第二章 亡霊編

第八話「亡霊」

 第二章 亡霊編


 第八話「亡霊」


 大日本帝国――旧名、日本。

 平和で安全な国家として世界に認知されていた国に変化が現れたのは、あまりに唐突な西暦、二千一年元旦のことだった。

 円卓の騎士団を名乗るテロリストは、政治の中枢部として機能する国会議事堂を襲撃。

 内閣総理大臣や国会議員を容赦なく虐殺し、円卓の騎士団は日本を乗っ取った。円卓の騎士団に組する国会議員も数多く居り、制圧はスムーズに行われた。

 この事件にマスメディアは嬉々として飛びついて、国民の不安を煽る文章を騒ぎ立てた。

 日本人にとって外界に等しい諸外国ではなく、日本内で起こったテロリズムに国民は恐怖し、動揺したものの、大多数の人間は心の内では「どうにかなるだろう」と楽観的な考え方をしていたこともあり、混乱は一時的なものとなった。

 人間は実際に体験したことでしか、物事を計ることはできない。真に理解することもできない。故に、日本の中枢を担う国会議員が殺されようとも、どこか遠い国で起こった出来事のように、国民は感じていたのかもしれない。

 元旦のうちに、円卓の騎士団はマスメディアを通じて、世界中に日本を手中に収めたことを宣言する。しかし、そこでも騒動の当人達である日本国民が動くことはなかった。

 雲の上にある架空の物語だと思っていたのか、はたまた、自分には関係がない。そんな風に思っていたのか。とにかく、日本を取り戻そうとする人間はいなかったのである。

 この時点で、日本は名実共に円卓の騎士団のものになったも同義であった。

 警察や自衛隊は優先して守るべき対象である国の指導者を守れなかった時点で、存在自体が無意味なものとなっていたのだ。

 日本を取り戻しても後に政治を継ぐ人間がおらず、守るべきものが既に存在しない警察や自衛隊にできることなど、何もなかった。 こうして、日本は一夜にして円卓の騎士団に制圧され、国名を大日本帝国に変えることとなった。

 世界は一時的に日本がテロリストに制圧されて戸惑いはしたものの、そんなものは一時の話で、すぐに世界は何事もなかったかのように、再び平和な道を歩みだした。

 誰も日本という国を見向きもしなかったのである。

 円卓の騎士団は、その後も着実に日本を支配していく。手始めに警察や自衛隊といった組織を解体。大日本帝国の守りを一手に引き受ける国防組織として円卓の騎士団を設立。同時に、大日本帝国の首都を京都へ移行した。

 その後、大魔法高等学校が設立されて、世界の魔法先進国家として認知されていくこととなる。

 そして大日本帝国はある法令を制定する。


 人の欲望を禁止する、欲禁令である。


 この時から、真に円卓の騎士団が日本の頂点として、世間に認知される。

 円卓の騎士団は、世界に向けて大日本帝国の建国を名乗り、円卓の騎士団の長であるアーサー王が大日本帝国の統治を始めた。

 そして、心の内に欲望を抱くことを、日本人は禁止された。


 ……


 ソリューションが円卓の会議場を襲撃してから一夜が過ぎた。

 昇り始めたばかりの眩い太陽が地面を照らしあげて、黄金の瓦礫を生みだす。太陽の光を受けて、朝を告げる澄んだ風が大地を駆け抜け、世界を循環する。

 いつもと同じことのように思えるけれど、前の日とは少し違うであろう朝。

 万物は流転し、また新たな日が始まっていた。

 円卓の会議場の内部にある開けた広場に集合させられた兵士たちは、早朝から騒然としていた。

 ランスロット卿がソリューションに裏切ったことが、正式に発表されたからである。

 無頼は淡々とその事実を告げて、解散を指示したが、未だに多くのものが広場に残っていた。

 信じられないことを聞いたように放心している者や、裏切りに腹をたてて、今にも眼光で人を殺せるのではないか、と錯覚させるほどに鋭い気配を放つ者もいたが、最も異彩を放っていたのは、数時間前に蒼と会話して、戦場へ送りだした一人の少年だった。

