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  • 私もずっと気になっていました。
    後最近は
    「これは貸しだからな」「これは借りだからな」
    を逆に使っているパターンも見かけますね。


  • 編集済

    還暦間近(『アラ還』は軽薄な印象)の身からすると、どんどん言葉が省略されて違和感を覚えつつ、徐々に慣らされているといったところです。
    ただ、「〜になります。」は全然慣れる気配がありません。

    今、気になっているのは『ら抜き言葉』ならぬ『い抜き言葉』(勝手に呼称しています)。
    某牛丼チェーンの「早い、安い、美味い」を例にすると「早っ!安っ!美味っ!」。
    セッカチな印象を抱きます。

    それから「立ち上げる」。
    設立、結成、創設…多くの言葉に代わって幅を利かせていて、語彙力低下の一端のように感じています。

    最後に最近カクヨムで気になっているのは「阻害」と「疎外」。
    「認識阻害」を「認識疎外」と表記している作品を多く見かけます。
    いつ頃から、何が原因でこのような表記が始まったのか気になります。

  • 「違和感を感じる」はプロでも使っておられる場合があるのですね。
    日常では使われるけども文章にすると字面がよろしくないわけで、慣れないうちは避けた方がベターというところでしょうか。
    改めて日本語って難しいなと感じました。

  • 大変参考になりました! 今まで心の声をダッシュ「――」を使ってきたので、()にすべきか悩みものです。ダッシュよりも()の方が温かい感じがしますね。これは個人的な主観ですが……。

  • >ちょっと作品名は思い出せませんが、以前に読んでいた少年漫画で

    マンガ版のパトレイバーですね
    インターミッション(閑話休題)
    私も良く憶えてます

    作者からの返信

    普段は返信はしないのですが、訂正の必要があるので……。

    私が書いているのは、残念ながらパトレイバーではございません。
    確かにパトレイバーに、そういったタイトルのエピソードがございますが、違います。

    また、実はこの「作品名は思い出せませんが」というのは、特定の作品を槍玉に上げるような書き方をしたくないがための表現でございます。
    その点、ご了承願えればと思います。

    編集済
  • ユーザビリティは大切ですね
    尺貫法だとピンと来ない人が多いですし

  • たまに「それは―――まさか!」みたいな文見かけますけど会話にダッシュが入るのっておかしいと思うんですよね

    作者からの返信

    普段は返信はしていないのですが……。

    会話文にダッシュを入れる用法というのは、戦前の文学にもいくつか散見されます。
    芥川龍之介や夏目漱石などの作品にも見受けられます。執筆者の原文ママかどうかは不明ですが、少なくとも出版物の中にはいくつか用例を確認することが出来ます。
    文章の最初に付けるパターンもあれば、文章の中ほどに挿入するパターンも散見されます。

    会話文にダッシュを使用するのは日本の小説などでも古くから使われている用法だ、ということだけでも覚えておいていただければと思います。

    編集済
  •  「何気に」はよく使います。が、「さりげに」って使いませんね。
     じつは略語が大嫌いなんです。「ガムテ」とか「モスコ」とか、聞くとイラっとします。

     あと、案外気になるのが、「なんでも」です。
     口語で使うんでしょうか? ラノベでは多用されてますね。

    「どうかしたの?」
    「なんでも」

     この会話、ぜったいおかしいと思うんですが。いや、ふだん使うんなら構わないんですが、使うんですかね? 「なんでも」。

    作者からの返信

    略語は、私も人名、特にコンビを縮めて言うのが苦手でしたね……。
    ※「オグシオ」とか。

    略語というものは古今東西使われてきたものですが、恐らくはいま私たちが普通に使っている「マジ」とか「経済」なんて言葉も、使われ始めた当時は違和感を覚える人が沢山いたのだろうなぁ……などと考えると止まらなくなりますね(笑)。

    >なんでも
    これはあまり見た覚えがないですね。
    一応、会話の流れで意味は通じるのでスルーしてしまっているのかもしれません(というか、ラノベの摂取率が激減したので本当に見たことがないかもです)。
    「なんでもない」の省略だと思うのですが、そんなにみんな「ない」が嫌いなんですかね?(苦笑

    これからは「なんでも」の用法についても少し意識してチェックしてみようと思います。

  • 誤用がそのまま定着する場合や新語の扱いが難しいです。自分は仕事がら地方の高齢者と会話することが多いですので尚更。年代もですけど地方によっても同じ言葉でもニュアンスが微妙に違うので表現に気を遣います。

  • 輿論は輿(こし)となる論説という意味合いですので、世の皆が担ぎ上げる説。
    いうなれば世間一般でよく支持されている論説という事になるのでしょうか。
    そこで世論という訳です。
    この世論という当て字は戦後の教育改革、つまりGHQによる改革によって行われたものだそうです。
    何故GHQが日本語の改革に手を出したかというと、戦後の支配の為に自分たちに理解できない(しにくい)文字を使わせない。
    そのため常用漢字を2500字に制限し、その上で漢字を単純化したかったのだとか。
    また日本人の言語理解力や数学力をスポイルする目的との説もあります。
    (こっちは定説ではなくトンデモの類ですが、自分は「あるかな」とも思ってます)
    學を学に変えたなども同じ理由のようです。
    なら乱暴なのも当然と言えば当然ですね。

  • 「一時閉幕」への応援コメント

    「間違えやすい日本語表現」は毎日使う言葉の意味を改めて考えるきっかけを与えてくれる小説で、読んでいて勉強になり、言葉って面白いと楽しく読んでいました。

    毎話意味を調べたりするのは大変だったはずです。ていねいな解説をありがとうございました。

    言葉について学べる小説だったので、閉幕は寂しいですが、これからも応援します。

  • 謎マナーはそれを会社内で肯定する人達(特に上司)が多い場合、否定する事の難しさがありますね。思考停止して「そういう決まりだから」で後輩、部下に強要する人がなんと多いことか。何事も思い込み、先入観だけで思考するのはいけないと言う事ですね。

  • ユニークは日常会話よりもネット小説の方が本来の意味通りに使っていることが多いように感じるのも面白いですね。

  • 常々感じていたハナシですね。「耳障り」の反対語は「耳に聞こえの良い」とか「耳にスッと入って来る」だと思っていたので。もっとも「耳に聞こえの良い」だと詐欺に繋がる悪いイメージしか有りませんが。


  • 編集済

    @pikaichitanaka さんのコメントに尽きると思いますが、引用されているツイートにも感じることとして、文法的事実や一般的な用いられたかとは関係なく、
    「自分の感じた感覚の方を表現したい」
    という「気持ち優先」の書き方・話し方が増えてきているように感じます。

