第十五話「戦闘準備」
第二章 亡霊編
第十五話「戦闘準備」
仮眠から目覚めた一誠と蒼、和志は、大魔法高等学校、旧校舎地下にあるソリューション基地の司令室に集合し、ソファに腰を落ち着けていた。
司令室の主である美久は、デスクチェアに座っている。
同盟関係にある組織への連絡やら、ソリューションの上層部への報告やらしなければならないことは山ほどある。
それらを片付け終わり、キーボードをカタカタと叩いていた指を止め、正面にあったノートパソコンを脇に移動させて、美久は彼らを見渡した。
疲れはとれているのか、一誠と和志の顔色はよく、今夜の作戦行動に支障はなさそうだ。
蒼はまだ悩みを抱えている、と伝わりやすいような表情をしているが、美久は手始めに和志へ話しかける。
「さて、しっかり寝て頭は冴えたと思うから作戦会議を始めるわよ。まず最初に確認。和志、あんたも亡霊退治を一緒にしてくれるわね?」
こちらの作戦に従うかの意志確認。
美久は言葉を聞く耳を持っていなかった和志が紗綾と話し合い、これからどうするかを最初に確認したかった。
また一人で戦いに行くと言われれば、正直なところソリューションとしては止められるべき立場にない。
元から和志とは、亡霊が京都に現れた場合にそちらを優先すると、ソリューションに入った当時から言われていたからだ。前線基地の司令官が代わったいまでも、当然のことながら約束は生きている。
美久としては、できれば協力して亡霊への対処に当たってもらいたいところなのだが。
「おう。こっからはいつもの俺でいけるさ、一緒に戦う」
杞憂だったようだ。
待ってましたとばかりに、和志はガッツポーズで憑き物が落ちた満面の笑みで答えた。
沙綾との話し合いは和志にとって、憎しみを落ち着かせるには十分すぎるものだったのだろう。昨日のように無茶な単独行動はしない、そう思わせる穏健な雰囲気が和志から漂っている。
美久が知っている、いつも通り、人を笑顔にできる和志だ。
「もう復讐はいいのか?」
向かいのソファに座っている一誠が問いかけると、和志は真っすぐに曇りなく一誠を見た。
感謝の念、和志の目から見て取れるのはそういった清々しい感情。
「いいってこたあない、当然憎しみ消えてないし、ある。でもさ、俺が一番大事にしなけりゃならないのは沙綾――たった一人の妹だ。誰かを憎むより、もっと大事なものを思い出させるきっかけをくれたあんたには感謝してる」
「礼なんていいさ、亡霊と遭遇して幸運にも生きてる家族なんだ。すれ違ったままってのは、悲しいからな――」
一誠は握手を求めて、和志に手を差し出す。
「――そういや名前、名乗ってなかったよな。俺は野木原 一誠だ。よろしく」
「ああ! 俺は藤幹 和志、和志って呼んでくれ」
和志は差し出された手を躊躇いなく握り返した。
思考が荒れていた和志なら、握手なんて問答無用で突っぱねていたはず。会話ができていることからも分かることだが、話を冷静に聞ける状態であることは間違いない。
これで、亡霊とまともに戦う算段がつくかもしれない。
「ようやく、元に戻ったわね」
美久は朗らかに言った。言葉の端々から和志が元に戻って嬉しさが見え隠れしている。
以前から亡霊ことを話す時の和志は冷静でありながらも背筋がぞっとするような危うさがあり、 彼女にとっても心配ごとだった。
平時では紗綾を一番大事にしているのに、感情が亡霊に囚われて自分すら投げうつ覚悟で亡霊を殺しにいったりたりしないか。
危惧していたことは実際に起こってしまったが、蒼や一誠の助け、なにより紗綾の想いがしっかり和志に届いた。
憎しみの感情を真に解決できたわけではない。亡霊も――間接的に関係ある円卓の騎士団への憎しみを失ったわけではないだろうし、募った恨みはそう簡単に消えるものではない。
それでも和志は何が一番大切なのかを思い出して、冷静になった。
これが嬉しくなければ、何が嬉しいことだと言うのか。
そんな美久の思考をよそに、和志はお気楽な調子で、自慢げに答えた。
「いつもみたいに俺を頼りにしてくれよ?」
「はいはい。数時間前のあんたより、よっぽど頼りにしてるわよー」
「投げやりすぎねぇ?!」
「あはは、あんたのポジションはそんなものよ、ね。受け入れなさい」
「ふむ。ま、和志は見た目からして弄られキャラだな」
「誰がいつ、そんなポジションに収まったんだ!?」
そう、これがいつもの会話だ。
和志はこのほうがいい。
お気楽で、お調子者で、ずっこけるようなこともある。
でも見ているものを笑顔にするし、自分も笑顔になる。
さて、残る問題は――。
そうして美久は、蒼に目を向けた。
……
…
周りが騒がしくしている場面を、蒼は他人事のように俯瞰した視点で見ていた。
集中できないのだ。
ローブの奥に見た亡霊の素顔が、錆びるように記憶にこびりついて離れない。
いや――あれは顔と言ってもいいのか?
