「解る」の変換でイラッとします。私は「解かる」派なので…どっちでも良さそうなものなんですが。「分かる」と「判る」もありますね。理解の「解かる」と聞き分けの「分かる」と判断の「判る」ですが、使う際には適当です、反省。
昔からありましたが、最近の日本語変換システムの瑕疵のせいで急速に広まっている気がするのは、「話」⇔「話し」の間違いですね。
そもそも動詞の連用形が名詞化した言葉のうち、一部だけが送り仮名不要であるせいで、文法ルールとして統一感がないんですよね。
悲しむ⇒悲しみ・ます⇒○悲しみ⇒彼の悲しみは大きかった。
思う⇒思い・ます⇒○思い⇒私は彼女に思いを伝えた。
話す⇒話し・ます⇒×話し ○話
×先生の話しは長い
○先生の話は長い
この「話し」だけがダメとされるのって本来不公平ですよね。
でもやっぱり、個人的にはどうにも違和感があって受け入れがたいです。
ただ、最近すごく増えてる気がするんですよね……。
作者からの返信
名詞化した時の送り仮名の有り無しは、例外が多すぎる印象がありますね。
話以外だと、組とか巻があるでしょうか?
このセクションの話でいうと……
修業/修行
予言/預言
追求/追及/追究
あたりの使い分けで迷っている方が
しばしばいらっしゃるようで。
作者からの返信
原義にあたれば迷わないのでしょうが、PCやスマホで漫然と文章を打っていると、ふと「あれ、どっちだっけ?」となってしまいがちですね。
修業に関しては、「宗教者のように必死な気持ちで」というニュアンスであえて「修行」を使っている方も多いのでしょうが、修業の方を知らない方が見ればそのまま誤解も定着するでしょうね(私もよく修行の方を使います)。
予言と預言も、預言は宗教用語なのでそちらに多少の知識があれば判別は付きますが、案外と知らない方もいらっしゃるようで。まあ、こちらは字面で判断も付きそうですが。
追求/追及/追究に関しても、それぞれ「求める」「及ぶ」「究める」という言葉の意味を考えれば、自ずと使い分け出来そうですが、「追及」については字面だけだと「追いつく」しか読み取れない可能性もあり、悩む方はいそうですね。
「召喚」と「召還」も違いますね。
前者は「この場に呼び出す」で後者は「元の場所に還す」です。