第十三話「囚われた言葉」

 第二章 亡霊編


 第十三話「囚われた言葉」


 和志が目覚めた。

 指令室にて律から内線を聞いた美久、一誠、蒼の三人は、ソリューション基地の医務室に向かっていた。

 ひたすらに正面を見据える美久は、強風に後押しされているかの如く足早だ。


「勝手にいかないでよ――」


 険しく眉を寄せた顔から呟きが漏れ出る。

 しかし、反射的に背筋を震わせてしまうほどの怒りの声が、先の言葉を上書きした。


「離せっ、俺をっ! 俺をいかせろおぉぉぉ!」


 基地を駆け巡るようにして発せられた声は、身を焦がして尚有り余る憎しみが、声と成した慟哭のようにすら思えた。

 医務室の目前まで迫っていた美久は、自動扉が開く時間すら苛立ち気にしながら、踏み込む。

 中に入ると、薬品を取り扱っている場所特有の独特な刺激臭が鼻を突く。

 しかし美久の思考に飛び込んできた情報は、臭いだけではなく、ベッドで手と足をもがき苦しむように暴れさせる和志が真っ先に視界へ入った。

 次に視界が認識したのは、和志に覆いかぶさって起き上がるのを必死に止める紗綾。それともう一人、川のように流れるウェーブのかかった煌めく金髪を肩まで伸ばした女性も和志を押さえつけていた。


「もうっやめてっお兄ちゃん……っ! どこにもいかないでっ!」


 他のことには目もくれず、掠れた声で和志を止めようとしている紗綾の周りには、ひんやりとした哀しみの空気が満ちていた。

 紗綾と同じく和志を抑え込む金髪の女性も、和志に声をかけている。


「先輩、落ち着いてください。紗綾の言葉を聞いてあげてくださいっ!」


 二人が呼びかけていても、和志の耳に声は入らず暴れている。

 訪れた美久に気づいたのは、扉の付近に備え付けられたコンソールの前に立っている律だった。


「やっと来てくれたんやね」

「遅れてごめんなさい。状況は――聞くまでもない、わね。これじゃまるで駄々っ子だわ」


 亡霊がこの街へ来たと伝えたときより、今の和志を包み込む雰囲気は赤黒く、見るのすら躊躇いそうになるほどの殺気が充満していた。

 一晩経って和志が落ち着いて入ればと、僅かな希望を美久は抱いていたが現実は現実のまま、そこにあった。


「和志は見ての通りの有様。目が覚めたときは、一瞬大人しかったんやけど……すぐに現状を把握でもしたんか、亡霊を追いかけるって暴れだしてな」

「それで紗綾とセイクリッドが押さえてるってわけ」

「その通り。和志のほうはまだ体力回復してないんやろうに暴れとるから、どんどん力が出なくなっていってるみたいやけどね」

「二人で抑えられているのは、そういうことね」


 紗綾と一緒に和志を押さえている金髪の女性は、セイクリッドと言うらしかった。名前と髪からして、外国人なのだろう。

 美久は、紗綾とセイクリッドに視線を合わせて労うように声をかける。


「紗綾、セイクリッド、私たちも来たから押さえなくてもいいわよ」

「はい、ってあら? 美久さんではないですか」


 ウェーブした金髪をふわっと浮かせながら、朝焼けに透き通る葉を思わせる翡翠の瞳が振り返る。

 優し気な目尻をしていて、気品の良さが顔にまで現れているイギリス中世から現れた貴族のお嬢様かと思えるほどに、可愛らしい女性だった。


「ええ、美久さんよ。セイクリッドは、どうしてここに? 今日は学校休みのはずよね」

「紗綾のことが心配で来たのです。来てみたら和志先輩は倒れてらっしゃいますし、紗綾は……疲れが溜まっているように見えたので休ませていたら和志先輩が突然暴れだしてしまって、押さえていたのです」

