Chapter 3 レイヴン商会の大人たち

3-1

 7の月27日午後2時43分。天空楼閣てんくうろうかく号にて。


 ギターの音がまず聴こえた。哀愁漂うそのメロディをギディは好きになれないと思った。ズキズキ痛む頭とギターにいらだちながら、ギディはうめき声をあげる。


「お、少年、お目覚めですかい?」


 気に障る成人男性の声を聞いて、ギディの脳裏に憎んでありあまる赤毛の大男の顔がよぎった。


「シルフィー! シル……っ!」


 飛び起きようとしただけなのに、体が宙に放り出されたと思ったら、頭から落下した。


「わぁ、それは痛いでっしゃろなぁ。少年、少年、大丈夫かぁ?」


 ギターの音は止んでいる。


 ただでさえズキズキ痛む頭で、頭から板張りの床に落ちたのだ。気に障る声の主が心配するのも無理はない。しかしギディは目から火花が出るような痛さだったにもかかわらず、勢いよく体を起こした。


「シルフィー! シルウィン、あいつら追いかけなきゃ、シルウィン? シルウィン、ど……っ!」


 一気まくしたてて、ギディはまた頭を押さえてうめいた。


 ギターを壁に立てかけてた男はため息をつく。


「少年、落ち着いたほうがええ。そうですなぁ、まずは深呼吸でっしゃろ。吸ってぇ吐いてぇ吸ってぇ吐いてぇ……」


「馬鹿にするな! 何だよ、ここどこだよ? お前誰だよ? シルウィンは? シルウィンに何かしたら、ただじゃすまさないからな!」


「まぁ、少しは頭が働くようになりましたなぁ。少年、立てますかい? シルウィンだか、シルフィーだか、わかりませんが、少年と冗談みたいな飛行船に乗っとった嬢ちゃんなら、無事ですワ」


 ギディは確かに混乱していたし、やっと落ち着いてきた。


 細い編みこみをいれている青い髪の男が差し伸べた手を乱暴にはたいて、ギディは自力で立ち上がった。男は気を悪くすることなく、むしろ余裕ありげに笑ってみせた。


「大丈夫そうですなぁ。嬢ちゃん、めっちゃアンタのこと、心配しとったで」


 ギディは体がゆれているのは、頭痛のせいだけではなく飛行船に乗っているからだと気がついていた。熱機関と回転翼による安定した振動と、不規則な風の振動。おそらく飛行船に乗らなければ体験できないだろう。


 ただし、つぎはぎの翼号ではない。自分が落ちる前に横になっていただろうハンモックも、はめ込みの丸窓も、雑多な日用品が転がっている綺麗とはいえない部屋のどれもこれも見覚えがない。


「アッシ、グウォン・グウィルトと言いますに、よろしゅう。それから、ここはアッシらの船。天空楼閣号ですワ。少年と嬢ちゃんが乗っとった空飛ぶじょうだ……小型飛行船が、アッシらの船にぶつかってきそうだったから、ちょいと拿捕だほしたんですワ」


 いちいちギディの気に障るしゃべり方で、配管がむき出しになっている細い廊下をグウォンは前を歩く。


「いやぁ、驚いたのなんのって、アッシとリーダーのレイヴンがアンタらの飛行船に様子見に行ったら、少年と嬢ちゃん、2人で飛んどったらしいじゃないですかぁ。しかも、少年は頭打って気絶しとるし、嬢ちゃんはパニック起こして泣いとるワ。いやぁ、アッシの人生30年と1年半の中で、3番目位に驚きでしたワ」


 突き当りの扉の前で、彼は一度振り返って声を落とした。


「そうそう、嬢ちゃんを少年と間違えたことは内緒な」


 ギディはなにも言わなかったが、右の拳をしっかりと握りしめた。




 扉の向こうで悲鳴と言うにはやや間抜けな声がした。


 さんざん泣きはらして、ウサギのような真っ赤な目をしたシルウィン以外の天空楼閣号の乗組員たちには、グウォンの声だとすぐにわかった。しかし、誰も心配するような素振りを見せない。扉の向こうが気になってしかたがないシルウィンに、勢いよく入ってきた青い髪の男グウォンが何があったのか勝手に喋ってくれた。


「いきなり殴ることないでっしゃろ! しかも、めっちゃ痛いですワぁ」


 いつもより不機嫌なギディを一目見て、シルウィンは背中を擦るグウォンを押しのけて彼に抱きついた。


「ギディ、大丈夫? もう痛くない? あ、おでこ、血が出てる」


「大丈夫だよ。シルウィン、心配し過ぎだよ。このくらい唾つけとけばいいって、じっちゃんがよく言ってたし」


「じっちゃんって、馬鹿ギディ」


 シルウィンは、天空楼閣号の釣り針による激しい揺れで、彼女の後頭部めがけて飛んできたスパナから身を挺してかばってくれたギディが心配でしかたなかった。


「ごめんね、ギディ。ボクのせいでこんなことなっちゃって」


「シルウィンのせいじゃないよ。全部、あのクロードって大男が悪いんじゃないか」


 壁から鎖で吊り下げられている一枚板のベンチに腰を下ろしたグウォンは、首を傾げてと壁に持たれている頭に臙脂えんじ色のバンダナをしたレイヴンを見上げた。


「クロード? あのあかつきのクロードですかい?」


 軽く縦に首を振って、レイヴンは肯定した。


 コーヒーの入ったお気に入りのマグカップを持った、褐色の肌に亜麻色の髪を高い位置で束ねた女性ベルが肩をすくめた。


「クロードのやつがシルウィンちゃんのお姉ちゃん、誘拐したんだって。信じられる?」


「いやいやいやいや……! あのクロードが誘拐って、あのクロードでっしゃろ?」


「グウォン、静かにしろ。少年がご立腹だ」


 レイヴンの言う通りだった。ギディがグウォンの背中をものすごい目で睨みつけている。シルウィンが抱きついていなければ、とうに殴り倒されていたであろう。


 よほど背中への一撃が痛かったのか、グウォンのよく回る舌がピタッと止まった。


「俺は、この天空楼閣号の船長のレイヴン。少年、お前が気を失っている間に、カノジョのシルウィンから事情は聞かせてもらったが……」


「シルウィンはカノジョじゃない。大切な友だちだ」


 聞き捨てならないとギディはシルウィンを背中にかばって、レイヴンのカラスの羽のような黒い瞳を見据えた。彼の背後で、シルウィンが目をうるませて肩を落とす。そのことを無愛想な少年に教えるべきか、レイヴンは迷った。


「それから、俺は少年じゃない。ギディ。ギディ・ニーズだ。行こう、シルウィン。早くしないと、シルフィーを助けられなくなっちゃう」


 クルッと回れ右してシルウィンの手を握った。しかし、シルウィンはうつむいたまま動こうとしない。


「行くってどこに?」


「シルウィンの飛行船に決まってるじゃないか!」


 泣きそうなシルウィンにレイヴンはため息をついた。


「少年、いやギディか。お前たちの乗っていた飛行船は、しばらく飛べない」


「ギディ、落ち着いて。落ち着いて話し聞いてよ」


 泣きそうなシルウィンが言うなら、ギディはおとなしくするほかなかった。カノジョではないが、ギディにとってシルウィンは大切な人には違いなかったのだから。

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