第九話「ファントムハンター」

 第二章 亡霊編


 第九話「ファントムハンター」


 朝日が昇りきった昼間に、雲は太陽を遮ることのない位置にいて、青空との綺麗なコントラストを生みだしていた。

 春風が調子に乗って吹きまくる時間に、山道で太陽を浴びて黒光りするバイクが、風を緩やかに切り裂きながら走り抜ける。

 道端の森林たちが風になびいて、彼の訪れを歓迎しているようで、マスクの下で男は自然と笑顔を作っていた。

 緩やかな坂道を抜けた先には、だだっぴろい広場が広がっていた。山頂を削り取って作られたそこは休憩所のようで、自販機とベンチがぽつんと置かれていた。

 休憩所からは街の外観が一望できて、男はいつの間にかバイクを停止させていた。

 黒いヘルメットを取り、自販機で水を購入してベンチに腰掛ける。

 太陽光に反射されて、透き通るペットボトルを器用に片手で開けて、喉を鳴らして飲む。少しの長旅で水分を補給していなかった体が潤い、活力が戻ってくる。

 一息ついてから、しっかり観察するために街並みを見つめる。

 男がいる山は、京都において下京区と言われる南側の区域で、そこからは中央区にそびえ立つ大魔法高等学校が、これでもかと言わんばかりに存在感を主張していた。


「あれが大魔法高等学校か、よさそうなところじゃんか」


 どこか青年っぽさが残る声が、意気揚々と飛びだした。


「で、その上にあるのが、円卓の会議場、大日本帝国の王様が居る場所か。でけぇな」


 大魔法高等学校の奥には、円卓の会議場が威風堂々と立っていた。山頂から見る限り、円卓の会議場はとても大きな規模の施設であることが、容易に理解できる。

 円卓の会議場周辺には幾万にも及ぶ瓦礫が散乱しており、瓦礫の周辺には深い森林が取り囲むように生えている。どこか、要塞のようにも感じるその姿は、人を威圧するには十分すぎるほどだ。

 だが、男にとって円卓の会議場はそれほど重要なものではなかったらしく、円卓の騎士団によって区画整理された街並みを見渡す。

 中央区の大魔法高等学校と住宅街を中心として、上京区には円卓の会議場、左京区には空港などの外交施設が多く立ち並んでいる。右京区には工業施設がもうもうと煙を噴出しつつ稼動していた。下京区は商業区域になっているらしく、一番人通りが多く、栄えているようだった。

 一通り街を見終わった男は、ベンチにもたれかかり、空を見上げる。


「あー気持ちいい、いい風だわ、こりゃ」


 張りのある肌に、シミ一つない健康的な肌、引き締まった肉体と均整の取れた顔をしている男は、風に身を委ねる。

 清潔感のある金髪が、気持ちよく風に、さらさらとなびく。思わず手を伸ばしたくなる、そんな手触りのよさそうな髪だ。


「そろそろいくかぁ」


 空を見上げるのをやめて、男はベンチから立つ。質素な黒シャツの上に、黒い光沢ある革ジャンパー、色素の薄い青色のジーパンの見た目はおちゃらけた金髪の男は、もう一度街を見つめ、笑顔を潜める。

 憂いを帯びつつも、獲物を屠る狩人のような眼差しを浮かべる。


「追いついたぜ、亡霊。今度こそ、お前を絶対に殺してやる」


 思念のこもった一言が、風に乗って振りまかれる。

 街を見据える彼の瞳には、赤く燃える絶対的な信念と、憎しみに燃える黒い感情が両立されていた。


 ……

 

 早朝の教室で美久は机に片肘をつき、手に頬を置いて浮かない顔をしていた。

 どこか後悔しているような、そんな薄暗い雰囲気を身に纏っている。


「……」


 右斜め前の和志が本来居るべき席を何度か見て、深くため息をつく。


「あんた何度目のため息や……?」


 呆れた様子で、美久の隣の席に陣取る律がジトっとした視線を送ってくる。

 それに続いて美久の前の席にいる蒼は、目を瞑ったまま口を開く。戦闘中以外はできれば休みを取って、有事に備える。無頼から教えてもらったことで、目を瞑るのは長年やっている間に身についた習慣だ。