異形とは言えなかった。
でも何もない。
そうだ、何もなかった。
言い表すなら、無。
視覚すら許されない黒があるだけの空間。
本来ならローブの奥に隠されているはずの顔に見た、底なし沼に引きずり込まれる感覚が忘れられない。
また蒼の思考が、ぐるぐると円を描くようになっていく。
亡霊との戦闘後、あの顔に魅入られたかのようになってしまっている。
一誠と和志にそんな様子はないのに、自分だけが囚われているような状態にある。
それが蒼を一層、混乱に導いていた。
戦う相手の顔というものは戦闘中に見えてしまうはずだが、2人は何食わぬ顔で平気そうにしている。
和志に至っては、感情が憎しみから平常な状態へ推移している。
もしかして、自分だけがおかしいのだろうか?
あの顔――。
「ずっと俯いてる蒼くん? 亡霊との戦闘中に何があったか、そろそろ教えてもらいましょうか」
美久が、思考途中に言葉を投げかけてきた。
それを機に、談笑していた一誠と和志が視線を向けてくる。
そういえば、全員が揃ってから理由を話すと言ったのだった。だが、蒼は踏ん切りがつかないとばかりに、視線を虚空に彷徨わせた。
「そう……だな」
自分でも思うが、なんとも歯切れが悪い。
亡霊の顔を見た一成と和志は蒼のように悩んでいないのだから、考えてしまえば個人の問題なのだろう。
最終的に個人の中で納得さえできれば、どうでもなる問題なのかもしれない。
それができないから悩んではいるのだが。
相談しないことは簡単だ。これ以上、亡霊と戦う上で不安な要素を増やしても仕方がない。
そもそも、人の顔が真っ黒ことをなんと言えばいいのだろう。顔がない、と言って信じてもらえるだろうか――蒼が悩んでいると、和志が向かいのソファから身を乗り出した。
「迷ってるなら、まず言ってみてくれよ。話をして通じ合うって大事なことだぞ、蒼!」
「それをあなたが言うの?」
自信気に語るカズに、美久が呆れるようでいて嬉し気な笑みを浮かべている。
復讐に心を支配されて、会話を拒否した人間の言葉とは到底思えない。
「確かに俺は話を聞かなかった、だからこそ学んだ。ちゃんと話し合わなきゃ、話しを聞かなきゃ何もわからないし。少なくとも、俺は話は聞くべきだと思ったんだよ。話してみろって、しっかり聞くから」
和志の熱意に蒼は迷いを後押しされた気がして、ごく自然に言葉が出た。
「二人は……一誠と和志は亡霊の顔を見たことがあるか?」
「そりゃあ、あるに決まってるだろ? 何度戦ってると思ってんだ?」
「ローブに隠れて見辛かったけど、確かに見えたな」
二人は何を当然なことを? と言わんばかりの困惑顔だ。
この様子を見て、蒼は判断した。
やはり自分だけが亡霊の顔が真っ黒に、無であるかのように見えている。
無に引きずり込まれるような感覚――それを知らないのだったら一誠や和志の様子がおかしくなっていないことも理解できる。
「俺が見た亡霊の顔は真っ黒だったんだ」
「「は?」」
異口同音で返されるが、予想の範疇だ。
顔が真っ黒だったと言われても、訳がわからない。
自分だって、突然言われても理解できない言葉だろう。
蒼は、具体的に起こったことを述べ始めた。
「言葉通りの意味だ。ローブの奥にある亡霊の顔は、暗闇の中でも溶け込んでしまうように真っ黒だった。いや、ローブと一体化していたと言ってもいいほどの無が広がっていた。強いて言えば輪郭のない真っ黒な顔、それだけだ。それが思考を離さないんだ」
ローブの奥を思い出すだけで頭から離れなくなる。暗闇の中でもさらに明度を落とした闇。虚無と言ってもいいかもしれないぐらい、人としてあるべきパーツである顔が元からないように欠落している姿。
