Chapter 5 交渉、あるいは空の決闘

5-1

 7の月28日午前5時48分。天空楼閣号、右舷側外通路にて。


 一晩中自由に大空を羽ばたいていたミレディを右腕の篭手の上に乗せて、マックスは肉片を与えている。


「で、俺がするかもしれねぇんだろ?」


 振り返らずに、背後で壁にもたれているレイヴンに確認する。沈黙が肯定だ。露骨に嫌そうな顔をするマックスに、相棒のミレディは慰めるようにクイッと頭を持ち上げる。


「ありがとな、レディ。つか、何やってんだよ、クロード兄さんは。やりづれぇったらねぇよ」


「マックス、最後まで隠しておけ」


「努力する。ほんっと、お前らといると退屈しねぇよ」


 レイヴンが立ち去るのを背中で感じて、マックスは髪の色の違う長兄に心の中でたっぷり悪態をついた。


「なぁレディ、恨めしいくらいバード日和で、嫌な予感しねぇか?」


 当たり前だが、鷹のミレディは何も言わなかい。むしろ、愚痴っぽい相棒に辟易したのか、去って行ってしまった。


 吹きつける風は、命知らずの鳥レックスレスバードとして体がうずかすにいられないほど、心地いい。それが今のマックスにとって、この上なく不吉な前兆に思えてならなかった。




 午前6時07分。天空楼閣号、リビングにて。


 しばらく前に目を覚ましたシルウィンは、自分の膝を枕にして熟睡しているギディをどう起こそうか悩んでいる。さすがに膝がしびれて限界を超えていたが、いつまでも大好きなギディの寝顔を眺めていたいという願望もある。


 とても気持ちよさそうに眠っているギディは、やはり整った顔立ちだった。


 とても幸せな悩みを持て余してるシルウィンを、現実に引き戻したのは朝食を持ってきたローゼだった。


「おっはよ。あらら、まだ愛しのギディくんは夢の中ね」


「い、いとし? まだそんなんじゃ……」


 慌てたシルウィンが勢いよく立ち上がったために、ギディは床に頭をぶつけてしまった。


「ご、ごめん! ギディ、大丈夫?」


「……じっちゃん、ご飯? ごめん、俺、まだ寝るよ」


 焦るシルウィンだったが、寝言を言ってギディは床でまだ寝ている。彼女の顔は一気に真っ赤に染まった。


「馬鹿ギディいいいい!」


 リビングはもちろん、外通路まで届きそうな声が小さな体からよく出るなと、ローゼは耳を心配しながら考えた。


 ローゼ・パルファンは久々の客人たちを歓迎していた。ロクな金にならない今回の飛行を、楽しんでいる。もともと楽天家のローゼにとって、この天空楼閣号は退屈知らずの楽園であった。今回の予期せぬ客人は、とても楽しい。


 ローゼは夕べ、一緒に寝るはずだったシルウィンが女部屋に来なかったから、心配して探した。しかしリビングでぐっすり眠っている若い2人を見つけた時は、胸がキュンとして興奮した。もちろん、当の少年少女は知る由もない。


 真っ赤な顔でシルウィンは、バシンバシンとギディを叩いて起こそうとしている。


「馬鹿ギディ、起きろ! 馬鹿ギディ、馬鹿ギディ」


「うぅ、じっちゃん、まだ眠いぃ、うーん……」


「じっちゃんじゃない、馬鹿ギディ!」


 ギディはうめいたりゴニョゴニョ寝言を言うだけで、なかなか起きない。


「可愛すぎか」


 朝から大好きな光景に、ローゼの顔が緩みっぱなしだった。




 午前6時15分。


 レイヴンがリビングに来た頃、シルウィンとギディは同じベンチでそっぽ向いていた。もっとも、彼の目的はローゼであったから、視界の端に映る程度だったが。


「ローゼ、次の見張りをたのむ」


「えーっ。次はマックスじゃない」


 鼻歌を歌いながらテーブルにトーストや目玉焼きを並べていたローゼは、手を止めて舌を突き出した。


「マックスには、俺が交渉に失敗した時のために、準備していてもらう」


 そういうことならと、しぶしぶローゼは了承した。1人椅子に座って食べ始めるレイヴンに鼻を鳴らして、トーストと目玉焼きを1つずつ皿に乗せて、壁際のベンチに座っている2人にわたした。


「いただきます。あの、レイヴンさんの交渉が失敗した時って、どういうことですか?」


 シルウィンは苦手なレイヴンではなく、ローゼに小声で尋ねた。豊満な胸がやや気に入らないが、ローゼが一番話しやすかったからだ。聞けば、まだ20歳だという。22歳の姉よりも年が近かったこともある。


「いつも失敗するわよ。一応、うちのリーダーだから、最初に口で交渉するけど、相手を怒らせて交渉決裂。やる気あるのかって感じよ。その度に、うちの命知らずの鳥レックスレスバードの出番ってわけ」


 大きな声で彼女が説明しても、2人から見えるレイヴンの背中からは何も感じられない。


「ローゼ、そろそろ交代の時間だ」


「はいはい。ね、わかるでしょ。うちのリーダー、愛想ってものがなさすぎなのよ。また後でね、少年少女よ」


 ローゼが去った後、居心地の悪い空気でリビングは満たされた。しかし、美味しいはずの朝食が全く美味しく感じられなかった。


 居心地の悪さを感じていたのは彼女だけだったようで、ギディは早くも空になった皿を片手にテーブルに向かった。


「おかわり、いい?」


「ああ、かまわない」


 幼なじみの鈍感さと底なしの胃袋に、シルウィンは肩の力が抜けた。


「……馬鹿ギディ」


 聞こえないように呟かれた声に、いつもの怒りはこもってなかった。むしろ、好ましい感情がこもっている。




 天空楼閣号が黒い猟犬号に追いつくまで、4時間53分。


 空賊追跡劇にしては、おだやかな朝だった。

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