[4] 独裁者の強権

 モスクワの「最高司令部」はキエフ包囲戦が繰り広げられていた最中に「指令第308号」を発令した。赤軍将兵の士気を鼓舞することが目的だった。

 9月18日、4個狙撃師団(第100・第127・第153・第161)がそれぞれ第1~第4の各「親衛狙撃師団」に改称された。いずれの部隊もスモレンスク周辺の防御戦における功績が認められたのである。親衛部隊の将兵には軍服に佩用する記章が付与され、装備や補給物資は優先的に送られた上に、給料も一般部隊より高く設定されていた。

 2年前の「冬戦争」における惨敗を受けて、スターリンは「指令第308号」に示されるような将兵に対する「懐柔策」を取るようになっていた。10月4日に発令された「指令第391号」でも、部下を統率するために「権限乱用、体罰および強権(銃殺)を使用する」指揮官を厳しく批判していた。

 だが、このような態度を取ることは極めて例外的だった。スターリンは一貫して共産主義の政治的イデオロギーによる締め付けを行い、赤軍を全く信用していないことを言外に表していた。

 8月16日に口述した「指令第270号」では、スターリンは敵に包囲されても脱出に成功した将軍(第3軍司令官クズネツォーフ中将)と失敗して捕虜になった将軍(第28軍司令官カチャロフ中将・第12軍司令官ポネデーリン少将)を比較して、後者を「臆病者、戦線離脱者」と糾弾していた。その上で、次のような指令を下した。

「戦闘中に自ら階級章を剥がして敵に投降した者は悪質な戦線離脱者とみなし、その家族は祖国に対する反逆者の一族として逮捕せよ。戦線を離脱した者はその場で銃殺刑に処すること。また、敵に包囲された者は力の及ぶ限り戦い、自ら包囲突破の活路を切り開くこと。そして、勇猛果敢な者はより積極的に上級指揮官として登用すること。本命令は、各中隊・大隊単位で将校と兵士に読み聞かせよ」

 スターリンはこの命令文書に自ら署名した後、赤軍の最高幹部であるヴォロシーロフとブジョンヌイ、シャポーシニコフ、ティモシェンコ、ジューコフらにも連署を命じた。

 この指令は赤軍の全将校に下達されたが、実際に適用された事例の全容を把握することは困難である。しかしレニングラード正面軍司令官に着任したジューコフが防衛態勢の見直しを図るために、機銃を後退中の部隊に向けるよう自ら命じた。後に敵に投降した者は家族も射殺する命令を下した。ジューコフがこうした「強権」を揮った背景に、スターリンの強圧的な方針が関係していたことは言うまでもない。

 さらにスターリンは極端な「実力主義」を行使することで、赤軍将兵たちの戦意を引き出たそうとした。将兵たちの心理に「敵への恐怖」を上回る「味方からの脅威」を植えつけることで、前線からの脱走や後退を阻止しようと考えたのである。

 9月12日、スターリンは全ての指揮官に「後退阻止部隊創設の権限を与える」との命令文書に署名した。この命令は赤軍の各部隊に配布された。

 後退阻止部隊は味方部隊の背後に機関銃などを配備して、退却命令が出されていないにも関わらず退却や敗走を開始した将兵が出た場合、背後から銃撃して強制的に前線に復帰させることを命じられていた。

 NKVDの「特務部」が管轄する後退阻止部隊は開戦から10月10日までに、将兵66万7364人を前線に連れ戻した。戦列復帰に従わなかった将兵2万6000人は逮捕され、1万201人は銃殺された。残りの63万2468人はスターリンによって「祖国に対する罪を自らの地で払拭する」機会を与えるために、懲罰部隊に送り込まれた。

 懲罰部隊に編入された逃亡兵らは強制労働収容所グラーグに収容されていた何十万もの囚人とともに、通常部隊の先頭に立ち、地雷原を率先して進軍するような任務を課せられた。懲罰部隊の死傷率は非常に高く、1944年では通常部隊の6倍に相当した。

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