「……六回目のため息だ」

「一々数えてんじゃないわよ」


 そして、また美久はため息をつく。


「……七回目」

「報告、いらないわよ」


 再び和志の席に視線を移す。まるで、恋する乙女のように憂いを含んでいるものの、そんな生易しい理由でため息をついているのではない。

 亡霊がこの街に現れたことを、和志に伝えたのは本当によかったのか。それを悩みに悩んでいた。

 今朝、作戦室で受け取った電話は、亡霊が県境に現れたということを伝えてくれた電話で、それを美久は口頭で和志に伝えた。

 元から、亡霊が現れた時には和志へ連絡を入れるというのは和志がソリューションへ入隊した当初からの約束だったから伝えたものの、それで本当によかったのか? と美久は心をずきずきと痛めていた。

 何時間たっても思い出されるのは、憎しみにどす黒く染まった瞳、どこまでも真っ直ぐだった瞳に宿った濁りを見て、自分はとんでもないことをしてしまったのではないか、そんな風にすら感じている。

 何をどう考えても、他人の気持ちに結論なんてだせるはずがないのに、脳ではいくらでも考え込んでしまう。


「あれで、亡霊のことを伝えて、本当によかったのかしら……伝えてなかったら和志は今もここで笑ってた、はずなのに」


 頭の中で順繰りして考えていたものが、自然と口にでてしまった美久は、すぐに口を噤む。

 その様子を見ていた律は、答えの書かれることのない真っ白な天井に視線を彷徨わせる。

 亡霊が現れた。それを和志に教えてくれたことに、律は感謝している。ここで亡霊に纏わる全てを終わらせることができれば、和志は無事に憎しみを消化して元の、愚直なまでに前を向いて、周囲を元気にしてくれる和志に戻れるだろう。

 でも、亡霊を追いかける和志は後先を考えず、無茶をするようになる。例え刺し違えてでも、亡霊を殺そうとして自分の体をぼろぼろに、限界まで酷使するはずだ。それほどまでに亡霊を憎んでいるから、自分すら厭わない。

 それをわかっているから、律は美久を全面的に肯定できない。亡霊のことを知った和志が憎しみに染まることは、美久も理解していていただろう。かと言ってそれを攻める気にもなれない。なにせ、亡霊が現れたことを隠していれば今度は和志が怒りを表すのは、間違いないからだ。

 誰が悪い、良いという話でもないが故に、答えが見つからない。でも、和志のことで美久が沈んでいたら作戦行動自体に支障がでかねない。だから、律は元気付ける言葉を美久に投げかけた。


「あんたはそんな深く考えんでもええよ。あれは和志が望んだことやからね。あいつが自ら望んだ目的や。あんたがいくら考えても、それで和志の考えが変わるわけやない」

「わかってる。わかってるわよ……」

「なら、あんたは前向いとき。美久は、いつも元気な顔が一番やろ。それに隊長が浮かない顔してたら、他の面子にも影響でるしな?」

「そう、そうね……」


 冷静な言葉に耳を傾けてから、美久は深呼吸して、顔に無理やり笑顔を張り付かせ、己に自問自答する。


(私のやることはなに……? 一人の幹部を心配すること? 絶対に違う。私がやるべきことは、ソリューションの指揮官として日本を元に戻すこと……みんなが自分のやりたいことができる、欲望を素直に表すことのできる。平和な世界を目指すこと……だから、一人の人間になんか心を動かしちゃいけない。そうでないと、私はあの人に顔向けできない。あの人のためにやらないといけない。私は……ソリューションの指揮官だから。それに、こんなところで止まっているわけにはいかない。どんな大きな壁が立ちふさがろうと私は頑張って突破してきた。だから、頑張らないと!)

