3-3
午後3時46分。
「おまたせぇ、ってあれ?」
ローゼが追加のパンケーキを持ってきた時には、グウォンとギディだけしかいなかった。
「待っとりましたワ。アッシら、このかわいそうな少年少女と契約したんですワ」
「はい?」
「同情なんていらない!」
首を傾げるローゼと憤慨するギディ。しかし、レイヴン商会の頭脳グウォンはテーブルの上に広げた地図から顔を上げることなく、左手を上げてローゼに指示を出す。
「シルウィンちゃんの知恵と勇気の結晶、なんとかの翼号……」
「つぎはぎの翼号」
「そうそう、すみませんなぁ、ギディくん」
黒のように見える紺色の大きめのジャケットのポケットから、グウォンは銀縁の丸眼鏡を取り出す。
「つぎはぎの翼号を固定しなおしとる、レイヴンとシルウィンちゃんのサポート頼みますワ」
「よくわからないけど、行ってくるわ。ほら、パンケーキおかわり、どうぞ!」
いたずらっぽく笑ったローゼがこっそり豊満な胸を強調したことに、ギディは気がつかない。少年の目は、パンケーキの山に釘付けになっている。悔しそうに舌をつきだしたローゼを横目でとらえたグウォンは、今日何度目かの苦笑いを浮かべた。
扉がやや乱暴に閉められた後、さてとギディに手招きする。テーブルは地図やメモ用の小振りの黒板、ものさし、コンパスなどでいっぱいだったため、ギディはシルウィンがいれば行儀悪いと怒るだろうと考えながら、手づかみでパンケーキを食べ始める。
「えぇですかい? ここがディエンの村ですワ。どの辺りに黒い猟犬号があったんですかい?」
「俺、頭良くないからわからない」
「はい? いやいやいや、それ困りますワ!」
「……」
気まずい空気の中、パンケーキの山がどんどん低くなっていく。
「ギディくん、ギディくん、じゃあ、だいたいでいいですワ。ディエンの村を右、大樹海を左としたら、飛行船はどの方向にあるのかくらいは分かりますでっしゃろ?」
「ディエンの村の中心から南よりの西に向かって、2マイル30ヤード(約3.3キロメートル)」
「……ギディくん、ギディくん、そこまで詳しく答えることができて、どぉして地図がわからんのですかい?」
額に左手をやりながらも、グウォンはものさしを使ってギディが教えた位置に黒い駒を1つ置く。
最後のパンケーキを食べ終えて、ギディは空のトレイを所在なさ気にクルクルと回している。
「じっちゃんが、地図なんかいらないって言ってた。自分の目で見た土地だけを知っていればいいって」
「そうですかぁ。爺さん、今ごろギディくんが心配で仕方ないでっしゃろ」
「じっちゃん、もういない」
「あー、そら失礼いたしましたワ」
この無愛想な少年が、どうも苦手だとグウォンは確信した。
「後、黒い猟犬号が飛び立った時間、方角、だいた……」
「時間は、今日の午前0時28分。方角は南南東。高度は2500フィート(762メートル)くらいで安定してた。多分、第一空層を飛んでいると思う」
「正確な情報ありがとうですワ。ちょいと、大人しくそこに座っとりなされ」
グウォンは思いのほか正確な情報を提供してくれたギディに、壁際のベンチに座るように促して黒い猟犬号を追跡する行程を計算しだした。
「シルウィンの手伝いしたい」
無愛想な少年が大人しく従うはずがなかった。
「あんたには、後で他のこと手伝ってもらうから、大人しく待っとりなされ!」
やはり、この無愛想な少年とはそりが合わないようだ。
もちろん、利点ばかりではない。急な上昇下降は飛行船に負担を与える。下手をすれば、即墜落の可能性もある。安全重視の客船や運搬用の商船は決して空層を変えたりはしない。するとすれば、冒険家、運び屋、各国の空軍、それから空賊だ。
グウォンは空層の変更も視野にいれて、航路を検討している。
きっかり10分後。
確かに自他ともに認めるレイヴン商会の頭脳であるだけのことはあって、グウォンは正確に黒い猟犬号を追跡する行程を計算し終えた。
「喜びなされ、ギディくん。今いる第二空層から第四空層まで上昇すれば、明日の昼過ぎに追いつけるはずですワ」
「本当に?」
クルクルと指先で回していたトレイを止めて、疑わしそうにギディは彼を見つめる。
「もちろんですワ。それには、ちっとばかしあんたにも働いてもらいますがな」
白いチョークで細かい数字が書かれた黒板を片手に、グウォンは眼鏡を外して後についてくるように言った。
黙って陽気な鼻歌を歌うグウォンの後ろを歩きながら、ギディはずっと気になっていたことを口にした。
「あんたら、何人いるの?」
「アッシ入れて5人ですなぁ」
「は? 馬鹿なの?」
「ギディくんとシルウィンちゃんだけには、言われたくないですワぁ」
ムスッと黙りこむギディにしてやったりとグウォンは、イタズラ好きの子どものような顔をしていた。
板張りの廊下をしばらく無言で歩いて、グウォンは丸窓のついた扉を開ける。強風に煽れて悲鳴を上げれば可愛げもあっただろうが、ギディは平然と手すりにつかまることなく後に続いた。
「あー、うちの誰かさんと同じ臭いがしますワ」
鷹を相棒にしているウイングカイト乗りのマックスの顔が、グウォンの脳裏をよぎった。
午後4時12分。
ギディは左舷側の外通路の手すりにつかまって、クシをしばらく入れていない黒髪を強風にかき回されながら天空楼閣号の下で行われている船外作業の声に耳を傾けけていた。
「じっちゃん、俺って役立たずかな?」
もし、天国が空の向こうにあるなら、養父に一番近づいたことになるはずだ。
グウォンにここで待つように言われているから、大人しくしているが、本当は悔しくてしかたないのだ。
シルフィーが連れ去られたことは、もちろん悔しいし、クロードたちが憎くてしかたがない。けれども、それ以上にシルウィンの力になれ無かった自分が悔しい。手すりを握る手に力がこもる。
「大人なんかになりたくない」
自分を捨てた見知らぬ親、養父に冷たくあたった村人たちのようになりたくなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます