Epilogue それぞれの空の下

8-1

 エスタ歴494年10の月26日。午前11時48分。ラシェン共和国首都ラシェット郊外、国立飛行場にて。


 昼夜問わず大小さまざまな飛行船が飛び立つ飛行場。


 飛行場の一角にある木造3階建ての飛燕館ひえんかんは、検問所だ。


 別れを惜しむ出稼ぎに行くであろう労働者の家族たちや、旅行に心を弾ませている気楽な学生たちなど、様々な人々があふれる2階まで吹き抜けのメインホール。


 内装に大樹海の樫材をふんだんに使ったメインホールは、村の集会所が2つは収まりそうな大きさだ。


 悪天候時以外は閉められることのない正面玄関からは、秋の風が吹き込んでくる。


 正面玄関横の壁際に立つシルフィーは、つばの広い麦わら帽子を目深にかぶり直した。


「ナンセンスすぎるわ」


 彼女は人の多い都市でも、これほど自分が目立つとは思っても見なかった。


 白金プラチナの髪の人も何人か出会った。しかしシルフィーほど、見事な髪の持ち主はいなかった。


 うなじが見えるほど短く整えた髪を、秋風が遊ぶ。


 新生活を始めるにあたってシルフィーが最初にしたことは、髪をさらに短く整えることだった。


 ほとんどハサミを入れたことのない髪を切ることに、抵抗がなかったといえば嘘になる。しかしクロードとともに鳥になるには、どうしても邪魔だったのだ。


「正解だったものね」


 シルフィーは、ラシェットの下町の大衆食堂のウエイトレスの仕事をしている。


 レイヴン商会がというか、レイヴンの提案で、リー姉妹とギディはこのラシェットの下町で新生活を始めている。


 新居探しから仕事探し、住民登録まで、すべて彼らがやってくれた。新生活に必要となる当面のお金まで貸してくれた。そう、貸してくれた。


 新生活に必要となった費用は、すべてレイヴン商会から借りた借金だ。250万ルギールの負債は、3人がかりでもそう簡単に返せる額ではない。


 また若い2人組の男が、シルフィーをチラチラ見ている。


 不幸中の幸いで、シルフィーは髪を短くしてからか弱いという印象がなくなった。どこか近寄りがたい、生命力あふれる美女として遠巻きに見られる存在になっていた。


 しかし、どこにでもうぬぼれた男はいるものだ。


 ニヤニヤ笑いながら、流行りの服を着こなしきれていない男がやって来た。


 目立つことは避けたいが、こちらの話など聞く気などないだろうから、少しだけ風の力を借りることにする。


「シルフィー! お待たせー!」


 彼らの足元に意識を集中していたシルフィーは、やや残念な気分で声の主を振り返った。


 金髪の愛らしいローゼが背中の麻袋を弾ませながら、小柄な体で右手を大きく振りながら駆け寄ってきた。いや、抱きついてきた。


「ロ、ロ、ローゼ! く、苦しぃ」


「久しぶり、シルフィー」


 ローゼの抱き癖に慣れているベルが、苦笑いをする。待ちに待った再会に、2人組の男たちは完全にシルフィーの視界から消えた。


「シルウィンとギディは?」


 ベルの指摘にハッとしたローゼは、あわててシルフィーを解放してキョロキョロと大好物の少年少女を探す。


「シルウィンは休みだからって、夕べ遅くまで最新の飛行船の構造だとかなんとか、勉強してたのよ。ギディはギディで寝過ごしてるシルウィンが起きるのを待って、一緒にいくとか、本当に……」


「ナンセンス」


 ローゼとベルはシルフィーの口ぐせを声をそろえて口にする。


 シルウィンは整備士見習いとして、整備工場で働き始めた。だが、自分の未熟さを思い知らされた。一時は辞めさせるべきかギディと相談するほど、彼女は落ち込んだ。シルウィンはとことん落ち込んだ後、以前よりも意欲的に飛行船の勉強を始めた。以前は飛行船の構造だけにしか関心がなかったが、今は飛行船乗りの流行りや礼儀まで貪欲に学んでいる。