「まだ顔が強張ってんで」

「今はこれが精一杯なのよ、許して頂戴。蒼くん、ちょっとしたお願いがあるんだけど、聞いてくれるかしら?」

「……なんだ?」

「和志の様子を見てきてくれない? 円卓の騎士団が巡回してるから、学校が終わるまで和志も動きださないでしょうし……午後から和志を見張ってて欲しいのよ」


 美久の一言に、蒼は後ろへゆったりと振り向く。

 その顔には、なぜ見張る必要があるのか? と言葉の意味を問うような疑問が浮かんでいた。


「……それは構わないが、なぜだ? 和志は名誉階級以外の円卓の騎士団となら渡り合える力を持っている。今朝の訓練で、それは確認した。見張る必要性があるとは思えない」


 深夜の戦闘から少し仮眠を取った程度だったので、眠気覚ましにやった訓練といえど、和志の実力は十分に測ることができた。円卓の騎士団で名誉階級をもらってる人間には届かないものの、兵士としては優秀だと判断できた。

 それに敵として、味方として和志を見てわかっていることもある。

 和志はいつでも周りを見て動いている。どこかしらとの連携をとりつつ、技量において勝てない相手でも負けない戦い方をしようとしている。

 確かに、亡霊という単語を聞いた直後の和志は不自然極まりなかった。だが和志を心配して見張る必要性があるだろうか。

 疑問を頭に浮かべる蒼に、律は物憂いな視線を和志の席に向けつつ述べる。


「いつもの和志やったら、大丈夫やろうね。でも……和志にとって、亡霊っていうのは心を乱すには十分な存在なんよ」 

「……何かがあるのは、今朝の動きからもわかるが、言うほどのものなのか?」

「うん。さすがに、うちの口から勝手に言うわけにはいかへんけど……今の和志は何をしでかすかわかったもんやないからね、見ておいてほしいんや」


 律の口から語られたそれは、心からの必死な問いかけに思えた。

 このまま、和志を一人で行動させては、取り返しのつかないことになる。そんな確証があるのだろう。

 多少面倒だが、和志と仲の良い律にここまで言われては、断るのも忍びない。それに、ソリューション指揮官である美久からの命令でもあるから、引き受けようと口を開く。


「……引き受け――」


 蒼が肯定の言葉を紡ごうとした矢先に、教室の扉が空を切るように横へスライドする。


「皆さん! お兄ちゃん知りませんか!?」


 切羽詰った幼さの残る声に、蒼たちは反射的に視線を移動させる。

 セミロングで、触覚のように跳ねた一本の黒髪、清純な空気を感じさせる和志の妹、藤幹 紗綾が居た。


「和志なら、ここにはおらへんよ」


 答えを聞きながらも、紗綾は教室を見渡すように視線を動かし、蒼、律、美久以外がいないことを確認して、落胆する。


「ここにもいない……律さんはお兄ちゃんがどこに行ったか知りませんか? 何か様子がおかしいってセイクリッドと響久から聞いて、聞いて探してるんですけど……」

「どこに行ったかは知らんけど、目的だけは、知っとるよ」


 回答に、紗綾は怪訝そうに顔をしかめる。

 どこへ行ったかは知らないが、目的は知っている。

 兄が、目的をもって動くなんて悪い予感しかしない。背中に薄ら寒いものが走り、頭の中に深く刻み込まれた薄暗い、憎しみにも似たことを感じさせる思い出したくもない記憶から目を逸らし、想像通りの出来事が起きていないように、と懇願するような瞳で、美久を見つめる。


「お兄ちゃんは、何の目的で動いているんですか? もし、亡霊に関わりがあることなら……今すぐにでも止めないといけません。教えてもらえませんか」


 懇願したような瞳ながらも、もし兄が亡霊を無謀にも殺そうとするなら絶対に止める、そんな強靭な意志も読み取れた。

 紗綾を視界に捉えて、美久は亡霊のことを和志に伝えてしまった罪悪感を、瞳の上層により一層深ませる。

 和志には、紗綾に亡霊が現れたと伝えるな、と言われている。きっと、紗綾にとって一番大切なのが今も世界に生を受けている和志と知っているから伝えてはいけないのだろう。紗綾が知ってしまえば、和志を止めに行ってしまう。それは、和志にとって邪魔以外の何者でもない。

