第十四話「復讐の始原」

 第二章 亡霊編

 

 第十四話「復讐の始原」


「よっこいせっと」


 まるで年いったおっさんのような声を出し、一誠は地面に腰を落ち着けた。

 校舎の影になっておらず、降り注ぐ太陽の光で草が生い茂る地面は心地よく感じる熱を持っていた。

 周りは木々に囲まれている旧校舎裏。ここならば、誰かに見つかることはないだろう。

 口に出しにくいことを吐き出す隠れ場所としては、美久の言った通り最適の場所に思えた。

 この旧校舎は魔法提唱の第一人者である紅 健次郎が卒業した母校という観点から残されている建造物で、学生でも興味本位でしか立ち寄らない。空気も同然の建物となっている。

 もし旧校舎に訪れる者がいるのなら、それはとんだ酔狂者か魔法の歴史に興味がある勤勉すぎる人間だろう。

 一誠は、立ち続ける蒼と和志を一瞥する。


「座んねぇのか?」

「ふんっ、座ればいいんだろ」


 和志は強引に連れてこられたこともあって、不機嫌気味に鼻を鳴らして座る。

 蒼は無言でいつの間にやら座っていた。その表情には明たる感情が浮かんでおらず、思案しているのかすら、出会ったばかりの一誠には分からなかった。

 蒼のことはひとまず後回しだ。自分で心の整理がついたら話すと言っていたのだから、あまり気にしすぎるのもよくない。

 一誠は一息つくように空を見上げて、和志に言葉を投げかける。

 どんな理由で亡霊を一心不乱に憎んでいるのか、その理由を聴くために。


「で、和志よ、お前は亡霊と戦いたいみたいだが、どうしてそこまで戦いたい? あんなやつと戦う利益なんてありゃしねぇのによ」

「敵討ちだからだ。何か文句あんのかよ」

「いんや、個人の戦う理由に文句なんてねぇよ。好きにすればいいさ」


 それは、一誠個人の素直な見解だった。

 自分だって復讐のために亡霊を追っている。そこに善も悪も、ましてや正義なんてありはしないし、個人的な戦いに文句を垂れるつもりは塵ほどもない。

 欲望を伴った戦いは、個人の自由だ。


「だったら構ってくんなよ、わざわざ呼び出しやがって」

「お前が仇を討つだけってんなら俺と変わらないし、連れてきたりしねぇよ。ただお前は言っちゃならないこと、口にしたよな?」


 医務室での和志の一言。


 ゙親の仇を討ちたくないのかよ゙


 言葉が、紗綾にどれほどの傷を残すものだったのか。紗綾の顔は歪んで、自然に涙を流していた。思考する暇もなく、言葉だけが剣のように無意識化に突き刺さった反射的な行動なのだと見て取れた。

 それは紗綾と和志の事情を察しつつも、個人の戦いだと深く言及していなかった一誠に、お節介な行動をさせるのに十分なもの。

 たとえ他人だとしても、二度と手に入らない家族の繋がりを悲しいまま終わらせたくなかった。

 ただ、それだけ。

 和志の憎しみに染まった口から、吐き捨てるように言葉が流れ出てくる。


「あいつが悪いんだ。俺は親の仇を必死に討とうとしてる。でも紗綾は俺を止める! 亡霊がすぐそこまで来てるんだ。少し行動さえ起こせば亡霊は俺を狙いにくるはず……ようやく訪れた仇を討つ機会なのに、止めようとしてっ!」