    >実は、この間違いをされてる方の多くは、文法的な間違いを指摘しても通じが悪いので

    この作者様のコメントで触れられている状況の背景にあるのは、やはり上記のような感覚が広まっていることがある気がします。
    極端に言えば「文法なんかどうでもいいじゃん」とでもいうような感覚です。
    学校の規則や法律と違い、言語における文法は、長い歴史の中で人々が積み上げてきた感覚の累積のようなものであって、それを無視すると、その人が訴えたい「意味」や「感覚」すら伝わらない可能性がある、という現実に対する感覚の鈍磨があるように思えて仕方ありません。
    普通なら、そうしたことは生活する中でなんとなく感覚として身につくものだと思うのですが…

    そうした人に限って、「誤字脱字」と「意味的・文法的間違い」の違いが理解できていないような気がするのです。

  • 自分も「関わらず」という表現はどこかで使ったかもしれません。

  • 中学生の頃、テレビで「中国から来た漢字が元になっているから的を得るが正しい」みたいなことを聞きました。その数日後に国語の授業で、「的を射るが正しくて的を得るは間違い」と習って、どっちなんだと思った記憶があります。

  • 「違和感」というのは「無意識に感じ取っている異質」を意味する名詞で、それを「自覚」するから「違和感を覚える」と言う
    仏教に「感じる事と認識する(覚える)事は別物」という考えがあって、ここから来てる言葉なんですな
    「プロが使っているから正しい」はただの詭弁(権威論証)
    小説においては表現の自由があるので「違和感を感じる」でも別に良い
    それこそ「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」の話

  • 小説家になろうのある作品の文章に、「閑話休題」が使われていて、その次の行の文頭が「ちなみに」で、自分は違和感を覚えました。

  • 「召喚」と「召還」も違いますね。
    前者は「この場に呼び出す」で後者は「元の場所に還す」です。

  • この作品にたまたま辿り着きましたが、とても勉強になりました。ありがとうございました。

  • 参考になりました!
    有り難うございます!
    使おうと思って居た単語なので。

  • 「一時閉幕」への応援コメント

    言葉狩りは文化に対する侮辱だと思うんですけどね。
    言葉は時代の自然な流れで変わっていくものであって、恣意的な意見で意図的かつ強引に変えようと言うのもよく分かりませんしね。
    消防士をファイア・マンからファイアファイターなら兎も角、身長が引くいことをshortからvertical challenger、垂直への挑戦者なんかそちらの方が失礼のような気もしますしね

  • イメージとしてはテンプレ的な負けて悔しいから主人公を闇討ちする敵キャラみたいな場合はrevenge
    日本の敵討ちなんかはavenge
    で大丈夫ですか?

  • トールキンは天地創造からの細かい年表を作って実際に中つ国で使用される言語体型を創造されたそうで……自分には思いもよらないことです

  • わかりやすいもので言えば軍艦をまとめて戦艦と表現する様なものかもしれませんね。
    言葉の正確性と読者に向けてのわかり易さを両立させることには物書きは苦労させられるのでしょうね

  • 思い立って「永遠」「延々」で検索したらTOPに出て来たので読みました。
    とても解り易い解説とコメントの数々で誤用している人は是非読んで欲しいと思いましたw

    しかしこちらの記事は「令和」の時代に入った今現在より数年前の記事。
    新しい時代になるにつれ良くも悪くも変化していくのが日本語です。
    生真面目に考えればこれも変だとなる似た例が「雰囲気」と「ふいんき」だと思います。
    こちらもとても解り易い「間違い」だと思うのですが、「昭和」「平成」「令和」と経てきて
    少しづつですが「まぁ、ふいんきでもいっかなぁ?w」的な感じに世の中なってきている?と私は感じています。

    あと20年もすればむしろ「延々」を「永遠」と言う人の方がずっと多くなって
    「変だけど、まぁいいんじゃね?w」となり、常用日本語として定着するんじゃないかなぁ、、とか私は個人的に思っています。

  • これは省略しても通じる間で話す(一言で済ます)場合に「なそうだ」では通じなくて「なさそうだ」なら通じるからじゃないのかね。
    正しい言葉を使わない省略された会話なんてのはものすごく当たり前で、その時に不便だから変わる言葉は多いんじゃないだろうか。

  • 「的」という語を、いくつかの同心円が描かれた円盤状のものと捉えるか、実際の攻撃の対象(敵兵、狩りの獲物など)と捉えるかという違いも違和感を抱く原因なのかと思います。前者の場合では「射る」としても「得る」としても矢が突き刺さっているさまを思い浮かべることに特に違和感はありませんが(但し、「射る」ではなかなか的に当たらない人というニュアンスが感じられる場合がありますが)、後者の場合では「得る」だと少しおかしいかなと感じます。この場合、「的を得る」だと単に「標的を発見した」といったようなニュアンスに感じられます(私見ですが)。私にとっての「的」はどうしても後者のイメージが強いので、私は「的を射る」を用いています。長々と失礼しました。

  • たしかに、ネットだと『すべて』という意味で使われている例が多いですね
    そうやって誤用する人の数が正用する人の数を上回ってしまうと・・・

  • 興味深く拝読しましたが、「的を得る」は誤用、だと思いました。
    「正鵠を得る」が良くてなぜ「的を得る」ではいけないかと言うと、「正鵠」は単に的の中心という名詞であるだけでなく、発展して「正鵠を射た」という結果、状態をも意味するからです。「正鵠を射た」ことを、「正鵠だった」と換言することができます。

    しかし、「的」を「的を射た」という結果、状態という意味で「的だった」などとは使いません。

    したがって、「正鵠を得た」は「正鵠を射たという結果を得た」の省略表現であり、成立しますが、「的を得た」は「的を射たという結果を得た」という意味を成しません。
    「的を得た」は、「的を入手した」以外の意味はありません。

  • 的を得る?的を射る?で気になって
    Google検索したらたどり着きました。

    言葉は時代と共に変化するものだし、各自が好きな方を使えばいいと思います。


  • 編集済

    弓を射る。
    そして的を外さずに的のど真ん中を弓で射抜いた。
    すなわち、それを的を得る(ゲットする)と考えています。


    弓は射れる(発射出来る)けど、的は射れない(発射できない)ですよね。

    的は弓で射抜くものです。
    (もしくは弓で射抜かれるもの)

    弓で的を射ても、当たっているかは分かりません。

    なので的を射るを正解にすることには違和感を感じます。


    「的を射る」よりも当たったことが明確な「的を得る」を使いたいものです。


    「(弓で)的を射る」より、
    「弓を射て、的を得る」です。

  • 「一時閉幕」への応援コメント

    この記事を応援するためだけにアカウントを作成しました。ありがとうございました(´;ω;`)


  • 編集済

    私も漢字の誤用とか適性が気になるほうで例えば「洗脳」とは間違って汚れた観念などを洗い真実へ向かわせる事だと解釈していますので、当然に昨今の新興宗教などは真逆な間違った観念を植え付ける作業ですので洗脳ではなく「染脳」と造語して使っています・・・笑
    そして恣意的は主観的の意味に捉えています

  • 括弧でくくる表現は、心理描写の技法として小学校の国語の授業で習いました。

    ロードス島戦記やフォーチュンクエストが世に出た頃、まだライトノベルという言葉が生まれる前の出来事です。

    ラノベ的手法だという主張は初めてお目にかかりました。

  • 自分も使い分けていた派でした……全部ひらがなで統一してしまえばいいのですね……非常に勉強になりました!