 口を硬く結ぶ美久に、紗綾は感情を声に乗せて、静かに言葉を続ける。


「美久さん、お願いします。お兄ちゃんが亡霊と戦おうとしているなら、止めないと……きっと殺されます。だから、取り返しのつかないことになる前に教えてください。私は、もう……誰も失いたくないんです」


 震える手で、苦悩を振り切るように拳を作り、懸命に問いかけてくる。

 たった一人の肉親を守りたい、その思いは痛いほどに感情から伝わる。

 鈍らない決心を示し続ける紗綾に、いよいよ観念して、美久はため息をついた。


「……わかったわよ。今朝、県境に亡霊が現れたらしくて、和志はそれを追ってるのよ。行方がつかめないのは朝の時間だと亡霊はでるはずがないと知っているから、何かと準備してるんでしょうね」


 予想が現実になったことに、失望感を覚えながらも紗綾は亡霊が現れた事実を受け止めて美久の言葉に耳を傾けた。


「で、あなたはどうする? 言ってたように和志を止めるの?」

「はい、絶対に止めます。亡霊はきっと、私たちに倒せる代物じゃないと思うんです。だから……危険なことをしようとしてるお兄ちゃんを止めます」

「亡霊を追いかける和志が危険ってことは、あんたも危ないことに巻き込まれるいうことやけど、止めても聞かんのやろ?」

「お兄ちゃんが危ないときに、私が安全圏にいるわけにはいきませんから。……律さんも来ますか?」

「いや、うちはええよ。和志のしたいこと、間違ってるって思えへんしね。でも、正直心配はしとるから、紗綾が止めてくれると助かるんよ。和志こと、お願い」


 お願いする律に、紗綾は優しく首を縦に振る。

 話しが一段落したことを確認した蒼は、美久に命令の詳細を聞いた。先ほどから頻繁にでている亡霊とは何者なのか、会話だけで推察できることは"怪物"と呼ぶに相応しい何かであるということだけだった。