「んなに亡霊が憎いのか、お前?」

「ああっ憎いっ……世界のすべてを犠牲にしてでも殺してやりたいくらいにっ! あんただってそうだろ!? だからファントムハンターなんてもんをやってる!」


 無意識的に悪寒を感じたのであろう蒼が、本能で和志を凝視してしまうほどに凄惨な憎悪が、声として音を成していた。

 殺したい。

 その感情の一点だけが和志を包み込むように広がっていくようにすら、感じられた。

 一誠は何のこともなく空を見上げ、まるで和志の言っていることが違うとばかりに悲し気な横顔を湛える。


「世界を犠牲にしてでも、ってのはたぶん、違うな」

「何が分かるってんだよ」

「お前が本当に両親の仇を討ちたいって思っていたなら――ソリューションの本拠地でのんびりしているわけがない」


 本当に復讐だけが目的で動いているなら、円卓の騎士団に歯向かう組織――ソリューションに長く席を置く理由にはならない。

 亡霊とは本質的に関係ない組織なのだから、本当は別のところに和志の目的があったはずだろう。

 今は亡霊に心と目線を合わせているから見えなくなっているだけで、和志がソリューションに居続けた目的があったのは間違いないことだ。

 それを気づかせてやりたい――。


「のんびりなんて、んなわけあるか! 俺は本当に仇を討つつもりでっ!」

「少し落ち着け、昔話をしてやる。俺が亡霊を追いかける原因だ」

「なんで俺がお前の自分語りなんて聞かされるんだよ」

「なに、少しだけだ。文句言わずにとりあえず聞いてくれよ。さ、どこから話したもんかな」



 一誠のまぶたがきゅっと細まる。

 その瞳の奥で映し出されている光景は、一誠が亡霊に身を焦がす復讐の始原であり、野木原 一誠という人間の――いや、亡霊という特殊性を除けば人の世にありふれている、誰にも起こり得る不幸な話だった。


 ……

 …


 西暦2000年、野木原 一誠は中学2年生だった。

 1986年4月16日に生まれ、両親は共働きで決して裕福でも貧困でもない。

 スタンダードに思える家庭環境で、一誠はのびのびと育っていた。

 普通というのは十二分に恵まれている環境だろうが、当時の一誠にとって多少物足りなさがある日々で。

 人はいつでも自分を取り巻く環境が変わることを望む。一誠もそんな有り触れた考え方の持ち主だった。

 性格も今と比べて風のように飄々としておらず生真面目だが、かと言って規律に厳しいだとか堅苦しい人間ということもない。

 こんにゃくのような性格とでも言えばいいだろうか。

 適度に頭が柔らかく、冗談も通じる弾力ある人間性で、それは今も変わっていないが、現在の第一印象の半分以上を占めるであろう、おちゃらけた雰囲気は一滴も性格から染みだしていなかった。

 現在では特徴的なさらさらとした金髪も、黒髪であった。

 一誠が中学2年生の頃、第2次世界大戦でセレニアコス病と判断された人、または第2次世界大戦以降に生まれた先天的に魔法を使える人たちが魔法を使える人間として人権を得ている時代であり、一誠も例外なく魔法が使えた。

 されど魔法を使えると言っても力にはもちろん限りがある。

 魔法の力は個人個人で大幅に差があるため、魔法力の強さを示す一定の呼称があり、コモンマジックスキル、レアリティマジックスキル、レジェンドマジックスキルと三つに分かれている。

 一誠が一日に使える魔法の上限は8回で、測定された魔法力は基礎魔法が土で応用魔法が闇のコモンマジックスキル。どこにでも居る土と闇の魔法が使えるだけの一般人というわけだ。

 魔法が使えるだけでは。特別な事象が起こる世界では決してない。

 しかし日々を平穏に過ごしていた一誠に、夏頃変化が訪れる。

 気候が温かくなり、性格も開放的になるこの季節に異性へ初めて告白して返事をもらえた。

 当時、一誠の生きる意味の大半を担っていたと言っても良い程に大切な彼女だ。

 デートのたびに手を繋ぐ、その程度の健全な付き合いをしながら彼女は一誠の家族とも仲を深めていった。 家族ぐるみの付き合いをするようにもなったし、すべてが期待通りに進む。

