3-4

 午後3時42分。天空楼閣号内にて。


 クロードたちの黒い猟犬号を追いかける前に、天空楼閣号に針金が混ざった極太のロープで繋がれたつぎはぎの翼号の固定化する必要があった。


 余計なお荷物ではあるが、飛行船落下事故を起こせば飛行船乗りとしての信頼は失われる。二度と空へ上がることはできない。


 ベルとローゼの共同部屋で予備の作業着に着替えたシルウィンは、廊下で待たせていたレイヴンになにか言う前に彼は事務的に指示を出した。


「ベルは操縦室で待機してろ。シルウィン嬢はこっちだ」


 大好きな幼なじみと同じくらい無愛想な人がいるなんて、臙脂色のバンダナをした黒い作業着のレイヴンに会うまでシルウィンは知らなかった。黒い髪だけがギディと同じだけれど、釣り上がった黒い双眸は鋭いというよりも冷たい。


 ギディは愛想はないけれど、冷たくはない。だから、このレイヴンという人物がどこか苦手だとシルウィンは思った。


「やることは、気嚢のガスを調節して軽くすること、それから船尾に固定すること。わかるな?」


 シルウィンは大股で足早に歩く彼についていくのがやっとだった。その上、振り向くことなく投げつけられる指示を理解しなければならない。やはり彼は苦手だという思いを、シルウィンは強くする一方だった。




 午後4時16分。天空楼閣号、外通路にて。


 ギディが悔しさをつのらせていると、スーッと一羽の鷹が舞い降りてきた。鷹はギディが握りしめている手すりのすぐ横に止まる。


 しばらく少年と鷹はじっと互いの瞳を覗きこんでいる。と、鷹の向こうにある外通路の天井から上へと伸びるロープが揺れて、肩幅の広い男が滑り降りてきた。


 スッと静かに鷹は、ベルトのフックを外している男の右肩に止まる。


「お前がグウォンが言ってたギディか」


 遮光ゴーグルを首までおろした栗毛のその男は、癖のある短い髪と同じ色の双眸を愉快そうに輝かせて、ギディを手招きした。シルウィンが気にはなるが、じっとしているよりかマシだったので、手すりからしぶしぶ手を離した。


「俺はマクスウェル・ランドウォーカー。マックスって呼べよ。マクスウェルでもなく、ランドウォーカーさんでもなく、マックス」


 ギディが近くで男の見上げると、マックスはタレ目がちで愛嬌のある好青年だった。離れたところから見た時は、体格のいい無骨な男の印象が強かったので、少しだけギディは胸をなでおろした。クロードを思い起こしていたからだ。