「和志を見張るのはいいが、亡霊とは一体なんだ?」


 蒼の何気ない本心からの発言に、美久は呆れたような視線を向ける。


「円卓の騎士団でランスロット卿だった人間がそんなことも知らないの? 市民の間でも大分噂になってるものよ」

「え!?」


 紗綾が開けた口に手をあてて、大袈裟に驚く。何かとんでもないことを聞いたように、蒼を見据えて身構える。

 背筋を刺激する本能的な敵意に、蒼はすっと目を細める。

 突如、ぴりっとした気配に包まれたのを感じて、律が慌てる。


「こらこら! なんで身構えとるんや!?」

「えっ、だってランスロット卿って……!」

「だったって言うてたやろ!? 美久! あんた伝えてないん?」


 目の辺りを軽く揉み解して、美久は記憶を漁る。


「確か、蒼くんを迎え入れた時には紗綾もいたような……。昨日、作戦終わったからどこにいたのよ?」


 ウサギのように、可愛らしくちょこんと首を傾けて言う。


「きちんとその場にいました。……目の前に大きい人ばっかりで全然見えませんでしたが」


 紗綾は実に背が低かった。

 一般的な女性身長が百六十センチ程度なのに対し、紗綾は百四十八センチしか身長がない。

 優しく微笑みかけるようにして、全員が目を細める。


「やろうな」

「そういうことね」

「……」

「なんで生暖かくて、寂しそうな目で私を見るんですか! そこのランスロット卿って呼ばれた人もなんで!? 背が低いのは関係ないでしょう!」

「いや、そのせいで見れへんかったんやろ」

「みんなの背が高いのが悪いんです」

「そうね、あなたの背が低いのが悪いわね」

「美久さんって時々辛辣なお言葉くれますよね……」


 どこか遠い目をして、窓の奥に覗く快晴の空を紗綾は見上げる。


「空に浸るのはええんやけど……ランスロットのことはいいん?」

「はっ!?」


 再び神速の域で構えをとるが、蒼はもう興味なさげに目を閉じて前を向いていた。

 どうやら紗綾は危険な人間ではないと判断されたらしい。


「ちょっと、なんで寝てるんですか、この人」

「紗綾が阿呆なことやってるからやないかなぁ」

「でも、こんなところに円卓の騎士団の名誉階級がいるんでしょう。だったら何とかしないと……」

「紗綾、あんたが今喋るとややこしいから、黙ってなさい」


 少し不満げに、紗綾は構えを破棄する。

 美久は紗綾を見ながらも、蒼に指を指す。


「創崎 蒼くんよ。昨日――じゃない、今日付けで円卓の騎士団を脱退してソリューションに入隊した人よ。さっきも言ってたように、円卓の騎士団での階級はランスロット卿ね」

「はぁ……宜しくお願いします」

「……宜しく」


 蒼は一度紗綾に何気ない視線を送ってから、平坦な声で告げて、再び正面を向き目を閉じた。

 始めて会う人間に行うことにしては、些か不満が目立ったのか、不満げな顔をした紗綾は、どうしても納得がいかないらしく、美久に近づいて、ひそひそと耳打ちする。


「円卓の騎士団の人なんて入れていいんですか? 危険だと思いますけど……」

「今すぐ信頼しろ、なんて土台無理な話は要求しないから、あなたはあなたで彼のことを見極めなさい。そのための時間も用意するから」

「時間を、用意……?」

「紗綾と蒼くんで和志のフォローに回ってもらう予定だから」

「危なくないですか」

「信用できないっていうなら、それをあなた自身で確かめなさい。襲われるなんてことはないだろうし、大丈夫よ」

「……命令ですか」

「うん、命令よ」


 にっこりと告げられて、紗綾は肩を落とし、諦めてため息をつく。


「わかりました。美久さんがそこまでいうならきっと大丈夫でしょうし、私も自分自身で創崎さんのこと、見極めてみます」


 美久は紗綾の言葉に満足して微笑みかける。肩にぽんぽんと景気づけるように手を置いて。


「ん、それでいいわ。学校終わりから作戦に移ってもらうわね。蒼くん、紗綾と行動して和志のサポートをしてあげて」


 蒼は少し考えたあと、後ろに振り向く。

 どこか戸惑いの色が顔からは見て取れた。


「……そこまで、俺を信用していいのか?」

「それ自分で聞くことやないやろうに」

「今回の命令はあなたが信用に足るか、それに関しての試験的な意味合いも含めてのことなのよ。いくら仲間になったって言っても、円卓の騎士団から裏切った人をはいそうですか、って信じられる人は少ないだろうし、それはあなたが自分でがなんとかしなさい」

「……理解した。善処する」

「やる気あるのかないのか、わからない発言ねぇ……あと、気になることがあるんだけど」

「なんだ?」

「円卓の騎士団内部で、蒼くんの素顔を知っている人間は何人いるの? これからの作戦行動を組み立てる人間としては、ある程度そこら辺も把握して作戦を練らないといけないんだけど」


 蒼は右手の人差し指をコメカミにおいて、素顔を知られている人間を脳内でピックアップしていく。

 基本的に円卓の会議場では仮面をつけることはない。仮面はあくまで、円卓の騎士団に反感を持つ一般人に素性を明かさないようにするためのものだからだ。

 円卓の騎士団で蒼は基本的に教育係などに抜擢されていなかったし、そこまで顔を晒す機会もなかった。特に、全体的な行動の際には必ず仮面をつけていたから、知っている人間は極限られた者たちだった。


