[4] 泥濘期の到来

 モスクワの「最高司令部」はキエフ包囲戦を終えたばかりの第2装甲軍がブリャンスク正面軍の戦区でこれほど早く新たな攻勢を仕掛けてくるとは予想していなかった。

「最高司令部」は2個親衛狙撃師団(第5・第6)に2個戦車旅団(第4・第11)、第5空挺軍団(実態は師団規模)など即座に派遣可能な部隊をかき集め、元第21機械化軍団長レリュウシェンコ少将の指揮下で「第1親衛狙撃軍団」を応急的に編成した。第1親衛狙撃軍団は第2装甲軍の進撃路に当たるオリョール北東のムチェンスクに急派された。

 10月6日、第24装甲軍団の第4装甲師団はムチェンスクで第1親衛狙撃軍団の反撃に遇った。特に第4戦車旅団(カトゥコフ大佐)による反攻を受けて、第4装甲師団は手痛い損害を被った。

 この時、第4戦車旅団長カトゥコフ大佐は巧妙な戦術を駆使してみせた。旅団に配備されている少数のT34を森に隠し、ドイツ軍の先鋒をやり過ごすよう命じた。歩兵と空挺部隊が正面から第4装甲師団を食い止めている間に、待ち伏せていたT34を側面から攻撃させたのである。

 この時期にドイツ軍が標準装備していた37ミリ対戦車砲はT34の厚い装甲に対しては無力で、ほぼ同口径の75ミリ短射砲を装備したⅣ号戦車でさえも後方に回り込まないと撃破は不可能だった。カトゥコフの作戦は見事に成功した。第1親衛狙撃軍団は4日間に渡って第4装甲師団を食い止め、装備戦車の半数を撃破することに成功した。

 この出来事は第2装甲軍に大変なショックを与えた。渋々ながら敵が「学習」しつつあることを認めたグデーリアンは次のように書いている。

「苦しい戦闘が、じわじわと将校や兵士たちに悪影響を及ぼしていた。激しい戦闘によって、優秀な将校がどれだけ消耗しているかを眼の当たりにして驚いた」

 しかし、ドイツ軍を待ち受けていたのはソ連軍との戦闘だけでは無かった。

 10月6日から7日にかけての夜、中央軍集団戦区で降り始めた秋雨が夜のうちにみぞれ混じりの雪に変わった。これらの雪はすぐに解けたが、それから道という道が粘土のような泥沼に変わる「泥濘期ラスプーチッツァ」がやってきた

「こんなひどい泥濘は誰も見たことがないと思う」グロスマンは書いている。「雨、雪、雹、ぬらぬらと底なしの湿地、小麦粉をこねたような黒い泥が幾千幾万もの軍靴、車輪、キャタピラが地面につけた刻印と入り交じっていた」

 泥濘を進むドイツ軍は今までにない新型の武器に遭遇した。奇妙な形の鞍に荷を付けて車両に向かって走ってくる犬である。犬が背負っているのは、棒の付いた地雷だった。これらの犬はパブロフの条件反射に基づいて訓練されていた。大型車両の下に走りこめば、餌がもらえると教え込まれていたのである。車両の下部に棒が触れると、地雷が爆発する仕掛けになっていた。多くの犬は目標にたどり着く前に撃ち殺されたが、この気味悪い戦術はドイツ軍の士気を低下させるには効果的だった。

 このあと数週間に渡って続いた「泥濘期」によって、ドイツ軍はもともと貧弱だった兵站機能にさらなる負担を強いられることになった。物資を運ぶ輸送部隊のトラックは深い泥濘に足を取られ、しばしば立ち往生した。戦闘を続ける前線部隊は農村から一頭立て荷車を手当たり次第に徴集して急場を凌いだ。

 最も長い距離を進撃する必要のある第2装甲軍は装甲部隊の移動能力を維持するため、10月5日に第2航空艦隊に対して燃料の空路補給を要請した。しかしオリョールを攻略した後は同地に到着する燃料積載の列車を減らされてしまい、第1親衛狙撃軍団の反攻を乗り切った同月11日には進撃をいったん停止せざるを得なくなっていた。

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