全身、雰囲気のすべてから亡霊は人ではなかったと、蒼には思えていた。
「よくわからんが俺が知っている亡霊の顔は、中年の汚らしいおっさんだぞ。ずっとそうだ。吐き気を催すぐらいにニタっとした顔を貼り付けた殺人を犯しそうな狂人だ。暗すぎて顔がないように見えただけじゃないのか?」
「……ちょっと待ってくれ」
一誠が指摘すると、和志が待ったをかけた。
恐ろしいことに気づいたと言いたげな表情と声色に、全員が注目する。
これまでの会話から気づいたことでもあるのだろうか?
「俺が昨日見たのは狂ったように血走った目をした若い男だったーー断じて中年のおっさんなんかじゃない。もしかすると……見る人によって顔が違うんじゃないか」
和志が言っているのは、見る個人によって亡霊の顔を認識する形が違うということだ。
確かに蒼や一誠、和志の証言から考えるにそう結論付けるしかない。
三者三様の答えが、人を見て帰ってくることなどあり得ない。
人の視覚が捉える物体の色や形状は、千差万別ではある。入力される視覚情報が同じでも出力する場合に個人の認識が出てしまうのが人間という生物だ。
しかし、人の顔を認識する出力が違うことはそうあることだろうか?
それも、輪郭のない真っ黒な顔とおっさんと若い男だ。
視覚情報の出力が違っている、そんな問題では解決できないほどに認識する情報が食い違っている。
先ほどまで朗らかだった美久が顔を引き締める。
「いつもなら、はいはいって流してしまうところだけど……」
「やっぱ、俺の扱いひどくないか!?」
「見た顔が違うって言うのなら、そこに何か理由があるのかもしれない。一誠はわからない?」
「無視しないで!?」
「はいはい、今回はお手柄よー」
「実感のない生返事のお言葉ですね!」
「これでも、けっこう褒めてるのよ、嬉しがっていいんじゃない?」
「もうちょっと、わかりやすく褒めて欲しいなぁ……って」
美久と和志はいつもの調子で漫才のようなやり取りをしながら、一誠の回答を待つ。
真実、亡霊と最も戦闘回数が多いのは、日本中を探しても一誠だけだろう。なにせ、亡霊が日本で姿を現し始めた当初から戦い続けているのだ。
彼には亡霊と出会える運がある。日本各地を転々としつつ偶発的に現れる亡霊と何度も戦っている間にファントムハンターという肩書を巷で噂されるようになり、今に至る。
彼なら何かしら知っていると思いたいところなのだが……一誠は恥じるように頭頂部を掻く。すまん、と仕草が物語っていた。
「あー、俺は人のサポートを受けたことはあっても、亡霊を復讐相手にしている人間と共闘したのは今回が初めだ。情報共有しやすいネットが円卓の騎士団に制限されてるし、ソリューションのように独自の回線をネットに構築する技術もない。個人的に亡霊の噂を追う先々で復讐人に会ったことがあるだけだ。ソリューションから提供してもらった情報以上のものは持ち合わせちゃいない」
現代のネットというものは円卓の騎士団が管理しており、そこに一般人が介入する要素はない。
ネットの海というものはそれなりに広大だ。しかし一般人が好き勝手できるような作りにはなっておらず、ネットへの接続は制限されている。
今や円卓の騎士団に都合の良くなっている場所なのだ、ネットという海は。
この国が民主主義だった時代でも、頻繁に隠蔽や謀略はあっただろう。だが今のこの国はアーサー王を君主とする絶対王政だ。
ネットニュースではアーサー王の都合の悪いことは省かれ、良いことは大袈裟なまでに脚色して書かれる。諸外国の情報も記載されることはない。
そんな情報としての価値が乏しくなってしまったネットに、どれほどの価値があることだろうか?
