第15章:恐慌

[1] 防衛態勢の再構築

 10月7日の夜、モスクワに到着したジューコフはクレムリンの執務室でスターリンに迎えられた。ひどい風邪にかかっていたスターリンはぶつぶつと文句を吐いた。

「西部正面軍は非常にまずいことになっている。戦況についての詳しい情報が入ってこないのだ。すぐにその司令部や部隊を訪ねて状況を確かめて報告せよ」

 肉体的にも精神的にも疲労していたが、ジューコフは車に乗り込み、モジャイスク北東約4キロの位置にあるアラヴィノに置かれた西部正面軍司令部に向かった。

 10月8日午前2時半、ジューコフは待ち構えていたスターリンに電話をかけ、現状の報告を行った。

「現在の主たる危険な要因は、モスクワまでの道路がほとんど守られていないことです。モジャイスクの防衛線に沿った施設は、ドイツ軍の攻撃を阻止するためには、あまりにも手薄です。できるだけ早急に、この防衛線に兵力を集中させなければなりません」

 10月10日、スターリンはジューコフを西部正面軍司令官に任命した。要職の人事異動で指揮系統が動揺することを恐れたジューコフは前任者のコーネフを罷免せずに副司令官として登用するようスターリンに願い出た。スターリンはしぶしぶこの提案を認めた。

 ジューコフは部下の全員に「自分の流儀」を分からせるため、最初に行った訓示を次のように述べた。

「戦場を勝手に離脱する者、許可なく現在の陣地から後退する者、兵器や車両を放棄する臆病者、パニックを起こす者はその場で射殺すべきである」

 10月12日、「最高司令部」は西部正面軍の主力部隊がヴィアジマで包囲されたため、背後に展開していた予備正面軍を西部正面軍に編入させるよう命じた。この命令により、ブジョンヌイは役職を失ってモスクワに帰還した。

 そして「最高位司令部」はモジャイスク防衛線を掩護させるために、4個狙撃師団、3個狙撃連隊、5個機関銃大隊、7個戦車旅団その他をはじめとする部隊を応急的に配置させた。ヴォロコラムスク、モジャイスク、マロヤロスラヴェツ、カルーガで防備についた部隊はそれぞれ第16軍、第5軍、第43軍、第49軍の各軍司令部に統合された。

 国家防衛委員会はこの日、モスクワ市街地から半径100キロの外周に「モスクワ防御地帯」を設定し、市街地そのもの周辺に防衛線を構築するよう命じた。その防衛線はモスクワ=ヴォルガ運河からセルプーホフまでの外郭ベルトと、市内の3本の防衛線から構成されていた。

 モスクワ河岸通りの住民には立ち退きが命じられ、徴集された住宅やアパートは防御拠点として改築された。婦人を中心とする約60万人のモスクワ市民が動員され、防衛線の構築作業に従事していたが、ドイツ軍が首都に迫りつつあるとの噂や将来に対する悲観的な空気が急速にただよい始めていた。

 10月13日、ヴィアジマから進撃していた第4装甲軍の第40装甲軍団は、モスクワ街道に立ちふさがるモジャイスク防衛線のほぼ中央に位置するボロディノに到達した。ボロディノを守っていたのは、第5軍(レリュウシェンコ少将)の第32狙撃師団(ポロスーヒン大佐)と3個戦車旅団(第18・第19・第20)だった。

 極東軍管区から派遣された「シベリア部隊」である第32狙撃師団は戦車部隊の支援を受けながら、第40装甲軍団の第10装甲師団(シャール中将)とSS自動車化歩兵師団「帝国」(ハウサー中将)とナポレオン戦争の古戦場で凄まじい白兵戦を繰り広げたが、同月17日には後退せざるを得なくなった。

 10月14日、第3装甲軍の第41装甲軍団は第29軍をヴォルガ河の東に追い払って、モスクワ北西約160キロに位置するカリーニンに電撃的に突入した。第41装甲軍団長モーデル大将は第1装甲師団に対し、即座にヴォルガ河にかかる橋脚を確保して、その北岸に橋頭堡を築くよう命じた。

 モスクワの「最高司令部」はカリーニンを奪回するために、急きょ北西部正面軍から2個狙撃師団、2個騎兵師団、1個戦車旅団を引き抜いて機動集団を編成した。この機動集団の司令官には、北西部正面軍参謀長ヴァトゥーティン中将が任命された。

 10月17日、ジューコフはカリーニンの防衛に副司令官のコーネフを派遣し、「カリーニン正面軍」を創設するよう命じた。カリーニン正面軍にはヴァトゥーティン機動集団のほかに西部正面軍から第22軍・第29軍・第30軍・第31軍が編入された。

 中央軍集団は10月18日までにモジャイスク防衛線を北ではカリーニン、中央ではボロディノ、南ではカルーガでそれぞれ突破することに成功した。ジューコフは西部正面軍司令部をアラヴィノからペルフシコヴォへ後退せざるを得なくなった。

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