「で、この貴婦人レディはミレディ。気高きレディ、ミレディ」


 鷹の貴婦人レディはチラッとギディを一瞥してそっぽ向いてしまった。馬鹿にされたとムスッとしたギディに、笑いかけてマックスはついてくるように言った。


「さっさと、やることやらねぇと、レイヴンの野郎がうるせぇからな。ああ、気にするな、ミレディは気難しいからな。初めましてで視界に入っただけでも、マシな方さ」


 船尾に向かって外通路を歩きながら、ギディはあることに気がついた。


「ギディ・ニーズ」


「ん?」


 ポツリと、それでいて強風に負けない強さをこめた少年の声はしっかりとマックスの耳に届いた。


「じっちゃんが言ってた。自分の名前くらいちゃんと名乗れるようにしろって」


「名前くらいはねぇ。レディ、ちょっと遊んでこい」


 ミレディは、素直にマックスの肩から飛び立った。


 見張り台で先ほど無愛想な口よりも先に手が出る少年だと、グウォンから聞いている。相性が悪かったとマックスにもわかるような言い方だったが。


 船尾の中央の7段しかない短い下り階段の先にある頑丈な扉の前で、マックスは赤茶色のつなぎの沢山あるポケットに次々手を入れて鍵を探し始めた。


「わりぃ、鍵とかいつも探しちまうんだよ。ま、必ず持ってるから待ってろ」


「わかった。そこ、機関室?」


「ん? ああ、そうだ……これでもねぇ……上昇するから、出力上げる必要があるからな……ここでもねぇし……」


 ブツブツ悪態つきながら、マックスはポケットの中身を取り出してはまた突っ込む。なかなか鍵は見つからない。いつものことではあるが。


 外通路から奥にはいっているので、さらされる風の勢いは若干弱く感じる。しかし機関室の前だけあって、熱機関からの振動と駆動音は他の場所よりも大きかった。


「お前、ヒョロッちいが、力仕事、大丈夫か?」


 ようやく鍵を見つけたマックスが解錠しながら、後ろで待たせていたギディを振り返った。


「俺、木こりだし。頭は悪いけど、力仕事だけが取り柄だから」


「そうかい、そうかい。俺もだ」


 マックスの人のいい笑顔に、ギディの口元がほころんだ事を知ったら、シルウィンはきっと驚きの声を上げたことだろう。




 午後4時46分。天空楼閣号船外にて。


 初めての飛行中の船外作業にまごつくことも多かったが、シルウィンはレイヴンが期待した以上の働きを見せた。船外作業で使う標準的な手信号を覚えていたことも、内心レイヴンは舌を巻いた。


『固定完了』


 離れたところでロープが固く結ばれていることを確認して、シルウィンはレイヴンに素早く手を動かした。


『了解』


 黒いマフラーを一度引き上げてから、つぎはぎの翼号を繋いでいた釣り針を外して天空楼閣号下部の発射台にいるローゼに向かって釣り針を巻き上げるようにて信号で指示する。


 作業の速度を落としているとはいえ、高度は2600フィート弱(792メートル)ある。


 高さに目がくらんでパニックになるなら、レイヴンは1人で作業するつもりだった。そうなるだろうと、レイヴンは考えていた。


 シルウィンは借りたのは、ねずみ色の作業着と道具などたくさんある。だが、赤いしっかりとした編地のフライング帽と、くすんだフレームの遮光ゴーグルは彼女のものだ。すぐにバランスを崩して吹き飛ばされそうな小さな少女。しかしベルトのバックルに繋いである命綱を左手でしっかり握りしめて、気嚢の外枠に足をかけてまっすぐこちらを見ている。


「興味深いな。少年だけではなく、彼女もまた」


 黒いマフラーの下で彼がつぶやいた言葉は、風にさらわれるまでもなく誰にも届かなかった。


『撤収』


 手信号を出した後、ズキッと痛んだ額をバンダナの上からレイヴンはそっと押さえた。




 午後5時04分。天空楼閣号内、女子部屋にて。


 再び女性の共同部屋でローゼの服にシルウィンが着替え終わる頃、短いやり取りを終えた伝声管に蓋をしたローゼが振り返った。


「シルウィンちゃん、今から第四空層まで上昇するから、転ばないようにしてね。シルウィンちゃん、細いから」


「ボクは細いのがいいんだ!」


 からかうように笑うローゼを、ムスッとしたシルウィンは彼女の女らしい体つきに、言葉にしたくない焦りを感じた。


「はいはい。座った座った」


 固定された木製のベッドの隣りに座るように、ローゼが促される。シルウィンは端に座ってそっぽ向いた。




 同刻。天空楼閣号、機関室にて。


 中型飛行船の天空楼閣号の機関室には、3つのエンジンがある。空層の風に乗った安定飛行中は中央一番大きいメインエンジンのみが稼働している。下降時よりも上昇時の方が出力を上げる必要がある。何時でもすぐに稼働できる右のセカンドエンジンはもちろん、完全に止まっているサードエンジンまで動かす必要がある。


「いいか! 合図したら、そのレバーを一気に引けよ!」


 マックスと同じ火傷やけど対策の厚手の黒い上着を羽織ったギディは、額の汗を拭って駆動音に負けないように声を張り上げた。


「了解! いつでもいいよ」


 床から腰のあたりまである鋼鉄製のレバーの取っ手を両手で握りしめる頼りない体格の少年に、マックスは満足そうに笑いかけた。


 少人数のレイヴン商会では、機関士はいない。肉体労働向けのマックスが機関士の作業も担当している。本職ではないだけにマックスにとって、高い身体能力を持つギディの手伝いは、大歓迎だった。


 数ある計器を確認したマックスが合図を送る。


「今だ、ギディ!」


 グッとギディがレバーを引くと、3つのエンジンのエネルギーが1つになって、稼働を始めた。


「ギディ、どっかつかまっとけ」


 マックスが言い終わらないうちに、天空楼閣号が大きく一度揺れた。


 空の何でも屋を名乗るレイヴン商会の天空楼閣号が、空賊、黒の狩猟団の黒い猟犬号の追跡を開始した。

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