 彼の名前は内月 騎馬(うちづき きば)。

 十五歳でありながら小学生のような幼さの残る顔つきに、平均の男性身長とは言い難い、低さが特徴的だ。

 草のように長く生い茂る人間たちに紛れる彼は、どこから見ても円卓の騎士団のような戦闘が日常茶飯事の国防組織にいるような人間には到底見えないが、周りの人間が気配で顔を背けてしまうほどに、圧倒的なまでの威圧感を放っていた。

 ランスロット卿が裏切ったと聞いた時、騎馬に芽生えたのは喪失と憎しみにも似た怒りだった。

 腹の奥からむかむかとして、制御仕切れない感情が浮かび上がってくるようで、幼さに似合わない険しい顔をしている。

 騎馬にとって、ランスロット卿は最上の憧れだった。

 命令に意を唱えることなく従い、順当にこなして帰ってくる。人間を殺すことに一遍の躊躇もなくて、一昨日の海岸線での戦いなんて、胸が躍るほどだった。目の前でランスロット卿が無慈悲に敵の腹を掻っ捌いた時には、胸の鼓動が高鳴って「なんて兵士然としている人だろう」と素直に憧れることができた。

 鮮血が地面にじんわりと染み込むように広がっていく姿を見下げていたランスロット卿は、騎馬に最高の兵士として映っていた。脳裏に焼きつくほどに。

 そんな兵士として完璧なまでに律しられた姿は、人間ではなく、兵士という単語そのもののようにすら見えたというのに。


 そんな彼が裏切った。


 信じられない――いや、信じたくない話だったが、騎馬には思い当たる節があった。

 夜中に会話した時、ランスロット卿は含みある言葉を騎馬にぶつけていた。


 「お前は俺のようにはなるな。迷いを持ち、欲望を持つ。それこそが人間である由縁の証だ」

 

 これに対して、騎馬は、


 「人間の証……?

 なんだよ、それ……迷いなんて、欲望なんて……ないほうがよっぽどいいじゃないか。あんな、人の心を乱すものはなくていいんだよ……!」


 と回答したのだ。

 言葉を発した時には、既にランスロット卿はいなかったし、きっと耳に届いてすらいないだろう。だが、騎馬にとって欲望なんてものは憎むべき対象であり、消し去りたいと思うもので。

 頭の中が回転するたびに、ふつふつと熱が溜まっていって、自然と威圧感漂う独り言が漏れでる。


「……僕は……あなたを信じていたのに……」


 口の中で、歯がごりっと悲鳴をあげているがおかまいなしに、力を込める。

 次第に目は震え、偶像としてのランスロット卿が浮かび上がってきて、先ほどまで感じていた喪失感はなく、騎馬が抱いている感情はただの憎しみという闇だった。

 憎悪の螺旋が描き出されて、心の中で勝手に増幅されていく。


「追いつくために、憧れの人になるために……ここに居たのに……そんなあなたがいなくなったら、僕は……これから、どうすればいいんだよ……!」


 感情が溢れかえって止まらない。

 頂点を通過した沸点は、上昇し続けるかのように思われたが、それが甘言に遮られる。


「お前がどうすればいいか、簡単だ。ランスロットと戦って、あいつを超えればいい。それだけで、お前の目標は達成されるだろう」


 耳元で、甘くとろけるように囁かれた悪魔の一言に、騎馬はゆっくり振り向く。

 囁かれただけで、早朝特有の爽やかだった風がざわめいて、空気が重苦しく変わる。まるで、現実の空間ではないようにすら思えるほどに現実味がない。

 騎馬が考えている間に周囲の人は解散しており、兵士たちは忽然と姿を消していたらしい。そんな、ぽつんと残された騎馬に声を掛けた人物は、騎馬よりも十センチ程度高く、白い仮面を被って髪が収まる程度の王冠を被っている。

