第二十一話「新たな騎士、来たる」part1

 大魔法高等学校の敷地内にある鬱蒼とした林の中にぽつんと、歴史の影に忘れられたように存在する旧校舎の地下に築かれたソリューション前線基地──その廊下を、蒼は歩いていた。

 地下にあるという薄暗く陰鬱な印象を拭い去るためか、天井から降り注ぐ幅広い廊下への光源は強い。天井を向けば思わず眩しさに目をすぼめてしまう。

 時刻は早朝だ。誰とすれ違うことなく、蒼は迷いない足取りで進む。

 亡霊の一件があってから、二週間の時が経っていた。

 蒼がソリューションに属してから初めて訪れた日常は波風も立たず、ただ浪費されていく。円卓の騎士団に所属していた頃は、任務のあとに疲労感を無視しながらも学校へ登校していたのだ。今となっては自分を誤魔化しながらの生活だったな、と思う。おかしい生活だったと思わなくもない。

 生活だけでなく、蒼を取り巻く人間関係という部分も平和ではあるが、正しい言葉を選ぶのなら膠着状態になっている。

 亡霊の件で、和志、紗綾の兄妹を手助けしたこともあってか、ソリューション内では円卓の騎士団からの裏切り者として、蒼に突っかかってくるような人間は表面上いなくなっていた。

 どうやら和志と紗綾は、このソリューション基地内で多くの人から信頼を勝ち得ている存在らしく、二人が信頼しているのなら、と蒼は経過観察されているような立場になっている。おそらく美久の口添えもあったのだろうが、蒼の日常は平和すぎるほどだ。

廊下をしばらく進んだ、T字廊下の曲がり角。


「……創崎か」


 ぱっと鉢合わせた射抜くように野生感のある双眸が、蒼を同じ高さで見ていた。

 大魔法高等学校のブレザーを身に付けた武だ。彼も大魔法高等学校の生徒ではあるらしい。蒼の記憶にはないが。

 円卓の騎士団を裏切ってソリューションに入った蒼を、一番警戒しているであろう人物。

 美久や和志の手前、初対面の時のように敵対心を剥き出しにすることはないが、それでも心底から疑うような視線を向けられることが多い。

 美久や和志たちから寄せられる信頼、と言えば聞こえはいいかもしれない。けれど蒼は正式にソリューション所属であるものの、裏切りものという曖昧な存在なので疑ってくれるのが気楽な部分もある。

 武はこんなところで会うとは思っていなかったと目を見開いたのち、気まずそうにそっと目を逸らした。


「おはよう」


 蒼は会釈して立ち去ろうとする。好かれていないだろうし、そう話すべきようなことがあるわけでもない。

 亡霊の一件の折に、武は蒼と戦うことでソリューションの一員として認めるか決めるつもりだったが、美久や和志が蒼を認めてしまったことで周りの態度が変わってしまったために、その戦いも曖昧なままだ。

 言い出したこともあって、元気よくなんでもない風を装って挨拶するようなことは難しいだろう。本人を前にして、そんなコミュニケーション能力があったのなら不器用にも戦おうとしたりしない。


「……お、おう。おはよう」


 虚をつかれたように返事をくれる武にもう一度会釈を済ませると蒼は歩き出す。

 蒼の日常は、今後において波風が吹く要素が散りばめられているものの、平和だ──。


 ……

 …


 大魔法高等学校で、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。

 教壇に立つ先生が終了の旨を生徒に伝えると美久が立ち上がり、号令をして先生が今日のお別れを言いつつ、教室から去っていく。

 扉が閉まるまでの静寂の後、生徒たちが弾けたように騒がしくなる。友人と遊びにいく算段をつけたり、一人でさっさと帰ってしまう者、部活に行ったりする者、駄弁る者とさまざまな様相をしている。

 蒼の前方の席にいる美久がすくっと立ち上がり、手提げ鞄を肩に掛けて振り向いた。


「今日、私はバイトがあるから先にいくわ」


 蒼の隣席にいる律は目を細めると、思い出したように、あーっと手を打つ。


「今日やっけ。お疲れさん」

「頑張ってこいよぉ〜」


 和志は上半身をナマケモノのように伸ばしながら、ぐだーっと机に預けてやる気なさげに、ひらひら手を振っている。

 授業の終わり側からずっと同じ姿勢なので、今日の一日も疲れたと暗に言っているのかもしれない。まともに授業を聞いていたかは、定かではないが。

 蒼は数センチほど首を傾げて、口を開く。


「美久はアルバイトしてるのか」


 ソリューションとしても活動しているのに、なんでまたと蒼の視線と仕草が語っていた。円卓の騎士団に反旗を翻す存在のソリューション前線基地で指揮官を務めているのに、円卓の騎士団が用意した枠組みのなかにいるとは。

 にしても生活費をどうしているのかは知らないが、アルバイトをしているからには美久の経済状況は芳しくないのだろうか?


