7-3

 午後0時45分。天空楼閣号、リビングにて。


 なぜシルフィーが怒っているのか、シルウィンは見当もつかなかった。


「お、ねえ、ちゃん、なん、で?」


 じんわりと痛みが増す右頬を押さえる妹を、シルフィーは強く強く抱きしめる。


「ナンセンス! 本当にナンセンスよ。どうして迎えに行くまで、大人しく待っていられなかったの?」


 シルフィーの声が震えている。シルウィンは目頭が熱くなるのがわかった。


「ギディまで巻き込んで、本当にどうしようもない妹なんだから。ごめんなさい、ギディ」


 ベンチでグッタリしているギディは、力なく、それでもしっかり首を横に振った。


「シルウィンは俺の大切な友だちだから……。でも、迎えってなんのこと? 俺、頭悪いか……」


「ナンセンス! ギディ、あなたは何も悪くないわ。ちょっとした、大きな行き違いよ」


 抱きしめられたシルウィンの肩越しに見えるシルフィーは、腰まであった豊かな白金プラチナの髪が肩までしかない。おかげで絵に描いたような美しい女性らしい印象が薄れ、活気にあふれている。


「なら、シルウィンちゃんも悪くないんじゃ……」


 見かねたマックスが口をはさむが、涙をたくさんためた目でシルフィーに睨まれてしまった。


「あなたは誰? ごめんなさい。私、気が動転していたかもしれないわ」


 シルフィーは恥ずかしさで、顔を赤くしてシルウィンを抱きしめていた腕をほどいた。


「おっ待たせー! ローゼ特性パンケーキよ。頑張ったギディくんのために、はちみつ奮発し……ありゃ?」


 前が見えないのではと心配したくなるほどのパンケーキの山を持って、ローゼがやって来た。上機嫌なローゼだったが、リビングの重い空気とフライングスーツを着た不揃いに切られた白金プラチナの女性に戸惑う。


「クロード兄さんがさっき連れてきたんだ。彼女がシルフィーだとよ」


「わぁお」


 ローゼは自分につく形容詞が、美しいではなく可愛いだと知っているから、シルフィーの美しさを素直に認めた。


「あなたがシルウィンちゃんのお姉ちゃんね。ローゼ・パルファン。よろしく。ねぇ、シルフィーって呼んでもいいわよね?」


 テーブルにパンケーキの山を置いて、ローゼは重苦しい空気を吹き飛ばそうと、あえて明るく笑う。


 ギディのお腹が盛大に空腹を主張してきたこともあって、シルフィーは肩の力が抜けてしまった。


「ギディはあいかわらず食いしん坊なのね」


 張り詰めていたものが切れたせいで、シルフィーはこらえきれずにクスクス笑い出してしまった。


 妹の力になってくれた人たちを悪い人だと、シルフィーは疑いたくなかった。それでも、不安ではあった。クロードから、空賊である自分よりな連中だと聞いていた。確かにクロードたちよりは、かもしれないとシルフィーは思った。空賊に挑発したことを考えると、真っ当ではなさそうだが。


