第十九話「悪魔乱舞」
第二章 亡霊編
第十九話「悪魔乱舞」
夜の廃工場で強固な物がぶつかり合う、乾いた音が響いていた。
周囲に民家はなく、夜中には停止している工場だけが存在しているこの区画で、その音に気づくものはいない。
月光に照らされた廃工場の中では、悪魔と人間の戦闘が行われていた。
「ほらほら、捌けるもんなら捌いてみい!」
悪魔が野草でも狩るような気軽さで、赤く染まった大鎌を振った。
音が唸るほどの突風が巻き起こるが、一誠はそれにひるむことなく悪魔と対峙する。
一誠が悪魔との戦闘を開始してから、十分がすぎていた。
「とぉっ!」
一誠はコンバットナイフを模した魔法武器で、迫る大鎌の尖端に触れて、刃の軸を僅かに逸らしながらしゃがみ込み、すんでのところで避けた。
すさまじい勢いで振り回される大鎌は横の面に対して制圧力があり、避けるのは困難な代物だが、迫る刃の軌道を逸らして勢いを削いで戦うことは可能だ。
亡霊と戦いながら培ってきた一誠の経験が、悪魔との戦いでもいかんなく発揮されていた。
「はっはっはっ、そんなちゃちな剣で刃の進行方向変えるたあ、なかなかやるやないか!」
「お喋りだな! 喋ってる暇はっねぇぞ!」
この十分間は様子見をしつつ攻撃していたが、悪魔の振るう鎌にも慣れてきた。
あと一歩踏み出せば亡霊に届く距離。いける。
一誠は大鎌を振り切って隙のできた悪魔に確信を持って踏み込み、下段からコンバットナイフを切り上げようとするが──。
「あかんな、接近までに時間かかりすぎやで」
「な……にっ、魔法が消える!?」
悪魔が口の端を獰猛な獣のように歪めると、一誠が握っていたコンバットナイフが砂粒のようになりながら消失し、悪魔の前で隙だらけの手が振り上げられる。
当然、武器がなくなった手では悪魔を傷つけられない。
「あーらら残念やけど、ほうらよっと、やり直しやっ!」
「ぐっ!」
一誠の隙を見逃さず、悪魔がボールでも蹴るように足を振り上げ、一誠が軽く浮きながら吹き飛ばされる。
何が起こった?
一誠は彼我の距離を的確に詰めて、確実に相手を斬りつけられる距離にいた。
それが一瞬で無手の状態になり、隙だらけに。
「ぐっ、つぁっ」
放物線を描きながら背中からコンクリートの床に叩きつけられ、一誠の肺から息が漏れる。
強打した背中はもちろん、特に痛みが酷いのは腹部だ。まるで鉄の靴で蹴られでもしてしまったかのように、鈍い痛みが襲ってきている。
「くっそ、いってぇな! なんだってんだ」
「こいつの体は亡霊やで? あんさんは分かっとると思っとったけどな」
「……まさか魔法分解能力か!」
「そやそや。ワイはな、亡霊の体を依代に出てきたんやから、そりゃ亡霊が元々持っとるもんくらい使えると思わんか?」
そうだ。この悪魔は亡霊の体を乗っ取るように現れたのだ。
大鎌を使い、魔法分解能力、亡霊の使用していたものばかり。亡霊に可能なことは、確かにこの悪魔も可能なのだろう。
「最悪だぞ、こりゃ……」
月の光の差し込む天井を見ながら、一誠は呟く。
亡霊は人を遥かに凌駕する力があり、人を標的とした殺しを簡単に行えていた。
力の差があっても一誠が亡霊に勝因を掴んでいたとすれば、亡霊は頭を使わなかった、という点。
亡霊は力、素早さに秀でていたが、それを使う思考が愚直で。
戦闘時の攻撃は読みやすく、工夫を凝らした──人なら持つべき駆け引きは一切なかった。
だから明確に自分より上の力を持つ亡霊が相手でも渡り合うことができた。だが亡霊の能力に思考が付与されてしまえば──答えは簡単だ。
確実に、負ける。
「ワイが出てこられたのはたまたまや。運が悪かったと諦めても誰も文句ないと思うで」