「円卓の騎士団が推奨する模範的な生活ってやつの一環ね。世間ではとてもいい子なのよ」


 言外に自分は悪い子であること含ませつつ、美久は言葉を続ける。


「そういうことだから、またね」

「了解っと。例の件は蒼くんには?」


 律が眼鏡の位置を手直ししながら蒼に視線を移動させて言う。

 美久は罰が悪そうにしながらも急いでいるらしく早口だ。


「話しておいて頂戴。今朝の情報だから、まだ伝えられてなくてね」


 颯爽と教室から姿を消した美久のあとには、再び首を傾げている蒼だけが残っていた。

 例の件とはなんだろう?

 蒼には思い当たるものもなく、ただ不思議に思うしかない。

 自分に用だとすれば任務だろう。

 円卓の騎士団で蒼へ直々に命令が下される場合は、秘密裏に一人で動く任務が専らだった。ソリューションでも任務としてそういうことをやることがあるのだろうか?


「今朝、何かあったのか?」

「何かあったって言うなら、あったんよねぇ。基地まで行く道すがらお喋りしよか」


 言いつつ手に鞄を引っ掛けながら、律が席を立つ。

 周りは放課後の喧騒が支配しているので聞き耳を立てているような者は皆無だが、この場で話すわけにはいかないだろう。

 ある程度のことならば誤魔化しは効くだろうが、ソリューションの話を積極的にする理由もないし、デメリットが目立つ。

 蒼は同意するように無言で立ち上がり、鞄を持つ。


「なあ」


 和志が机にへばりつきながら言った。2人とも立ち上がっているのに、さながらひっつき虫の様相である。


「美久のバイト見に行かね? その話、外でしちゃダメなの?」

「あかんやろなぁ……てか、あんた美久のバイト姿見に行きたいだけやろ」

「友達のバイト姿って見に行きたくならない? なあ蒼」


 言葉を向けられた蒼は、美久が友達かはともかくとしてバイトしている様子を想像する。

 一般的なバイトと言えばコンビニだろうか。

 朗らかに接客をして、あくせく品出しをしながら一従業員として働いている美久の姿は想像できなかった。テキパキと指示を飛ばしている姿のほうが似合っていそう。

 考えていると、蒼は美久が働いている姿が気にならないと言えば嘘になることに気づく。


「見てみたくは、あるな」


 単純に興味本位としてだが。


「わかった。よしいこうすぐいこう」


 気怠げにしていたかずは顔をシュッとあげると、手早く立ち上がる。

 一度決めたら行動までが一瞬だ。

 その様子を律はシラッとした目で見ており、バカかこいつとでも言いたげであった。ひどい。


「えぇ……本当にいくん?」


 しかも普通に声色が引いている。


「蒼も見てみたいって言ってるしさ」

「いや待て。どうしても見たいというわけでは──」

「ほらいこうぜいこうぜ。律も置いてくぞー」


 言いかける蒼を遮って、手で押しながらかずはずんどこ進む。

 どうしても美久のバイト先に行きたいらしい。見たからと言ってなにがあるわけでもないと思うのだが。


 ……

 …


 美久の働いている店は大魔法高等学校からは二十分程度の場所にあり、オフィス街に存在する。

 平日の夕方ということもあって蒼たちの前にも数人が入り、わいわいしている。それなりに繁盛しているようだ。

 連れ立ってそこに入るなり、


「なに、あんたたち暇なの?」


 美久と再会したら、辛辣な言葉を全員に素早く浴びせられた。まさか来るとは思っていなかったか。

 口調とは違って、美久の姿は可愛らしいものだった。ふわっと翻るたびに踊るスカート、フリルのついたエプロン、カチューシャを頭に乗せている。メイド服と呼ぶべきか。

 ファミリーレストランの制服にしては些か趣味に飛んでいる。にしても大変よく似合っていた。

 