 仮面に遮られて瞳を窺うことはできないが、本能的に恐怖を感じさせる視線が、確実に自分へ向いているのだけは理解できた。

 しかし、今の騎馬は本能的恐怖などにはお構いなしの状態で、投げられた言葉に怯えを含ませることなく、むしろ苛立ちを募らせて返答する。たとえ、声を掛けられたのが、大日本帝国の王、アーサー王であろうとも、関係はなかった。

 騎馬にとっての最優先事項は、ランスロット卿ただ一人に向けられているのだから。


「ランスロットを超える……? 僕にそんなことができるとでも?」


 僕がランスロット卿を超える? 何を言っているんだ。こいつは、と騎馬はアーサー王を鋭く刺すように睨みつける。

 それを見て、アーサー王は仮面の奥で邪悪に唇を吊り上げた。


「お前はランスロットを尊敬していたのだろう? その裏切りが許せないのではないのか?」


 静かな風のざわめきが、騎馬に考える時間を与えるように止む。

 アーサー王の言う通り、騎馬はランスロットが裏切ったことに喪失を感じながらも、怒りを隠しきれていない。憧れを裏切られたことに涙するのではなく、裏切りに怒りを重ねている。

 一体いつからだろう。

 心の隅に自分を裏切ったランスロットを殺したい。そんなものが浮かんできている。

 自分の魔法容量と経験では殺せるわけがない、そんな風に思いながらも、心は深遠の闇に染まっていく。

 アーサー王は手に取るように、騎馬の心の揺れ動きを観察しつつ、甘言を心にするっと入り込ませる。


「俺ならば、お前がランスロットに勝つためにしなければならないことを、全て叶えてやれる。お前には戦いの才がある。ランスロットに勝る兵士になる素質を持っている」


 アーサー王の言葉は、心に闇を生みつけるように、本当に自分がランスロット卿に勝てると錯覚させる甘くて、魔性の言葉。

 騎馬は怒りに震える手を握り、勢いのまま、感情のままに息を呑んで、アーサー王を見上げながらランスロットへの憎しみを胸に呟いていた。


「僕に、ランスロットを超えさせてくれ……!」


 憎しみを抱いた必死な言葉に、アーサー王は心から満足して、仮面の奥で唇を歪めながら、頷いた。


 ……

 …


 野に咲く鮮やかな花たちが、そよ風に気持ちよさそうに揺れている。


「どれどれ」


 しゃがみこんだアーサー王は、仮面の奥で目尻を下げて、花たちを観察する。

 どこまでも無垢でいて、人間とは違い欲望も、闘争本能も持つことのない可憐な花たちを愛でるように見つめ続ける。

 普段感じられる威圧感と言ったものは発せられず、どこまでも優しげな姿をしていた。

 花は見目麗しく、見ているものの心を掴んで離さない、穢れのない存在で、人間とは根本的に違う。本能のままに生き、枯れる、なんと素晴らしいことだろう。

 そんな花が、アーサー王は好きだった。


「お前たちは、なぜこうも……綺麗に生きていられるのだろうな」


 羨望を感じさせる口調で、壊れ物を傷つけないように、花を繊細に触る。この時間だけは、心を落ち着かせられて穏やかな気持ちで居られた。


「ここに居たのか」


 後ろから、野太くて耳に印象深く残る声がぬるっと入ってくる。

 こんな声帯を持っているのは、アーサー王が知りうる限り一人だけだ。振り返らずに、名前を告げてやる。


「何か用か、ガウェイン」


 そっけなく呟かれた言葉に、ガウェイン卿――縁李 無頼が、少しばかり戸惑いを混じらせた。

 服の上からでもわかるほどに、筋骨隆々とした外見をしていて、男らしく厳しい顔をしている無頼は、何かを案じているらしい表情を浮かばせていた。


「内月 騎馬のことだ。あいつに何を吹き込んだ? 以前からあいつは危ない存在だと思っていたんだが……今見たら、さらに闇が深まっていたぞ。あれは、おかしい者だ。どこまでも普通の少年に見えるが、他人を殺す姿を見てもなんとも思わない……人間としては、致命的な欠陥だ。お前が何か吹き込んだのだろう?」


 無頼は、一昨日ランスロット卿――創崎 蒼が横一閃で、腹を切り裂いた痛ましい兵士の姿を脳裏に思い浮かべる。あんなものを何度も見て、狂気に陥らず精神を安定させることができる人間は、極限られている。

 大まかにわけて狂気に至らない人間は、悟りを開くかのように、心の奥深くに感情を封印した者か――元から心と感情を壊している者かの、二択だ。

 無頼や蒼は前者に属し、騎馬は後者に属する。

 花を敬愛を込めて凝視し続けるアーサー王は、投げかけられた言葉を愉快そうに鼻で笑った。


「人殺しをしても、何も感じない人間とは、人間としては恐ろしいほどに欠陥品だな。可哀想なことに、そんな人間は人の理の中では、自分と周りの人間との摩擦に精神が耐えられなくなるだろう。だが、彼は兵士として完璧だ。恐れを感じず、人を殺すことのできる暴虐の化け物になる素質を秘めているよ、あの内月 騎馬という少年は。お前もそれは感じているのだろう?」

「きっとあいつは鍛えれば、至高の兵士の鑑となれるだろう。心構えだけはな」


 騎馬は兵士として、完璧な心を持っている。しかし、それは心だけだ。

 実際問題、騎馬の魔力容量はそこまで多くなく、一日に使える魔力容量は五回で、コモンクラスに区分けされる魔力容量だ。

 円卓の騎士団に入る人間の多くは、一日に十回から十五回程度魔法を使用できる。コモンクラスであることに変わりないが、五回使えるのか、十回使えるのかでは、まったく話が違う。魔力容量は山奥の修行で大きくなったり努力で増えるものではない。

 天性的で、抗いようのない人間の価値を決めるものなのだ。特に、円卓の騎士団のような国防組織においてはその傾向が色濃く現れる。

 だから、内月 騎馬は兵士として完璧な心構えを得られるとしても、戦力として数えることはできない。

 そのはずなのに、アーサー王は戦力として数えているように発言を繰り返していた。

 アーサー王は満足して、花を最後に壊れ物に触るように柔らかく一撫でしてから立ち上がって無頼の居る後ろに振り向く。

 太陽に照らされたアーサー王に影が生まれて、その影が悪魔のように微笑んだ。


「最高の兵士にして見せるさ、あいつには計画の被験者になってもらう。成功すれば、内月 騎馬の抱える問題にも終止符が打たれるだろう? このまま人殺しの才をもてあますより、よほど効率がいいはずだ」


 仮面によって、表情が見えないはずなのにアーサー王から生まれた影は、どこまでも邪悪に口元を綻ばせる。

 アーサー王からもたらされたあまりの言葉に、無頼は異議を申し立てて、怒気を表す。


「まさか……あの計画か! まだ続けていたのか、あんなものは悪魔がやる実験だ! 人間がやる所業ではない……! 許されると思っているのか!」


 一方的に荒々しく捲くし立てる無頼に、飄々としているアーサー王は中性的でいて威圧的。どこまでも冷徹でいて、聞くものの心を絶望的なまでに、恐怖させる声をだす。


「そう、人間ではないからするのだ。縁李 無頼――いや、ガウェイン卿よ、お前は誰に向かって口を聞いているのだ?」


 珍しく怒気の感情を発現させた無頼は、体を本能的に震えさせるような声に我に帰った。


「アーサー、王……だ」

「そうだろうな。お前がそのように立派にものを言える立場だと思っているのか。お前の犯した罪はその程度で消えることはないぞ」


 狂おしいほどに壊したいと、闇の中から最も憎しみを込められた一言に、無頼は無条件で従うしかなかった。

 自分の罪が許される罪でないと心が痛くなるほどに、理解しているから逆らえない。


 ……


 大きい正方形の広々とした空間に、ぽつんと人間が二人佇んでいた。

 簡素な灰色の地面を眩く照らす地面では、二人の人間が掛け声をあげていた。


「はぁっ!」

「はっ!」


 蒼と和志が互いを目指し、助走をつけて飛び掛る。

 二人が重なる直前に、蒼は、右袖内に這わせるように魔法で実体化させた剣で、横一閃。

 和志も負けじと右手に、魔法で実体化させた斧で細かく振りぬく。

 不可視の風を纏う両者の武器は、風でお互いを執拗なまでに牽制しただけで、直接体に触れることなく、蒼と和志は背と背を向けながら地面に着地した。

 蒼は集中しているのか無表情に、和志は顔をしかめながら、判定の時を待つ。

 無言の時が幾許(いくばく)か流れてから、互いの武器は音もなくひび割れて砕け散った。

 砕け散った破片は、地面へ落ちる前に空中へ霧散して、魔力が空気と同化する。


「……」

「はー、やっぱ負けちまったか」


 蒼は和志に振り返りながら、淡々と戦闘の感想を述べた。


「やはり、戦闘センス自体が大したものだ」

「え、そうか? いやー俺ってやっぱりなかなか……」


 手を顎に添えて、和志は自信気なキメ顔をした。突っ込み待ちの様だが、蒼はそれをスルーする。


「いくか」


 やれやれ、と両手首を振り、キメ顔を解いた和志は、疑問に顔を傾かせた。


「ノリ悪いなぁ。で、どこに行くんだ?」


 和志が質問した時、スピーカーから律の飽きれを含んだ声が漏れでてきた。


「そりゃ、創崎さんの案内するためやろ。そんなところでくっちゃべってないではよー戻ってきーな」

「あ、ああー、そういうことだったな! うっし、蒼、いこうぜ」


 催促の声に、和志は納得して頷いてから、蒼の背を柔らかく叩いて歩くことを促した。


「あぁ……」


 蒼は、明かりで灯る灰色の天井を見上げてから、ふと無表情だった表情を沈ませ、迷いを浮かばせて、再び前を見て、歩きだした。

 昨晩まで円卓の騎士団に所属していた自分が、敵対組織であるソリューションに入隊して、訓練なぞをしている。自分が決めたことながら、そのことを不思議に思ってしまったのだ。