円卓の騎士団が裏で活動し始めたとされる2000年ならまだしも、今の鎖国とも言うべき状態のネットは重要視するほどのものではなく、一部のネット網を隠し持つ組織や企業のみが非合法に活用しているのが現状だ。
個人で利用できないのなら、情報というものは得ることが格段に難しくなる。
そもそも他人との接点が生まれ辛いのだから、個人の認識の違いで発生するのであろう食い違いを把握するのは困難だ。一誠がこれまで気づかなかったのも無理はない。
「ふむ、ま、今回だってたまたま一誠に連絡が取れたから来てもらえただけだしね」
「あぁ、定期的に小次郎さんには亡霊について報告してるからな。タイミングがよかったんだ」
「……」
場が静まり返るのを感じて、蒼は心なしか気落ちした。
自分が亡霊に気を取られているのは、自覚していた。だがその原因が分からなくて、自分が気を落としている事実にも悩みを抱いているということにも驚いている。ついでに言えば、そう思ってしまう自分にも驚いている。
感情を押し殺し、兵士然として来たはずの自分を捨てる覚悟を持ってソリューションにやってきたつもりだが、円卓の騎士団を裏切る時にあった確かな覚悟とも、熱とも言える感情は、なりを潜めている。
感情の発露はむしろ本懐とも言えるはずなのだが、理性は長い期間放っておいた感情を理解できない。
まるで風化でもしたかのように。
俺は、一体どうしたいんだ?
悩む様子が伝わったらしく、一誠は蒼に声をかけてきた。
「そう見るからに気を落とすことはないぞ? 亡霊の顔が個人の認識で違うからって俺たちがやることは一つ。人がこれ以上亡霊に殺されないようにすることだ。違うか?」
一誠の言葉は、最もに聞こえた。いま判明できないことにかまけたところで、解決することはない。
もしかしたら霧の中に出口がない可能性もある。答えのない晴れない霧だ。
それなら迷うより優先すべきことを為すのは、間違っていないだろう。
蒼は止まっていた心から動き出して、円卓の騎士団を自分から脱し、動き始めた。
まだ、ただ思って動くだけの人形過ぎないかもしれない。
心の揺れ動きが伴っていない人形かもしれない。
それでも、やれることをやらなければならない。
なにより俯いたまま解決を待つより、まず行動が第一。立ち止まらないようにしなければ。そこだけはハッキリしている。
「了解した。任務は一つ、亡霊の被害を増やさないことだな」
言い切る蒼の瞳に、迷いはなかった。
まだ亡霊の謎はわからない。それでも霧の中で道標ができた。晴れない中で立ちすくむだけにはならない。
前へ進めている自信はないが、突き進むしかない。
自分の心を動かしたのなら、最後まで動き続けるしかない。
「蒼の気合いも入ったようだし、そろそろ本題に移るか」
「そうね。作戦会議を始めましょうかーー」
美久は仕切り直すように咳払いすると、現状を語り出す。
「現在、亡霊の居場所は京都市内のどこか。不明と言っても差し支えないのが現状ね」
「そこに関しては問題ないだろ、亡霊の目的は和志だろうからな」
「え、俺?」
和志から戸惑い気味の声が漏れる。
亡霊は、亡霊に憎しみを持っている人間を追いかけると一誠は言っていた。
どのように亡霊が憎しみを探知しているのか、不明なことは多い。
よくよく考えてみると、亡霊は規格外な要素を有り余るほど持っている。
不死性、探知、認識によって変わる顔、死ぬたびに変わっていく固有魔法。
魔法を使っている蒼たちですら、理解できない事象の集合体が活動している。
しかし、いま問題なのは不死性でも探知でも認識でもない。
人殺しの災厄をもたらす亡霊という存在そのもの。
いま現在活動している亡霊を、仕留めなければならないことに変わりはない。
「俺は亡霊を憎んでいる。何度も殺しても、まだ殺したりないくらいにはな。だが今回の亡霊は俺ではなく和志の前に姿を現した。それは、今回の得物が和志であるという証明だ。一度狙った獲物は、自身死ぬか、相手が死ぬまで追い続ける……ってこれくらいのことも知らねぇのか」
「うっ……誰も巻き込みたくなかったから、廃棄される工場に居ただけ……だ」
和志は気恥ずかしそうに視線を逸らした。
その様子を見た美久が、呆れたと言いたげにデスクに片肘をつく。
「よくそんなんで亡霊を憎んでるだなんて言えたものねえ……」
「だって仕方ないだろ!? 頭に血が上ってたし、考えるような思考もしてなかったんだよ!」
「……戦闘は情報を制したほうの勝ちだ」
「蒼に言われなくても知ってるよ!」
「そうか、それはすまなかった」
「いや、そこで本当に謝られても決まりが悪いからさ……」
「よくわからないな……」
「そこまで真剣に考える必要はないからな!?」
そこで会話をせき止めるべく、美久は場を整えるように両手をぱんっと合わせた。
蒼たちの注目が、その音に寄せられる。
「はいっ、脱線してないで真面目にやるわよ」
「……美久が脱線させたんじゃあないか」
「なに、和志」
「なんでもございませんとも、司令官殿」
「まったく……時間も良い頃合いだし、作戦の最終確認よ。亡霊の出現位置は和志がいる場所にコントロールできると仮定して、どこで戦うの?」
「それなら、昨日と同じ場所がいいだろ――」
既に算段は頭の中で構築済みなのだろう、すらすらと一誠が答えていく。
「――夜にはひと気もなかったし、派手に戦闘しても廃棄される工場なら周りに迷惑をかける心配もない」
「昨日は、近辺に円卓の騎士団がいたけどね」
「見つかったら、その日は断念するしかない。亡霊と戦っている一般人なんて、円卓の騎士団が受動的に動くには十分すぎる理由だ。万が一にも、捕まったりしたら困るからな」
「そりゃそうね。警備をしているか確認しておくけど、近辺にいないことを祈りましょう。亡霊の魔法固有、魔法結合の解除への対策は和志に任せるってことでいいのよね?」
「昨日、話した通りの案でいくのが正解だろうな」
一誠が同意すると、和志は頭を傾けて疑問符を浮かべた。
和志は眠っていたし、さらにまともに話を聞ける状態でもなかったのだから当然の反応だろう。
「和志は知らなかったわね。亡霊は接近する者の魔力結合を解除できる魔法固有を獲得しているの。物理的な攻撃手段の銃は用意するのが難しくて、刃物の類は簡単なものなら用意できるだろうけど、それだと直接的な威力には欠けるし、亡霊もそこは警戒しているはずよ。魔法のほうが武器としての威力は上だし、そこであなたの出番よ」
「えっと……あっ、俺の魔法固有か!」
「正解だ。和志の魔法固有を基点にして、亡霊と戦う。接近時に魔法が解除されてしまうのなら、もっと強い魔力結合の武器を使って戦えばいいってわけだ」
「んな力に、より強い力を使う脳みそ筋肉みたいなのは作戦と言えんのか?」
「実際、昨日の戦闘で和志の武器は亡霊に魔力結合を解除されてなかったろ、それが一番の証左だ。それで幾つか質問したいんだが、お前の魔法固有、手元から離れて何分持つ?」
魔法によって生成された武器に付き纏う問題として、魔力結合の自然解除というものがある。
魔力は時間が経つごとに自壊、空気中に霧散してしまう。これを魔力結合の自然解除と呼ぶ。
魔力を供給している生成者――術者が武器を保持している間は魔力が供給され続けることで魔力で生成された武器は形を維持できるのだ。
逆に言えば、手元から離れてしまった武器は物理法則に従って魔力を霧散させてしまう。