  • 自分としては、表記に比べるという字が入っているので客観性が連想されるよう感じていました。音としては批判のハンが反を思い起こすのではないかと薄々ですが考えています。批評の場合、評の字にはポジティブなイメージがありますね。


  • 編集済

    こんにちは。
    はじめまして、南雲 千歳(なぐも ちとせ)と申します(*‘∀‘)
    楽しく読ませて頂いております。

    僭越ながら、バトル・ロワイアルに付いて、補足説明をさせて頂きます(੭ु ›ω‹ )੭ु⁾⁾

    まず、フランス語Bataille royaleの日本語での音写ですが、「バタイユ・ロワイヤル」となります。

    フランス語では、illeが語尾に付く場合、基本的には全て「イユ」と発音します。

    例を挙げますと、以下の様になります。
    語、音写、意味の順に記述します。

    soleil ソレイユ 太陽
    mille feuille ミル・フィーユ お菓子のミルフィーユ
    Prise de la Bastille プリズ・デ・ラ・バスティーユ バスティーユ牢獄


    さて、件のバトル・ロワイヤル形式、PUBGやFortniteの様に、孤島などのフィールドに一定数の参加者を集め、万人の万人に対する闘争を実現し、最後に勝ち抜いた1人が残ると言うゲーム形式ですが、この種のゲーム・ルールは、以前はLMS(ラスト・マン・スタンディング)と呼ばれていました。

    立っているのは最後の者、と言う意味ですね。

    『バトル・ロワイアル』は中学生がLMSをする小説作品の題名であり、本来は固有名詞ですが、澤田慎梧さんが書かれている通り、現在ではLMSとほぼ=(イコール)で結ぶ事の出来る、ゲーム形式を指す語として普及・浸透し、今ではほぼ一般名詞(普通名詞)化しつつある様です。

    固有名詞の一般名詞化に付いては、一般的な胃薬である『正露丸(せいろがん)』に付いてお調べ頂けると、よりご理解が深まるかと存じます。

    それでは、これからも頑張って下さいo(*^▽^*)o~♪

  • そもそも「いい加減」の意味をまちがえてるんですよ
    文字の頭に「ちょうど」という言葉を足してあげるだけで
    本来の意味が明確にわかります
    何かを「加える」こともなく「減らす」事もなく
    ベストなバランス
    それが「いい加減」なんですよ

    作者からの返信

    普段はコメントに返信していないのですが、少しだけ。

    他の方のコメントでも言及がありますが、「いい加減」自体も「適当」と同じく正反対の意味を包含した言葉です。

    一般的な辞書でも、殆どの場合両方の語釈があるものと認識しています。

    >そもそも「いい加減」の意味をまちがえてる

    そう仰られる根拠をご提示願えればと思います。
    上記の通り、今日では両方の意味がある、という認識が一般的なものと考えます。

    文脈の他に、アクセントの位置で使い分けるなど、様々な使われ方をしている言葉です。
    一概に「間違えている」と仰るには、無理があるのではないでしょうか?

    また、副詞として使われる場合には、「かなり」「相当」と言った意味合いにもなります(いい加減飽きが来た、など)。

    以上、その言葉の持つ多様性や変遷を否定するかのようなコメント内容が気になった為、返信させていただきました。

  • ありがとうございます!

    あちこちで見かける誤用にモヤモヤしていました。


    ちょっとスッキリしました。

  • このシリーズを楽しみながら読んで改めて日本語について考えています。
    ところで最後の例として挙げられた「代替」についてですが、一概に「ダイガエ」を誤用とは言えないようです。
    無論この記事の趣旨としては、どちらが正しいのかということでしょうから、単に漢字の読み方としては「ダイタイ」と読むのがより正確なのは間違いありません。
    しかし「ダイガエ」というのは誤って覚えて、誤解されたまま使われている読み方ではなくいわゆる「業界用語」のような側面があります。
    製造業などで広く使われるようですが一例として建築業界が挙げられ、彼らの書く文字にも特徴(数字の6と間違わないよう8は一筆書で書かないなど)があるように、彼らにとっては意志疎通の失敗は死活問題であり、他の文字や単語と間違わないように、知らないわけではなく敢えてダイガエと読み、社内では新人などにダイガエと読むように教育しているのだということを昔一級建築士から教わったことがあります。
    製造業などの多くでは同音異義語や似た響きの音を口頭で伝える際の独特の読み方もあるとのことです。
    日常生活において「代替」という言葉を耳にする機会はあまりないので、おそらく「誤読」している方もいるのでしょうが、自分の周囲の人間がダイガエと言ったとしても、指摘し難い面があります。
    とはいえBtoC企業なら一般人前提の顧客に対しては正確な日本語を使うべきであると思いますのでそこは気をつけて欲しいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    普段はコメントに返信していないのですが、筆者として誤解を与えかねない部分だったので、補足していただいて非常に助かった思いもあり、返信いたします。

    おっしゃる通り、一部業界では「あえて」本来とは異なる読み方、一般とは違う読み方をしている場合がありますね。
    「盛り土」は通常は「もりつち」と読みますが土建用語では「もりど」の方が適切になる、などもその一例でしょうか。

    そういったものは一般的な読みというよりは「業界用語」と呼ばれるものなので、本稿では割愛してしまった経緯があります。
    業界の方が業界のルールで使われる分には何の問題も無いと思いますが、それ以外で使われるのはいかがなものか、という思いもございます。