「頑張り過ぎないように言っているのに……」


 姉としては体を壊さないか、それだけが心配だ。


「お、あれじゃないか?」


 ベルが指差した先に、ギディがシルウィンの手を引きながら走ってきた。


「馬鹿ギディ、ちゃんと間に合ったじゃないか」


 転ばないように走ってきたシルウィンが息を整えながら、ギディに抗議する。


「シルウィンが寝坊しなけりゃよかったんだ。俺が背負えば、もっと早くついた」


 ムッとシルウィンに言い返すギディの身なりは、見違えるほど整っていた。櫛が負けそうなほど放置されていた髪は短くなっている。


 ギディは飛行場で雑用をしている。雑用として扱われているが、早くも彼の身体能力はとても頼りにされている。管轄外だったはずの仕事も、少しずつ任されるようになっている。始めの頃は、自分に高評価を与えてくれる人々に、随分戸惑っていた。最近、自分が頭悪いと口にすることが減ったのは、自信がついてきたからだろう。


「シルフィー、もう用事済ませたの?」


 時おり生意気になるギディに、リー姉妹はイラ立つこともある。


 軽くため息をついて、シルフィーは手提げかばんから、小切手を取り出した。


「少しでも返済したいって連絡来た時、無理してるんじゃないかって心配したけど、大丈夫そうね」


 ベルの言う通り、あまりにも早く連絡が来たため、心配してローゼとベルは休暇のついでに3人の様子をうかがいに来たのだ。


「たったの4000ルギールだよ。わざわざ来ることなかったのに」


 照れ隠しからか、シルウィンは恥ずかしそうにそっぽ向く。年下の少年と見間違える貧相な体つきだったが、少しずつ女らしい体のラインになっている。


 一番少しでも早く返済したいのは、ギディだった。


 クロードがわざと負けた本当の理由を知ってから、ギディは早く自分のウィングカイトを購入してクロードと再戦をしたいと言って聞かなかったのだ。


 もともと軽量化されたマックスのウィングカイトが、ギディの無謀な飛び方に耐えられなかったのだ。もしも、第5戦が行われたら、確実にサンセットバードは空中分解して、命知らずの鳥レックスレスバードとともに墜落していただろう。


 ローゼが小切手を確認してしまうと、早くもお別れの時間が近づいていた。


 天空楼閣号は、マックスの新しいウィングカイトができるまで、整備工場に預けてある。


 乗り継ぎに失敗すれば、大規模な国立飛行場でも何日も寝泊まりしなければならない。


 あいにく、ローゼとベルの目的地は別々の場所であるのに、2人とも乗り継ぎの飛行船の離陸時間が迫っていた。


「今度来た時は、ゆっくりしていってね!」


 リー姉妹とギディはローゼとベルに別れと再会の約束して、飛燕館から外へ踏み出す。


 飛行船が飛び交う青空を見上げて、シルウィンはいつでもレイヴン商会のメンバーに会えるような気がした。




『いつか必ず、君たち3人の力を必要とする日が来る』




 レイヴンが別れ際に言った思わせぶりな台詞のせいもあるだろう。


 あっとギディが驚きの声を上げた。


「見て見て! あのカラス、レイヴンみたいだ」


「馬鹿ギディ、あのカラスのどこがレイヴンみたいなんだよ」


 確かにギディの指差す先にカラス1羽が飛び去っていくが、リー姉妹にはどこがレイヴンらしいのかよくわからなかった。


「頭が臙脂色だったんだ」


「ナンセンス! 目の錯覚よ」


「そうかな? うーん、そうだね」


 リー姉妹と一緒にギディも笑った。


 大都市ラシェットの大通りは、優しく3人の笑顔を包み込んでくれた。

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