これは魔力を体内で練り上げるという技術的行為をすることで、多少霧散を抑えることはできるが、魔力結合の自然解除に根本的な解決法は存在しない。
人の持つ技術だけでは超えられない、決められた物理法則、現象が魔力結合の自然解除だ。
亡霊はそれを超えて、術者の手元にあっても強制的に魔力結合を自然解除する魔法固有を持っている。
使っている武器が、亡霊に接触しただけで蒸発したようになくなってしまう。
今回の事例では魔力結合を強化できる魔法固有を持っている和志は、亡霊と相対するために必要な存在だ。
一誠としては、十分ほど魔力結合が維持できれば御の字と思っていたのだが、和志の回答はそれの上をいくものだった。
「確か、三十分だ。昔、計らされたことがある」
「ほー……」
「ふむ」
一誠に続き、蒼が思わず相槌を打つ。想定していた時間に比べて、腰が抜けてしまいそうになるほどには長い。
術者から離れた魔法は三十秒ほどで自然解除されるのが一般的で、魔法を練るという行為をできる人でも二分が限界だ。
それを考えれば、手元から離れた状態でも三十分形を保っていられるのは驚嘆に値する。
「なら、それで攻撃手段は問題ないだろう。あとは実戦ってとこだろ」
「まとめると、和志が廃棄された工場で亡霊をおびき寄せて、武器を生成してもらいながら三人で戦うってことね」
「ふむ、了解した」
「なんだ、全部俺が働くんじゃないか」
「そう、お前さんは作戦の鍵だ。もし人の話を聞かないままだったら、どうしてくれようかと思っていたんだがな」
「反省してるから! 俺らしくなったってのは十分理解してるからさー……」
遠くを仰ぎ見るように、和志は白色の天井を見上げる。
黄昏た雰囲気に、枯れ葉でも天井から落ちてきているように感じられた。
過去に暴走していた自分でも、和志の目の奥に描かれているのかもしれなかった。
……
…
時刻は夕方。
司令室で作戦会議が終わり、廃棄工場に移動するために蒼たちがソファから立ち上がる。
「さーってと、ちょっくら行ってくるかね」
まず一声を発したのは、手を軽く振って運動させている一誠だ。
美久は再開した事務仕事に面と向かっていたが、顔をあげる。
行けない分、見送りはきっちりこなさなければ。
「和志と蒼くんのこと、頼んだわね。亡霊もきっちり仕留めてきてちょうだい」
「絶対に連れて帰ってくるから任せとけ、亡霊は言われなくてもきっちり仕留めるさ」
一誠がひらひらと脱力気に手を振りながら、司令室から出ていく。
余裕しゃくしゃくと言った様子だ。
亡霊と長年戦っているうちに、心が慣れてしまったのだろうか。
亡霊と戦うというのに、緊張感の欠片もない。
それが良いか悪いかは別として、変に気負って作戦失敗することもないだろう、そんな安心感が一誠にはある。
片や――。
「……」
「……」
和志がなんとも言えない、神妙な顔をして見つめてくる。
何かを待っている犬のようでもあり――不安さを押しとどめているような、なんともつかない表情だ。
私に何か優しい言葉でも期待でもしているのか、そう問い詰めたくなるが置いておく。
「何よ」
「いやさ……」
「……? 仕事の邪魔だからとっとと出て行ってくれる?」
「辛辣っ!」
「冗談よ、ちゃんと五体満足で帰ってきなさい。あと空回りしないこと。膝、震えてるわよ?」
「ふ、震えてない!」
嘘をつけ、と言いたくなるがやめておこう。
和志は作戦の要たる存在だ。彼の魔法固有がなければ亡霊の魔法固有に対処できない。
もし自分が失態をすれば、全滅する可能性があるかもしれない。亡霊と戦うというのは、そういうことだ。
前回は逃げおおせたかもしれない。でも次回はわからない。