    なので、繰り返しになりますが応援コメントでこうやって異なる知見を(論拠を明らかにして)提示してくださると、筆者としては非常に助かる思いがございます。

  • 「一時閉幕」への応援コメント

    とても勉強になりました。残念ではありますが、事情の方もお察し致します。
    ネットで引用される情報が、恣意的に利用されている可能性が高いという辺りの事情も最近では知られるようになってきていますので、あまりお気になさらないでください。そのうち鵜呑みにするような人の方が少数派になっていくと思いますので。
    ご苦労様でした、ありがとうございました。

  • 悩ましいところですね。そもそもで「割愛」という語句の中に説明が含まれており、「語句で察しろ」という意図があるのですけど…
    1から10まで説明せねばならないかのような昨今の風潮は嫌いです。

  • 「~ならなさそうだ」は意図的に言い換えてしまうケースが多いですね。ならないようだ、とか、ないだろう、とか。この辺りはまさに個性ですねぇ。

  • 「批判的」はおそらく「否定的」より強い言い回しになると思います。解説にもありますように、「正しくない部分を指摘する」なので単なる否定よりも一歩踏み込んできますので。良い悪いに係わらず、すべてつまびらかにする、が本来ではあったと思いますが。


  • 編集済

    「恣意的」というのは主に法律関連で「恣意的判断」という用法で使われている印象ですね。これは意図的という語句とは明らかに違い、むしろ内包する意図を否定あるいは批判する意味で使われているように思います。
    私は「意図的ではないと見せかけた意図的な」というニュアンスで使っていますねぇ。なので類語は「意図的」よりも「作為的」のような気もします。

  • 「こだわらず」と「かかわらず」が日本語としては微妙にニュアンスと用法が違うからではないでしょうかね。

  • 快癒や快気祝いという風習を知らねばなかなか違いにまで気が行きませんね。

  • 「耳障りだ、」「耳に障るのでお聞かせしてはならない、」などの用法ですね。貴人に対して使用する特殊事例での用語の一つと覚えています。けれど、エッセイなどではテキトーに使っちゃってますね。ら抜きとか…日本語を乱している一党ですかね。

  • これは間違いの方を覚えてしまっていました。枕に付ける語句ではなく、締めに使うものだったんですねぇ。
    余談ですが「弱肉強食」という語句を比喩として用いる場合は「適者生存」は同じ意味合いになってしまうので、ちょっと首をヒネりました。どちらも、生存競争を指し、生き残る者と滅ぶ者に分かれることを指すと思うのですが…新しい方の「適者生存」という語句の意味合いが正確になぞれていないのでしょうかね。前者は厳密ではないので言い換えただけと思うのですが。


  • 編集済

    「おもむろに」という時の状況は、動作主体にとっては予定の行動でも、周囲にとっては突然の、予測していない状況下での、というニュアンスが含まれるせいではないかと思いますね。なので、かなり限定的な使用範囲に留まる言い回しに感じます。
    「おもむろに立ち上がる」ですと、周囲は立つと思っていない時に何の前触れ無く立った、というか…。立つ動作自体はゆっくりでも初動は突飛もない、という意味かと推測します。


  • 編集済

    み、見覚えのある文章が…!(><)
    ちと言い訳をさせて頂きますと、小説とエッセイでは姿勢がまるで違っていまして、エッセイは正直、誤字脱字どころか漢字を開くかどうかや数字表記さえ統一していなかったりなんです、申し訳ないです。一つと1つを平気で並べたりで、かなりの悪文デパートです。(しかも直す気ありません)
    家で使っているメモ帳などはさらに当て字や誤魔化し漢字まで入っていて、他人様に見せられません。(段落下げナシ、三点リーダー一つだけとか、中丸とかもすべて使っているとおもいます)

  • 「がある」を使ってしまうとニュアンスが断定になってしまい、そこまで強い表現を用いたくない場合に不便なんですよねぇ。ビミョーな問題です。

  • たぶん、「Tシャツ」から派生して、ぜんぶが英語圏に侵食された結果ではないかと推測しています。Y字路、S字カーブなど、英語でなら整理しやすいからでしょうか。それぞれ三つ辻、蛇行、つづら折り、などと言いましたけど。

  • 「解る」の変換でイラッとします。私は「解かる」派なので…どっちでも良さそうなものなんですが。「分かる」と「判る」もありますね。理解の「解かる」と聞き分けの「分かる」と判断の「判る」ですが、使う際には適当です、反省。

  • 有名な「自由は死せず」は、本人が言った言葉ではなく、後年に誰かが彼が言ったことにしちゃった言葉だそうですよ。フリーダムに自由という漢字を充てた時点で、それを充てた方々は正しく皮肉って付けた可能性もありますね。当時すでに欧米は横暴と認識されていたので。

  • ()は明治の文豪あたりでもたまに見かけるのですが、それでもこれを使って心情描写をしてあると、技量がないという判定を食う風潮は、過去にあったように思います。今はさほどでもないかもですが。

  • 「役に不足」と覚えていましたね。「役に足りないよ、君では。」という。逆に「役者不足」というのは馴染みがまったくなくて、驚きました。

  • 参考になります。古い人間ですので、「湧く」が水と勇気以外では使えない呪いにかかっておりまして、他のケースで使うくらいなら開いてしまえ、という勢いで湧くに違和感を感じたりしていました。(今はかなり杜撰になりましたが)
    その時の気分で適当に使っていたので、今後は気をつけたいと思います。

  • 「一時閉幕」への応援コメント

    ご苦労様でした。
    そして、有り難うございました。

  • 奥手さんの応援コメントを読んで、「?」と意味不明だったのですが、或る分野の関係者には違いが有ったのですねぇ。

  • 勉強になった。
    論理的に説明してくれるので、理解し易く、非常に助かってます。

  • テレビで聞こえてくる”恣意的”ということば、無意識に”悪意を持って”というような意味かと思っていました。勉強になります。

  • 「一時閉幕」への応援コメント

    楽しみでしたがそういう事になっていたのですね……
    作者様の重荷になってしまうようであるならば致し方ありませんね。
    他作品の復活をお待ちしております。
    それまではご自愛なされますよう。


  • 編集済

    この平社員は「辞表」を使ってはならない、という言説なのですが
    ソースを探してもビジネス関係の用語集や記事しか見当たらないため、
    最近話題に上がる「目上に『了解』を使ってはならないというのは
    ビジネスマナー本の創作」と同種のものではないかと疑っています。

    自分も詳細な調査はしていないので疑念の段階なのですが
    もしそちらでこの「誤用」に関する一般的な辞書等のソースを
    お持ちであれば、示していただけると有り難いです。

    作者からの返信

    本作は既にクローズ済みで、「応援コメントにも返信はしない」と明言しております(詳しくは「一時閉幕」をお読み下さい)。
    が、あらぬ誤解を招きそうなのでご返信いたします……。

