[3] 戒厳令

 10月18日、政府や共産党、警察はモスクワの事態収拾に腐心していた。すでに暴動はモスクワだけに限らなかった。労働者と話し会い、平静に戻らせるために政府高官が出向くことになった。共産党政治局のメンバーの1人であるミコヤンは自らスターリン自動車工場を訪れ、集会を開いていた労働者たちに訴えた。

「スターリンもモロトフも、モスクワに留まっている。政府の諸機関が退去したのは、戦線がモスクワに近づいたからだ。諸君は落ち着いていなかればならぬ」

 この日の午前中、クレムリンにあるスターリンの住居に航空工業人民委員部長官を務めるシャフリンをはじめとする省の長官らが集まった。寝室から出てきたスターリンはパイプに火を付け、部屋の中を行ったり来たりしはじめた。そこにモロトフ、マレンコフ、シチェルバコフ、コスイギンらが入って来た。スターリンは突然、脚を止めて尋ねた。

「モスクワはどんな様子かね?」

 誰も答えなかった。長官たちは無言のまま、互いに眼と眼を合わせた。ようやく口を開いたのはシャフリンだった。

「市電と地下鉄が運転を停止し、パン屋その他の商店が閉鎖され、市内で略奪が行われているという噂もあります」

 スターリンはちょっと考えてから口を開いた。

「うむ、それぐらいならまだよかろう。事態はもっと悪くなりかねないとわしは思う」

 そしてシチェルバコフに顔を向けて、付け加えた。

「市電と地下鉄の件は即刻調査の必要がある。パン屋、商店、飲食店を開き、残留している医師を集めて診療所を再開させること。君は今日にでもラジオで平静を呼びかけ、あらゆる公共サービスの正常な運営を君たちが保証すると民衆に告げよ」

 実際にシチェルバコフは前日にもラジオ放送を行ったが、効果のほどはこの日の放送の方が大きかった。大げさな決まり文句を排し、平静で思慮深い口調で彼は語った。市内の交通機関は正常に運行され、劇場や映画館も開かれる。部署を放棄する者は厳罰に処するとされた。モスクワ市民は市政の最高責任者であるシチェルバコフのこの放送を信用し、パニックは次第に収まっていった。

 10月19日の夕刻、モスクワ市内の様子はだいぶ落ち着いてきていたが、クレムリンの雰囲気は相変わらず重い空気が垂れ込めていた。灯火管制で室内は暗く、人けが少なくがらんとしていた。クレムリンで開かれた会議で、スターリンは陰鬱な面持ちで室内を行き戻りつしていた。

「モスクワをいかにすべきか?」

 この問い掛けに誰も答えなかったので、スターリンは言葉を続けた。

「私が思うに、モスクワは放棄すべきではない」

「もちろんです、スターリン同志。そんなことは問題にもなりえません」

 まっさきに口を開いたのは、ベリヤだった。モロトフをはじめとする他の出席者もスターリンの意見に賛同を示した。その後、スターリンはシチェルバコフに「モスクワに非常事態を布告する」政令の口述を書き取らせた。

 10月20日、「ここに公表する文書によって以下の諸項を布告する」として、モスクワで発行される各紙に「全市を戒厳令下に置く」とする政令が公表された。

「モスクワ警備司令官シニロフ少将の特別許可証を所持せぬ者は、午前0時から5時まで外出してはならない。唯一の例外は空襲中に待避所へおもむく場合である。シニロフには市内の秩序を極めて厳格に維持する責任があり、そのため警官、NKVDおよび民兵が彼に配属される。公共の秩序を乱す者は逮捕され、軍法会議にかけられる。挑発者、スパイ、その他社会不安を助長する全ての人物は即座に銃殺される」

 翌日から、市内の雰囲気はがらりと変わった。だが、党の政策、軍法会議、処刑をもってしてもモスクワを覆う堕落を食い止めることは出来なかった。疎開した住居は荒らされ、脱走兵の隠れ家となった。防衛線の構築作業を逃げ出した少年たちが街を徘徊し、警備に当たるNKVDは地下鉄や駅、廃墟などを頻繁にパトロールしなければならなかった。

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