[4] 攻勢の拡大

 1942年1月1日までに、ソ連軍は北方ではカリーニン、南方ではカルーガの奪回に成功していた。ルジェフ、モジャイスク、マロヤロスラヴェツ、ユフノフなどの交通の要衝では、ソ連軍の攻撃と極寒の天候から生き残ろうとする中央軍集団の増援部隊と補給部隊の殺到によってごった返していた。

 この時のスターリンは、「ドイツ軍が戦線を後退させた」という報道に「1812年の再現」という考えを禁じえず、狂喜乱舞した。絶望的な状況だった11月と12月の総反攻成功の対比が、スターリンにこれを好機として執着させることになった。そこで、スターリンは当初の反攻計画を中央軍集団だけでなく、北方軍集団の一部まで含めた大部隊を包囲する為の総攻撃にまで拡大させようとした。

 1月5日、スターリンは赤軍の最高幹部をクレムリンに召集した。参謀総長シャポーシニコフ元帥から全ての戦線における一大反攻作戦の骨子を説明させた。

 まず、モスクワ正面に担当する3個正面軍(カリーニン・西部・ブリャンスク)が中央軍集団を撃破する。北方では3個正面軍(レニングラード・ヴォルホフ・北西部)が北方軍集団を撃破して、レニングラードの包囲を解放する。南方では2個正面軍(南西部・南部)が南方軍集団を撃破して、ハリコフとドンバス地方を解放する。カフカス正面軍は黒海艦隊と協力して、クリミア半島を奪回する。

 スターリンは高らかに宣言した。

「ドイツ軍は、モスクワで自分たちが後退していることに驚いているようだ。しかも、冬のための装備が十分でない。今こそ総攻撃をかける時が来た」

 これに対して、ジューコフ以下の指揮官たちはこの総攻撃に反対した。攻撃に必要な兵力をあまりにも広い正面に分散させてしまうことになるという理由だった。戦時中の経済計画を担当していたヴォズネセンスキーも、ジューコフの意見に同意を示した。しかし、スターリンは幹部らの反対意見には耳を貸さず、これ見よがしな態度を取った。

「ティモシェンコとも話をしたが、彼も攻撃に賛成だった。ドイツ軍が春になって我々を攻撃できないよう、今のうちに彼らを叩き潰さなければならない。さて、議論はこれで終わりだな」

 会議の場を出る際、シャポーシニコフはジューコフに向き直った。

「反論するなんて、君もバカなことをしたな。ボスの心はもう決まっているのに」

「なぜ同志スターリンは、わざわざ自分に意見を求めるようなマネをしたのか?」

 ジューコフはそう尋ねると、シャポーシニコフはため息をついた。

「友よ、私には分からない。分かるはずがないだろう」

 スターリンの狙いは中央軍集団の主力(第4軍・第9軍・第3装甲軍・第4装甲軍)を撃滅することであった。モスクワ前面では西部正面軍とカリーニン正面軍に対し、ヴィアジマのドイツ軍を全周からの攻撃によって包囲するように命じた。

 カリーニン正面軍(第22軍・第29軍・第30軍・第31軍・第39軍)はルジェフとシチョフカからヴィアジマに進撃する。西部正面軍の南翼(第43軍・第49軍・第50軍)がユフノフからヴィアジマへ向かい、カリーニン正面軍と連結する。この攻勢と時を同じくして、西部正面軍の北翼(第1打撃軍・第16軍・第20軍)がヴォロコラムスクとグジャツク付近で防衛線を突破して、その中間部では2個軍(第5軍・第33軍)が、モジャイスクからヴィアジマを叩くことになっていた。

 そして、西部正面軍南翼の先鋒を担う第1親衛騎兵軍団(ベロフ中将)とカリーニン正面軍の第11騎兵軍団(ティモフェーエフ少将)がそれぞれ東と北から敵陣の奥深くへと突破し、2個騎兵軍団がヴィアジマ付近で合流することで中央軍集団の主力を包囲網に閉じ込める。この包囲戦が、モスクワ前面における反攻計画の第二段階であった。

 すなわち、「バルバロッサ作戦」の序盤におけるミンスク=ビアリストク包囲戦で、中央軍集団が第2装甲集団と第3装甲集団に担わせた役割を、ソ連軍はわずか2個騎兵軍団の兵力で再現しようと考えたのである。

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