亡霊との戦闘にアドバンテージがある一誠、元ランスロット卿として戦闘の腕前が確かな蒼。
和志は二人の足を引っ張ることは、許されないと思っているはずだ。
憎しみに心を奪われていたから、自分本意のように思われるかもしれないが、本来は周りに気を使ってフォローできる。そういう優しく協調性ある人間だ、和志は。
変に気負ってしまうのは仕方ないにしても、緊張はほぐすべきだろう。
友人としても、ソリューションの指揮官としても。
「ま、あんたなら何があってもいつも通りにやれば問題ないわよ。いってらっしゃいな」
「おう! いってくるよ」
和志が意気揚々と司令室から出ていく。
スキップでもしそうな勢いだが、大丈夫だろうか?
しれっと蒼が存在感を消して、和志についていこうとするが――。
「待って、蒼くん」
――美久は呼び止めた。
振り返りながら、首を傾ける仕草をする蒼。
中身を知れるほど濃密に会話したわけではないが、時折仕草に素らしきものが出てくるのは何故だろう。表情は特に変わっていないから、そういうところは天然なのかもしれない。
「蒼くんは、そのまま亡霊退治に行ってくれるの?」
「そうしようかと思っていたんだが……何故だ?」
「まあ、その拒否権もなしに和志の捜索を手伝ってもらったからね。聞いておこうかと思って」
なるほど、と合点がいった様子で蒼が頷く。
美久としては、それなりに気になっていたことなのだが、蒼はさして気にした風でもない。
もしかして、気にしすぎなのだろうか。
「亡霊は人の命を勝手に奪っていく者だろう? 俺が言えたものではないかもしれないが……あまり人が殺されているところを見るのは好きではない」
「そりゃ、誰だって人が殺されるところなんて見たくないわよ。私だってそう。でもそっか、助けるために行ってくれるのね」
蒼は一瞬悩むそぶりを見せて、美久をしっかりと見つめてきた。
自分のやるべきことはそれしかない、そう言いたげな意志と決意が見える瞳だ。
「そう、だな。俺はそうしたいんだと思う」
「自分のやりたいことを表現できるのは、とても大事なことよ。頑張ってきなさい」
「ああ、行ってくる」
身を翻して、足取り確かに蒼は司令室から去っていった。
受け答えはしっかりしていたし、自分の意見も言ってくれた。あれなら、蒼がもう迷っているということはないだろう。亡霊と戦闘しても戦いに集中してくれるはずだ。
あとは彼らに任せよう。亡霊の魔法固有で魔法を分解されてしまうなら、放出系の魔法しか使うことのできない自分の出番はない。
「少し休憩しようかしら」
昨日から起きっぱなしだ。返事をするべきものは片付けたし、休憩してもいいだろう。
美久はそっと身体が包み込まれるようなデスクチェアに身を委ねた。
「で、あんたは隅っこで何してんの」
身を休ませようとしたものの、視線が気になって仕方がなかった。
司令室の片隅で、作戦会議をしていた蒼たちを見つめていた上野 武に美久は問いかける。
武は先刻、司令室で蒼に突っかかり、円卓の騎士団の裏切りものたる蒼が信頼に足る人物か戦うつもりらしいが、止めたのは美久だ。
武は故人であるソリューションの前司令官、上野 豪の息子で、組織内でも部下からの信頼も厚い。蒼がソリューション内でひとまず仮初でも信頼を得るのに、武を力で屈服させることは必要なことだ。
だから戦うこと自体に異論を唱えることはないのだが、本当に司令室で待つつもりだったのだろうか、この男は。
律儀すぎる。
「まだ解決していないようだから、待機していたんだ」
「ああ、そう」
戦う気があるのに、変わりはないのか。
呆れ気味に答えながら、美久はパソコンに視線を戻してキーボードを叩いていく。