    私の書き方が悪いというのもありますが、これは正に「ビジネスマナー系」のお話になります(なので冒頭で「変わり種」と断りを入れています)。
    実際に企業などで使われている例、つまりは「生きた日本語」の話として取り上げました。

    念の為、現職の総務担当者や役員経験者、公務員の方にも尋ねてみて、概ね上記のような使われ方をしているとの確認が取れたので掲載に至ったという経緯がございます。


    ただし、「辞表」という言葉は古くはただ単に「職を辞する(辞職する)」、つまりは今日で言う退職届と同じ意味で使われていたことも確認しています。
    辞書的な意味では、特に使い分けを指定しているものはあまりないと思います(全ての辞書をチェックしたわけではありませんが)。

    また、法律上規定された名称ではないので、特に「絶対に使い分けないといけない!」というものでもありません。

    ただし、公務員の場合は、人事院規則八―一二によれば自分の意志での退職の事を「辞職」と呼んでおり、その為か「退職願」ではなく「辞表」を提出するのが慣例になっているようです。
    (ただ、聞いて回った元公務員の一人は「よく覚えてない。退職願だったかも」とも言っていたので、お役所によって扱いが異なる可能性もあります)

    ビジネスマナー本の創作と判断するには、ある程度世の中に定着している慣習ですので本稿を書くに至りましたが……もし「言葉狩り」に加担しているとなれば、すぐに訂正の上削除したいとも思っています。

    もし今後、taqueさんが有用なソースを発見したのならば、ぜひともお知らせ願いたいと思います。

    残念ながら私はもうこれ以上調べる余裕がございません……。
    ※taqueさんのご懸念もあるので、本文に追記をしておきました。

    編集済
  • 「一時閉幕」への応援コメント

    この作品は、お金を取れるレベルで頑張ってやってる作品だと思ってたので、残念ではありますが、
    わざわざお金の発生しないことで苦しむこともないと思うので、今回の決定を支持します。


  • 編集済

    私も自分で使う際は的は射たいですね。

    正鵠は既に日常の一般的な言葉ではなく、非物質的概念としての変換がなされた後の言葉のような感じがします。個人的には変換後の『物事の急所・要点』としか対応関係が無いように感じます。
    一方、的については、人それぞれかもしれませんが、やはりまだ「的」という物質的な概念そのものを容易に想起することができるのではないでしょうか。
    射るという動詞との組み合わせを考える際は、この違いが大きいのかなと感じました。

    「射る」は「得る」と比較すると、格段に具体的動作のイメージを喚起させるように感じます。そのため具体的なものを充てがいたいと感じるのが自然なのかなと思います。かつて正鵠が的の中心という意味で通じる時期があったのであれば、正鵠を射るという用法にも違和感が生じにくいと思ういます。しかし、正鵠がほとんど非物質的概念を指す事のみに使われるようになった現代では、射るという言葉を使いにくいと感じるだろうという理由で、正鵠を得るという表現が残ったという風に考えると個人的には納得できます。

    的を得るについても先と同様の論法で話を進められるように感じます。
    つまり、的の指す内容が物質的概念よりも非物質的概念の方が強いようであれば、的は得るといっても違和感が無いという風に感じられるんじゃないだろうかということです。
    私個人的には、「的」は物質的概念が優位で、それありきで非物質的概念に思い至るという状態のような気がします。
    ですので「的」は射るのが自然に感じ、得るとちょっと違和感を感じるのだと思います。
    たくさん見かけるようになったので意味は分かりますが。

    作者からの返信

    非常にご丁寧かつ興味深いコメントありがとうございます。

    物質的概念と非物質的概念という考え方は中々に興味深いところです。

    「的」「正鵠」「射る」「得る」をそれぞれどのような概念として捉えているかで、違和感を覚えるか否かが左右されるのでしょうね。

    例えば、「射る」には行動の開始のニュアンスを強く感じ「結果」が伴っていない、つまり「的に当たった」という意味まで含んでいるように感じられないので「得る」の方がしっくりくる、という方もいらっしゃるようで、この辺りは人によって解釈様々であるようです。

    また、「的を射た」だけではどの部分を射た(射抜いた)のか分からない、というご意見も目にしたことが。
    その場合、「得た」という「上手く捉えた」という意味の言葉を使って「的を上手く捉えた≒的の中心に当たった」と表現する方がより原義に近いのではないか、という主張ですね。
    こちらはNamasukaさんの仰る非物質的概念と近い考え方かもしれません。


    >正鵠は既に日常の一般的な言葉ではなく、非物質的概念としての変換がなされた後の言葉のような感じがします。

    こちらについてですが、正鵠は今でも「的の中心部分」を指す言葉として普通に使われているので、非物質的概念と言ってしまうと、少しかわいそうに感じてしまいます。
    この辺りも個々人の語彙に依存する部分かもしれませんね。


    起源や経緯はどうあれ、今この時代にそれぞれの言葉がどのようなニュアンスで使われ、多くの人々にとって納得を得られるのか、専門家の見解はどうなのか。そこまで考えてこその言葉の意味や用法なのでしょうね。

    考えているとキリがないですが、私的にはそこが楽しく感じられます。

  • このトピックに関しては、目から鱗!でした。一つお勉強させて頂き有難うございます。一点だけ、どうしても気になったので失礼ながら指摘させて頂きます。文中に、"(そういうちょっとおばかな作品なんです、すいません)"とありました。「すいません」は、本来「すみません」であり、厳密に言うと「すいません」という日本語は存在しないと自分は認識しておりますが、実際「すいません」が、これだけ拡散されてしまった現代においては『こちらも「すみません」と同義』として扱われているのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「すいません」は「すみません」のくだけた言い方ですね。
    口語的というか、「み」が「い」に化けた例のようです。
    関西圏では「すんません」とも聞きますね。

    本来的にはおっしゃる通り「すみません」です。
    「すまない」を丁寧に言った言葉ですね。

    ただ、「すいません」自体も主に会話で使われている表現ですので、例えば大辞林や新明解国語辞典では、「すみません」の項目に「くだけた形」として紹介されております。

    小説の地の文に使うには向きませんが、逆に会話文等ではよく使われている表現ですね。

    今回ご指摘いただいた部分については、()で区切った「筆者の心の声」くらいのニュアンスで受け取っていただければ幸いです。

  • 最近特にSNS上であまりにも頻繁にこの間違いを目にし、また最近同世代の友人が口頭で言っているのも耳にして違和感を覚えておりましたが、スッキリ致しました。やはり自分の理解が正しかったと確認でき、ほっとしました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この間違いについては、日に日に増えているようにも思えますね。
    口語的に「延々」の読み方が「えーえん→えいえん」のように変化した、というのならまだ理解出来ますが、何故全く意味の異なる「永遠」を使って違和感を覚えないのか……。

