7-2

 7の月26日、夜。ディエンの村、集会所にて。


 シルフィーは22歳だ。エレメンターとしての才能にも恵まれ、3年ほど前から学術都市の研究機関からも声がかかっている。いつでも、修道院を出ることができた。


 それでも、ずっと修道院にいたのは、妹のシルウィンがいたからだ。


 物心つく前に一緒に修道院へやってきた妹は、シルフィーと同じようにエレメンターであることを期待されていた。大人たちの勝手な期待だった。


 妹が普通の子どもだと知った時の大人たちの手のひらの返しようは、未だにシルフィーは忘れていない。


 冷遇され独りにされることが多くなったシルウィンは、飛行船の学習に没頭することで寂しさを紛らわせ始めた。ギディと出会って少しはマシになったが、大人になりたくないと、かたくなに子どものままでいたがった。


 本音と建前もうまく使い分けられない妹を置いて、どうしてシルフィー1人だけ修道院を出ることができるだろう。




「……で、本人はいいって言ってのかい?」


 ぼんやりしていたシルフィーは、急ごしらえの宴席で酒盃を煽る大男に意識を戻した。


 長細い楕円のテーブルの向かいに座る燃えるような赤毛の大男は、クロードとだけ名乗った。


 大陸南部の出身の中には、初対面の相手にファミリーネームを教えることを嫌う人が多いという。氏素性で、人となりを判断されることを嫌うらしい。


 しかし、シルフィーは彼が氏素性を隠すのは、別の理由があると知っている。他所の土地のことに関心ない年寄りたちと違って、シルフィーは知らない土地の噂話が好きだった。


「私がいいと言ったら、お金を出すのですか?」


 試すような発言に、修道院の上の方の連中と村の有力者たちは焦った。クロードの両脇にいる武骨な男たちは、怒りからか顔がひきつっている。


 シルフィーは、クロードの答えが知りたかった。


 クロードは風に愛されている。


 エレメンターだからこそわかる。


 彼ほど風に愛されている人に、シルフィーが興味を抱くなという方が無理だった。風に愛されているなら、風と相性のいいエレメンターをがっかりさせてほしくなかった。


 彼は酒盃をテーブルにおいて、呆れたようにため息をついた。


「金で買えるくらい、エレメンターっての安いのか。何かと感情に左右される不安定なエレメンターよりも、鉄砲玉のようなシルウィンって妹の方が頼りになる。なかなかいい整備士になるだろうよ」


 クロードはシルフィーよりも妹を認めてくれた。シルフィーにとって、どれほど嬉しかったか彼は気づいていないだろう。彼に抱きついてしまいたいほど嬉しかったのだが、なんとか理性を優先させた。


 なめられないように彼女は、毅然とした態度を取り繕い続けた。


「それは妹のシルウィンを、整備士として雇ってくれるということですか?」


「ないな」


 肩をすくめるクロードに、シルフィーは最後の切り札カードを切る機会を伺っていた。この交渉には、彼女と妹の人生をかかっている。


「俺たちの飛行船に乗ってるのは、全員男だ。そんな中で若い女は雇えねぇよ」


 もっともだと、シルフィーは頷いた。修道院と村の有力者たちは普段見せないシルフィーの強気な態度に、口を挟めずにいる。


「女1人では無理なら、どうか私も一緒に」


「だから、金で人を買うなんてクソみてぇなことしたねぇってんだ。はっきり言って、楽じゃないぜ、飛行船乗りってのは。その上、男所帯。あんたほどの美女を乗せたらろくな事にならない」


 娼館で金を出すのとわけが違うと、クロードは考えている。ひと時の快楽を買うのと、人そのものを買うのはわけが違う。例え本人がよしとしても、クロードの自尊心がよしとしない。


 シルフィーは両手を強く握りしめる。


「自分の身を守る自信はありませんが、その気になれば飛行船を落とす自信はあります」


「怖いこと言うな。俺は嫌いじゃない。だが周りをよく見てみろ。タダでアンタを手放してくれそうな顔してないぜ」


 そのことは、シルフィーはよく知っている。修道院と村の有力者たちは、絶対にタダで自分を手放さないことを、シルフィーはよく知っている。


 初めて見せる強気なシルフィーの態度。これ以上話させるわけにもいかないと、隣りに座っていた修道院の年老いたジュリア院長が手をおいて退出を促そうとした。


 その手を振り払って、シルフィーは切り札を切った。


「ナンセンス! 私よりも、こんな老いぼれたちの顔色を気にするなんて、それでも空賊? 見損なったわ!」


 様々な種類を含んだ沈黙の後、クロードは初めて本気でシルフィーがほしいと思った。


「俺たちが空賊だって知ってたのかい」


 席を立ったクロードは、テーブル越しにシルフィーに手を伸ばす。


 止めようとする年寄りたちを、クロードの2人の手下たちがナイフや拳銃をちらつかせて席に留める。


 シルフィーとクロードには、周囲など見えていない。シルフィーがしっかりとクロードの手を握る。


 にやりと笑って、クロードはテーブルに足をかけてシルフィーを抱き上げた。


「じゃ、彼女、連れて行く。ジョン、リッキー、行くぞ」


 後は笑ってしまうほど簡単に、黒い猟犬号に帰還した。


 問題はその後だった。




 午後11時29分。黒い猟犬号、作戦室にて。


 クロードはあらためて、シルウィンはいい整備士になれると思い直した。


 彼女が仲の良い少年と集めてきた部品はどれもこれも、黒い猟犬号を問題なく復旧させた。


 いつでも飛び立てるという時になって、クロードため息をついた。


「シルフィー、悪いが妹のシルウィンを置いていくしかない」


「ナンセンス! 話が違うわ」


 ひとまずと、黒い猟犬号に引き上げてきたのが間違いだった。修道院にいるシルウィンを迎えに行かせた手下の話では、すでに自警団が修道院に集まり始めていた。いくら荒事に慣れていると空賊はいえ、たった1人の手下では不利だ。


 クロードの話を聞いても、シルフィーは諦めきれなかった。


「ブルーノ、ジフを呼んできてくれ」


 しばし考えた挙句、クロードはシルウィンを後日で迎えに来ることを提案した。いくらシルウィンがいい部品を調達してくれても、一度整備場で飛行船をしっかり修理したい。それから迎えに来るという。


「大人しく待つように、急いで手紙を書いてくれ。それをうちの部下にもたせて説得させる」


「……わかったわ。ただし、妹を迎えに来るまで、私はいっさいあなた方に力を貸さない」


「俺たちも手を出さないと約束する」


 空賊としてではなく、風に愛されている男として、シルフィーは彼を信じると決めた。


 大人しく待っているようにと手紙を書いて、クロードの手下に預ける。




 7の月27日。午前0時25分。


 黒い猟犬号はシルフィーを仲間未満の客人としてのせた黒い猟犬号は、ディエンの村をいったん後にする。

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