巨人たちの戦争 第3部:終焉編
伊藤 薫
第13章:嵐の前
[1] 最後の鉄槌
ヒトラーは1941年9月6日にようやく決意を固めて、「総統指令第35号」において「赤い首都」モスクワへの進撃に同意した。この作戦はソ連という「腐りきった」体制に「最後の鉄槌」を下す決定的な意味合いを持つ攻勢に他ならなかった。モスクワは中央軍集団の停止地点から約320キロあまりだが、地面が泥濘に変わる秋が目前に迫っていた。そして、厳しい冬が来る。
モスクワ攻勢を担う中央軍集団には、開戦当初の2個軍(第4軍・第9軍)および2個装甲集団(第2・第3)に加えて、戦略予備の第2軍と北方軍集団から転用された第4装甲集団が配属され、9月下旬の時点で総兵力は180万に達していた。
9月24日、スモレンスクに置かれた中央軍集団司令部において、モスクワ攻勢に関する主要指揮官の戦略会議が開かれた。陸軍参謀総長ハルダー上級大将が陸軍総司令部が立案したモスクワ攻勢計画、すなわち「
この会議の中で、モスクワ攻勢の開始日は10月2日と定められた。第2装甲集団だけは同装甲集団司令官グデーリアン上級大将の要望に基づき、その2日前の9月30日に攻勢を開始することが認められた。
グデーリアンが友軍に先立って攻勢を開始する方策を選択した背景には、第2装甲集団が最終目標であるモスクワから最も遠い位置からスタートするという「ハンデ」の解消と、最初の2日間は第2航空艦隊の支援を「独り占め」に近い形で受けられるという戦略的な利点などがあった。
9月26日、中央軍集団司令官ボック元帥は麾下の指揮官たちに対して「台風」作戦に基づいた「攻撃命令」を下達した。その内容は第9軍・第4軍・第2軍にそれぞれ第3装甲集団・第4装甲集団・第2装甲集団を組み合わせて、北方・中央・南方の3つの攻勢軸を形成して行うとするものだった。
「軍集団の攻撃命令
1、長きに渡った空白の後、軍集団は攻勢に転じる。
2、第4装甲集団を配属された第四軍は、ロスラヴリからモスクワに通じる街道とその両脇に重点を置く。前線の突破が成功したならば、第4軍は北に旋回して南翼の東側面を防護しつつ、ヴィアジマ付近でスモレンスクとモスクワを結ぶ高速道路を南から攻撃する。
3、第3装甲集団を配属された第9軍はスモレンスク=モスクワ街道とその北に位置するベールィの間で前線を突破し、ヴィアジマとルジェフを結ぶ道路に進出する。
4、他の作戦に対する影響がない限り、スモレンスク=モスクワ街道からエリニャに至る第4軍・第9軍の戦区において、陽動作戦を実施する。個々の攻撃は戦力を集中して行い、目標となる敵部隊は出来るだけ絞り込む。
5、第2軍は第4軍の南翼を防護する。それに加えて、北翼に重点を置いてデスナ河流域で突破を試み、スヒニチの方角に前進する。もし、ブリャンスクの市街地とその周辺の工業地帯(特に道路と渡河点)を奇襲によって占領できれば、第2装甲集団の境界に関わらず、スヒニチへの進撃を続行する。
6、第2装甲集団はオリョールとブリャンスクを結ぶ線を早期に越えるため、第2軍より2日前に攻勢を開始する。南翼はスヴァバ河で守り、北翼は第2軍と協力してデスナ河南東への湾曲部に展開する敵部隊を撃滅する。もし第一撃で占領できるなら、装甲部隊にブリャンスクを直接攻撃させるが、そうでなければ迂回して進撃させ、第35兵団の歩兵と航空支援で同市の攻略を図る。」
この命令では、「台風」作戦の第1段階についてのみ規定されていたが、当然ながらボックは第2段階としての「モスクワ入城」を視野に入れていた。攻勢の直前になって、ボックは麾下の指揮官たちにロシア革命記念日である11月7日をモスクワ包囲の最終期限として定めたのである。
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