亡霊が鎌を担ぐように肩へ乗せながら迫ってくる。
その一歩一歩が、死へのカウントダウンを刻んでいるようにも思えた。
一誠は視線を横に向ける。
そこでは、和志が仰向けで転がっていた。
戦闘を開始してしばらく警戒しつつ睨みあっていたら、悪魔から攻撃を当てられてしまったのが和志だ。
悪魔は目視が困難な速さで接近して和志を殴り飛ばし、一発で意識を失わせた。
その一発──超速の一撃を放つには、例えば力を貯めるための準備をする必要があるのではないかと判断した一誠は、警戒しながらも接近戦を挑み、いまに至る。
読み通り接近戦で悪魔が超速の一撃を使うことはなかったが、相手は魔法分解能力を保有していた。
近距離では魔法分解能力が働き、遠距離で睨みあっていたら超速の一撃が飛んでくる。
どうすれば、倒せる──いや、まずどうやれば全員が助かる。
蒼と和志は、意識がいつ戻るかわからない。
一誠の体は、もう諦めろ、お前の復讐はここで詰みだと痛みを訴えている。
だが、しかし──。
「こんな、ところで終われるかっ! 俺の復讐はまだ終わっちゃいねぇ……!」
精一杯力を振り絞って起き上がろうとしても、あばらが痛む。
最悪だ。骨折しているかもしれない。
否応なしに力みが抜けて、床に倒れ込む。
「おー、おー、無理に起き上がらんでもさっさと楽にしたるわ。そこで待っとき」
「……すまん、蒼、和志、お前たちもおしまいだ」
一誠は力なく倒れている二人に目配せしながら言った。
一人でももう少しなんとかなると、二人が起きるまでの時間稼ぎを……と一誠は思っていたのだが、そう簡単にはいかない。
「心配せんでも全員冥土に送ったるで。なんや、悪魔の仕事って感じするなぁ」
人を殺すことなど屁にも思っていないのだろう。
一誠の前に到達した悪魔は気の抜けた調子で鎌を振り上げて、躊躇いなく振り下ろした。
こうなれば一瞬だ。
死はすぐに訪れる。
この意識すらも、途切れるだろう。
彼女の顔が浮かぶ。
今際の際、彼女が苦しみ、苦悩した表情が一誠を苛む。
復讐に身を焦がした自分には、笑顔すら思い出せなかった。
「……」
まだか?
やけに時間がゆっくりと感じる。
痛みが来る前に死ねるといいが、もしかしてもう死んでいたりするのか?
うっすらと瞼を開ける。
血のように染まった赤い鎌の尖端がある。次いで水色の剣が鎌に拮抗しているのが見えた。
少しずつ視界を広げていくと──。
「どうやら間に合ったみたいだな」
「蒼!」
亡霊の鎌を受け止めて、一誠の窮地を救ってくれたのは蒼だった。
……
…
「突然現れて、なんやお前!?」
「……はっ!」
鎌を打ち払うように返し、追撃するために蒼が剣を突き出す前に亡霊が後方へ下がる。
同時に蒼の剣が自壊して、空気中に崩れ去った。
「魔法分解能力か……」
「気をつけろ、蒼。そいつは亡霊と同じで異常な存在だ」
「見た目でわかる」
蒼は、ざっと敵対者の見た目を把握した。
一目でわかる異形の姿は、悪魔と形容するに相応しい。
悪魔は鎌で肩を緩く叩きながら、蒼に訝しげに視線を固定させていた。しきりに頭を捻っては唸っている。
なんというのか、怪物ではなく人ような動きだ。
「なんや……? どっかで……おーい、あんたどっかであったことない?」
「ないと思うが」
「そっか、勘違いやろか」
「だと思う」
「なんで和やかに話してんだ!?」
倒れたまま事態を見ていた一誠が、思わず声を張り上げた。
悪魔はこくこくと大仰に頷いて、鎌の尖端を前面に押し出して構えた。
「それもそやな」
「すまない、やるか。素は水、アクアソード」
蒼の右袖から水色をした剣が突如出現した。剣は腕にリストバンドのようなもので固定されている。