 だが一誠は円満に続く日々でも、少しだけ物足りない気がしていた。

 毎日同じ日を繰り返しているわけでなくても、微細な変化しかない日常は誰にだって物足りなく感じ始めてくることだろう。特に中学二年生などという青春真っ盛りの時期では。

 怠惰にすら感じる時を刻んでたある日、テレビのニュースで猟奇殺人事件が報道された。

 ただの猟奇殺人事件というだけなら特別印象に残ることはなく、日常で思い出すことは少ない。でも事件は隣町で起こったという。

 たった一文が一誠の背筋にひんやりとした正体の分からないものが押し当てられたような、漠然とした不安感を覚えさせた。

 背中に押し当てられたものが人を傷つける刃物であるのか、こんにゃくのひやっとしているイタズラめいた人を傷つけないものなのか、だが記憶に深く刻まれてしまったのは確かだ。

 アナウンサーが、冷静な口調で事件の続きを読み上げる。

 猟奇殺人事件は、昨夜に起きた。

 外食をした帰り道に、母親、父親、姉弟の四人家族は何者かに襲われたらしい。

 事件の詳細は中学生の男の子だけが無傷で、両親と長女は火で炙られたように全身が見るも無残に焼けて四股も切断されていた。殺すだけが目的とは思えない非道さが、まさに字面通り猟奇殺人事件であると物語っている。

 犯人は捕まっておらず依然として逃走中で、警察も犯人の痕跡が見つかず捜索は難航しているらしい。

 唯一生存した男の子は目の前で起こったであろう凄惨な出来事に言葉を失っている……そこまで話終えると別の報道が始まった。

 事件の報道を見てからというもの、一誠はどこに出かけるにしても彼女とより一層、一緒に行動するようになった。

 心配性だというのは百も承知だったが犯人が捕まっていない以上、少しでも身に降りかかる危険を減らせるかもしれないと時折、頭を掠める不安に安らぎを求めていた。

 一誠の感じていた不透明な不安は、まさに予感的なものだったのかもしれない。

 事件の報道から一か月が過ぎて、一年が始まると同時に彼女の誕生日である日、一誠の運命を奈落へ突き落とす口はひっそりと開き始めていたのだから。



 ……

 …



 元旦――人でごった返す道を、一誠はバランスを保ちながら歩く。

 手には彼女の誕生日ケーキが丁寧な梱包で紙袋に入っている。一か月ほど前から街で有名なケーキ店で誕生日用に予約した特別なものだ。

 彼女は大好物のケーキを見て喜んでくれるだろうか。

 心温まる何物にも代えがたい笑顔を想像してしまい、一刻も早く走り出して彼女に会いたくなる。だが、ケーキの形が崩れないように逸る気持ちを抑えなければ。

 ケーキを開けた時に中身が潰れていては、笑顔になれるものもなれない。彼女はそれでも笑顔で居てくれるだろうけど、とびっきりの笑顔を見たい。

 一誠は紙袋を時折気にかけて傾かないようにしながら、周囲を見る。

 初詣をしようと神社に向かっていると思しき家族連れは見るからに和やかな雰囲気で、子供が道中にある出店を指さしているのが微笑ましい。

 一人で歩いている男性も居て、少し不機嫌な顔をしているようだが足取りは軽く、新年効果か浮かれているように思える。

 次に見つけたのは、一誠と同じ年くらいだと思われるカップルだった。

 そのカップルは気恥ずかしそうにしながら手を繋いでいて、そっぽを向きながらも時々相手の顔を盗み見るようにして、目が合うとまたそっぽを向く。初々しいやり取りが、他人から見てもじれったさを覚えてしまう。