「孫にも衣装というものか」

「なんだか、おじいちゃんみたいな感想ね、蒼くん。褒められているようで悪い気はしないけれど」


 美久は照れているのか、手で髪を弄りながら空いている席を探している。

 ぱっとテーブル席を見繕うと、手を滑らかに水平に動かす。


「じゃあ三名様ご案内ということで」


 ……

 …



 案内された先は窓際のテーブル席だった。

 美久はごゆっくり、と言った定型文を残して引っ込む。仕事中なのだし、喋ってばかりもいられない。

 和志と律が並んで座り、対面に蒼が腰を下ろす。


「さーて、なに食うかな」


 かずが揚々とした面持ちでメニュー表を取り出した。

 その様子を見た律が「実はお腹空いてただけなんちゃうの……」と半目で和志の脇腹を突っついていた。大変に仲がよろしい感じだ。


「律と和志は昔から仲がいいのか?」

「んー、どうやろ」


 なんだかんだ言いつつ和志と一緒にメニュー表を注視していた律が顔をあげる。食べるつもりか。


「まあまあ仲良かったんかなぁ」


和志は指さしながらヨシッ!と注文を決めてから、昔を思い出すように天井を見上げた。


「なんていうか、律は虚無だったな」


 虚無。おおよそ人を表す単語としては似つかわしくない。

 目の前にいる律は口角をあげて、なんでもないように蒼を見ていた。言われると、その瞳の中は表情が乏しいように見えてしまう。口という滑車はよく回るのに、それが吊り上げるものは空っぽのようだった。


「なにするにしても誘わないとずーっとぬぼーっとしててさ。いまみたいになったのっていつ頃だったっけなぁ」

「えぇ、そんな子やった?」

「そんな子だったんだよ。幼心ながら大丈夫かこいつって俺でも思ったんだぞ」

「なんやそれ酷いこと言うわぁ……ま、いまは興味の対象も多いし。和志も、美久も、蒼くんもや」

「俺もか」


 興味の対象として指名されるほどのことをしていただろうか?

 和志や美久と蒼が違う点は、円卓の騎士団からの裏切り者だからか。興味を抱く理由としてはそれが一番あり得るのかもしれない。


「きゃああああー!」


 三人で他愛もない話をしていたところに、悲鳴が聞こえた。蒼、和志、律が振り向き、一点に視線を注目させる。

 騒々しかった周りの客も、時が止まったかのように静まり返っていた。


「全員動くなぁっ! 一歩でも動いたらこの女の首を斬り飛ばすからなぁ!」


 入口付近で、いかにな黒い無地の服を着た男が腕の中にウェイトレスの首を抱き、いまにも斬るぞ、と魔法で生成したのだろう刀身が赤い剣を突き立てている。

 強盗の類か、立てこもりか。まったく理由は不明だがどうにも宜しくないことが起こっているようだった。

 首筋に赤い剣を突き付けられたウェイトレスを認識して、和志と律が目と体を強張らせる。


「マジかよ……」

「どうしよか……」


 静かに呟いた2人の視線の先、人質に取られているのは美久だ。

 怯えたり、竦んだりしておらず、堂々とした表情で捕まっていた。ソリューションの前線基地を任せられているだけあって、肝が据わっているのだろう。

 蒼は腰を僅かに浮かして、いつでも動ける体制を作ろうとするが美久はそれを目で制す。

 まだ動くな、と美久の燃えるような赤い瞳が語っていた。


 ……

 …


 蒼が仕方なく腰を下ろしたのを確認してから、美久が溜息にも似た息をつく。冷ややかな目線を突きつけられた剣に向ける。

 愉快犯にしろ、確信犯にしろ、すぐに刺されないところから見ると単純に人殺しをしたいわけではないようだ。状況から見るに、話す猶予くらいはあるのだろう。

 相手の目的がわからない以上、慎重に会話を進める必要はありそうだが。


「あなた、なにが目的?」

「強気な嬢ちゃんじゃねぇか。なーに、円卓の騎士団ってやつに報復したくてな」

「……」

「嬢ちゃんも進路勝手に決められて、円卓の騎士団に不平不満、色々あるだろ。俺はなぁ、料理人やめて、漫画家になれときたもんだ」


 吐き捨てるように言った息は荒い。話していて、気持ちが熱せられたように膨れ上がろうとしているのかもしれない。

 話を聞いている限り、円卓の騎士団の制定する法律に人生を狂わされたタイプの人間のようだ。いまの日本には、ごまんと存在する人間で間違いない。

 円卓の騎士団が欲を抱くことを禁じたことによって、いままで自分の夢の、理想の職を持っていた人間は強制的に別の職種を担当させられていることもある。

 努力して得た地位や技術、知識が一瞬にして無に帰すも同然のことに激高する人間は当然のことながら多い。

 受け入れられないと声高に叫ぼうとも、自然と人は受け入れていく。相手はアーサー王を中心にした絶対王政、そして巨大な武力を持った組織だ。わざわざ叩き潰されにいく人間は思いのほか少ない。危害が及ぶと分かってしまっているなら、諦めてしまう。ただ生きていくためのレールは敷かれるので、どこかで納得していく。