    本件については引き続き注視していきたいと思います。

    編集済

  • 編集済

    騎馬戦の場面でしたから「完膚なきまで(叩きのめした)1位じゃなきゃ意味がないんだよ!」
    という意味合いでの発言だと読み取れました。実際 爆豪は緑谷の1000万ポイントだけを狙えば良いものを、完膚なきまでの1位を取るために物間のハチマキも全て奪おうとしていましたし、要は騎馬戦というこの勝負 試合において完膚(自分以外の持つハチマキ)を残したくなかったのだと考えます。=圧倒的な1位、完璧な1位ということになるのではと思いました。
    確かにこうした作品では読者 視聴者に伝わりにくい部分が多く、途中でてくる「1000000%」の力も実際に緑谷が1000000%出せたわけではなく、あくまで掛け声のようなものです。伝わりにくくすみません と語られています。
    つまりは 話の前後も含め、読み手がどう受け取るかではないでしょうか。

    >返信ありがとうございます。
    日々「日本語の難しさ」と向き合い、考察しているからこその(?)読みやすくまとまった文章だなと大変嬉しく思いました。
    丁寧でわかりやすいご返信ありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「完膚無きまでの1位」ですから、「完膚無きまで」が直接「1位」にかかっている形になりますので、その間に省略がある、という風に解釈するのはかなり無理があると思われます。
    ただ、本文でも書いた通り作者が言わんとする所はきちんと伝わっているので、セリフとしての価値を損ねるものではありません。

    また、103596さんは「完膚無きまで」という言葉の意味をご存知ですからそういった解釈が可能ですが、そうでない人間にとってはこのセリフはどのような意味に映るでしょうか?
    文脈からある程度の意味を推測して脳内で補足することになるでしょうが、そこから「完膚無きまで」の意味に正確にたどり着けるかどうかは微妙に思えます。
    ※こういった、知らない言葉の意味を文脈から判断してそれがそのまま定着してしまったことにより生まれた誤用も数多く存在します。

    そういった部分まで考えてこその「言葉のプロ」であると考えます。小説などでは校正・校閲というプロの方々が実に様々に目を光らせて誤用や危うい表現を潰していってくれていますが、少年漫画はその辺りが非常におざなりであると感じています。
    (本文でも書いた通り、作者さんというよりは出版社側の問題と考えます)

    >途中でてくる「1000000%」の力
    これは逆に、作者さんが気にしすぎなのではないか、と私的には考えます。
    非現実的な数値である=誇張表現=「その位の気持ちを込めてある」、というある種の比喩的表現であることは分かりやすいくらいに分かりやすい。
    ……しかしながら、作者さんがわざわざ弁明するという事は、そういった部分を読み取れなかった読者さんがいらっしゃったのでしょう。

    そしてそれが103596さんの仰る

    >つまりは 話の前後も含め、読み手がどう受け取るかではないでしょうか。

    に繋がっていくのではないでしょうか?
    言葉の解釈というのは最終的に読み手側に委ねられるものです。だからこそ、書き手側は自分のメッセージが少しでも高い確率で読み手に伝わるように日夜腐心なさっています。

    実に様々な人間が読み、特に若年層に向けられた少年漫画だからこそ、言葉の意味をセンシティブな問題として認識してほしいな、というのが本記事にこめた私の思いです。

  • 具体的にどの作家さんがその手法を取っているのか解説されているのがとても勉強になりました。そうだったんですね〜!

  • 「こんにちは」の変換のこういう理由があると全然知らなかった!詳しく情報伝えいただきられてありがとう〜!

  • 私も誤用しておりました。しかしこれ活用になってくると「的を射た作戦」「的を射た指摘」は分かるのですが「的を得た感想」とか、対象がふわっとしたものになるにつれ、射た、という言葉になんとなく違和感を覚えてしまいます。それほど、的を得た、というフレーズがありふれていて耳馴染みしてしまっているのかな、と感じました。

  • 桂正和さんの漫画「ZETMAN」で、自由について印象的なセリフがあります。

    「おまえは勘違いしている。自由とは、ルールの中にあるのだ。」

    我慢の限界に達した新人類(怪物)が「へん!どうして人間に合わせて生きなきゃなんねえ!俺は自由にやらせてもらうぜ!」 と謀反、虐殺を行った際に、人間側と寄り添う姿勢をもった勢力の手によって処分されてしまう場面での使用でした。

    私はそれ以降、自由の概念を探し続けています。

  • ()を使用した言い換え表現はとても参考になります。私が文章を書くにあたって最も時間を要するのがまさにそこだからです。伝えたいセンテンスとニュアンスは頭の中にあっても、それを一文とする際に違和感が拭えず、あーでもないこーでもないと時間を浪費してしまいます。非常に勉強になりました。


  • 編集済

    両者の更に大きな違いは「永遠と」は文法的に誤りで、「延々と」は文法的に正しい点でしょう。
    「延々と」は副詞なので動詞の前に付けて「延々と続く、延々と働かされる」といったように使えますが、「永遠」は名詞・「永遠に」は形容動詞ナリ活用なので動詞の前に付いて語尾を と に変えて「永遠と~する」は日本語として有り得ません。
    「永遠に続く、永遠に~する」なら文法として正解です。

    だから正しい言葉遣いが身に付いている人ほど、聞いていて気持ち悪さを覚えるのでしょう。
    これが根本的な違いですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    非常に分かりやすいご説明で、本文にも転載したい位です。

    実は、この間違いをされてる方の多くは、文法的な間違いを指摘しても通じが悪いので、本記事では意味の側からアプローチした、という背景がございます(苦笑)。


  • 小学生に、匹と頭のちがいはなぁーに?と聞かれ
    犬より大きいのは頭かなぁ、とテキトーに答えておりました。
    蝶が頭なのかー。あはは。一羽の蝶って言ってしまっていたなぁ。

    作者からの返信

    蝶に関しては、通常は「羽」「匹」で問題ないはずですが、「頭」にこだわる方も見かけますね。
    「採集対象は頭」との説も。
    ※本文が少し紛らわしかったので修正しました。


  • 編集済

    『耳障りが良い』は使いたくなる言葉です。

    『聞き流せない、嫌だけれど、つい、聞き入ってしまう音(声)』

    に使いたくなります。

    私の個人的な造語に近いかも知れません。

    日常で勝手に使えば良くて、人に読んでいただく文章には使わないって事にすれば良いですね。
    (なんだか勝手に納得)

    ---------
    お返事ありがとうございます。みんなが迷い、苦しみながら文章をつむぎ出している中、貴重な経験と知識を指針として示して頂ける事に感謝いたします。

    『耳障りが良い』は作品中で使ってみようと思うようになりました。
    読み手に誤解を与えないように気を付けながら、人物の個性を表現するために使うのも良いかもしれないと、コメント返しを頂いて、思うようになりました。引き続き、拝読いたします。ありがとうございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >『聞き流せない、嫌だけれど、つい、聞き入ってしまう音(声)』
    それはそれで凄く素敵な表現だと思います!

