Chapter 6 じっちゃんが教えてくれたこと

6-1

 シルウィンが言っていたように、ギディは大樹海の中でしかウィングカイトに乗ったことはない。しかし、第一空層の高度約2500フィート(762メートル)で飛んだことがないわけではない。


 条件と技量さえあれば、命知らずの鳥レックスレスバードは何時間も飛んでいられる。上手く風を捉えられれば、どこまでも上昇可能だ。


 しかし、飛行船から飛び立つことは初めてだった。


 驚いて呆れるマックスを、レイヴンが許可したと納得させて、サンセットバードに飛び乗った。


「いいか! 絶対、戻ってこいよ。無茶して墜ちたら、俺、シルウィンちゃんに殺されるからな!」


 吹き込む風の中でもしっかり聞き取れるマックスの声に、大げさだとギディは思った。


 格納庫の床が傾き始めると、マックスは隣の部屋に引き上げていった。


 マックスが教えてくれた、係留ロープの切り離し方を確認して、大丈夫だと、ギディは言い聞かせた。




 午後0時15分。運命の白煙弾が放たれた。


 初めての滑り降りるスタートを、ギディは落ち着いてクリアした。


 クロードのサンライズバードの真後ろではなく、やや上から追いかける。


 養父が与えてくれた練習用のウィングカイトよりも操作性にすぐれている分、扱いづらい。しかし、ギディはすぐにサンセットバードを乗りこなす自信があった。


 向かい風の中、翼の角度を感覚で調整しながら、ギディは養父ザナン・ニーズの教えを繰り返し反芻していた。


命知らずの鳥レックスレスバードは風を味方にしなけりゃ、話しにならねぇ』


 上手く飛べた時も、飛べなかった時も、ザナン老は必ず現役の頃の話を聞かせてくれた。普段は無口な養父が、機嫌よく思い出話をしてくれた。その話を聞くためにギディは木こりの仕事を手伝いながら、ウィングカイトの練習をしていた。シルウィンと出会ってからは、つぎはぎの翼号の製作に練習時間を削ったが、それでもずっと続けてきた。ザナン老が亡くなっても、ずっと続けてきた。


『かと言って競技レースで、味方になってくれるのをまってたじゃあ、負けちまう。そういう時のとっておきの旋回ターンのおかげで、俺は伝説の男になれたわけよ』


 伝説の男の意味はよくわからなかったが、養父が誇らしげに口にするだけで充分だった。


 クロードのサンライズバードが、先に旋回ターンを始める。


『風が味方してくれないなら、ガツンということ聞かせてやればいい。ま、簡単なことじゃないがな』


 簡単なことじゃないどころか、墜落の危険性が非常に高い旋回ターンの体勢にギディも入った。


 サンライズバードがヘアピンを終えたが、ギディはもうクロードのことは視界に入らなかった。


 重心をずらしながら、両手で握りしめるバーを持ち上げる。縦に上昇しながら、横にも180度回転する。


 向かい風から追い風に変えて、ウィングカイトの先を少し下げると、ギディは最後の加速装置ブースターを起動させた。


「いっけぇえええええええええ!」


 軽い加速装置ブースターの爆発音をかき消すように、ギディは叫んだ。


 追い風を超えるような勢いで、ギディは加速する。




 ギディが垂直上昇旋回バーチカルアップターンを始めた時、マックスは舌打ちをした。


上昇アップかよ」


 マックスはクロードの勝ちが確定したと思った。やや大きく上昇する愛機が一番高い位置でこちらに向きを変えた頃には、クロードのヘアピンは終わっていた。


 彼は今、グウォンとともにレイヴンたちのいる外通路から見守っている。


 ギディの熱意に押されるように、交代したことをマックスが後悔した時だった。

 愛機サンセットバードの加速装置ブースターが起動した。


加速垂直上昇旋回ブーストバーチカルアップターン?」


 呻くようにギディの旋回ターンの名称を口にしたマックスは、夢を見ている気分だった。


 向かい風でスタートするため、旋回ターンの後は追い風になる。白煙弾の地点から互いの自船の外側を進む間は速度が出やすい。しかし、下手に加速装置ブースターを使えば、速度が出すぎてコースから大きく外れることがある。最悪、バランスを崩して墜落だ。


 マックスの目には、ギディは愛機で強引に加速しているように見えた。下手に風にのるのではなく、弾丸のように突き進んでいるように。


 あっという間にサンライズバードを抜いて、天空楼閣号の外側に回り込んで見えなくなってしまった。


「ギディ・ニーズって……、あーくっそ、伝説のザナン・ニーズのニーズかよ」


 マックスは悔しそうに、それでいてどこか嬉しそうだった。


「ギディのじっちゃん、知ってるの?」


 ギディが戻ってくるまで心配で気が抜けないが、シルウィンはマックスの口からギディの養父の名前が出てきたことに驚いた。それも伝説のとは、どういうことだろう。


「じっちゃんって、あいつ、やっぱり孫かよ!」


 そうではないと否定したかったが、興奮したマックスの舌は止まらなかった。


「神だよ、神! 閃光のザナンは、命知らずの鳥レックスレスバードの神だ」


「しかし、あの位の距離では、クロードは簡単に逆転できる」


 興奮するマックスに水を差したのは、レイヴンだった。


「でっしゃろなぁ。なんせ、向こうは3回、加速装置ブースター使えますからなぁ」


 グウォンもクロードの優勢が覆っていない事を指摘する。


 興奮したマックスにつられて、顔を輝かせ始めていたシルウィンの顔が一気に曇る。


「いいや。ギディの勝ちさ。あんなことやられたんじゃ、クロード兄さんは加速装置ブースターを使えないだろうよ」


 そろそろ帰還の準備すると、マックスは足早に外通路を後にした。


「クロード、兄さん?」


 マックスの楽観的な発言の中で、シルウィンは憎い敵の名前を親しみをこめて口にしたことに気がついた。


「おっ! 戻ってきたみたいですワ」


 わざとらしくはあったが、グウォンは今しばらく、シルウィンの追求を先送りすることに成功した。


 黒い猟犬号の向こうから、サンセットバードの影が現れていた。


 クロードはまだ、天空楼閣号の向こうから姿を見せていない。

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