4-2

 午後8時16分。黒い猟犬号、娯楽室にて。


 非番の男たちが1ダース集まって、カードやボードゲームなど、それぞれ休息をとっていた。


 略奪時以外は腕利きの料理番であるツェン・シャン=ポーは、奥のテーブルで参謀ブルーノ・ダーリオと向い合って座っていた。


「まったく、アニキも酔狂な野郎だよな」


「アニキが酔狂なのは今に始まったことじゃないけど、さすがに今回みたいなのは、初めてよねぇ」


 女らしい仕草で煙草をくゆらすブルーノも、料理番に似つかわしくない筋肉質のツェンも、頭領のクロードより年上だ。


 黒の狩猟団では誰もがクロードをアニキと呼ぶ。カシラでもボスでもなく、アニキ。空賊に身を落とす前から、クロードはアニキだった。


 ブルーノは大粒のブルーダイヤの指輪をはめた骨ばった左の人差し指で、トントンとテーブルを叩く。


「まぁ、アニキにも可愛いところがあっていいじゃない」


「可愛い?」


 非番時に許された貴重なコップ1杯の蒸留酒をチビチビ飲みながら、ツェンは首をひねる。


「フフフッ、これだから男はダメなのよねぇ」


 血色の悪いスキンヘッドの男でなければ、蠱惑的な微笑みを浮かべたブルーノは、紫煙をくゆらせる。


「オカマのカンだけど、間違いなく、アニキはシルフィーちゃんにほの字よ」


「ぶふっ」


 ツェンは貴重な1杯を吹き出すのを、ギリギリこらえた。榛色の双眸を見開いて、否定の言葉を口にする。


「いやいや。彼女がこんなところにいるのは、あれだろ? それに、アニキはいつも女には困らないだろう」


 クロードは控えめに言っても色男だ。治安の悪い路地裏を歩けば、どの街でも娼婦の方から集まって来るほどには色男だ。ツェンたち手下がそのおこぼれに預かったこともある。


 気がつけば、娯楽室の全ての耳がブルーノとツェンの会話に集中している。


「馬鹿ねぇ。オカマのカンよ。カン。アニキは女にもてる分、女に惚れたことがないのよきっと」


 ふぅっと紫煙を吐くブルーノに、ツェンが胸をなでおろしかけた時だった。


「ここにいたのか、ツェン」


 入り口にクロードがいた。いくらタフなツェンの心臓でも、さすがにこたえたようだ。あたふたと立ち上がろうとするツェンに、持っていた黄金色の液体の入った瓶を揺らすクロードは、不自然な娯楽室の空気にまったく気がついていない。


「蜂蜜酒、もらってもいいか?」


「も、も、もちろんでさ」


 クロードは娯楽室にいながら、頭の中の占める事柄のせいで、異様な視線を集めていることにまるで気がつかない。ツェンの返事も上の空で聞いていた。


「ありがとな。…………ってっ」


 扉のない入り口の上枠に頭を思い切りぶつけたクロードは、ぶつぶつと悪態をつきながら去って行く。


 異常だった。いくら身長が7フィート(200cm)近くある大男のクロードでも、我が家同然の飛行船内で頭をぶつけることなどありえなかった。


「すげーな、オカマのカン」


 衝撃を孕んだ異様な沈黙を、ボソリと誰かが破った。




 クロードは後にした娯楽室で自分が話題の中心になっていることなど、まるで気がつかずに、飛行船内の廊下を歩いていた。


 黒い猟犬号には、基本的に扉がない。厄介な揉め事が起きないようにと、クロードが取り払ったのだ。扉代わりに、厚手の目隠し布があれば充分だ。


 倉庫の一室の前で、彼は足を止めた。昨日まではなかった目隠し布から漏れる灯りに、やや緊張した顔つきになる。


「起きてるなら、入ってもいいか?」


「どうぞ」


 間を置かずに返ってきたのは、軽やかなソプラノの声だった。


 深呼吸を1つしてクロードが目隠し布をめくると、窓際の椅子に座っている女性に見惚れてしまった。


 暖かい裸電球の灯りのせいか、腰まである豊かな白金プラチナの髪自体が暖かく輝いている。よそ行きのワンピースに男物のジャケットを羽織って微笑んでいる彼女を、ガラでもなくクロードは女神だと思った。


「ご用件は?」


 呆けていたことはバレていないかとハラハラしながら、クロードは無理やり顔を引き締めた。


「大したことじゃない。シルフィー、あんた、あまり食べていないようだったから、気になって、な」


 クスクスと彼女、シルフィーは笑い出した。その笑い方1つですら、クロードは惹かれてしまう。


「ごめんなさい。余計な心配かけてしまってたのね。でも、私はしっかりいただいたわ。生まれて初めてよ。動きたくなくなるくらいお腹いっぱい食べたのは」


「そうか、そういうことなら、よかった」


 血の気の多い男と、何かと厳しい修道院で育った女性の胃袋の大きさが違っただけのことと、クロードも納得できた。


「余計な心配だったな。よかったら、こいつ飲んでくれ」


 蜂蜜酒の瓶を小さなテーブルにおいて、立ち去ろうとするクロードを、シルフィーは立ち上がった。


「待ってください。時間があるのなら、お話しません? 1人だと、不安で仕方なくて」


 シルフィーの想定外の嬉しい一言に、またしてもクロードは入り口の上枠に頭をぶつけた。


「大丈夫ですか?」


 心配そうに駆け寄って見上げるシルフィーに、彼は大丈夫だと笑うが、2度も立て続けに同じ場所をぶつけて額から血がにじみ出ている。


「血が出てる」


「唾つけとけば、すぐ治る」


 同じ空の上で、同じような台詞を口にした少年がいることを、クロードは知らない。彼は入り口近くの木箱に腰をおろしてため息をついた。


「シルフィー、あんたには警戒心てもんがないのかよ。調子狂って仕方ねぇ」


「それはあなたが空賊だから? それとも若い男女が2人きりだから?」


「両方」


 奥の窓際の椅子に戻ったシルフィーは、クスッと笑って膝の上の手を見つめた。


「ナンセンス。貴方は私とのを守らなくてはいけない。それが、私を手に入れる唯一の方法ですもの」


 クロードは肩をすくめて苦い笑いを浮かべた。


「だな。で、不安の種は妹かい?」


 ギュッと膝の上の手を握りしめたシルフィーは、ためらいがちに口を開いた。


「シルウィンは目を離すと、いつも信じられないようなことをするから。今回も大人しくしているかどうか……」


「信じるしかないだろ? あんたの妹だ。確かに無謀なお願いを俺にするような嬢ちゃんだったが」


「……そうね」


 シルフィーに何を言っても妹を心配することをやめないと、クロードはよく理解できた。


「あんたがよかったら、明日、気晴らしに鳥になってみないか?」


「鳥?」


 顔を上げたシルフィーの視線に焦って、クロードは頭を掻きながら早口になった。


「嫌ならいいんだ。俺は昔命知らずの鳥レックレスバードの選手で、今は解散しちまったが、弟3人と四兄弟ブラザーズってチームで結構、賞金も稼いでてな。今もたまに飛ぶんだが、1人くらい一緒に飛べるだけの自信はあるし、気晴らしになるんじゃないかって……」


「なら、お願いするわ。ありがとう。ずいぶん、気が楽になったわ。ゆっくり眠れそう」


「そうか、そいつはよかった」


 その後、少しだけ今回のの今後を話して、クロードは倉庫を後にした。




 天空楼閣号が黒い猟犬号に追いつくまで、14時間25分。


 それぞれの夜が更けていく。

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