「名誉階級の人間たちは俺の素顔を殆ど知っているはずだ。だが一般兵士で……知ってる人間はおそらくかなり少ないだろう」

「へぇ、あんまり浸透してないのね。身内でも色々警戒してるってことなの?」

「単純に他人との接点を持っていなかっただけだ。素顔を晒している人間はいくらでもいる」

「なるほどね。素顔をそこまで晒していないなら、街に繰り出してもらっても問題なさそうね」

「でも、円卓の騎士団に見つかったら厄介なことにならん? いくら顔を晒してない言うても、写真とか何か素顔がわかるものもあるかもしれんし。そうしたら、すぐ見つかるで?」

「いや……それはないわね。円卓の騎士団を裏切った蒼くんを探そうとするなら、既にそうしているはずよ。本来なら、組織内部の情報が漏れるなんて死活問題だもの。大々的に捜査していないところを見ると、蒼くんの知っている情報はそこまで価値がないことなのか、そもそも裏切り者を追いかける気すらないのか」

「だとしたら、随分と気楽な組織やね、円卓の騎士団は」

「そうね。ある程度過程を立てても、どうせ相手の出方がわからない以上、こちらも対策の見通しすら立たない。だから街に出る時はできるだけ徘徊中の円卓の騎士団に見つからないようにしなさい。もし蒼の素顔を知っている人間に紗綾と一緒に居るところを見られたら、紗綾がソリューションの構成員だと疑われるから注意するように」


 円卓の騎士団が受動的にしか、事が起きた時にしか行動できない組織だとしても、素性がばれることは好ましくない。また、いつ円卓の騎士団が受動的な組織から能動的な組織に移り変わるかもわからない。

 だから、できるだけ素顔が晒されるリスクは減らしておきたい。


「それが正解だろうな」

「わかりました」

「ん。……和志は、人を巻き込まないために、人通りの多いところにはいないでしょうし、亡霊を誘い込むために色々策を練っているはずだから、人気のないところにいるはずよ。たぶん、右京区の工業地帯とかね。あそこは工場が多くあって、それにいまだ未開発の広大な土地が広がっている地域だからまず探すならそこからでしょうね」

「せやね。私のほうでも情報が手に入ったら連絡するから、ほれ」


 斜め後ろの席から放られた物を蒼は器用に背面から受け取り、目の前に持ってくる。


「これは?」

「トランシーバー型の無線機。うちらが使ってる周波数に合わせてあるものやね。この都市全域だけやったら中継できる電波もあるし、都内にさえ居たら連絡の取り合いができるんよ。中央にあるダイヤルを回してもらえば、ソリューションの幹部には連絡できるようになっとるよ。一番は美久のところで、二番が和志のとこ、みたいにね。基本的に有事が起きた時には美久に連絡すればええし、覚えてもらうのはそんなもんでええかな、美久」

「そんなところでしょうね。あ、あと無線機は壊さないでね、律お手製のものだから、一度壊れたらまた作り直すのに時間かかるかもしれないから」


 説明を聞いて、蒼は制服のズボンに無線機を滑り込ませる。かなり小型化されているので、すんなりと入れることができた。

 全てが終わったことを確認して、紗綾は蒼の机の前まで近づき、右手を差し出した。


「これから宜しくお願いします。創崎 蒼さん」

「宜しく頼む」 


 蒼も右手をだして、握手に応じる。仲間と信頼しての握手ではなく、どこか相手を見極めるための挑戦的な意味合いがこめられた握手だった。


 ……


 時間は移り変わって、生徒達の部活動に励む声が盛大に聞こえる放課後の校門。

 時刻は夕方に差し迫っており、太陽は悠然と山の谷間へと歩みを進めている。緩やかに吹く風もあってか、どこか寂しく見えてしまう光景だ。

 校門の前で、蒼と美久と紗綾は無言で突っ立って、来訪者を待つ。律は和志の居場所を独自に探すとかで、前線基地に戻ってしまった。

 なぜこんなところで何もせずに待っているのかというと、遠方からわざわざ仲間がくるというので、それを待っているのである。

 周囲には円卓の騎士団の影も形もなく、一緒に居ても問題はないし、特に話す話題もないのだが、紗綾は少し居心地の悪さを感じていた。


「……」


 なにせ、蒼はずっと山の方向を見つめているのだから、やりにくいったらありゃしない。話しをよく振ってくれる美久でさえも、考え事をしているのか、顎に手をあてて、唸っている。