「お疲れ様だったわね」

「いえ、私のことより、和志先輩と紗綾のことです。どうして和志先輩が暴れてらっしゃるのか、さっぱり分からないのですが、どうなさったのですか?」

「込み入った事情があってね」


 セイクリッドは、悩むように右手を柔らかそうな唇につける仕草をした。

 一手一手の流麗な動作から、柔らかで清廉とした物腰が垣間見える。

 自分が踏み入っていい領域なのか、そうではないのかを和志と紗綾を見ながら判断しているようで、瞬きをしたあと美久を見上げた。


「美久さん、私はいてもよろしいですか?」

「もちろん。私たちが話があるのは和志だから、紗綾のこと見てあげて」

「ありがとうございます。紗綾、紗綾ったら」


 セイクリッドが紗綾の肩を揺する。

 しかし紗綾は和志を押さえるのに必死で、気づかない。和志も押さえつけられる手から逃れようと力なく暴れるだけで、周りが見えていない。

 どちらも答えのない暗闇に立ってしまっている。

 美久は紗綾の両肩にそっと手を添え、道標を示すように心の奥底へささやきかける。


「もういいのよ、紗綾。あとは私に任せて、そこで少し休みなさい」

「あっ……美久さん……でも私は――」


 美久に振り返った紗綾の表情は悪夢に囚われているかのように疲労していて、いかに紗綾が和志のことを心配していたのか、一目で分かってしまう。

 感情にも和志のことにも押し潰されそうに思えるのに、紗綾は気丈にも兄に視線を戻した。その姿が、和志から離れることはできないと語っていた。


「――まだ休めません。お兄ちゃんが私をちゃんと見てくれるようになるまで……」

「それは辛いでしょう。 今の和志は誰も見てないじゃない」

「辛くなんてないです。私より、お兄ちゃんのほうがよっぽど、辛いはずなんです。私の知ってる優しくて、時々馬鹿もするお兄ちゃんに戻ってくれるまで、それまで私はずっとお兄ちゃんの傍にいたいんですっ。だから美久さん、ここに居させてください」


 迷いもなく言い切る言葉から、美久は梃でも動かない意志を垣間見た。

 

「わかった。紗綾がそうしたいなら、任せるわ」

「はいっ」


 紗綾自身には辛いことだろうけれど、しっかりとした意志を持っているのなら美久に紗綾の願いを否定する理由はなかった。

 しかし、悠長に兄妹間の問題解決を待つわけにもいかないのも事実だ。

 事態は二人だけに止まるものではなくて、亡霊は今夜にでも動き出してまた罪もない人を殺すかもしれない。

 ソリューションは円卓の騎士団から日本を取り戻すための組織だが、日常の生活を営む人たちを蔑ろにはしたくない。もし蔑ろにしてしまったら、円卓の騎士団と変わらなくなってしまう。

 美久は呆れたように溜息をつきながら立ち上がり、刺すように和志へ視線を向けた。


「あんたはいつまでそうして暴れているつもり? 子供みたいにしたって状況は何一つ変わらない。紗綾が――私たちが諦めて構ってくれないようになるとでも、思ってるの?」

「……お前には関係ないだろ」


 場の空気が一瞬で氷点下まで落ちてしまいそうな、鋭く冷えた和志の声色。それは今までの怒り狂った言葉とは違って、本能だけでなく理性を携えていた。

 どうやら美久と紗綾が話しているうちに、頭に血が上って周りが見えない状況は脱していたらしい。


「そうね、私はあなたの物語には関係のない人物かもしれない。和志にあった出来事すべてを慮ることはできない。私からすれば、それは失礼なことだから」

「だったら放っておけよ。これは俺の問題だろ」

「できない。あなたの憎しみに私は関係ない。でもあなたの妹は――紗綾は1人で進もうとする姿に苦しんで、健気なくらい耐えながらあんたのことを思ってる。私は紗綾の思いに向き合わないあんたが嫌なのよ。それに円卓の騎士団が亡霊に対応しないなら、私たちが犠牲者を出さないようにするしかない。今の亡霊を倒すには、あんたの協力が必要なの」

「紗綾、紗綾って、そんなに俺が亡霊追いかけてるのが嫌なのかよっ……!」


 俯いた和志の耳には、美久の言葉が半分も伝わっていなかった。

 紗綾が自分のことを思って苦しんでいる――この一点だけが和志の頭の中で繰り返されているらしい。

 普段の和志なら、紗綾を思って言葉の意味を理解できたかもしれない。だが和志が沸騰させた感情は憤りだった。


「何を言ってるの、やめなさい!」


 美久は悪い予感がして、言葉の先を止めようとするが、和志の口は容赦なく残酷なまでに走った。


「お前はっ! 親の仇を討ちたくないのかよっ!」


 部屋を埋め尽くすほどに高く、深く耳鳴りの如く残る声。

 心からの悔しさ、怒り、憤りが混ざった感情の奔流が、心を直接刺すように紗綾に襲いかかる。

 紗綾の目が見開かれた次の瞬間には目が潤み、涙が頬を伝っていた。

 和志の言葉を衝撃として理解しているのに、心が拒否をして受け入れられないことを証明するように、目から頬にかけて筋が描かれていく。


「いくら回りが見えてないからって、言っていいことと悪いことがあるでしょう! 紗綾はあんたを心配して――!」


 和志と紗綾の二人に襲い掛かった出来事を知っていた美久は、和志の口走った言葉がいかに残酷で遠慮のない心臓を一突きするほどの言葉であるかを知っていた。

 だから和志にこれ以上喋らせないため手を伸ばした。しかし一足先に美久のものとは違う手が既に和志の胸倉に掴みかかっていた。


「お前、それは兄であるお前が一番言っちゃならねぇことだろうがっ!」


 一誠は兄妹に起きた過去を知る由もなかった。

 亡霊に固執して心を見失っている和志の心配をする紗綾の手助けはしようと思っていたが、あくまで一誠は和志に言葉を掛けても、向こう見ずな行動を咎めるくらいのつもりだった。