各種報告から、スポンサーであり実質上層部からの指示を確認しては返していく。
美久は前線基地の司令官ではあるが、資金運用や人材の派遣など、事務的な部分はすべてソリューション設立当時からのスポンサーがこなしている。
確固たる人脈があるわけでもない。組織内の信頼だけはある少女に任せられるようなことは、事務的な部分には存在しないのだ。
作戦の立案やら戦闘はこなせるし、お飾りというわけではない。そうならないように、彼女は努めてきた。
それでも、ふと自分の存在が揺らいでいるのではないかと、空気の中に消えてしまうのではないか? と心配になってしまうことがあった。
いや、あまり考えるのはやめておこう。私が消えてしまっては、託してくれたあの人に申し訳ないのだから。
しばらくして、武がぽつりと声を発した。
「美久は、あいつのこと信頼してるのか?」
あいつ、とは蒼のことだろう。
呼ぶなら名前くらい覚えてあげたらいいのに。
「創崎 蒼って言うのよ。信頼してるわ、もちろん」
とは言うものの武が蒼を信頼できないのは、至極当然の話だ。
ソリューションの敵対組織で、円卓の騎士団の名誉階級、ランスロット卿の位置にいた人物。それが裏切りものとして組織に入っている。急に信じられるほうが、どうかしている。
「そこまで信じられるか?」
「まあ、絶対的に信頼しているわけじゃあないわ。でも信頼しなければ、あっちからも信頼してもらえないでしょう? 敵対していたとしても割り切って信頼しなければ、信頼は生まれない」
「それは甘いんじゃないか。人を信頼しすぎるのは美久の良いところでもあり、悪いところだぞ」
「……わかってる。でも人としてまず信頼したい。何かあったら私の責任で片をつけるから、私に付き合ってちょうだい」
武の目を見て、答えた。
気持ちが、思いが伝わるように。
確かに、人を信頼しすぎるというのは美久の美点でもあり欠点でもあった。
誰彼構わず、無条件に信頼しているわけではないが、相手に見せられた信頼を疑う心で曇らせたくない。
前の、前司令官の豪は、熊のような体躯に似合った器を持っていて、仲間になろうとする人はすべて腕に抱きこけるくらいに、大きな人だった。
その分、実力も慧眼があったのも事実だ。
豪の代わりになろうとは考えていない。逆立ちしても、美久は豪にはなれない。そんな器がないことは、本人がはっきり自覚していた。でも思いはしっかりと継ぎたい。それが豪を死なせてしまった美久にできる唯一の償いだったから。
しばらく、美久を思いつめたような表情で見つめていた武は、ため息をついて頷いた。
呆れられただろうか。
「……わかった。俺は俺で警戒させてもらうからな。美久はそのままで居てくれていい」
「ありがと」
「礼なんて言わなくてもいい、邪魔をした」
そっけなく部屋から出て行こうとする武に、美久は空気に消え入りそうな声で呟いた。
「ごめんなさいね」
それが聞こえたのか、聞こえなかったのか。
武はそのまま退室し、しんと静まり返った部屋に美久だけが残った。
「はー……だめだめね、私」
一人になった途端、口をつくのは自己嫌悪。
どれだけ司令官として責務を果たそうと、最後に襲ってくるのは、前司令官の影と自分がやっていけているのかという自己問答だった。
純白の、穢れのない天井を見上げる。この天井は自分に眩しすぎると、いつも思う。
「私、ちゃんとやれてるんでしょうか、間違った場所に進んでないでしょうか、豪さん」
返答者のいない空虚に響く問いかけが、空気に溶け込んでいった。
第十五話終わり
第十六話へ続く
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