長年の経験から蒼が確立させた自分の魔法スタイルだ。
蒼は二歩踏み出し、腕を振って剣を構える。
相手は正体不明、実力不明。
悪魔は創作として本などには存在しているが、現実には判断材料が一切存在しない異形の怪物だ。
それでも蒼の直感は、全身を流れるように告げていた。
並大抵の敵ではなく、蒼も全力で戦わなければ死ぬだろうと。
これまで相対したどんな敵よりも危険かもしれないと、蒼は培ってきた兵士の感覚で判断していた。
「こんのか?」
「……」
問いかけに答えようともせずに、悪魔の一挙手一投足に注意を払う。
何がきてもいいように。
反応が間に合うように。
「蒼、そいつに距離を取るのは危険――」
忠告しようとした一誠の言葉を遮って、悪魔が喋る。
「なんや──つまらんなぁ」
空気が、淀んだ。
「っ!」
蒼は咄嗟に半身を右後方に逸らす。
力の限り握られた悪魔の拳が、数秒前まで蒼の腹が存在していた位置に到達していた。
極度の緊張からか蒼の額から、一筋の汗が流れ落ちる。
本当に危なかった。
瞬間移動にも感じられた速度の拳だ。ほんの少しの瞬きすらも許さない一撃だったのは想像に容易い。
悪魔が感心したように声をあげる。
「これ初見で避けられたの久しぶりやで。やっぱ、勇者っちゅうことか?」
「わけのわからないこと……をっ!」
接近してきたのなら好都合だ。蒼は逸らした半身を素早く戻しながら右腕を振り、剣を悪魔の胴体めがけて滑らせる。
悪魔は察していたのだろう。即座に反応し、鎌の柄で剣を受け止めた。
「よっと」
剣を受け止めた鎌の柄をぐるんと一回転させて剣の軌道を絡めとるように逸らし、淀みのない所作で、鎌を袈裟懸けに振り下ろした。
「ふっ……!」
蒼は前転してすんでのところで鎌を回避し、起き掛けに悪魔の無防備な背に剣を突き立てようとするが──反応して即座に横へ転がり、立ち上がって剣を見た。
右袖から生えていた剣が、空気に溶け込んで消失していく。
攻撃していたら、武器のない手を悪魔に差し出すようなものだった。
亡霊の固有魔法、魔法分解能力だろう。
悪魔は感心したのか、大袈裟に頷いていた。
「よーう気づいたな。その剣、もう魔力結合が限界やったんや。あのまま剣突き立ててたら無防備な手をバッサリいくとこやったで」
「こんなに早いとは……素は水、アクアソード」
平静にしながらも、蒼の心はざわついていた。
一誠を助けるために剣を振った時にも感じたが、昨日に戦闘した時とは比べ物にならないほど、魔法を分解する力が高まっている。
先ほど詠唱したアクアソードは、強固な魔力結合を意識して生成したものだったが、悪魔の間合いに数秒入っただけで魔力結合が強制解除されていた。
これでは悪魔の猛攻を掻い潜り、剣を突き立てるのは厳しい。
プランとしては魔力結合が解除されるのなら、悪魔の懐に入り込んだ瞬間に魔法を詠唱するのも手だろう。
だがそれは危険かもしれない。
魔力は極小の粒子であり、それを結合させることで魔法を発動させている。
魔力結合が解除されるということは、積み上げたパズルを崩壊されられるということ。
結合してから崩壊させることが可能なら、結合する前に崩壊させられる可能性もある。
もし接近時に武器がなければ悪魔に斬られるだけだ。このプランは現実的ではない。
やはり当初のプランでいくしかない。
蒼は悪魔からは一切目を離さず、声を張り上げた。
「一誠、どうにかして和志を起こしてくれ! 時間は稼ぐ、最初の作戦で戦う」
「……わかったっ! 任せろ」
「相談のお時間はおしまいかー? なに考えててもええけどな、今はただのちょっとした偶然が重なっとるだけや。ワイを乗り越えられるなら乗り越えてみい」