 灰色の壁と同化しているようにすら見える、壁と同色の扉が、人を探知して勝手に開く。

 そこを蒼と和志は通り抜けて、これまた質素な白い壁の通路を進む。

 蒼はこの施設に関心した様子で、進む先を見つめる。隣に並んだ和志が、自慢げに胸を張る。


「どうだ、すげぇだろ。これがソリューションの前線地下基地なんだぜ」


 自分で作った、とでも言うように胸を張った和志を横目で見つつ、施設に関心して呟く。


「ソリューションがこのような、規模の大きい基地をもっているとは思わなかった。正直、驚いている」

「そうやろ? この基地はソリューションの中でも特別に大きい規模の基地やからね」


 和志と同じく自身たっぷりに黒未 律が、廊下の横壁と接続されている扉から喋りながら現れる。隣には紅 美久も居て、律や和志の発言に呆れた顔をしている。


「自信まんまんみたいだけど、作ったのあんたたちじゃないからね? 自分のものと勘違いしないでよ?」

「いややな~わかってるよ~。さ、創崎さんの案内するんやろ? とっととやろ」

「それが一番だよな。ってことで、どこいきたいよ」

「……なぜ、施設の中身を知らない人間に、いきたい場所を尋ねる?」

「創崎くん、和志の言うことは放っておいていいわよ。とりあえず、作戦室でこの基地の成り立ちから話そうの思うのだけど、大丈夫?」


 和志が「俺が悪かったけど、なんで無視する!?」と反論するが、誰にも届かず、蒼は気にせずさらっと返す。


「問題ない」


 即答された言葉に、美久は満足し、頷いて白く真っ直ぐ伸びる廊下を歩きだした。

 それに続いて、律も動きだす。


「ほら、創崎さん、はよういこ」


 優しく促された蒼はこくりと頷いて、美久のあとについていく。和志は、完全に忘れ去られた存在のように、突っ立っていた。


「おーい、和志ー早くきなさーい」


 数歩先を行った美久が振り返り、手で口の辺りにメガホンを作って、心に染み込む、柔らかで包容力ある言葉を発する。

 はっとして、和志は元気よく「おう!」と叫んで、走った。

 どこまでも、目先のことに一喜一憂して和志は感情を先行させる。


 ……

 

 作戦室は、白いコンクリートの壁を基調とした質素で手狭な部屋だった。

 作戦室というのは、大事なことを決める場所であるから、多くの人間の意見が必要になり、大勢の人間の意見を聞いて行動を決定していくはずなのだが、随分と狭い。

 二十人程度の人間が部屋に入ってしまったら、それだけで部屋が埋まってしまうほどに。


「……狭い部屋だな」

「まぁまぁ、座って頂戴」


 蒼は美久に促されて来客用としか思えないソファーに座った。ぼすんと体が沈みこんで、良い素材を使っていることが身で感じられる。

 木製のこれまた良い素材を使っていて、光沢あるテーブルで仕切られた蒼の反対側のソファーに、指定席であるかのように自然と和志と律が座り、美久はテーブルの上手にある一人用のソファに座る。

 美久は、ちょこんと可愛らしく手のひらを膝に乗せており、おしとやかで可愛らしい行動をしていた。どうやら無意識にやっているらしい。

 視界の横に位置する蒼の瞳をじっと見つめて、提案する。


「さて、それじゃあ……このソリューション基地の成り立ちについて、説明しようかしら、どう?」


 提案された一言に、蒼は反応薄めに頷く。

 ソリューションがなぜ、このように地下基地なんてものを持つことができたのか、というところに疑問を感じていたからだ。

 目を閉じて、軽やかに口を開こうとした美久より先に、感情的に動くぶしつけな口があった。


「というか、俺たちまで聞かなきゃならんの?」

 

 思わず心から漏れ出たのであろう和志の一言が、作戦室を凍りつかせる。

 目を閉じたまま、顔をぴくぴくして、美久が不穏なオーラを漂わせていた。自分語りが邪魔されて、怒りかけているらしい。

 律が美久の怒りを代弁するように、言う。


「あんたなぁ、今から説明が始まるところやったんやで? 静かにしとき」

「いやぁ、一回聞いたことあるし……」

「じゃあ、私が質問するから、和志くんはその質問に答えてね?」


 美久が思わず背筋が伸びて、寒くなるような恐ろしい声をあげながら、笑顔を向ける。

 笑顔なのに、まるで鬼のように恐ろしい。

 和志は、自分が失言をしたことにようやく気づいたらしく「お、おう! なんでも答えてやるぜ!」と強気に言った。


「そう、お願いね。さて、邪魔が入っちゃったけど、この基地は人類に魔法が発現した第二次世界大戦の真っ只中に作られた地下施設なの。なんでこの施設が作られたか、和志、わかる?」