 蒼に関しては、元から無口なのは顔からも判断できるし、第一印象からクールな感じの人間――いや、興味のないことにはとことん興味がない人間だと判断できた。まさに兵士という言葉を体言しているような人間。

 それに、まだ本当に信頼できる人かも判断ができない。

 円卓の騎士団に所属していたということは、元々は大日本帝国の王、アーサー王の思想に賛成していたということに他ならないからだ。どうしてそんな人を仲間に引き入れたのか、紗綾には納得できることではなかった。

 蒼のことも気がかりだったが、心の大半を占めているのは兄である和志のこと。

 今も憎しみに苛まれ、血眼になりながら兄は亡霊を探しているはずで、それを考えるだけで胸が苦しくなる。

 そんなことを考えながら身を縮こませた時だった。

 目の前から夕日に照らされた黒いバイクが静かに訪れる。美久は考え事を中断して、正面を見据える。


「やっときたわね」

「誰なんですか?」


 紗綾は、当然の疑問をぶつけてみる。


「亡霊狩りを専門としているファントムハンターよ」

「強いな」

「……え、名前がですか!?」


 紗綾は思わずワンテンポ遅れて反応してしまう。しかし、蒼は「いや」と前置きしてから言った。


「あの雰囲気はかなりの戦闘力を有していると判断できる」

「あ、ああ。そういうことですか。よかった、突然ギャグ言われたのかと思った……」

「あははっあんたたち面白いわね」

「今のはさすがに誰でも勘違いしますよー」


 そんなことを言い合っていると、バイクは自然と減速し、目前で停止した。

 遠めからはわかりにくかったが、黒い革のジャンパーは少しばかり膨らんでいて、相当に鍛え抜かれた体をしていることがわかる。

 美久は両腕をお腹のあたりで組み、笑いながら来訪者を歓迎する。


「随分と遅れたじゃないの」

「いやーわりぃわりぃ、この街にくるのは始めてでな、迷っちまったんだ」


 軽く言いながらもバイクに跨った人間は、自然な身のこなしで降りてからヘルメットを取り、バイクのミラーに掛ける。

 女性のようにさらさらとした金髪が風に流れ、夕日に照らされてどこか、儚げな雰囲気を演出する。誠実そうな雰囲気とおちゃらけた雰囲気が介在している不思議な男性だった。


「そう。ご足労願って悪かったわね」

「いいや、亡霊の情報を提供してもらって感謝してるくらいだよ。で、亡霊はどこにいんだ?」

「そこまではさすがに分からないわね。あとお願いしていた通り、ここに居る二人と一緒に亡霊を追いかけている仲間を一人探してちょうだい」

「情報提供料ってことか?」

「そんなところね。あとアフターサービスでこっちでも亡霊を発見した場合は知らせるから」

「いいアフターサービスがあるこって。この二人に俺の紹介は?」


 蒼と紗綾を見ながら言う。


「亡霊狩りをしているファントムハンターだってことだけ伝えたわよ」


 ファントムハンター。

 その名前を聞いた男性は、うなじ辺りを触り困ったように呟いた。


「それあくまで他称でつけられた名前だから、あまり広められても困るんだがな」

「いいじゃない、名前が売れるってのはいいことよ」

「それもそうかね。んじゃ、自己紹介としゃれこむか」


 蒼と紗綾を順繰りに見たあと、両手を差し出す。


「俺の名前は野木原 一誠(のぎはら いっせい)、二十六歳、職業はそうだな……知っての通り、亡霊を狩るファントムハンターってところだ。短い間になるかもしれねぇが、宜しく、子猫ちゃんと……そうだな、クールな見た目してるから鷲くん、そうしようか」


 そう言って、一誠は笑った。


 第九話「ファントムハンター」終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る