 当人たちの問題は、自分で解決するのが一番だ。ましてや紗綾から相談されたわけでもない。他人が解決した問題になると、どこかで再び亀裂が生まれてしまう。亡霊は何度殺しても復活するのだから、尚更二人の間で復讐心に折り合いをつけなければならない。

 だが――それを分かっていても尚、和志の言動を一誠は許せなかった。


「紗綾ちゃんはお前をずっと心配して、亡霊に会う危険を犯してまで追いかけたってのに、なんでお前は紗綾ちゃんのことを考えてやらねぇ! お前の妹なんだろ!」

「なんだよ、おっさん、あんたは関係ないだろっ! 外野で騒ぎ立てるな、これは俺たち兄妹の問題だ! 他人が入っていい領分じゃねぇ!」

「わざわざお前の領分に入る気はさらさらないけどな、お前の妹は離れてる間もずっと兄のことを心配して心を痛めてたんだよ、どうして兄のお前がそれを受け取ってやらない!」

「それを受け取ったら俺は……今の俺じゃなくなっちまう! 俺はどうしても仇を討たなきゃならないんだよ!」

「仇、な」


 声を発したっきり、一誠は黙り込んで紗綾を一瞥してから美久に視線を移した。


「美久」

「えっあ、なに?」


 二人の火にかけられたヤカンのように沸騰していく様子を見守っていた美久は、突如かけられた言葉に戸惑いの表情を浮かべる。

 あれだけヒートアップしていたのに、よそ見をしてわざわざ呼んでくるとは何用だろう。


「この辺で誰も人が寄り付かない場所はないか? 基地内じゃなく外で」

「旧校舎周辺の草が生い茂ってる場所なら誰も近寄らないと思うけど」

「そうか、ついてこい」


 言うや否や、一誠は和志の胸倉を掴んだまま引きずるようにして移動を始めた。

 あまりにも強引な行為に、和志は足で踏ん張りながら胸倉を掴む手を引き離そうとするが、思ったより強く握りしめられているのか離れない。


「何やってんだ、離せ!」

「離したらついてくんのか?」

「どうして俺がお前に付いてかないといけねぇんだよ!」

「んじゃあこのまま連れてくからな、蒼もこい」

「俺もか?」


 静観を決め込んで壁にもたれ掛かって腕組みしていた蒼は、覚えのないことに首を僅かに傾げた。ここまでの会話から蒼は一誠に呼ばれる可能性を考えてすらいなかった。


「お前もだ。こいつの、親友だろ?」

 

 レッカー車のクレーンで釣っているようになっている和志を指す。ただし釣られている車は抵抗を示すように暴れている。


「人を指してんじゃねーぞ!」

「いや親友かと言われると、先日会ったばかりだが」

「真っ当そうな駄々こねてないで、とりあえず付いてこい」

「お前ら俺を無視してんじゃねぇ!」

「分かった」


 蒼は特に拒否する理由もなかったため、首肯する。

 素直に頷く蒼に満足しながら、一誠は文句を喚き続ける和志を視界に捉える。そろそろ喚き続けて疲れたりしないのだろうか。


「蒼は素直で助かるよ……お前はずっと引きずられてるつもりか?」

「分かったからついていくから、このみっともない姿勢は勘弁してくれっ」

「わあったよ、ほら」


 必死に真後ろへ下がりながら踏ん張っていた和志は、突如離された手にたたらを踏みながらも姿勢を戻すと、一息吐いて歩みを続ける一誠の後ろを面倒な顔を隠しもせずについていく。

 ここで逃げて、追いかけられるのもバカらしいのだろう。逃げるそぶりすらしない。


「んじゃあ、校舎裏で話してくるからな」

「誰にも見つからないようにね、一誠が見つかったら不法侵入者扱いだから」

「ははっ気を付けるさ」


 振り向くことすらせずに手を振っていた一誠を追いかけて蒼と和志が出て行ったのを確認してから、美久は俯いている紗綾に向かって口を開いた。


「さ、私たちも一誠を追いかけましょうか」

「お兄ちゃんたちを……?」

「一誠はわざわざ話す場所を教えてくれたのよ。それはきっと和志と話すから聞きにこいってこと、あなたとね」


第十三話「囚われた言葉」終わり

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