  • 誤変換校正漏れ……
    耳が痛すぎます

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    筆者自身も、毎回書きながら身を切られるような思いを抱いております(苦笑)。

  •  この「例え」の用例はやはり間違いでいいんですよね。

     物凄く実力のある書き手さんも「例え死んでも……」みたいな分を書いてるいるから、「あれ? 最近は日本語のルール変わったのかなぁ?」と、実は疑問に思っていたところです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    明治・大正の文章の中にも少数ながら「例え~」と書いているものもあり、「例えば」からの連想で意味も通じるので、やはり「完璧な間違い」とは言えないのですが、使わない方が好ましいでしょうね。
    校閲などでは平仮名になおされるようです。

  • 個人的には、これは誤用と言うより新しい表現で、丁字路とは同じ意味を持つ別の言葉だと思います。
    たまたま読みも形もよく似ていたために本来の表現である丁字路が駆逐されてしまっただけという気がしますね。(最近、テレビの番組で丁字路と言ったおじいちゃんが笑われるシーンがネットで一時話題になりましたね)

    Uターン、Y字路、T字路、S字カーブ…似たような表現は沢山あり、これらのうちT字路だけを旧来の丁字路に遠慮して誤用と呼ぶのは、それはそれで可哀相な気もするのです。

    作者からの返信

    これについては本文でも書いたとおり、国土交通省や警察が設置した看板でも「T字路」表記が多いので、慣用的に許容されている例、と言えますね。
    法律内の厳密な呼び方を踏襲するなら「丁字路」が「正しい」ものの、「T字路」という言葉の存在自体は間違いではない、という。

    Uターンも道交法の中では「転回」ですので、同じ類ですね。

    本文の方の趣旨は、会話や文章で使っても間違いではないが、実は法律上の正式な名称ではない、というエピソードを紹介することでした。

  • 昔からありましたが、最近の日本語変換システムの瑕疵のせいで急速に広まっている気がするのは、「話」⇔「話し」の間違いですね。
    そもそも動詞の連用形が名詞化した言葉のうち、一部だけが送り仮名不要であるせいで、文法ルールとして統一感がないんですよね。

    悲しむ⇒悲しみ・ます⇒○悲しみ⇒彼の悲しみは大きかった。
    思う⇒思い・ます⇒○思い⇒私は彼女に思いを伝えた。
    話す⇒話し・ます⇒×話し ○話
    ×先生の話しは長い
    ○先生の話は長い

    この「話し」だけがダメとされるのって本来不公平ですよね。
    でもやっぱり、個人的にはどうにも違和感があって受け入れがたいです。
    ただ、最近すごく増えてる気がするんですよね……。

    作者からの返信

    名詞化した時の送り仮名の有り無しは、例外が多すぎる印象がありますね。
    話以外だと、組とか巻があるでしょうか?

  • これは自分も思っていました。誤用と言い切るのは無理があるんじゃないかと。

    よくある解説では、「正鵠を得る」の例を出しながらも、「的を」に対しては「得る」ものではないから間違い、と断定するだけの場合が多いのですが、個人的には「正鵠」を「的」に置き換えて言うことに何の不合理も感じなかったものですから。

    話は逸れますが、最近この「何の~~もない」と言う表現を「何の~~のない」と表記するような表現上の間違いもよく見かける気がしますが、この連載用のネタとしてどうでしょうか。

    作者からの返信

    「的を得る」を含めて、言葉の意味合いとしては間違っていないので、「新しい表現」ではあるけれども「誤用」ではなく、「伝統的ではない」だけ……という言葉は結構ある気がします。
    まあ、この問題については「的を得るは誤用」原理主義の方もいらっしゃるので、お茶を濁しておきたいというのが本音なのですが(苦笑)。

  • 役不足の誤用については、日本語の誤用の話題の中ではかなりメジャーな部類なので、その解説文もあちこちで見かけますね。

    大抵の場合、セットで「役者不足」にも言及しいて、まるで「役不足の誤用について語るなら、力/実力不足と役者不足にも言及すること」というお約束があるかのようです。

    作者からの返信

    「役者不足」という言葉がセットで取り上げられるのは、恐らくそれ自体が役不足の誤用から派生して生まれた言葉だからなのではないか、と思っています(ちょっとエビデンスがないですが)。
    少々前の作品ですが、「涼宮ハルヒの憂鬱」にも「私では役者が不足しています」のようなセリフがあったような……。

    どちらにしろ、比較的新しい表現には違いないでしょうね。

    「力不足」については、本文でも紹介している文化庁の調査に対しての解説で、「力不足」や「実力不足」との混同が指摘されているので、こちらを参照した方が多いのかもしれません。
    http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_02/series_07/series_07.html

  • こんにちわ!

    というのは僕もよく使うのですが、「~するわ~するわ…」の「わ」を「は」と書くのだけはどうも受け入れられません。でも最近本当に多く見かけるんですよね、これ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    他の方への返信にも書きましたが、PCやスマホで文字を打っていると、「わ」と「は」の区別が曖昧/過剰になるケースが多いように思えます。

  • 否定形の話で思い出したのが、「全然」の用法ですね。
    私も「全然」は否定じゃないとダメだと思っていたのに、それは思い違いで「全然嬉しい」のような使い方も誤りではない、と。どうしてそんな迷信が広まったのかまでは解明されていないみたいですけど。

    作者からの返信

    全然の「誤用」については、戦後にその傾向が表れた、という説が有力なようですね(確か日経の記事であったような。うろ覚えです、すいません)。
    昭和10年代の幾つかの文書を見ても、普通に肯定の意味で使われていたそうなので、戦後の日本語改革の際に何かあったのかもしれませんね。
    「忖度」とかもそうですが、一度誤った意味で世間に広められてしまうと、言葉の意味は急激に変わっていってしまうもので、何かしらのきっかけはあったのではないか、と考えています(とは言えそれが何なのか調べるのは事実上不可能でしょうが)。