悪魔は言い終わったあと愉快そうに笑うと、蒼への攻撃を再開しようと鎌を構えた瞬間──。
「ここで乱闘が起きているとの情報提供により参上した円卓の騎士団だ! 無許可の戦闘魔法の使用は禁止されている! 全員魔法を解除しろ!」
全員が響き渡る声に反応して、振り向く。
そこには軽装の騎士のような出で立ちに白い仮面で顔を覆っている五名の円卓の騎士団兵士と、亡霊に襲われて逃げたはずの男性がそこにいた。
逃げた男性が、付近にいた円卓の騎士団を呼んでしまったのだろう。
一同が現れた円卓の騎士団への対応を探るように黙っていると、隊長らしき人物が一歩踏み出した。
「再び警告する! 無許可での戦闘魔法の使用は禁止されている! ただちに魔法を解除しろ!」
「ふーん、あれが円卓の騎士団か。けったいな仮面つけよってからに。まず白いってのが天使共を想像させる。何を好き好んでそんなもんつけさせとるんか、あいつの考えてることは知らんけど──」
悪魔は誰も反応できないほど気軽で自然に、地面を蹴った。
放物線を描きながら素早く、円卓の騎士団が密集している後方へ着地すると、振り返りざまに大鎌を振り上げた。
事態に遅れて気づいた円卓の騎士団が振り向くが、そうしたところで、もう終わりだ。
「──天使はな、虫唾が走る。死んでまえ」
これまで陽気に話していた悪魔の言葉は、口に入った砂利でも吐き出すように嫌悪に溢れたものだった。
なんの躊躇いもなく横一閃された大鎌は、扇状に並んでいた円卓の騎士団の端から人体を豆腐のように切り裂きつつ、亡霊から逃げた男性すらも容赦なく巻き込んだ。
一条の光を走らせるように振り切った大鎌が、床に、壁に、血を撒き散らして静止する。
誰も反応できないうちに、六名の体が上下に分割されていた。
鎌を振りぬいた余波が遅延して発生し、切れる前と寸分たがわず下半身に乗っていた上半身が、酷く生々しい音を響かせながら崩れ落ちる。
「はー、すっきりしたわ。何様や言うくらい、口五月蠅かったんもやけど、まずあの白い仮面も白い服装もあかんなぁ」
悪魔は感慨もなさげに、肩へ鎌を乗せて自分勝手な言い分をして笑っている。
蒼は、鎌が振るわれる光景をただ見つめることしかできなかった。
悪魔の動きは想定外で、反応できなかったのだが、これは蒼が兵士として心を閉ざさなくなってから、初めてその目で見た人が死ぬ瞬間だ。
そこにあったはずの命は、もう失われている。
自分は任務だからと、心を偽り、人を殺してきた人間であり。
今更、人殺しを罪だと言ってしまうことはできない。
だけれど――自分を偽ることをしなくなった蒼は、無情にも奪われる命が許せなかった。
頭で考えるより、先に体が動いた。
この存在は、本当に放置していてはいけないものだと、考えるまでもなく心が告げている。
剣を上段に構えて突撃。
悪魔は鎌を素早く器用に操りながら、蒼が振り下ろした剣を鎌の刃で受け止める。
「なぜ殺した」
「ああん? 人を殺すのに理由いるわけないやろ。ワイ、悪魔やで? ほんでも、強いて言えば、目障りやったからや」
「理由としても、話にならないな」
「そうかい、そらええわ。理解示されても困るからな、存分に見せてみぃ、お前の力! 久しぶりに外に出れたんや、お前がワイを楽しませい!」
受け止めていた剣を力で押し返して、悪魔は鎌を次々に振るう。
先ほどまでは遊びだったのだろう、苛烈さを増した攻撃が、蒼に迫った。
第十九話 終わり
第二十話へ続く
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