 でもたまに、我慢し続けて堪忍袋の緒が切れた人間も存在する。それが美久の首筋に剣を向けている男だった。


「……そうね。私も色々あるけど──」

「ならもうちょっと人質になっといてくんな」


 食いついて、調子付いたように話す男の声が鼻につく。ソリューションだって、円卓の騎士団に盾突く組織だ。この男とそう変わらないかもしれない。

 自分たちはレジスタンスともテロリストとも、魔法の力で戦っている以上、そこは言い逃れできないけれど超えてはならない線はある。

 この男は一線を軽々と超えていることが、美久の神経を逆撫でる。


「──人質を取るなんて最低よ」


 そう静かに言い放つと、男の鼻息が荒くなる。背後の顔が罵倒されたことに憎悪で歪んでいるだろうことを認識しながら、美久は魔法を口にしようとするが。


「えっと、ここって開いてるんですか?」


 垢ぬけない間の抜けた声が入り込む。

 入口に人が立っていた。

 年は中学生から高校生ぐらいだろうか。幼さの残るあどけない眼をした女性だ。店内照明でも映えるほどの光沢ある艶やかな黒髪を、うなじ辺りで一本に縛って、腰下まで垂らしている。

 手に持った竿のように長い布に包まれた棒状の物体と、それに引っ掛ける形で持っていたバレーボールほどの大きさがある巾着袋を地面に置く。

 持っているものは異質だが、もっとも目を引くのは女性の装いだった。

 店内どころか往来にいても衆目を集めてしまうだろう、白い小袖に、緋袴ひばかまを着用していた。言うなれば、巫女装束だ。あどけない雰囲気と巫女装束の引き締まった印象が、不思議と馴染む。

 巫女の女性は空気が読めないのか、間が悪いのか。いきり立った男は美久から剣を離して、入ってきた女性に向ける。


「むっ」


 勢いのまま差し出された剣に、空気すら振動しないような流れる所作で前進しながら、男の手を捻りあげて剣を落とさせる。

 捻り上げた手を掴んだまま相手の腕を引き出し、巧みな足さばきで相手の懐に潜り込んで体を沈めて、引き手で引いた。ようは、背負い投げだ。

 突然のことに受け身も取れず、コンクリートに背中を強く打ち付けた男性は痛みにもがく。その隙に、手近にいた男性従業員と店長と思しき髭を蓄えた初老の男性が、投げられた男を取り押さえていた。

 犯人を取り押さえたことに歓声が上がる中、自分よりも大きい相手を事もなげに投げた女性は一仕事終えたように手を叩くと、人質だった美久に振り向く。


「あの……なんで私、いきなり剣を向けられたんでしょう」

「いや、私に言われても困るんですけど……?」


 抜けた会話だった。美久としては対処する自信はあったのだが、魔法を使わず、目立たないようにできたのは行幸だ。事情聴取などであまり円卓の騎士団に顔を覚えられても困る。人質になってしまったから、一通りの質問はされるだろうけどほどなくして返してもらえることだろう。

 首を捻り続けている巫女装束の女性を視界の隅に置きながら、蒼たちのいる席に目を向けると、言うまでもなく彼らはすでに移動していた。

 店内にいた影響で円卓の騎士団の目に彼らが止まっても面倒だ。雑多に紛れているのならともかく、名誉階級持ちが訪れたときに、参考人として蒼が拘束されたりしたら困ったことになるかもしれない。

 その可能性を考えると、いち早くこの場から消えてもらうほうがいい。

 彼らに目だけで、またあとでと告げると、和志や律は頷き返してきた。蒼はわかっているのか、わかっていないのか、曖昧に首を捻りながらも頷いた。本当に理解しているのだろうか。

 蒼たちがいなくなってから数分後、訪れた円卓の騎士団の中に幸い名誉階級はおらず、怪我もしていなかった美久は無難な受け答えで、その場を凌いだのだった。

 巫女装束の女性は律儀に受け答えを行って、円卓の騎士団と共に去っていく。あの流麗にも思える自然な身のこなし。円卓の騎士団と関係があるのかもしれない。

 美久は女性の顔を鮮明に記憶しながら、帰路につくのだった。


 第二十一話「新たな騎士、来たる」part1終わり


 第二十一話「新たな騎士、来たる」part2へ続く

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魔法と欲望がある世界で。 エルアインス @eruainsu

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