦」になることを想定していたソ連軍はフィンランドとの「冬戦争」で苦戦した教訓から、酷寒による攻撃力の低下を最低限に抑える方策を取っていた。前線部隊には毛皮や綿入りキルティングの上着や白色迷彩服、防寒用の手袋にフェルト製ブーツ、耳あての付いた毛皮帽を支給されていたのである。

 通常部隊による反攻は、NKVD国境警備隊によって敵の後方地域に送り込まれたパルチザンの襲撃に大いに助けられた。凍てついた沼地や白樺、松林から防寒服に身を包んだスキー大隊や騎兵が突如として現われ、戦線の後方に控えるドイツ軍の砲兵隊や物資の補給所を急襲して混乱に陥れた。

 開戦以来はじめて制空権を確保した空軍に支援されながら、ソ連軍の前線部隊は風向きが変わったことに対して、残酷に思うほどの満足感を味わっていた。吹雪と凍てついた大雪原では、満足な冬季用装備を持っていないドイツ軍の退却が悲惨極まりないものになることをソ連軍の将兵たちは認識していたのである。

 こうして、ドイツ軍はソ連の「赤い首都」モスクワの前面において、戦略レベルで防勢に転じざるを得なくなったのである。

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