Chapter 4 飛行船の夜

4-1

 午後8時13分。天空楼閣号、リビングにて。


 最小限の照明の灯りの中で、シルウィンは1人で窓の外を眺めていた。


「第四空層だから、高度2750フィート(838メートル)くらいかな」


 下弦の月はまだ顔を出してくれないが、数えきれない星々が夜空を埋め尽くしていた。地上より遥か高く、低い雲の上を進む飛行船からでも空に手が届かない。


「お姉ちゃん、大丈夫だよね」


 あれだけ夢見た飛行船にいるのに、楽しむわけにはいかない。大好きなたった1人の家族と呼べる姉がいないのだから。シルウィンは物心つく前に、エレメンターであることがわかった姉のシルフィーとともに、修道院に預けられた。両親は一度も会っていない。大勢の大人たちよりも、たった1人の育ての親がいたギディが、いつもうらやましかった。


 つい先程までは、このレイヴンをはじめとした、この飛行船の大人たちに次から次へと様々な仕事をさせられていた。慣れないことばかりだったが、シルウィンとギディはとてもよく働いた。とても疲れたが、憧れの飛行船で仕事を手伝ったのだから、とても充実していた。


 おかげで、姉シルフィーのことをあまり考えることはなかった。


 仕事から解放された今、シルウィンはようやく今日という日を振り返る時間を手に入れた。


 色々なことがありすぎた。整理しきれないかもしれないけれど、落ち着いて考える時間をやっとシルウィンは手に入れた。


 姉のシルフィー。もちろん心配だが、エレメンターの能力目当てで攫われたのだから、生きている確信はある。


 レイヴン商会。なぜ、自分たちと一緒に空賊を追いかけてくれるのだろうか。つぎはぎの翼号に、そんな価値が無いことくらい、シルウィンが一番よく知っている。


 それから、ギディ。成り行きとはいえ、役立たずの大人たちにかわってつぎはぎの翼号で追いかけようと言ってくれた。これ以上ないくらい心強かった。2人で姉を取り戻せる気になっていた。


「馬鹿ギディ、大人は役立たずだってわかってるはずなのに」


 暗い丸窓に写る自分の顔に、認めたくない感情を素直に反映されていた。夜空を眺めるのをやめて、近くの一枚板のベンチに座った。


 無口で無愛想な木こりの少年は、マックスという命知らずの鳥レックレスバードに完全に気を許してしまっている。


 命知らずの鳥レックレスバードはウィングカイト乗りの俗称だ。推進力を持たない凧の翼のみのウィングカイトは、風をにのって飛行をする乗り物だ。高地から飛行するものから、ブースター付きで第三空層を飛行する上級者向けのものまであるスポーツだ。ブースター付きともなれば、高額の賞金が手に入る競技スポーツであるが、墜落すれば死につながる。


「何が命知らずの鳥レックレスバードが本物の空の男だよ」


 ギディの養父が命知らずの鳥レックレスバードだったことは知っているし、ギディも時間があれば大樹海でウィングカイトで遊んでいたことは知っている。


 知ってはいたが、ギディが命知らずの鳥レックレスバードになりたがっていたことは知らなかった。


 大好きな幼なじみに命知らずの鳥レックレスバードなんかになってほしくない。


 シルウィンは頭を抱えた。


「やっぱりここにいた」


 ギディの声がして、顔を上げると扉を後手で閉めている彼がいた。


 何故、扉が開く音を聞き漏らしたのだろうか。今のシルウィンは、ギディとうまく話せる自信がなかった。


 ため息をつきながらギディは隣りに座った。


「シルウィン、怒ってるでしょ」


「怒ってないんかいない!」


 思わず大きな声を張りあげて、シルウィンは悔しくなった。これでは怒っていると認めたことになるではないか。


「先に謝るよ、ごめん」


「馬鹿ギディ、何その謝り方……」


「俺がマックスと仲良くしてたから、怒っているんだろ。ちょっと盛り上がりすぎたのは、悪かったと反省しているってことだよ」


 ギディの強い口調には、イラだった感情が混ざっていた。強くシルウィンの肩を両手で掴んで、まっすぐ見据えてくる彼から彼女は目をそらせなかった。


「聞けよ、シルウィン。大人は役立たずで嘘をつく。僕たちのために空賊を追いかけるなんておかしいよ。あいつらもシルフィーが目当てに決まってる」


 彼は彼なりに考えていたのだと、シルウィンは初めて気がついた。


「俺はそれでも構わない。シルウィンはシルフィーと一緒にあの修道院に帰るつもりなの?」


 シルウィンは答えられなかった。まったく考えていなかったからだ。下唇を噛み締めてうつむいた彼女の肩を、ギディはまだ離さなかった。


「帰らずにしばらくこの飛行船にいようよ。シルウィンも俺も、あんなに働いたじゃないか。マックスも言ってたよ、いい意味で想定外だったって」


「……今は、お姉ちゃんのことでせいいっぱいだよ」


 安心した表情で肩を掴んだ手を離したギディにすがりつきたかった。巻きこんでしまっただけの大好きな幼なじみに、今すがりついてしまったら、シルウィンは自分がずるい女になってしまいそうだった。


 せめて感謝の気持ちだけでも伝えようと俯いていた顔を上げると、ギディの方からシルウィンに寄りかかってきた。気持ちよさそうな寝息を肌で感じる。


「……馬鹿ギディ」


 起こさないようにそっと膝の上に彼の頭をおいてから、恋人らしいかもと顔を赤らめるシルウィンだった。




 リビングの扉にもたれて2人の会話に耳を澄ませていた人影が1つ。


 バンダナの上から額をおさえながら、彼は自室へと引き上げていった。

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