「私もいただいてよろしいでしょうか?」


「もちろん! 食べて食べて。おかわり作るから」


 すでにギディとマックスがパンケーキの山を勢いよく崩しにかかっている。確実に足りない。


お、おかわりよろしくふぉ、ふぉかわふぃふぉろひぃく


「マックスは遠慮しなさいよ」


 舌を突き出して、ローゼは急いでおかわりを作りに行った。


「お姉ちゃん。ボクのせいで……」


「シルウィンもお腹空いているでしょ? 食べながら、何があったのか聞かせて。私たち、本当に大きな行き違いをしているみたいだもの」


 シルウィンはこくんと頷いた。確かに空腹で倒れそうかもしれないと、ようやく気がついた。


ちょっと待てひょっとふぁて


 ギディと競いあうようにパンケーキの山を崩していたマックスは、遠慮がちに座ったシルフィーにあわてて口の中を空にした。


「俺、マクスウェル・ランドウォーカーな。マックスって呼んでくれよ。ランドウォーカーって呼ばれるの好きじゃないんだ」


 口元についたパンケーキの屑をまったく気にしないマックスが子どものようで、シルフィーは笑ってしまった。短くなった不揃いの白金プラチナの髪が揺れる。


大地を歩く人ランドウォーカーだから? 命知らずの鳥レックスレスバードには似合わないって、クロードが言ってたわ」


「そうそう、それな。言い出しっぺはエディ兄さんだけど。あんたらの行き違いを正すほうが、大事だろ」


 空賊だからという以外にも、クロードがファミリーネームを名乗りたがらない理由はあまりにも子どもっぽいものだった。クロードとマックスは兄弟だと気がつかないほど外見は似ていないが、少年のようによく輝く明るい茶色の瞳だけは血の繋がりを強く証明していた。


 マックスは行き違いを正す3人の邪魔をしないようにと、すぐにパンケーキの山崩しを再開した。


「そうさせてもらうわ」


 まずはとシルフィーが一昨日の晩のことを語り始めた。


 全ては妹のシルウィンを思っての選択だったと。それを聞いたシルウィンはひどく驚いた。それから、少しだけ子どものままでいてはいけないと、考えなければと思った。


 風のエレメンターとして、風に愛されているクロードに興味があったとも。これはマックスとローゼが最高の褒め言葉だっただろうと笑いあった。


 パンケーキの山がすっかりなくなる頃、シルフィーとシルウィンの行き違いは正された。


「じゃあ、ボクのしたことって、全部無駄だったの?」


 それでも、シルウィンが不満そうなのはしかたがないかもしれない。後先考えずに、飛び出したほど姉を心配していたのだから。


 誰も何も言わなかった。


 確かにシルウィンが朝まで待っていれば、不格好なつぎはぎの翼号で飛び出すこともなかった。


 修道院と村の有力者たちが誘拐されたといったのは、嘘ではなかった。彼らからしたら、誘拐されたに違いなかった。シルフィーがあの時、そこまで考えられるだけの余裕があれば良かったのかもしれない。


 無駄だったと言うには、あまりにもシルウィンは必死だった。


「無駄じゃない。俺、大樹海を出ることができたから」


 シルフィーとクロードの計画には、ギディは入っていなかった。そのことだけが不満だったと、ギディのムッとした顔でよくわかった。


 後ろめたくてシルフィーの視線が宙をさまよっていると、天空楼閣号の揺れ方が変わった。黒い猟犬号との距離を保ったりするのに、出力をあげていたエンジンからの振動が明らかに変わった。


「安定飛行? なんでだ?」


 マックスが首をひねると、ベルが操縦室からやって来た。


「やっと終わったぁ。ローゼ、私のパンケーキは?」


「今、焼いてくるけど……安定飛行、早くない?」


 腑に落ちない態度のローゼに、ベルの方が首を傾げる。


「クロードが帰ったって、レイヴンから聞いたんだけど……?」


「ナンセンス!」


 両手を口元にやってシルフィーが椅子から飛び上がった。


 確かに右舷側の丸窓から、離れていく黒い猟犬号が見えた。


 シルウィンとギディは何か憎まれ口を叩こうとしていたというのに、あれでサヨナラとはどういうことだろうか。なにより、マックスとシルフィーですら理解できなかった。


 すぐに何食わぬ顔で戻ってきたレイヴンは、かすかに笑みを浮かべていた。


「クロードから話を聞かせてもらった。その上で、リー姉妹とギディの今後のことを提案させてもらったら、あっさり帰った。おそらく、ギディに勝ちを譲った理由がバレる前に帰りたかったんだろう。整備不良なんて、すぐバレる嘘をつく意味がわからん」


 マックスだけが、納得したと満足気に頷いている。


 レイヴンは、実に多くの後始末をクロードから引き継がなければならなかった。まずは、この話からだ。


「クロードにも言ったが、リー姉妹とギディの今後について提案がある」


 その提案はリー姉妹とギディにとって、願ってもないことすぎた。

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