「僕たちも来年はあんな風に初詣にいけるかな」


 本当は彼女と初詣に行きたかったけれど、初日は混んでいるし、彼女の誕生日でもあるので家でゆっくりすることにした。

 もっとも家で過ごすことにした最たる原因は、一か月前に起きた猟奇殺人事件だ。

 一か月経った今でも犯人は逃亡中で、報道されなくなってからも事件を定期的にネットの記事で見ていた一誠は、危機感をぬぐえなかった。

 正直に言えば杞憂だと思うし、心配のしすぎなのだろうが……もしものことを考えたら心が切り裂かれてしまいそうで、心臓の鼓動が早くなってしまう。


「こんなこと考えてちゃダメだな。今日は折角の誕生日なんだし、早く帰ろう!」


 思い出した事件を忘れるように首を振って、頭の中から追い出す。

 今日は彼女の誕生日、元旦といいことが揃っている日だ。暗いことを考えるのはなしにしよう。

 一誠は帰路を急いだ。


 ……

 …


 一誠の自宅は騒めきが鎮まる程度には都心から離れた住宅街にあった。

 マス目状に家が連なっている場所で、立地的にも悪くない場所だ。道中には元旦とあって外で談笑している奥様方もいない。

 異変も何もなく家に着いた一誠は、玄関の扉を開けて入る。


「ただいまー」


 靴を足だけで器用に脱ぎながら綺麗に並べて、彼女の姿を想像してドキドキと興奮から鼓動を刻む心臓を落ち着かせながら、一誠は玄関から続いた先にあるリビングへの扉をいつものように軽く開けた。

 彼女の笑顔がある――それを信じて。


「……え」


 最初に暖房が入っているであろう温かい風が頬を撫でて、体の芯が暖められていった。テレビからは正月番組で芸人たちが熱湯風呂に入ってバラエティ企画をしていて、会場は笑いに包まれていたが、一誠には力が抜けた手から滑り落ちた紙袋が立てた乾いた音しか耳に入らなかった。

 ケーキが潰れてしまったら、なんて少し前まで考えていたことは瞬間的に吹っ飛んで、処理しきれない状況に頭が追いついていかない。

 真っ先に視界で把握できたのは、部屋の壁面が血のような真っ赤なものでコーティングされていたことだった。

 元々は白壁だったはずなのに。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 無意識に一誠は息を荒げていた。それに呼応してか喉が渇き、口から湧いてくる唾を飲み込む。手が勝手に震えて自分のものではないかのように力が入らない。

 体が異常を鳴らしている間にも、視界の景色把握は進んでいく。

 そして、一誠は一生忘れられないであろう光景を目にした。

 いつからそこにいたのか、黒いマントのようなものを全身にを纏った真っ黒な人間が、細い筒状の物体を左手に掴んで持ちあげている。いや、それは筒状なだけではない。上下にその筒が維持しているであろうものがくっついている。

 その物体を理解してはいけないと思いつつも、一誠は持ち上げられているものに目が吸い込まれていく。


「……っぁ」


 喉から絞り出るように出たのは、見たくない現実に少しでも抗おうとして出たしゃがれた声だった。

 黒いマントの人間が左手に掴んでいるものは、間違いなく一誠の彼女。

 首から頭と胴体は繋がっているものの、胴体から本来人として生えているしかるべき手と足がなく、見ることも躊躇う姿を晒している。

 彼女の下を見れば手と足がごろっと、からくり人形のパーツみたいに転がっていて、一誠は思わず吐きかけた口を手で抑える。

 少しでもこの異常な事態を認識してしまえば、あとを脳が処理するのは一瞬だ。

 床には、他にも父と母の手と足と首と胴体としか思えないものが二つセットで転がっていて、最早この世のものではないようにしか思えない。

 血は夥しく溜まるかのように広がっていて、この部屋に入った時にはすでにしていたであろう現実のものとは思えない臭いがついに鼻まで到達して、認識がくっきりしたものに変わる。