「えーっとな……確かセレニアコス病っていう病気があって、それにかかった人を恐れた政府が隔離するために作った施設、だったよな」

「正解よ、よく覚えてたわね」

「ほんとにな、答えられへんかったら私が言うところやったわ」

「お前らはどこまで俺を下に見れば気がすむんですかねぇ!?」

「下になんて見てないわよ。大事な仲間なんだから」

「そやそや」

「律……美久……」


 大事な仲間という言葉に、打ち震えて感動する和志をよそに、話は続く。


「脱線しちゃったけど、セレニアコス病っていうのがなんのかは、もちろん知ってるわよね?」


 確認するように問いかけると、蒼は教科書を丸暗記しているかのように口をすらすらと開き始める。


「セレニアコス病は、第二次世界大戦中期の千九百四十五年に発見されたもので、主にその病気を発症したのは十五歳から二十五歳程度の男女含む若者だ。セレニアコス病を発症したものは、"魔法"を行使することができる」

「うん、その通り。そして、セレニアコス病――いいえ、魔法を使える未知の力を持った人間たちを恐れた政府が作ったのが、この施設というわけね。地下に作られた施設を改造して、私たちは使用しているの」

「なるほどな……自前で、こんな大規模基地を作れるわけがないとは思っていたが、そういうことだったか」

「この基地も最初は大変やったみたいやけどね。第二次世界大戦が終結するきっかけになった特例魔法、ポイズンゾーンのせいで、随分と荒れてたみたいやから」

「荒れていた……? 黒未が基地の基礎を作ったのではないのか?」


 まるで自分が作ったのではない、という言い方に、蒼は首を傾げる。


「初代ソリューションの指揮官が居た時に、作ったらしいからなぁ。円卓の騎士団が台頭し始めた十一年前くらいのことやね。だから、うちらはその頃にこの基地が本当にどうなってたかは知らんのや」

「初代ソリューション指揮官……?」


 美久は今まで意気揚々としていた顔に、陰りを混ぜて、思い出したくないことを思い出したように、しょげる。


「とても勇敢で……リーダーシップもあって、豪快で……みんなの太陽みたいな存在だった人よ……もう死んだ人だけどね」


 聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。

 先ほどまで上の空だった和志も何か思い出しているのか、辛そうに顔をしかめていた。律も同じようにしている。

 美久の言ったことは真実で、ソリューションに所属する人間にとって太陽みたいな存在だったのだろう。彼らの雰囲気から、それは存分に読み取れた。

 自嘲気味な笑みを浮かべて、美久が口を開こうとしたその時、携帯の着信音と思われる乾いた音が、狭い作戦室に鳴り響いた。


「ちょっとごめん」


 美久は断りを入れつつ、立ち上がり作戦室の隅に移動して、携帯を耳に当てた。


「……そっちの首尾は? えぇ……なら、そこは破棄してもいいわ。回収も忘れないようにね。……なっ……それは本当なの?」


 一瞬口調が信じられないものを耳にしたように震える。


「奴がこちらに現れるなんて思ってなかったわね……。警戒させてもらうわ、うん、そっちも気をつけてね」


 携帯を切って、しばらく信じられないように携帯を見つめてから、軍服のズボンのポケットにさっとしまう。

 蒼たちに振り返り、迷うように目を泳がせる美久の様子に気づいた和志は、問いかける。


「んあ? どうしたよ。なんかあったのか?」


 しばらくして、意を決して和志を見つめ、重く一言告げた。


「亡霊がこの区域に現れたらしいわ」


 亡霊。

 その単語を聞いた途端に、和志からこれまでのように揚々とした雰囲気が消えて、どうしようもない怒りを我慢しているように、和志は両手を震わせ力強く拳を作った。

 握り締めた自分の爪で、皮膚をそげ落としてしまうのではないかと思うほどに、力を込めて怒りを露にしている。

 律はそれを痛ましそうに見つめながらも、声をかけようとはしない。何かを躊躇っている、そんな風に感じられた。

 まるで、自分には声をかける権利はないと、そう言いたげな眼差し。

 和志は喉を震わせながら、怨念を感じさせる一言を吐く。


「亡……霊」


 呟いた和志の瞳には、荒々しい激情が浮かびあがっていて、空中の一点を睨む。そこには存在しない、何かの偶像を睨みつけているようだった。

 

 第八話「亡霊」終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る