  • ティーパックはお茶が包んであるからパックになったのかな? エキシビジョンは、ビジョンという別の言葉からの影響でしょうか。あと面白いカタカナ語に、韓国ですがビビンバ?、ピビンバ?、ビビンパ?というのもありますが、これはどれが正しいかということはないそうです。そもそも韓国語ではbとpの音の違いがはっきりしないからだそうですが。つまらないことですみません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    やはり聞き慣れた単語に引っ張られる部分はあるのでしょうね。
    ビビンバについては、なるほどb/pどちらとも読む子音が使われてるようですね。
    厳密に「p」と読ませる子音もあるみたいですが、スペルを見ると違っていたので、長年の謎が解明された気分です、ありがとうございます。

  • 「ふざけろ」、と「ふざけるな」が似たような意味、みたいなものですか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    命令形であるはずの「ふざけろ」が、実際には禁止である「ふざけるな」という意味になる、というのも日本語の不思議な言い回しの一つですよね。
    「嘘をつくな」を「嘘つけ」と言ったり。

    ただ、本文にも書きましたが、「ぞっとしない」は「ぞっと=感動に体が震える」+「しない」ですので、「ふざけろ」「嘘つけ」のように語形と意味が正反対、という訳ではありません。
    書いたままの意味となります。


    ちなみに、「ふざけろ」や「嘘つけ」という言い回しについては諸説あるようですが、「新明解国語辞典」の「嘘をつけ」の項には
    『嘘をつきたいならついてみろ、それが嘘であることなど、こちらにはすっかり分かっているのだぞ、の意味」とあります。

    少々語弊はありますが、いわゆる反語的な言い回しなのかもしれません。


  • 編集済

    実際に友達とあった会話

    友達「ねえ、その適当ってどっちの意味?」
    自分「いい加減、の方だよ。」
    友達「良い加減?いいかげん?」
    自分「テキトー、のほうだよ。」
    友達「どっちだよ。」

    いい加減、にも二つ意味があるからややこしいんだよなあ。



    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    会話の流れでどちらの意味なのか判別できない場合には、
    もう具体的な話に持っていくしか無いですよね。

    あと、地域によって変わりますが、「いい加減」の方はアクセントがどこに付くかで、ニュアンスが変わってくるという例も。

  • 自分の小説に「関わらず」を誤用していました。
    恥ずかしいです。
    直してきます。ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。お役に立てたのなら幸いです。

    一点、注意すべき点があるとしたら、文字入力システムの変換学習機能が「拘らず」優先になってしまって、
    例えば「ああいった連中とは関わらずに生きてきた」みたいな文章も「拘らず」になってしまう事があるところでしょうか(苦笑)。

    中々ままならないものです。

  • 誤用だと思ってました。
    それでも、
    誤用だと言われないほうの「的を射る」を使おうと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    やはり、今の時代において「通じが良い」方を使うのが無難かと思われます。
    本件については、「いや、やっぱり的を得るは誤用だ!」と声高に主張される向きもありますので、余計に……。

  • あー、誤用してました。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    拙作が少しでもお役に立てたのなら、幸いです。

  • Twitterでこの手の表現が急増したのは、ダルビッシュ有氏の『僕が言いたいのは「永遠」』からかもしれません。
    https://twitter.com/faridyu/status/26916940671

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ダルビッシュ選手は有名人だけに「元凶」扱いされてしまっているようですが、
    web上だけに限定しても、2000年代初期には既にこの手の間違いをよく見かける、という記事が見受けられますので、恐らくはそれよりも更に以前から存在していたようです(ダルビッシュ選手のツイートは2010年)。

    「人力検索はてな」では、2007年の質問記事に以下のようなものも見つかりました。
    http://q.hatena.ne.jp/1194050750


    ある日を境に急増したというよりは、段々と増えてきた「誤用」なのかもしれません。

  • 恣意的——割とよく使う言葉で菅「意図的」という感じはなかったので、ちょっと驚きました。なるほど。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この記事を書くにあたって、色々な方の「恣意的」を含む文章を拝見したのですが、人によって「軸」になっている意味合いが微妙異なるのが印象的でした。
    私も以前は「意図的」に近いニュアンスをあまり意識していませんでしたが、確かに文章の流れ上、「恣意的」を「意図的」に言い換えてもあまり意味が変わらない場合もあり、驚かされた覚えがあります。

    とは言え、例えば「恣意的な判断基準」を「意図的な判断基準」と言い換えてしまうと、少々意味不明な日本語になってしまうし、意味も全く変わってきますので、「被る部分もあるがイコールではない」というのがミソなのでしょうね。

  • 自由という言葉、現代でも新自由主義とか嫌な言葉があります。
    しかも、自由の国と言われるアメリカは凶悪犯罪が多く、悪い事を肯定化する行為が目立ちます。

    フランスもシャルリエブドの件で表現の自由を悪用した事件も起きたし、自由という言葉に警戒する必要があるように感じます。
    電力自由化やガス自由化など。

    自由という言葉が曖昧な意味を持っているから余計にそう思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    (西洋における)自由という言葉は本来、理性的なものだった思うのですが、不思議な事にむしろ日本古来の悪い意味合いでの「自由」に近い状況を指すことが多くなっているような印象を受けますね。
    「自由の死」というのは、もしかすると自由が制限されることではなく、自由が腐る事なのかもしれませんね……。

    「自由」という言葉を使う場合には、そこにこめる意味を明示しなければいけない世の中になってきたのかもしれません。

  • ロシア語をやっていますがロシア語もやはり語尾で女性、男性、中性を分けるようです。
    ロシア語は格変化が多くて難しいが慣れてくると分かりやすくて助かります。
    自身はロシア語をやっているせいか英語の部分をロシア語か日本語に翻訳しているから自分でも誤用が多いと知りつつも直さないといけないと感じました。
    英語だと格変化が殆どなく重複言葉や複合言語が多くて好きになれなません。
    安易に英語を使うと日本語、ロシア語、中国語も誤用が多くなるように思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ロシア語は、苗字も女性・男性で変化する場合がある、と聞いた事がありますが、格変化自体が多いのですね。

    私の場合、スペイン語をほんの少しだけかじっていますが、日本語とスペン語間では共有できる表現が、英語では失われてしまう、というケースには確かに覚えがあります。

  • 辞表の使い方……初めて知りました。そうだったんですね。勉強になります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本文には書きませんでしたが、多くの創作作品では、「あえて」辞表という表現を使っているものも多い印象があります。

    「部長に退職届を叩きつけた」よりも、
    「部長に辞職を叩きつけた」の方が、そこはかとなくかっこいい印象が(笑)。