 今、彼女の首を持っている黒いマントの男がこれをやったのだ。状況を考えてもそうに違いない。

 だが、それを考えたところで手も足も動かなかった。

 恐怖に竦む一誠に、黒いマントの人間は容赦なく現実を見せ続ける。

 黒いマントの右手には、いつの間にか鮮血で染められたかのような大鎌が握られていて、それを無造作に彼女の首へ振った。

 一誠の時が止まったかのように流れが緩やかになり、大鎌が彼女の首へ向けられる軌道だけを見せられる。

 やめて。

 心の中で思おうと、大鎌は一誠の意志など介さずに躊躇わず彼女の首を刎ねた。

 首が飛ぶ最中に彼女と目が合ってしまった一誠は、本能的に感じた恐怖から決壊したダムのように嘔吐してしまう。


「おぉっぇぇっ……えほっげほっ……おぇっ……」


 吐いても吐きたりない感覚が、身を支配する。思考する余裕なんてない。これが悪夢であるなら覚めてくれることを祈って胃の中が空っぽになっても吐き続けるしかない。

 しかし現実に決して追いつけない一誠を待つことなどせず、無残にも時は流れ続ける。

 首を刎ねたことで興味を失ったのか、黒いマントの人間は首から胴しか残っていない人間だったモノを床に放り投げた。嫌に重い音を立てて彼女らしきモノは一誠の目の前に落ちて、口の中を支配していた吐き気すら、最早吐き出す機能がなくなってしまったかのように退いていく。


「ひっ……」


 一誠の口から引きつって掠れた声ならぬものが漏れた。

 ほんの数十分前までは一誠の前で動いていた記憶のある肉体が、肉片とも言うべき姿で転がっている。胴体には服が纏ってあり、余計に動いていた事実が印象付けられて一誠を暗闇から深淵へ落とそうとする。

 もう驚きや恐怖なんて言葉は、一誠の中で意味をなさない。現実だけが津波のように襲い掛かって、行動すら起こせない。

 黒いマントは、一誠の様子を見て興味を持ったのか、一誠の鼻と激突しそうになるほどの距離に顔を近づけた。それでも一誠の心は反応せず、素顔を目だけが記録し始める。

 不衛生な乱雑に伸びた戦国時代の盗賊を思い出させるような無精髭。厭らしいまでに醜く歪んだにんまりとした口元。純粋に光を失ったように焦点の合っていない目。

 ゙顔を司る何もかもが゙犯罪をしでかす人間゙としか表現できない男だった。

 やがて男は一誠から顔を離すと、リビングのガラスが割れた引き戸から夜に溶け込み、姿を消した。


 ……

 …


「そうやって俺は復讐を始めた。それからも色々あったんだが、まぁ今は言うことでもないだろ。俺は一人で亡霊を追いかけて、追い詰めて何度も殺していたら、いつの間にかファントムハンターなんて呼ばれていた。本当に亡霊を仕留められてるわけでもないのにな」


 ファントムハンターと呼称されることを、一誠は望んでいないのかもしれない。自嘲気味な笑みが一誠から浮かんでいた。

 一誠は間を置いて咳払いすると。


「ま、俺の話はここまでにしておこう。聞きたいことは別にある。お前と俺の亡霊に固執する原因に大きな差異があるとは思えない。どうだ?」

「それは……あんたと一緒だ。俺も亡霊に親を殺されて……元旦のことだった。俺と紗綾が外出している間に両親は殺されていて、あんたと同じように亡霊の姿を見た」


 素性も知らない人間の前で、脳裏から離れない語りたくもない過去のはずなのに、和志の口がぽろぽろと吐き出していく。

 亡霊に、大切な者を殺された人が自分以外にいることは知っていた。しかし実際に話を聞いたのは和志にとって初めてのことで。

 自分だけが憎しみを抱いているわけではないことを、言葉として実感していた。


「亡霊に出会った奴はみんなそうだ。大切な者を奪われて、自分の存在を見せつけるようにしている亡霊を見て、憎しみで心が満たされちまう。それを踏まえて、さっきの問いかけをもう一度言うぞ。お前はなぜ亡霊を追いかけなかった?」


 それは和志の心に直接語りかける言葉であり、復讐に囚われた心に疑問を投げかけていた。


「亡霊を仇と思って心の底から憎んでいるなら、一心不乱に亡霊を追いかけようって思うじゃないか。少なくとも俺はそうだった。絶対に殺してやる。この世から消し去ってやる……そう思っていた。それがお前はどうだ。ソリューションに入って、いつ亡霊を殺る気だったんだ?」

「なんだよ、喧嘩売ってんのか」

「違う違う、いい加減目を向けろ。お前には親の仇を討つより、亡霊を憎むより、もっと大事なことがあったんじゃないのか? だから亡霊が手の届く範囲にいないうちは自分以外を投げ捨てでも亡霊を追いかけるなんて勝手なことはしなかったんだろ。お前が本当に自分より大事にしているものはなんだ?」

「俺が、大事にしてたもの――」


 眉を寄せる和志の頭の中に、記憶が映像出力されるようにのように巡り、巡る。

 それは家族との暖かく記憶にしかない日々であったり、ソリューションで美久と共に戦い始めた日々であったり、律と学校に登校しているものであったり。

 美久とはソリューションで。

 律とは幼馴染。

 記憶は無造作に流れてきていた。

 最も、大事にしていたもの。

 ずっと自分と一緒に居た存在で、ソリューション入隊時に後を追ってきてしまった人。

 両親が殺された時、亡霊をすぐに追いかけて復讐に心を委ねようと思ったこともある。幸い、魔法は使えた。

 でも――殺された両親を見て、裾をちょこんとした愛らしい手で握る妹がいた。

 年端もいかないとは言わないまでも、まだ自分より小さかった妹に、自分が兄であると強く自覚したのが、あの時だ。

 妹だけは守らなければならない。この小さくて、唯一残った肉親を。

 そう思ったのだ。

 本当は分かっていたはずの守らならければならない大事な者。でも図らずも巡ってきた復讐に手をぎりぎりまで伸ばして、認識の外へ追いやっていたもの。巻き込みたくなかった人。


「――そうか、俺は大事なことを忘れてたのか」

「思い出したか、ならちゃんと見てやれよ」

 

 一誠が振り返って、優し気に声を投げかけた。

 釣られて和志も体を動かす。目線の先には、垂れた瞳でぽつんと立っている紗綾がいた。

 本来なら自分が兄として隣にいないければならないはずなのに、今はたった一人で居る。

 もし和志が紗綾を構わず亡霊を追いかけていたなら、紗綾は本当に一人だったかもしれない。たった一人の血を分けた兄妹だと言うのに。

 

「紗綾……」


 立ち上がって、いまにも涙を浮かべてしまいそうになっている紗綾を現実としてしっかり認識する。

 言葉は大地から湧きあがる間欠泉のように、感情から溢れだしていた。


「紗綾、ごめんな――お前を一人にして。俺、両親の仇を討とうとしすぎて回りが見えてなかった。両親の仇を討てればそれだけでいいって、自分を見失って、お前がずっと心配してくれてるってのに決意が鈍るから無視してたんだ。ごめん、紗綾」

「ううん……っぐすっ」

「泣かないでくれよ」

「うんっ……」


 そうは言うものの、感情が滝のようにあふれ出てしまうのか、紗綾は泣いてしまっていた。


「お兄ちゃんっずっと、苦しそうだったからっ。心配でっ、心配でっ……いつもの優しいお兄ちゃんじゃなかったからっ。私はそれが嫌でっ。でもお兄ちゃんの言ってることも分かってるのに、でも本当に嫌だったからっ」


 紗綾がここまで素直に感情を露呈させたのは、和志が知る限り初めてのことだった。

 本当に自分は心配されていたのだ。

 傷つく言葉さえ投げかけてしてしまったというのに、それでも失望せず、自分を兄としての立場に戻そうとしてくれていた。和志のために紗綾は動いてくれている。

 心が透明な暖かな手で包まれている気分を味わいながら和志は歩いて、紗綾の頭を撫で始めた。


「ああ、本当に心配かけてごめんな。心無い言葉も言っちまった――でも、俺は紗綾のお兄ちゃんだ」

「もう勝手にどこかにいかないっ……?」

「行かない。たった一人残った、大切な妹なんだ。放っておかない」

「うんっ、お兄ちゃんっ」


 それから和志は、紗綾が泣き止むまでずっと。

 たった一日ぶりなのに久しく感じる妹の温もりを心底から思い出すように頭を撫で続けていた。


 ……

 …


「めでたし、めでたしか」


 律が、軽やかに言葉を紡ぐ。

 兄妹の間にあったものは時限爆弾のように針を刻んでいたもので、亡霊が現れて爆発寸前にまで至っていたものがようやく解除されたのだから、兄妹を傍で見ていた律と美久にとって嬉しいことだったのだろう。

 律も美久も、表情が柔らかい笑顔になっていた。


「これで和志も周りを見ずに突っ込むようなこともしないでしょう。さて、これから忙しくなると言いたいところだけど、あんた大丈夫?」

「俺は……もうさすがに眠いぜ」


 美久が質問した先に、とろんとした目で一誠が現れる。朝とはいえ、春の陽気な兆しは心身を簡単に溶かしてしまうほどの魔性を持っているのだから、眠たくなるのも致し方ない。

 一誠の隣に居る蒼も心なしか瞼を重たそうにしている。


「あんたたち両方グロッキー間近って感じね。和志の独断専行は解決したし、私も徹夜で眠いから夕方まで仮眠取りましょうか。どうせ亡霊が動き出すのは夜からなんだし、作戦会議は夕方から。時間は有効に使いましょう」

「お、話が分かる、いい司令官だぞ。な、蒼」

「休憩も兵士にとって大事な仕事だ」

「一誠はあんまり茶化さないで。それはそうと、なんか嬉しそうね、蒼くん」

「そうか……?」


 蒼は不思議そうに自分の顔を揉む。特に至っていつもの自分の感情の機微が現れにくい顔だが、指摘されて不思議とそうなのかもしれない、と蒼は思ってしまった。自分で思ってもいないことを他人に悟られるのは不思議なものだ。


「きっと和志が元通りになったことが嬉しいんじゃないか? 親友なんだしな」

「いや――」


 否定するものの、和志と紗綾の関係が修復された状態を改めて見ていると、心から春の陽気のような暖かさが込みあがってきていた。

 ランスロット卿として円卓の騎士団の兵士であった頃は、努めて感情を殺すために思考を破棄していたから、不思議と心から浮かび上がってくる温かさは、初めて経験する感情に思える。


「――案外そうなのかもしれないな。和志はソリューションに入る前であろうとも、ありのままの自分を見せて話しかけてきてくれていた。和志の在り様が戻ったのが、俺は嬉しいのかもしれない」

「へぇ、いいことじゃない。和志を仲間だと認めてるってことだわ。その調子で居て」

「和志のことは、蒼さんに四六時中お任せやね」

「そこまで任せられても困るが……」

「はっはっは。蒼さんは、もうちょっと笑いを学ばなあかんかなー」

「……精進する」

「律、蒼くんボケたりしないんだから、やめてあげなさい。ところで蒼くんの話はいいの?」

「話とはなんだ?」

「亡霊と戦った後からずっと悩んでたろ、それじゃないか。和志がちゃんと話聞くようになるまで待ってたんだろ?」

「どうすればいいのか、悩んでいただけなんだがそうなのかもしれない……話すのは夕方の作戦会議時でもいいだろうか、作戦行動には支障は生まれないはずだ」

「あの二人、今は離れそうにないしな。蒼がいいならいいんじゃないか。よっし、さー寝るか!」 


 間抜けなほど盛大なあくびをしながら、一誠が去る。

 去り際に、横目で和志と紗綾の姿を再度確認した一誠の口元は、満足げに微笑みを浮かべていた。 


 第十四話 終わり

 第十五話へ続く

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